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19995年10月24日 冒頭陳述(中川智正)

第一 被告人の身上・経歴等

一 被告人は、昭和三七年一○月二五日、岡山市において出生し、同五七年三月に岡山の県立高校を卒業後、京都府立医科大学医学部医学科に入学し、同六三年三月に同大学を卒業した。
被告人は、右大学在学中の同六三年二月ころ、オウム真理教(以下、「教団」という。教団は、平成元年八月二九日に宗教法人となっている。)の出版物を読んで教団の教義等に興味を抱き、教団大阪支部で入信手続をとって在家信者となり、その後、昭和六三年四月に医師国家試験に合格し、大阪市内の病院に消化器内科の研修医として勤務したが、教 団に出家するため、平成元年六月ころ、同病院を退職し、同年八月三一日、出家信者となった。
その後、被告人は、同二年七月ころ、東京都中野区野方五丁目三○番一三号所在のオウム真理教附属医院(以下、「附属医院」という。)が開設されたので、同医院の医師となったものの、同医院での診療行為は行わず、教団の代表者である麻原彰晃こと松本智津夫(以下、「松本」という。)の主治医として同人の健康管理をするほか、同人の指示によ る特別な活動を行い、同五年一○月ころからは、教団幹部の土谷正実(以下、「土谷」という。)と共に化学兵器であるサリンの製造等に従事した。
そして、同六年六月、教団に省庁制度が採用された際、被告人は、教団の法皇内庁の責任者である同庁大臣となり、その後も松本の側近として活動し、現在に至っている。
二 被告人は、現在、独身であり、父母は、岡山市内に居住している。

第二 落田耕太郎に対するリンチ殺人事件について
(略)

第三 地下鉄サリン事件について

一 犯行に至る経緯等
1 犯行の動機
松本は、村井秀夫らに指示し、平成六年六月二七日、長野県松本市内で、サリンを霧状に噴出させる方法で住民多数を殺傷させたいわゆる松本サリン事件を起こしたが、同七年一月一日、同日付けの読売新聞に、「山梨県の上九一色村で、昨年七月悪臭騒ぎがあり、臭いの発生源とみられる一帯の土壌等を鑑定した結果、サリンを生成した際の残留物質で ある有機リン系化合物が検出され、この化合物は、松本サリン事件の際にも、現場から検出されていたことから、警察では、サリン生成に使う薬品の購入ルートを中心に、捜査を急いでいる」旨の記事が掲載されていることを聞知し、同事件が教団により起こされた事件であることの発覚を恐れ、教団施設に対する警察の捜索に備えて、教団がサリンを生成 していたという証拠を残さないようにするため、そのころ、村井を介して、同事件後も残存サリンを保管していた土谷に指示し、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺九二五番地の二所在のクシティガルバ棟と称する教団施設(以下、「クシティガルバ棟」という。)で、残存サリン全部を処分させた。
その後、松本は、井上嘉浩らに指示して、同年二月二八日、目黒公証役場事務長仮谷清志を拉致して監禁し、死亡させる事件を起こしたが、同事件は、犯行直後、警察に発覚して警視庁大崎警察署の捜査が始まり、同年三月四日以降各新聞紙上に、「犯人は新興宗教の者である」とか、「右仮谷と教団関係者と関係」とか、「容疑者の使用したレンタカー が判明して同車が警察に押収された」などの記事が掲載され、その後、新聞、週刊誌等で同事件に教団が絡んでいるかのような報道が大々的になされ、一部週刊誌には、同年四月上旬にも教団に対する警察の強制捜査が行われる旨の記事が掲載されるに至った。
かかる状況から、松本は、近く、警察の教団に対する大規模な強制捜査が実施されるという危機感を抱き、警察組織に打撃を与えるとともに、首都中心部を大混乱に陥れるような事件を敢行することにより右強制捜査の実施を事実上不可能にさせようと考え、松本サリン事件でその効果を実験済みであったサリンを警視庁等の所在する霞ケ関駅を走行する 地下鉄列車内で撒き、多数の乗客らを殺害することを決意した。
なお、サリンは、人の神経の信号伝達機構を破壊して死に至らせる神経剤であり、その性状は、常温で無色無臭の液体であるが、揮発性があり、その毒性は、無防備の人が一立方メートルあたり一○○ミリグラムの濃度のサリンが存在する大気中に一分間さらされるとその半数が死亡すると言われているもので、殺傷力が極めて高い毒物である。
2 松本らの共謀状況等
松本は、前記のとおり、平成七年一月ころ、当時教団に残っていたサリン全部を土谷らに処分させていたため、本件犯行に使用するサリンを新たに生成させなければならないと考え、同年三月中旬ころ、教団幹部の会合から帰途の車中で、遠藤誠一(以下、「遠藤」という。)に、新たにサリンを生成することが可能であることを確かめた上、そのころ、 村井に対し、本件犯行計画を具体化して実行するよう命じ、また、遠藤に対し、本件犯行計画に使用するサリンを生成するよう命じ、村井及び遠藤は、いずれも松本の右命令を了解した。
3 被告人らによる本件サリン生成等
(一)サリン生成における被告人、土谷の関与等
被告人は、村井の指示を受け、土谷らと共に、平成五年一一月ころから同六年二月ころまでの間、三回にわたり、サリンを生成したことがあり、同七年一月には、土谷が残存サリンを処分するのを手伝ったが、その際、中間生成物であるメチルホスホン酸ジフロライド(以下、「ジフロ」という。)約一・四キログラムが残存していることを知り、ジフロ があればサリンを早く生成することができることから、これを処分するのが惜しくなり、自己の判断でこれを処分せず、第六サティアン付近の敷地内に隠して保管した。被告人は、村井にそのことを告げていたところ、同年三月一八日ころ、第六サティアンの自室において、村井から、被告人が保管しているジフロを遠藤のところに持って行き、それを使っ て同人と共に早急にサリンを生成するよう指示された。
