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1996年2月7日 冒頭陳述(土谷正美)

殺人幇助、殺人未遂幇助
土谷 正実

第一 事件の背景・動機について
一 化学兵器開発の経緯
 宗教法人オウム真理教(以下、「教団」という。)代表者松本智津夫(以下、「松本」という。)は、その独自の教義・思想を実現するため、密かに一部の教団信者に毒ガスを大量に生産させた上、これを散布して多数人を殺害することを計画し、平成五年三月ころ、教団幹部の村井秀夫(以下、「村井」という。)に対し、大学院で化学を専攻した被告人に化学兵器である毒ガスを大量生産するための研究、開発を行わせるよう指示した。
 そこで、村井は、そのころ、被告人に対し、化学兵器の大量生産に関する研究を指示し、これを受け、被告人は、化学兵器であるタブン、サリン、ソマン及びVX等に関する文献を検討した上、殺傷能力、原材料入手の容易性、製造工程の安全性等を考慮して、サリンを大量生産することとし、そのための生成方法の検討を開始した。 二 サリンの開発・本件サリン生成に至る経緯
1 サリン生成工程の確立
 被告人は、教団所属の長谷川茂之が経営する教団のダミー会社長谷川ケミカル株式会社、株式会社べル・エポック等を通して、サリン生成に必要な亜リン酸トリメチル、ヨウ素、五塩化リン、フッ化ナトリウム及びイソプロピルアルコール等の薬品類を購入して準備した上、平成五年八月ころから、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺九二五番地の二所在のクシティガルバ棟と称する教団施設(以下、「クシティガルバ棟」という。)において、サリンの生成実験を開始し、各種の生成方法を検討した結果、原材料入手の容易性、収率等を考慮し、第一に、三塩化リンとメタノールをヘキサンを溶媒とし、N、N−ジエチルアニリンを反応促進剤として用いて反応させ、亜リン酸トリメチルを生成する(以下、「第一工程」という。)、第二に、亜リン酸トリメチルにヨウ素を触媒として反応させ、メチルホスホン酸ジメチルを生成する(以下、「第二工程」という。)、第三に、メチルホスホン酸ジメチルと五塩化リンを反応させ、メチルホスホン酸ジクロライド(以下、「ジクロ」という。)を生成する(以下、「第三工程」という。)、第四に、ジクロとフッ化ナトリウムを反応させ、メチルホスホン酸ジフロライド(以下、「ジフロ」という。)を生成する(以下、「第四工程」という。)、第五に、ジクロとジフロにイソプロピルアルコールを反応させ、サリンを生成する(以下、「第五工程」という。)という生成方法を採用することとし、同年一一月ころには、サリン約二〇グラムの試作に成功した。
2 サリンプラントの建設と大量撒布の準備
 松本は、前記のように被告人に毒ガス兵器の開発・大量生産の方途を研究させつつ、平成五年三、四月ころ、早川紀代秀(以下、「早川」という。)に対し、教団が第三上九と通称する上九一色村富士ケ嶺九二五番地の二の土地にサリン製造プラント用建物の建設を指示し、早川が、教団出家信者に同土地の地形測量及び建物の設計を開始させた上、同年九月ころには、同土地に第七サティアンと称する教団施設(以下、「第七サティアン」という。)を建設させた。
 そして、松本は、被告人のサリン生成の研究により、サリン大量生産の目処も立ったので、村井の進言を受け、サリン日産二トン生産可能な化学プラントを建設し、同プラントにおいて七〇トンのサリンを生産することとし、そのころ、村井を介して、滝澤和義(以下、「滝澤」という。)にプラント建設の基本設計を行うことを指示するとともに、サリンの大量撒布を実行するため、岐部哲也(以下、「岐部」という。)らを米国に派遣してヘリコプターの免許を取得させた上、そのころから、早川に指示して旧ソ連製ヘリコプターの購入交渉を行わせた。そして、早川は、同年一二月、「MI−一七」と称する約三〇名乗り旧ソ連製大型ヘリコプター一台の購入契約を締結した。
3 サリン約六〇〇グラムの生成とその使用