その際、被告人は、村井から「地下鉄でサリンを使うんだ。」などと言われ、松本らが東京都内の地下鉄の列車内でサリンを撒いて多数の乗客等を殺害する大量殺人を計画していて、その犯行に使用するサリンの生成を指示されたことを知った。被告人は、前記松本サリン事件では、サリン生成とともに現場での実行犯の役割もしていたことから、今回も サリン生成だけではなく、地下鉄内で実際にサリンを撒く実行犯にも指名されるのではないかと考え、その場合には、自らも実行犯に加わる意思の下に、サリン生成を承諾し、自己が保管していたジフロを前記上九一色村富士ケ嶺九二五番地の一所在のジーヴァカ棟と称する教団施設(以下、「ジーヴァカ棟」という。)へ持って行き、遠藤に渡した。
そして、被告人は、遠藤が、土谷から、ヘキサンを溶媒とし、N、N―ジエチルアニリン(以下、「ジエチルアニリン」という。)を反応促進剤として用い、ジフロとイソプロピルアルコールを反応させる方法でのサリン生成方法の教示を受けたので、同月一九日、ジーヴァカ棟において、遠藤と共に、ジフロからサリンを生成することとし、三ツ口フラ スコ、オイルバス等の必要な器具を準備してこれを同棟内の実験室に設置した上、サリン生成に用いるヘキサン、ジエチルアニリン、イソプロピルアルコール等の薬品を土谷に用意してもらい、これらをクシティガルバ棟からジーヴァカ棟へ運び込んだ。
そして、被告人は、遠藤と共に、ドラフトと称する強制排気装置を設置したジーヴァカ棟内の実験室において、サリン中毒にならないよう、頭からビニール袋をかぶり、その中に酸素ボンベの酸素を引き込んで、これを吸いながら、土谷の指導の下、同人が本件サリン生成に必要な各物質の数量を計算し、その内容を記載したメモに基づき、三ツ口フラス コ内にヘキサン、ジエチルアニリン及びジフロを入れ、反応させる温度を調節するとともに、田下聖児に手伝わせてイソプロピルアルコールをそれに滴下するなどして、同日夜、約三○パーセントのサリンを含有する六ないし七リットルのサリンの混合液を生成した。同液体は、ヘキサン、ジエチルアニリンを含み、透明な部分と薄茶色の部分の二層に分か れていたが、土谷が遠藤の依頼で分析したところ、いずれの層にも生成されたサリンが含まれていることが確認された。
(二)松本に対するサリン生成結果の報告と松本の指示 遠藤は、生成した液体にサリンのほかヘキサン、ジエチルアニリンの不純物が含まれていたことから、そこからサリンだけを分留しようと考え、土谷に対し、これに要する時間を尋ねたところ、半日から一日は必要であると言われたため、その日のうちに分留することは不可能であると判断し、松本の指示を仰ぐこととした。遠藤は、第六サティアンの松 本の部屋へ行き、同人に対し、「できました。ただし、まだ純粋な形になっておらず、混合物です。」と言って、生成したサリンが混合液の状態である旨報告するとともに同人の指示を仰いだところ、同人は、遠藤に対し、「いいよ、それで。」と言って、サリンを分留せず、混合液の状態のままで本件犯行に使用することを了承した。
(三)サリン注入とその引渡等
その後、被告人は、前記上九一色村富士ケ嶺九二五番地の二所在の第七サティアンと称する教団施設(以下、「第七サティアン」という。)において、村井から、かねて教団が特注により業者から購入していた横約五○センチメートル、縦約七○センチメートルの大きさのナイロン・ポリエチレン袋(以下、「ナイロン袋」という。)を渡され、これにサ リンを入れるよう指示された。
そこで、被告人は、これを受け取ってジーヴァカ棟に運び、遠藤に対し、村井の右指示を伝え、同所において、遠藤と共に、これをサリンの袋詰め用に使うため、約二○センチメートル四方の大きさに切り取った上、シーラーと称する圧着機を用い、開放している部分を圧着して袋を作り、さらに、一方の角の部分を一部切り取って注入口を開け、そこか ら給油ポンプを用いて、サリンの混合液約六○○グラムずつを入れ、その後、その注入口の部分をシーラーで密封してサリンの入った袋一一袋を作り、さらに、運搬途中で、袋が破損したりして中のサリンが漏出しないようにするため、これらを約二五センチメートル四方の大きさに切り取って作ったナイロン袋に入れて二重袋にした。これらのサリンが入 ったナイロン袋一一袋は、遠藤が段ボール箱に入れて第七サティアンへ持参し、村井に渡した。さらに、その後、遠藤は、村井の指示を受けて、サリンを入れたものと同じナイロン袋に水を入れたもの約五袋を作り、これを第七サティアンの村井のもとに届けた。
被告人は、これらのナイロン袋を届けてジーヴァカ棟に戻った遠藤から、サリン中毒の予防薬を五錠用意して欲しいと頼まれたことから、教団所属の者五名が被告人らが生成したサリンを地下鉄に撒きに行くことを察知するとともに、被告人自身は今回は実行犯に指名されなかったことを知った。被告人は、所持していたメスチノン錠剤五錠を遠藤に渡し 、同人は、これを第七サティアンヘ持って行った。
4 村井の部屋における犯行の謀議等
一方、村井は、前記犯行計画を実行する者を、松本の了承を得て教団幹部の中から選定することにし、地下鉄内で実際にサリンを撒く実行者(以下、「実行者」という。)として、科学技術省次官の林泰男、同廣瀬健一 (以下、「廣瀬」という。)、同横山真人(以下、「横山」という。)、同豊田亨(以下、「豊田」という。)及び治療省大臣の林郁 夫の五名を選定し、実行者の本件犯行を確実ならしめるため、的確な情報の提供、犯行に使用する自動車の調達及び村井からの具体的指示の伝達などを行う、犯行の現場指揮者兼実行補助者として井上を選定した。
そこで、村井は、平成七年三月一八日早朝ころ、第六サティアン三階の自室において、井上に対し、地下鉄内でサリンを撒くという本件犯行計画を打ち明け、実行者らを支援して右犯行を成功させるよう指示し、また、そのころ、同室において、林泰男、廣瀬、横山、豊田及び林郁夫の五名に対し、警察の強制捜査の目先を変えるために、同月二○日の朝 、東京都内の地下鉄の列車内にサリンを撒くことを指示し、林泰男らは、いずれもその実行意志を明らかにした。
村井、林泰男、広瀬、横山及び井上は、同月一八日午後三時ころ、村井の前記自室に集まり、同室において、地下鉄の路線図等を見ながら、サリンを撒く地下鉄の路線及び駅はどこが適当かを検討した。そして、村井は、林泰男らに対し、「警視庁に近い出口はどこだろう。どうせやるんだったら、警視庁に近い方がいい。」などと言い、警視庁に近い場 所にある地下鉄霞ケ関駅を走行する帝都高速度交通営団日比谷線(以下、「地下鉄日比谷線」という。)、同営団丸の内線(以下、「地下鉄丸の内線」という。)及び同営団千代田線(以下、「地下鉄千代田線」という。)の三つの路線にサリンを撒くことを指示するとともに、乗客が多いラッシュ時に実行するということで、同月二○日の午前八時に各路 線で一斉にサリンを撤くことを指示した。
その後、村井は、各実行者を犯行現場まで自動車で送迎するなどの支援をする者(以下、「運転者」という。)として、自治省大臣の新實智光、同省次官の杉本繁郎、同北村浩一、同外崎清隆(以下、「外崎」という。)及び井上が大臣をしているCHS(「諜報省」の前身)所属の高橋克也(以下、「高橋」という。)の五名を選定した上、実行者と運 転者の組み合わせも決め、井上にそれを伝えるとともに、自ら若しくは井上らを介して、実行者及び運転者らに東京に行くよう指示した。
5 渋谷アジトでの謀議と犯行現場の下見等
(一)渋谷アジトでの謀議
井上、林泰男、廣瀬、横山、豊田、林郁夫、新實、北村、外崎、杉本及び高橋の一一名は、本件犯行計画を実行するため、平成七年三月一九日午後九時ころまでに、東京都渋谷区宇田川町二丁目二六番渋谷ホームズ四○九号室(以下、「渋谷アジト」という。)に集合した上、井上主導の下で、それぞれの実行者が担当する地下鉄の路線を決めるとともに 、井上は、林泰男らに対し、村井が決めた実行者と運転者の組み合わせを伝え、さらに、犯行の実行に当たっての細かい注意事項を指示した。
すなわち、地下鉄日比谷線の中目黒方面行の路線は、林泰男と杉本が、地下鉄日比谷線の北千住方面行の路線は、豊田と高橋が、地下鉄丸の内線の荻窪方面行の路線は、廣瀬と北村が、地下鉄千代田線の代々木上原方面行の路線は、林郁夫と新實が、地下鉄丸の内線の池袋方面行の路線は、横山と外崎が担当すること、サリンを撒く時刻は同月二○日午前 八時とすること、サリンは降車の直前に撒くこと、当日は午前六時ころには、渋谷アジトを出発すること、実行者の降車駅は、林泰男が秋葉原駅、豊田が恵比寿駅、廣瀬が御茶ノ水駅、林郁夫が新御茶ノ水駅、横山が四谷駅であることなどを確認させた。
(二)犯行現場の下見及び犯行車両の調達
実行者及び運転者らは、同月一九日午後一○時ころ、普通乗用自動車数台に分乗して渋谷アジトを出発し、それぞれが担当する地下鉄の路線の犯行場所である降車駅に行き、実際に地下鉄の列車に乗車するなどして犯行現場の下見をし、また、犯行直後の降車駅付近の待機場所を決めたりした後、渋谷アジトに戻った。
井上は、本件犯行の際に必要な自動車五台を在家信者らに依頼して調達し、高橋らに指示するなどして渋谷アジト付近まで運ばせ、準備を整えた。 6 犯行方法の予行演習とサリンの交付
村井は、平成七年三月二○日午前一時三○分ころ、実行者らのいた渋谷アジトに電話し、林泰男に対し、サリンの用意ができ、それを渡すので第七サティアンまで受け取りに来るように、また、その際、サリンの具体的な撒き方を教示するので、実行者全員が一旦戻ってくるよう指示した。
林泰男は、直ちに、豊田ら実行者四名に対し、村井の右指示を伝えるとともに、杉本、外崎に運転を頼み、普通乗用自動車二台に分乗して渋谷アジトを出発し、同日午前三時ころ、第七サティアンに到着し、杉本及び外崎を車内に残し、林泰男ら実行者五名は、第七サティアンの中に入った。
村井は、遠藤から、前記サリン入りナイロン袋一一袋を受け取った後、林泰男らより一足先に第七サティアンに戻ってきていた井上に対し、サリン入りナイロン袋を突き破るのに使用するため、先が金属製になっている傘を購入してくるよう指示した。そこで、井上は、同日午前二時三○分ころ、静岡県富士宮市内のセブンイレブンにおいて、ビニール傘 七本を購入して第七サティアンに戻り、それを村井に渡すと、同人は、科学技術省次官の滝澤和義に指示して、傘の先端部の金具部分をグラインダーで削らせて、先を尖らせた。