 松本は、被告人によるサリン生成の研究が進展したことから、サリンを使用して、かねてから教団と敵対する関係にあると考えていた宗教団体関係者を暗殺しようと企て、村井にその実行を指示した。そこで、村井は、平成五年一〇月中旬ころ、被告人に対し、サリン一キログラムの生成を指示し、また、被告人と相談の上、サリン生成のスタッフを増強することとし、被告人の協力者として医師である中川智正(以下、「中川」という。)を、また、被告人と中川の補助者として、森脇佳子(以下、「森脇」という。)、佐々木香世子(以下、「佐々木」という。)及び寺嶋敬司(以下、「寺嶋」という。)を選定した上、サリン生成のスタッフの人選につき松本の了承を得て、同月下旬ころ、中川に対し、被告人に協力してサリンを生成するようにとの松本の指示を伝えた。
 また、松本は、そのころ、上九一色村富士ケ嶺一一五三番地の二所在の第二サティアンと称する教団施設において、自ら森脇に対し、被告人及び村井らの立会いの下で、 「危険なワークをやってくれるか。」と言って、被告人のサリン生成の手伝いをするよう指示し、また、中川らを介して、佐々木及び寺嶋に対し、被告人の手伝いをするよう指示した。
 被告人は、中川、森脇、佐々木及び寺嶋と共に、同月下旬ころ、クシティガルバ棟において、市販の亜リン酸トリメチルを用いて第二工程からサリン生成作業を開始し、同年一一月中旬ころ、サリン約六〇〇グラムを生成した。  そして、村井は、そのころ、新實智光(以下、「新實」という。)らと共に、このサリン約六〇〇グラムを注入した農薬用噴霧器を自動車のトランクに積載して、東京都八王子市内で噴霧し、前記宗教団体関係者を暗殺しようとしたが、失敗した。
4 サリン約三キログラムの生成とその使用
 松本は、村井に対し、再度前記宗教団体関係者の暗殺計画を実行するよう命じ、村井は、平成五年一一月下旬ころ、被告人及び中川に対し、サリン五キログラムの生成を指示した。そして、被告人及び中川は、前同様に第二工程からサリン生成作業を開始し、森脇、佐々木及び寺嶋に実験器具の組立、試薬の準備、反応の監視等を行わせ、同年一二月中旬ころ、サリン約三キログラムを生成した。
 そして、村井は、そのころ、新實らと共に、このサリン約三キログラムを滝澤らが製作してトラックに設置したガスバーナー使用の直下加熱式噴霧装置を使い、東京都八王子市内で噴霧したが、前記宗教団体関係者の殺害は再び失敗に終わった。その際、新實が防毒マスクを一時取り外してサリンを吸入し、瀕死の状態に陥ったことから、松本は、新實が運び込まれた同都中野区野方●丁目●●番●●号所在の教団附属医院付近まで赴き、同人の治療を担当する教団の医師林郁夫に対し、「サリーちゃんでポアしようとした。」などと言って、新實がサリンで前記宗教団体関係者を暗殺しようとした際、反対にサリン中毒に罹ったことを打ち明けるとともに、必ず新實を回復させるよう指示した。そして、これを受けた林郁夫の治療により、新實は、辛うじてサリン中毒から回復したが、松本をはじめ村井ら教団幹部にとって、これらの出来事によりサリンの効果を強く認識する結果となった。被告人も、村井及び中川から、新實が噴霧車でサリンを撒き、逆に自らサリンを吸って瀕死の状態に陥ったことを聞き、被告人の生成したサリンが実際に人の殺害計画に使用されたことを知るとともに、サリンの効果を認識した。 5 サリン約三〇キログラムの生成
 松本は、前述のとおり、二度にわたる前記宗教団体関係者暗殺計画が失敗に終わったことから、この上は、大量のサリンを撒き、多数の者を巻添えにして殺害してでも前記宗教団体関係者の暗殺計画を実行しようと考え、平成五年一二月下旬ころ、村井に対し、サリンの大量生成を指示し、村井は、中川に対し、同六年一月に前記宗教団体関係者を再度狙う旨告げた上、サリン五〇キログラムの生成を指示し、被告人に対しても、早急にサリン五〇キログラムを生成するよう指示した。