村井は、同日午前三時ころ、第七サティアン一階において、井上の立ち合いの下で、戻ってきた林泰男ら五名の実行者に対し、傘の先でサリン入りナイロン袋を突き破ってサリンを袋内から漏出・気化させる方法を採るが、ナイロン袋が二重袋になっているので、地下鉄の列車内にこれを持ち込む際には、事前に、突き破り易いように外側のナイロン袋を 取り除いておくこと、サリン入りナイロン袋を傘の先で突く際には、予めそれを列車内の床に置いておき、外側から傘の先でそれを数回突き刺してサリンがナイロン袋内から漏出し易いようにしてから、直ぐに列車内から降りて逃走することなど地下鉄列車内にサリンを撒く具体的方法及びその際の注意事項等を指示した。
そこに、遠藤が、村井の指示で作った水が入ったナイロン袋五袋を持ってきたので、村井は、林泰男ら実行者に指示して、その袋を傘の先で突き刺し、犯行の予行演習をさせたが、その際、他の乗客に不審がられないようにするため、犯行時はナイロン袋を新聞紙で包んだほうがよいという意見が出た。
その後、本件犯行に使用するサリンの入った袋が一一袋あったことから、林泰男の申出により、同人が三袋のサリンを撒き、他の四人が二袋ずつサリンを撒くことに決まり、林泰男ら実行者が、村井から、サリン入りナイロン袋一一袋及びビニール傘約五本を受け取り、サリン入りナイロン袋一一袋については、豊田のショルダーバック内にしまった。
また、村井は、遠藤に指示して持ってこさせたサリン中毒の予防薬であるメスチノン錠剤各一錠を、同人に指示して林泰男ら実行者に配布させ、その際、遠藤において、林泰男ら実行者に対し、それを犯行の二時間前に服用するよう指示した。
その後、林泰男らは、普通乗用自動車二台に分乗して第七サティアンを出発し、同日午前五時過ぎころ、渋谷アジトに戻った。
7 犯行直前の準備
渋谷アジトに戻った林泰男らは、豊田が運んできた一一袋のサリンの入ったナイロン袋を、第七サティアンで決まった割合で、それぞれ実行者に分配し、さらに犯行に使用するビニール傘も一本ずつ分け、また、先に遠藤から渡されたサリン中毒の予防薬を服用した。
林郁夫は、他の実行者らに対し、サリンの被害をこうむった場合に注射するようにと、サリン中毒の治療薬の硫酸アトロピン二アンプル分(二ミリリットル)を吸入した注射器を一本ずつ渡した。
このように準備をした後、林泰男ら実行者と運転者は、本件犯行を実行するため、同日午前六時前後ころ、それぞれ、サリン入りナイロン袋及びビニール傘等を携帯し、普通乗用自動車に乗って、渋谷アジトを出発した。
二 犯行状況
1 地下鉄日比谷線北千住発中目黒行列車関係
林泰男は、平成七年三月二○日午前六時ころ、杉本運転の普通乗用自動車に乗車して地下鉄日比谷線上野駅に向かい、途中、同人に同日付けの読売新聞、ハサミ等を購入してもらい、同車内において、サリンの入ったナイロン袋三袋のうち、内袋からサリンが漏れていないものについては、外袋をハサミで切って取り除いた上、サリンの入った袋三袋を重 ね、それを読売新聞の新聞紙で包むなどした。
林泰男は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線上野駅出入口付近で杉本運転の右自動車から降り、サリン入りナイロン袋三袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅に入った。その後、林泰男は、北千住駅午前七時四六分発八両編成の中目黒行A七二○S列車に乗車し、同日午前八時ころ、秋葉原駅に到着するまでの間に、同列車の第三車両の 床に、サリン入りナイロン袋三袋を入れた新聞包みを置いた上、それを所携のビニール傘の先で多数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、同駅で同列車から降りた。
2 地下鉄日比谷線中目黒発東武動物公園行列車関係
豊田は、同日午前六時三○分ころ、高橋運転の普通乗用自動車に乗車して地下鉄日比谷線中目黒駅に向かい、途中、報知新聞を購入した上、同車内で、サリン入りナイロン袋二袋の外袋をハサミで切って取り除き、内袋を取り出してこれを重ね、それを報知新聞の新聞紙で包んだ。
豊田は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線中目黒駅前で高橋運転の右自動車から降り、サリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅周辺で時間潰しをした後、同駅に入り、中目黒駅午前七時五九分発八両編成の東武動物公園行B七一一T列車の第一車両に乗車した。そして、第一車両のドア付近の座席に座り、同列車が 同駅を発車すると、間もなく、サリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包みを自己の足下に置いて本件犯行を用意し、同日午前八時一分ころ、同列車が恵比寿駅に入ってから同駅に停車する直前に、これを所携のビニール傘の先で数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、直ちに同駅で降車した。
3 地下鉄丸の内線池袋発荻窪行列車関係
廣瀬は、同日午前六時ころ、北村運転の普通乗用自動車に乗車して渋谷アジトを出発し、東日本旅客鉄道株式会社(以下、「JR」という。)四谷駅前で同車を降り、同駅から中央線、埼京線を乗り継いで、同日午前七時過ぎころ、JR池袋駅に到着し、同駅付近で時間潰しをした後、同駅構内の男性用トイレで、ショルダーバック内からサリン入りナイ ロン袋二袋を取り出し、外袋をカッターナイフで破って取り外し、スポーツ新聞の新聞紙でそれを包んでショルダーバック内にしまった。