 被告人は、松本及び村井らが教団に敵対する者ら多数の者を殺害する計画にサリンを使用するつもりであることを承知の上で、従前と同様に市販の亜リン酸トリメチルを用いてサリン生成作業を第二工程から開始することとし、サリン生成に必要な原料薬品の重量を計算したメモを作成した上、森脇、佐々木及び寺嶋に対し、同メモに基づいてサリン五〇キログラムの生成作業を行うよう指示した。森脇、佐々木及び寺嶋は、同五年一二月末ころ、クシティガルバ棟において、被告人及び中川の指導の下、第二工程の作業から開始し、三ツロフラスコにヨウ素を入れてこれに亜リン酸トリメチルを加えて反応させ、メチルホスホン酸ジメチルを生成した。その後、同六年一月上旬ころ、被告人が作業の安全性等を考え、滝澤に依頼してクシティガルバ棟内に換気装置付きのスーパーハウスと称する実験用の小屋を設置したので、森脇、佐々木及び寺嶋は、その中で、被告人及び中川の指導を受けながら、第三工程に入り、三ツ口フラスコに五塩化リンを入れ、これにメチルホスホン酸ジメチルを滴下して反応させ、これによってジクロと副生成物のオキシ塩化リンが生成されたので、分留してジクロを取り出した。次いで、森脇、佐々木及び寺嶋は、第四工程に入り、三ツロフラスコにフッ化ナトリウムを入れてこれに第三工程で生成したジクロの一部を加えて反応させ、これによってジフロと副生成物の塩化ナトリウムが生成されたので、蒸留してジフロを取り出し、同月下旬ころ、第四工程まで完了した。
 被告人及び中川は、サリンプラント建設のため化学的情報を、被告人から入手していた滝澤と相談の上、サリンの生成量が大量であり、従前と同様にフラスコを使用して最終の第五工程を行うことは危険性が高かったため、滝澤がサリン生成用に業者から借り受けていた容量一〇〇リットルのグラスライニング製反応釜を使用して行うことを決めた。そこで、滝澤は、同年二月上旬ころ、教団出家信者に手伝わせて、第七サティアン三階に同反応釜を設置し、冷却水循環用のポンプやイソプロピルアルコール投入用の定量ポンプ等の配管を行った。
 ところが、そのころ、落田耕太郎の殺害を実行した保田英明(以下、「英明」という。)が行方不明となり、中川が、松本の指示を受けて、英明の探索に従事し、サリン生成作業に加わることができなくなった。そのため、中川は、前記反応釜の借用期限である同月下旬までにサリン生成を完了したいと考えていた滝澤から、早く第五工程を開始したいと催促を受けたので、松本に対し、英明の探索を続けてよいか指示を仰いだところ、松本は、「いい。お前の手があくまで待つようみんなに言っておきなさい。」などと指示した。また、松本は、そのころ、滝澤から、既にサリン生成の準備ができているので、中川を早くサリン生成作業に戻して欲しいと依頼されたため、松本らが中国旅行へ行く同月二二日の前に中川を戻すので、それまで待つよう滝澤に指示した。
 中川は、同月一五日ころ、上九一色村の教団施設に戻ったので、被告人らは、サリン生成の第五工程の作業を開始することとし、同月中旬ころ、森脇、佐々木及び寺嶋が、クシティガルバ棟から第七サティアン三階まで、ジクロ、ジフロ及びイソプロピルアルコールを運んだ。その後、中川、滝澤及び寺嶋は、ジクロ及びジフロを同反応釜に入れ、定量ポンプを用いてイソプロピルアルコールを流し込んで反応させる方法で第五工程の作業を行い、サリンの液体約三〇キログラムを生成した。
 その過程で、イソプロピルアルコールを過剰に投入したため、サリンのほかにメチルホスホン酸ジイソプロピル及びフッ化水素が発生し、また、無色であるはずのサリンが青色を呈した。被告人は、この液体の成分を分析し、サリンが生成されていることを確認したが、サリンは全体量の約七〇パーセントであり、残り約三〇パーセントはメチルホスホン酸ジイソプロピルであった。

6 サリン約三〇キログラムの保管等
 中川らは、サリン約三〇キログラムを生成後、これを八リットル用、一〇リットル用及び一五リットル用の三個のテフロン容器等に入れて、第七サティアン三階の小部屋に置いた。そして、中川は、村井に対し、サリンの生成が完了したことを報告した。
 中川は、松本らと共に平成六年二月二二日から中国に旅行した際、中川らがサリンを生成したことを知った松本からホテルの部屋に呼ばれ、「結果を出したのはお前だけだ。」などと言われ、労われた。
 松本は、当初、同年一月に前記宗教団体関係者の暗殺計画を実行することを予定していたが、サリンの生成時期が遅れたため、同計画は事実上中止され、その後、サリン約三〇キログラムは、第七サティアン三階の小部屋で保管されていたが、村井は、第七サティアンでサリン生成用のプラント建設の工事を行うため、同年四月ころ、中川に対し、サリンをクシティガルバ棟へ移動させるよう指示した。これを受けて、中川は、クシティガルバ棟の管理者である被告人の了解を得た上、サリンの入った容器三個を第七サティアンからクシティガルバ棟に移動し、以後、被告人がサリン約三〇キログラムを保管するようになった。
 また、そのころ、中川は、村井の指示を受け、振動子式の噴霧方法でもサリンを発散させることができるかどうか確かめるため、被告人及び林郁夫らと共に静岡県富士市内の富士川河口付近の河川敷において、市販の超音波加湿器を改造したものに前記サリン約三〇キログラムのうち約一〇〇グラムを入れて噴霧実験を行ったが、その際、サリン中毒に罹り、林郁夫から治療薬パムの注射をしてもらった。
三 教団松本支部の開設と民事紛争
 教団は、平成三年に入り、長野県松本市内の不動産業者に仲介を依頼し、同市大字芳川野溝字野溝●●●番地等の土地約九〇〇平方メートルを購入し、同土地に教団の支部及び食品工場を建設しようと計画したが、同土地は長野県知事により国土利用計画法上の監視区域に指定されており、五〇〇平方メートル以上の売買の場合、県知事への届出が必要なところから、それを避けるため、同土地を売買で取得する部分と賃貸借で使用する部分に分け、一部を地主から教団の関連会社である株式会社オウムが賃借するなどして、教団が使用し、残りを地主から仲介不動産業者に購入させた上、同不動産業者から教団が購入することとし、同年六月一八日ころ、賃貸借契約及び売買契約を行った。
 ところが、右賃貸借契約の成立後、地主から、右賃貸借契約が本来の買主である教団の名前を隠蔽した上での契約の申込みによる詐欺であるとして、契約の取消しを通知されたので、教団は、長野地方裁判所松本支部(以下、「松本支部」という。)に対し、建築工事妨害禁止の仮処分命令の申立てを行い、これに対し、地主も、松本支部に建築工事禁止の仮処分命令を申立てたが、松本支部は、同四年一月一七日、地主の申立てを認容、逆に、教団の申立てを却下する各命令を下し、その後、東京高裁も教団の抗告を棄却し、松本支部の結論を是認した。
 そこで、教団は、当初の計画を縮小し、右売買で取得した部分に教団の支部建物を建築することにし、長野県建築主事から建築確認を受けた上、同年三月ころ、建築を開始したが、同年五月、地主から教団に対し、右建物の建築工事禁止(建物完成後は建物収去請求に変更)と教団が売買により取得した土地及び右賃借した土地の明渡し等を求める訴訟が松本支部に提訴されるに至った。
四 松本の本件犯行決意
 このような教団と地主との紛争の間に、地元の住民によって「オウム真理教松本進出阻止対策委員会」が結成され、多数の松本市民等が教団の同市ヘの進出に反対する旨の署名活動を行い、最終的には一四万人にも及ぶ同市民等の署名が松本支部に提出されるなど教団の松本支部開設は社会問題化した。
 松本は、教団の幹部である青山吉伸弁護士(以下、「青山」という。)に右仮処分及び本訴を担当させ、同弁護士をして、松本支部に対し、右反対運動が一部左翼勢力に利用された運動であるなどと主張させたが、これら裁判所、地元住民らの動向が教団発展に敵対するものであるとして強い反感と危機感を抱き、自ら、平成四年一二月に開催された教団松本支部道場の開始式において、「現代は、まさに世紀末である。司法官が乱れ、裁判が正邪の判定を正しくできなくなり、世の中に迎合し、力の強い者に巻かれる。地主、不動産業者、裁判所が一蓮托生になり、平気で嘘をつき、そしてそれによって今の道場の大きさになったと。…これがもし逆にその圧力を加えている者から見た場合、どのような現象になるのかを考えると、恐怖のため身のすくむ思いである。」などと述べ、裁判官や反対派住民等に対する強い反感を明らかにし、また、裁判官ら教団に敵対しているとみなした者に対し将来恐るべき危害が加えられることを予言する説法を行った。