廣瀬は、同日午前七時四○分ころ、地下鉄丸の内線池袋駅に入り、同駅午前七時四七分発六両編成の荻窪行A七七七列車の第二車両に乗車し、その後、同列車が茗荷谷駅又は後楽園駅で停車した際に、第二車両から第三車両に乗り移った。そして、廣瀬は、混雑している第三車両内で出入口ドアに向かって立ち、ショルダーバック内からサリン入りナイロ ン袋二袋を入れた新聞包みを取り出そうとした際、新聞紙が外れてしまったため、サリン入りのナイロン袋二袋のみを足下に落下させ、それを近くの座席の方向に移動させ、同日午前七時五九分ころ、同列車が御茶ノ水駅に到着し、同列車の出入口ドアが開き始めた瞬間に、床上にあるそのナイロン袋を数回ずつ所携のビニール傘の先で突き刺して、同袋内 からサリンを漏出させて車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、直ちに同列車から降りた。
4 地下鉄千代田線我孫子発代々木上原行列車関係
林郁夫は、同日午前六時少し前ころ、新實運転の普通乗用自動車に乗車して出発し、途中、同人に赤旗新聞等を入手してもらい、同車内で、サリン入りのナイロン袋二袋の外袋をカッターナイフで破って取り外した上、赤旗の新聞紙でそれを包んだ。
林郁夫は、その後、地下鉄千代田線千駄木駅前で、新實運転の右自動車から降りて同駅に入り、同線を使って綾瀬駅や北千住駅へ行って時間潰し等をした後、同駅から、我孫子駅始発で北千住駅午前七時四八分発一○両編成の代々木上原行A七二五K列車の第一車両に乗車した。そして、同列車が新御茶ノ水駅に近づき、減速を始めた時、サリン入りナイ ロン袋二袋を入れた新聞包みを自分の足下の床上に落下させて置き、所携のビニール傘の先で、その新聞包みを数回突き刺し、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行したが、穴が開いたナイロン袋は、一袋であった。林郁夫は、犯行後、直ちに同駅で降車した。 5 地下鉄丸の内線荻窪発池袋行列車関係
横山は、同日午前六時ころ、外崎運転の普通乗用自動車に乗って出発し、乗車駅である地下鉄丸の内線新宿駅に向かい、途中、同人に日本経済新聞を入手してもらい、同車内で、サリン入りナイロン袋二袋の外袋をハサミで切り取って外し、そのナイロン袋二袋を新聞紙で包んだ。
横山は、同日午前七時ころ、JR新宿駅西口付近で、外崎運転の右自動車から降り、時間潰しなどをした後、地下鉄丸の内線新宿駅に入り、荻窪駅午前七時三九分発六両編成の池袋行B七○一列車の第五車両に乗車した。そして、同列車が四谷三丁目駅を発車した後、サリン入りナイロン袋二袋が入った新聞包みを自己の足下付近の床上に落下させて置き 、同列車が四谷駅に進入するため減速を始めたので、同日午前八時一分ころ、両手で持った所携のビニール傘の先で、その新聞包みを真上から数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、同駅で降車したが、穴が開いたナイロン袋は一袋であった。

三 各列車内及び停車駅におけるサリンの漏出・気化並びに同列車の運行状況等
1 地下鉄日比谷線北千住発中目黒行列車関係
林泰男によって新聞紙(読売新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋三袋が置かれた中目黒行A七二○S列車は、平成七年三月二○日午前八時ころ、地下鉄日比谷線秋葉原駅を発車し、同日午前八時二分ころ、小伝馬町駅に到着した。その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第三車両内の床に流れ出して床面に広がるととも に、サリンが気化して同車両内に広がって刺激臭を発したため、小伝馬町駅到着後、同車両の男性の乗客が、同車両内からサリン入りナイロン袋三袋が入った新聞紙の包みを同駅一番線ホーム上に蹴り出し、それを同ホーム上の支柱付近に寄せたが、同列車が同駅に少し停車している間に、サリン中毒により、同支柱付近の同ホーム上に乗客男女各一名が倒 れた。
漏出して流れ出したサリンが床に付着し、かつ、気化したサリンが第三車両内に漂っている同列車は、同日午前八時三分ころ、小伝馬町駅を発車した後、人形町駅、茅場町駅、八丁堀駅に各停車したが、茅場町駅では、サリン中毒により、男性に掴まりながら全身を痙攣させている女性が第三車両付近のホーム上にいたので、駅員が救急車を要請し、さら に、男性客一名、女性客二名がホームのべンチにうずくまっていたので、駅員らがそれらの者を駅事務室に保護したりした。
その後、同列車が八丁堀駅を発車してから、間もなく、第三車両内の非常通報ブザーが鳴動したため、同日午前八時一○分ころ、同列車が築地駅で停車し、出入ロドアを開放したところ、開放と同時に乗客が一斉に一番線ホーム上に飛び出し、サリン中毒により、そのうちホーム上に五名、同車内に三名の乗客が倒れ、さらに体の不調を訴える者が続出し た。
そこで、各救急隊に救急車を要請するとともに、築地駅で同列車の乗客全員を降車させ、同列車の運転を中止した。その後、同日午前八時一四分には、運輸指令所長が、日比谷線全線一斉発車待ちを指示し、同日午前八時四一分には、小伝馬町駅及び築地駅では、旅客及び駅員等全員が駅構内から退去するように運輸指令所長の指令が発せられた。
この間、三袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約一、八○○ミリリットル)が、第三車両内及び小伝馬町駅一番線ホーム上支柱付近に流れ出るとともに気化し、さらに、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