 右土地明渡し等訴訟は、同六年五月一〇日、結審し、同年七月一九日に判決が言い渡されることになり、松本は、青山から、同訴訟の結審と前記賃貸借部分について仮処分同様敗訴の可能性が高い旨の説明を受けた。  他方、第七サティアンは、同五年九月ころ、鉄骨建物が完成し、松本の指示を受け、渡部和実(以下、「渡部」という。)及び滝澤らが同建物内に設置するサリンプラントの設計を終了し、同六年四月ころからプラント用の設備工事が開始され、さらに、同年五月ころから、第一工程から第五工程までの反応釜の設置が始まり、サリンプラントの完成が間近い情勢となっていた。また、早川が購入を担当した前記旧ソ連製ヘリコプターは、同年六月一日、本邦に到着した。
 かかる状況から、松本は、サリンの大量生産を間近に控え、教団施設内で保管されていた前記約三〇キログラムのサリンを使用して、サリンの効用を都市部の人口密集地で実験することを企て、その具体的目標として、教団松本支部の開設に絡み民事紛争化した際、建築工事妨害禁止仮処分で教団の主張を認めず、近く行われる本訴判決でも教団の主張を排斥するおそれが強い松本支部を選定し、同支部を目標にサリン噴霧を行い、かねて教団に対する敵対者とみなしていた裁判官はじめ反対派住民を含む同支部付近の住民多数を殺害することを決意し、同年六月二〇日ころ、その計画を村井に打ち明けるとともに、村井に対し、同計画実行に必要なサリンの噴霧装置を製作することを指示した。

第二 犯行に至る経緯
一 松本らの事前謀議
 松本は、平成六年六月二〇日ころ、上九一色村富士ケ嶺三九番地の一の二所在の第六サティアンと称する教団施設(以下、「第六サティアン」という。)の自室に村井、新實、中川及び遠藤誠一(以下、「遠藤」という。)を集め、「オウムの裁判をやっている松本の裁判所にサリンを撒いて、実際に効くかどうかやってみろ。」と指示し、その場にいた中川らはいずれも、松本の指示が松本支部を目標にその周辺にサリンを撒布することであると認識しながら、これを承諾した。また、松本の意を受けた村井は、新實らに対し、その具体的な実施方法について、前記宗教団体関係者の暗殺計画の際と同様、サリンの噴霧器を積載した車両(以下、「噴霧車」という。)を使ってサリンを噴霧すること、噴霧器の熱源はバッテリー方式とすること、噴霧車が出来次第、昼間に実行することなどと説明した。その際、松本は、村井が噴霧器を操作すること、警察等の妨害に備え教団幹部の中でも武道に長けた中村昇(以下、「中村」という。)、富田隆(以下、「富田」という。)及び端本悟(以下、「端本」という。)を警護役として同行させること、新實が富田ら三名を指揮すること、端本には噴霧車の運転をさせることを具体的に指示し、その他の実行の詳細については、村井、新實、中川及び遠藤の四名に任せた。
 その後、新實は、同月二七日早朝ころ、同村の教団施設に、中村、富田及び端本を召集し、同日松本市において松本支部を目標にサリンを噴霧するので、その実行に同行し、計画遂行のため協力することを指示した上、各人の具体的役割等について、中村ら三名は警察等の妨害があれば、それを排除すること、端本は噴霧車を運転すること、同日昼ころ、第七サティアン前を出発することなど、松本らにより予め決められた事項を伝達し、中村、富田及び端本は、これを承諾した。
二 犯行の準備
1 噴霧車等の製作
 村井は、犯行に使用する噴霧装置として、トラック(普通貨物自動車)のコンテナ部分にサリン貯留用のタンク三個を設置し、遠隔操作により自動開閉式エアバルブ(以下、「エアバルブ」という。)を開き、そのタンクからパイプを経由してサリンを銅製容器に落下させた上、同容器底部に挿入した棒状のヒーターを大型バッテリーを電源として加熱し、サリンを気化させ、トラックのコンテナ部分に設置した有圧換気扇(大型送風扇)を使用して外部の空気をコンテナ内に吸入し、その空気とともに気化したサリンを外部に押し出して噴霧するという原理、構造を有する加熱式噴霧器(以下、「噴霧器」という。)を製作することとし、平成六年六月二〇日ころ、教団幹部の渡部に対し、その製作を指示した。そして、そのころ、新實に依頼して、噴霧器を設置するアルミコンテナ付き二トントラック一台を上九一色村富士ケ嶺八二一番地の一所在の第一二サティアンと称する教団施設(以下、「第一二サティアン」という。)に搬入させた。
 また、村井は、そのころ、教団所属の角川知己(以下、「角川」という。)らに指示して、噴霧器の製作に必要な器材を調達させた上、村井自ら、あるいは、渡部を介して、教団所属の藤永孝三(以下、「藤永」という。)、冨樫若清夫(以下、「冨樫」という。)、林泰男、角川及び高橋昌也(以下、「高橋」という。)に対し、噴霧器の製作に加わるよう指示した。
 そこで、藤永らは、第一二サティアンにおいて、噴霧器の製作作業を開始し、高橋及び角川が、前記アルミコンテナ付き二トントラックのコンテナ内に角パイプを用いてフレーム(台枠)を作り、これに有圧換気扇二台を設置したほか、外部からの吸気用及びサリン噴霧用としてコンテナの左右両側を窓状に切断し、その切断箇所を蝶番で止めて上下に開閉できる扉とするなどの作業を行った。藤永は、銅板を溶接して銅製容器三個を製作したほか、サリン貯留用タンクの設置等の作業を分担し、冨樫及び林泰男は、銅製容器を加熱するヒーター用等の電源としてコンテナ内にバッテリーを設置して配線作業を行ったほか、右トラックのキャビン部から遠隔操作によって銅製容器の加熱及び有圧換気扇の作動を開始させるためのスイッチを設置するなどの作業を行った。そして、同月二五、二六日ころ、噴霧器の主要部分の製作及び噴霧車の改造等を一応終了したので、村井は、水を用いて噴霧器の作動実験を行い、水が銅製容器で加熱されて気化し、蒸気が有圧換気扇により車外へ排出されることを確認した。
 その後、藤永らは、渡部の指示を受けて、気化したサリンをコンテナ内で環流させることなく、一定方向に排出させるため、コンクリート型枠用合板を用いてコンテナ内に風洞を設けたほか、噴霧器の存在が外部から開口部を通じて目立つことがないよう、開口部に金網を取り付けてその金網を銀色で塗装するなどの擬装工作を行い、同月二六日夜半ころまでには、噴霧車等の製作を終了した。

2 防毒マスク等の準備等
 中川は、前記松本の部屋での相談後、村井からサリン噴霧時に現場で着用する防毒マスクを準備するよう指示され、過去に前記宗教団体関係者暗殺計画の際使用した経験のあるビニール袋を頭からかぶり、袋の入口部分を紐で閉めて空気の流入を制限し、その中に酸素ボンベからホースを通して空気を送る方式の防毒マスクを使用することとした。そこで、中川は、七立方メートルの酸素ボンベ約三本及び一・五立方メートルの同ボンベ約八本を準備したほか、上九一色村の教団施設付近のホームセンター等から購入したビニール袋、教団内の在庫品の紐を用いて、平成六年六月二七日午前中までの間に、防毒マスクを作成し、また、サリン噴霧時の中毒に備え、パム及び硫酸アトロピンなどの治療薬やサリンの予防薬メスチノンを教団の在庫品から持ち出して準備した。 3 下見及び犯行使用ワゴン車の準備
 新實は、平成六年六月二五日ころ、松本支部等を下見するため、犯行を実行する際に噴霧車を運転する予定になっていた端本を誘い、普通乗用自動車で松本市に向かった。新實は、その途中、教団松本支部に架電して、同市内の地図の借用方を申入れ、東日本旅客鉄道株式会社(以下、「JR」という。)南松本駅で同支部の出家信者から松本市の住宅地図を受け取った上、同車で同市内を回り、松本支部及び松本警察署等の位置を確認した後、松本支部付近で二人で下車した。そして、新實らは、松本支部付近のたばこ屋でたばこ等を購入して、二人で松本支部の周辺を歩いた際、端本がたばこに火を点けて、松本支部周辺の風向きを調べたりしたほか、犯行を実行する日の風向きに応じて、噴霧車を駐車するのに適当な場所を探したりした。