2 地下鉄日比谷線中目黒発東武動物公園行列車関係
豊田によって新聞紙(報知新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた東武動物公園行B七一一T列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄日比谷線恵比寿駅を発車し、広尾駅、六本木駅に各停車したが、その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第一車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化し て同車両内に広がり、恵比寿駅発車直後には、サリンの影響で、咳き込む乗客が出てきた。その後、同列車は、同日午前八時一一分ころ、神谷町駅に到着したが、同駅到着後、サリン中毒により、第一車両内に数名が倒れており、乗客五、六名が同駅のホーム上に座り込んだので、各救急隊に救急車の要請をするとともに、同車両の旅客を他の車両に移動さ せたが、それでも、次々と体の異常を訴える乗客が多数出た。
その後、同列車は、神谷町駅を約七分遅れて、同日午前八時一八分ころ、発車し、同日午前八時二○分ころ、霞ケ関駅に到着した後、乗客全員を同列車から降車させ、その運転を中止した。
そのころまでに、二袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約一、二○○ミリリットル)が、第一車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
3 地下鉄丸の内線池袋発荻窪行列車関係
廣瀬によってサリン入りナイロン袋二袋が置かれた荻窪行A七七七列車(折り返し後、池袋行B八七七列車)は、同日午前七時五九分ころ、地下鉄丸の内線御茶ノ水駅を出発し、淡路町駅、大手町駅、東京駅、銀座駅、新宿駅等の各駅で停車後、同日午前八時二五分ころ、中野坂上駅に到着し、運転手の引継のため、同駅で約五分間停車した。
その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第三車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がり、同列車が淡路町駅を発車したころから刺激臭を発するようになった。
同列車が中野坂上駅に停車した際、同駅駅員が、第三車両内の床に倒れていた男性の乗客一名及び同車両内の座席にぐったりし、口から泡を出すなどして今にも座席から崩れ落ちそうな女性の乗客一名を発見し、各救急隊に救急車を要請するなどして救護措置を取った。
また、同駅の長山静助役は、同列車の第三車両内の床の上に置かれていた右ナイロン袋二袋を発見し、一つには、中身が入っておらず、他の一つには、サリンの混合液が半分程度入っているのを確認した。そして、右ナイロン袋内からサリンが流れ出ていたことから、これらのナイロン袋を付近にあった新聞紙で包んでこれを同車両内からホーム上に運び 出し、次いで、同駅の島村光明助役が、それをビニール袋に入れて同駅事務室に運び込み、その後、中野警察署の警察官にそれを提出した。
その後、同列車は、同日午前八時三○分ころ、中野坂上駅を発車し、南阿佐ケ谷駅等を経て、同日午前八時四○分ころ、荻窪駅に到着し、同駅では、駅員が、第三車両車内の床の上に流れ出して床面に付着していたサリンをモップで拭いて同車両内の掃除を行った。
その後、同列車は、同日午前八時四三分ころ、荻窪駅から折り返し、南阿佐ケ谷駅を経て、同日午前八時四七分ころ、新高円寺駅に到着したが、同駅では乗客全員を降車させた上、運転を中止した。
そのころまでに、二袋のナイロン袋内のサリンの一部(混合液で約九○○ミリリットル)が、第三車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
4 地下鉄千代田線我孫子発代々木上原行列車関係
林郁夫によって新聞紙(赤旗新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた代々木上原行A七二五K列車は、同日午前八時四分ころ、地下鉄千代田線新御茶ノ水駅を発車し、大手町駅、二重橋前駅、日比谷駅に各停車した後、同日午前八時一二分ころ、霞ケ関駅に到着したが、その間、新御茶ノ水駅では、第一車両内の床に置かれたサリン入りナ イロン袋が入った新聞紙の包みが、乗降の際に、乗客に踏まれ、穴の開いたナイロン袋内からサリンが同車両の床に流出し、それが気化したため、日比谷駅近くになってから、サリンの影響により咳き込む乗客が出てきた。
霞ケ関駅では、異物があるという乗客の通報により、同駅の高橋一正助役が、第一車両内から、サリン入りナイロン袋が入った新聞紙の包みを白手袋着用の両手で持って、それをホーム上に運び出して置き、さらに、同人は不要の新聞紙を使って、サリンが流れて付着している同車両の床を拭いた後、同人、菱沼恒夫助役、豊田利明助役の三名が、それら をビニール袋に入れ、その後、同人らが、それらを同駅事務室に運んだ。
新聞紙に包まれたサリン入りナイロン袋二袋のうち、一つは、穴が開いておらず、その中には約六一五ミリリットルのサリン混合液がそのままの状態で残っていたが、他の一つは、サリン全部が、ナイロン袋内から漏出して第一車両内の床に流れ出すとともに、気化した。