 遠藤は、同月二六日、村井から、噴霧の実行日が翌二七日に決まったことを知らされた上、遠藤及び新實らサリン噴霧を支援する者が乗車するための自動車を松本市内のレンタカー業者から借りてくること及び同市に赴いた際に松本支部等を下見してくることを指示されたので、中川に同行を依頼し、事情を知らない部下の出家信者に普通乗用自動車を運転させ、同市に向かった。中川及び遠藤は、JR松本駅付近で右出家信者を下車させて、レンタカー会社を探させ、二人は、松本支部及び松本警察署等の周辺を右普通乗用自動車に乗って見回り、その後、遠藤が、右出家信者の探したレンタカー会社に行き、普通乗用自動車(車種「マツダボンゴ」灰色、以下、「ワゴン車」という。)一台を同月二六日午後六時から同月二八日午後六時までの間、借用することとし、同車を右出家信者に運転させて、第七サティアンまで回送させた。
4 被告人によるサリンの引渡しとサリン充填場所の提供等
 中川は、平成六年六月二六日ころ、村井から犯行実行日を知らされた上、クシティガルバ棟で噴霧車にサリンを注入するよう指示された。そこで、中川は、そのころ、被告人に対し、村井からの右指示を伝え、さらに、同月二七日の早朝、教団幹部の会合からの帰途、被告人に対し、「今日、サリンを移し替えるので、クシティガルバ棟にいてくれ。」などと言った。
 被告人は、松本及び中川らがサリンを噴霧して多数人を殺害する犯行計画を実行に移すつもりであり、その犯行に使用するサリンの引渡しとサリンを噴霧車に注入する場所として防毒マスク等の設備の調ったクシティガルバ棟を提供することを求められたことが分かり、松本及び中川らがその犯行計画を実行することができるようにするため、同日午前九時ころ、クシティガルバ棟において、中川に対し、被告人が保管していた約三〇キログラムのサリン入り容器三個を引き渡した。そして、被告人は、中川がクシティガルバ棟でサリンを噴霧車に注入することを了承し、サリン注入作業等が他の信者らに見つからないようにするため、中川の依頼により、立入禁止の貼り紙をクシティガルバ棟の出入口に貼って、同棟への他の信者らの立入りを禁止した。
 その後、村井の指示を受けた藤永が、第一二サティアンからクシティガルバ棟に噴霧車を回送し、被告人は、同車両のコンテナ内に換気扇が取り付けてあるのを見て、同車両にサリンを注入して噴霧する計画であることを知ったが、中川からサリン注入作業の手伝いを求められなかったことから、中川にクシティガルバ棟の使用を任せて、同棟を出た。
 中川は、一人で噴霧車にサリンを注入する作業を開始し、村井から噴霧車の車体の上部にある三本の手動バルブを開けて噴霧車内の貯留用タンクにそれぞれ約四リットルずつサリンを注入するよう指示されていたので、まず、同棟スーパーハウス内で、両手に手袋、顔面に防毒マスクを着け、コンプレッサーでホースを通して防毒マスク内に空気を送りつつ、前記八リットル用容器と一〇リットル用容器に入っていたサリンを灯油用のポンプで一旦同棟にあった目盛り付きポリタンクに計一二リットル移し替えた。
 中川は、ポリタンクにサリンを移し替えた後、サリンの入ったポリタンクや灯油用ポンプ等を持ち、噴霧車の屋根に昇り、三個の手動バルブを開けて、灯油ポンプ等を使用し、貯留用タンクの中にポリタンクから約四リットルずつサリンを流し込み、サリンの注入作業を終了した。
 その後、中川は、事情を知らない出家信者らに手伝わせて、酸素ボンベ、ホース及び医薬品等を第七サティアンの前等に駐車してあったワゴン車及び噴霧車に積み込んで準備した。
5 変装用作業着等の準備
 新實は、平成六年六月二七日早朝ころ、富田及び端本に対し、犯行に参加するメンバーの名前を知らせた上、人数分の作業服上下、作業帽、ベルト及びサングラスなどを購入してくるよう指示して、一〇万円から一五万円位の現金を渡し、同日午後一時少し前ころ、富田らは静岡県富士宮市内の作業服店で作業服上下、ベルト及び作業帽などを七組を購入し、さらに、同市内のホームセンターでサングラス七個を購入し、第六サティアンに戻った。