その後、同列車は、約二分遅れて、同日午前八時一四分ころ、霞ケ関駅を発車し、同日午前八時一六分ころ、国会議事堂前駅に到着したが、同駅では同列車の乗客全員を降車させて運転を中止し、駅員が、モップを使って第一車両の床を拭いて清掃した。
その間、一袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約六○○ミリリットル)が、第一車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
5 地下鉄丸の内線荻窪発池袋行列車関係
横山によって新聞紙(日本経済新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた池袋行B七○一列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄丸の内線四谷駅を発車し、赤坂見附駅、霞ケ関駅、大手町駅等に各停車し、同日午前八時三○分、池袋駅に到着した。その間、同列車が四谷駅を発車してから間もなく、穴の開いた一つのナイロン袋内からサリン が漏出し、それが第五車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに気化して同車両内に広がった。
その後、同列車は、池袋駅で折り返し運転となり、列車番号が「A八○一」に変更となって、新宿行の列車として、同日午前八時三二分ころ、池袋駅を発車し、同日午前八時四二分ころ、本郷三丁目駅に到着した。本郷三丁目駅の一つ手前の後楽園駅に同列車が到着した際、乗客から同駅駅員に対し、異臭のある不審物をかたずけるようにとの申し出があ り、そのため駅員が、隣の本郷三丁目駅に連絡し、同駅において、鈴木良正助役が、第五車両(折り返し後は、第二車両となった。)内から、箒とちりとりを使って、サリン入りナイロン袋二袋が入った新聞紙の包みを撤去し、その後、駅員が、同車両内のサリンが付着した床面を新聞紙、布切れ及びモップで拭き取った。
その際、遺留領置したナイロン袋のうち、一袋は、穴が開いておらず、その中には約六三○ミリリットルのサリンの混合液がそのまま残っており、また、もう一つのナイロン袋の中には、約五○ミリリットルのサリンの混合液が残留していた。
同列車は、同日午前八時四四分ころ、本郷三丁目駅を発車し、東京駅、大手町駅を経て、同日午前九時九分、新宿駅に到着し、その後、同列車は、同駅で、折り返し運転となり、列車番号が「B九○一」に変更となって、池袋行の列車として、同日午前九時一三分ころ、新宿駅を発車し、同日午前九時二七分ころ、国会議事堂前駅に到着した後、同駅で乗 客全員を降車させ、運転を中止した。
その間、一袋のナイロン袋内のサリンの一部(混合液で約五五○ミリリットル)が、前記車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
四 被害状況
本件サリン中毒による地下鉄日比谷線、丸の内線、千代田線の各線における乗客等の被害状況については、その詳細は、公訴事実記載のとおりであるが、前記地下鉄日比谷線中目黒行列車関係では、死亡者七名、受傷者二、四七五名、同線東武動物公園行列車関係では、死亡者一名、受傷者五三二名、前記地下鉄丸の内線荻窪行列車関係では、死亡者一名 、受傷者三五八名、同線池袋行列車関係では、受傷者二○○名、前記地下鉄千代田線代々木上原行列車関係では、死亡者二名、受傷者二三一名の、合計で死亡者一一名、受傷者三、七九六名という多数の死傷者を生じさせている。なお、本件による死亡者及び重篤者の被害状況については、次のとおりである。
1 死亡者関係
被害者岩田孝子(当時三三年)は、両親及び弟の四人暮らしで、OA機器販売会社に勤務していた会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して茅場町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅ホームで意識不明の状態に陥り、平成七年三月二○日午前八時五分ころ、同所において、サリン中毒により死亡した 。
和田栄二(当時二九年)は、妊娠中の妻と二人暮らしの会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して霞ケ関駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅ホームで意識不明の状態に陥り、一般車両で東京都中央区兜町八番八号所在の中島クリニックに搬送されたが、同日午前一○時二分ころ、同病院において、サ リン中毒により死亡した。なお、妻は、夫が死亡した翌々日の二二日に長女を出産している。
田中克明(当時五三年)は、子がおらず、妻と二人暮らしで、塗料会社の部長として勤務していたものであるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に上野駅から乗車して人形町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅から一般車両で同都千代田区神田和泉町一番地所在の三井記念病院に搬送されたが、同年四月一日午後一○時五二分ころ 、同病院において、サリン中毒により死亡した。
伊藤愛(当時二一年)は、両親及び妹の四人暮らしの会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して茅場町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅から一般車両で同都中央区明石町九番一号所在の聖路加国際病院に搬送されたが、同年四月一六日午後二時一六分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡 した。
坂井津那(当時五○年)は、都内で一人暮らしをしていた会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に茅場町駅から乗車して中目黒駅まで行く途中で本件被害に遭い、八丁堀駅から九段救急隊により同都新宿区信濃町三五番地所在の慶應義塾大学病院に搬送されたが、同年三月二○日午前一○時二○分ころ、同病院において、サリン中 毒により死亡した。
小島肇(当時四二年)は、妻及び長女の三人暮らしで、建設会社に勤務する会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に茅場町駅から乗車して六本木駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から下谷救急隊により同都渋谷区恵比寿二丁目三四番一○号所在の東京都立広尾病院に搬送されたが、同月二○日午前一○時三○分ころ、同病 院において、サリン中毒により死亡した。
藤本武男(当時六四年)は、一○年前に妻を病気で亡くし、長男夫婦と暮らしていた会社役員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して神谷町駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から赤坂救急隊により同都千代田区神田駿河台一丁目八番地一三所在の駿河台日本大学病院に搬送されたが、同月二二日午前七時一 ○分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
渡邊春吉(当時九二年)は、姪と暮らしながら靴の修理関係の仕事に従事していたものであるが、本件事件当日、地下鉄日比谷線に恵比寿駅から乗車して八丁堀駅近くにある仕事場に赴く途中で本件被害に遭い、同月二○日午前八時一○分ころ、神谷町駅構内において、サリン中毒により死亡した。 中越辰雄(当時五四年)は、妻及び長女との三人暮らしで、ゴルフ場経営会社の役員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄丸の内線に東京駅から乗車し、京王新線の乗り換え駅である新宿三丁目駅まで行く途中で本件被害に遭い、同駅で降りられない状態になり、中野坂上駅で車両内に倒れているところを発見され、同駅から宮園通救急隊により 同都新宿区河田町八番地一号所在の東京女子医科大学病院に搬送されたが、同月二一日午前六時三五分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
高橋一正(当時五○年)は、妻、長女、長男及び次男の五人暮らしで、帝都高速度交通営団職員として地下鉄千代田線の霞ケ関駅に勤務する駅務助役であるが、前記のとおり、同駅で、車両内からサリン入りナイロン袋等を片づけた際に本件被害に遭い、一般車両により同都千代田区内幸町一丁目三番二号所在の浩邦会日比谷病院に搬送されたが、同月二 ○日午前九時二三分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
菱沼恒夫(当時五一年)は、妻、長男及び義母の四人暮らしで、同営団職員として地下鉄千代田線の霞ケ関駅に勤務する乗務助役であるが、同駅で、サリン入りのナイロン袋等を片づけた際に本件被害に遭い、一般車両により同都千代田区神田駿河台一丁目八番地一三所在の駿河台日本大学病院に搬送されたが、同月二一日午前四時四六分ころ、同病院に おいて、サリン中毒により死亡した。
2 重篤者関係
岡田三夫(当五一年)は、妻、長女及び長男の四人暮らしで、洋菓子の製造販売会社に勤務する会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して西新橋の勤務先まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から本郷救急隊により日本医科大学病院に、サリン中毒により心肺停止状態で搬送され、心臓マッサージ等の治療を 受けて心拍が再開したものの、重篤な脳障害が残り、意識までは回復せず、将来も意識回復の可能性は望めない状態にある。
児玉孝一(当三五年)は、両親と三人暮らしの会社員であるが、本件事件当時、通勤のため、地下鉄日比谷線に秋葉原駅から乗車して神谷町駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から月島救急隊により都立墨東病院に、サリン中毒により意識不明の状態で搬送され、医師の治療を受け意識は回復したものの、現在、記銘力障害が残っている状態にある 。
浅川幸子(当三一年)は、両親と三人暮らしの会社員であるが、本件事件当日、会社の責任者会議に出席するため、地下鉄丸の内線に霞ケ関駅から乗車して新高円寺駅まで行く途中で本件被害に遭い、中野坂上駅から新宿救急隊により東京医科大学病院に搬送されて治療を受けているが、サリン中毒により重篤な脳障害を受け、現在、口も利けず、身体も 動かすことができないいわゆる植物状態にある。





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