 その後、富田らは、新實から警察等の排除を指示されていたため、松本の警備用に教団施設内に備え付けてあった特殊警棒等を持ち出し、第七サティアンに集合した際、これをワゴン車に積み込んだ。

第三 犯行状況
一 サリン噴霧の目標の変更
 当初松本市への出発は、平成六年六月二七日の昼ころの予定であったが、サリンの注入に手間どったりしたため出発が遅れ、第七サティアン前に集合した村井、新實、中川、遠藤、富田、中村及び端本が、前記準備した作業着等に着替えて、同サティアン前から同市に向かったのは、同日夕方ころであった。噴霧車は、松本の指示に従い、端本が運転して、村井が同乗し、ワゴン車には、新實、中川、遠藤、中村及び富田が乗車し、富田が運転した。
 村井らは、国道一三九号線から国道二〇号線に入り、同県岡谷市内の塩尻峠付近のドライブインの駐車場で休憩したが、新實は、同駐車場において、既に日が暮れかかり、裁判所の勤務時間中に松本支部にサリンを噴霧することが事実上不可能になったと判断し、村井に対し、前記松本市の住宅地図を示しながら、サリン噴霧の目標を松本支部から約四〇〇メートル離れたところにある松本市北深志一丁目一三番二二号所在の長野地方裁判所松本支部田町宿舎(以下「裁判所宿舎」という。)に変更してはどうかと示唆したところ、村井も、新實の意見に同調した。そこで、村井及び新實は、サリン噴霧の目標を松本支部から裁判所宿舎に変更することを中川ら他の犯行参加者に知らせた。
 また、中川は、松本市に至るまでの間に村井らに対し一錠ずつサリン中毒の予防薬メスチノンを配り、服用させた。
二 偽造ナンバープレートの貼付及び犯行場所の決定等
 村井らは、平成六年六月二七日午後一〇時前ころ、裁判所宿舎の西方約一九〇メートルにある松本市開智●丁目●番●●号所在の●●●●株式会社●●●●●●●●●●西側駐車場に到着し、同所に噴霧車とワゴン車を駐車させた。そして、新實らは、同駐車場において、事情を知らない岐部に予め作成させた偽造のナンバープレートを噴霧車とワゴン車の車体の前後に付いている正規のナンバープレートの上に貼り付けた。
 また、中川らは、同駐車場でワゴン車等に積んで用意してきた酸素ボンべにホースを接続し、酸素の供給の準備をした上、酸素ボンベに接続されたホースの先端を遠藤ら同乗者に渡し、中川が用意してきたビニール袋の内側にそのホースの先端部分をガムテープで留めるよう指導して、防毒マスクを各人に準備させた。
 さらに、中川は、サリン中毒発生に備え、所携の鞄の中からサリン中毒治療薬のパム等を取り出し、アンプルの中の薬液を注射器に吸い上げる等して準備し、遠藤も、パム等のアンプル、注射器及び注射針を同鞄の中から取り出し、いつでも使えるよう準備した。
 一方、村井は、前記住宅地図と風向きを調べるためのたばこ、ライター等を携行して、同駐車場からサリンを噴霧するのに適した場所を探しに行き、裁判所宿舎の西方約三七メートルにある同市深志●丁目●●●番●●●駐車場(東西最長約二五・一メートル、南北約二〇・八メートル、面積約四九一平方メートル。)を噴霧場所と定めて、右●●●●●●●●●●西側駐車場に戻った。そして、村井は、新實らに対し、サリンを噴霧する場所を決定した旨告げた上、サリンの噴霧時間は約一〇分間であること、噴霧場所に着いたら直ちに噴霧を始めること、サリン噴霧が終了すると直ちに出発すること等を知らせ、噴霧車にワゴン車も追従して来るよう指示した後、噴霧車に乗車し、噴霧車を出発させた。そこで、新實らもワゴン車に乗車し、噴霧車に続いて、同駐車場を出発した。

三 サリンの噴霧
 村井らの乗車する噴霧車等は、平成六年六月二七日午後一〇時三〇分ころ、前記●●●駐車場に到着し、噴霧車は、同駐車場の東側のフェンスの側に先頭を南側に向けて駐車し、ワゴン車は、同駐車場の西側寄りに先頭部を同じく南側に向けて駐車した。
 村井は、到着後直ちに、噴霧車から降りて、噴霧車の左右側面に付いているサリンの噴霧口の扉を開け、同車の助手席に戻り、端本と共に用意済みの防毒マスク用の前記ビニール袋を頭からかぶり、酸素ボンベからホースを通し、ビニール袋の中に酸素の供給を始めた。一方、ワゴン車の中でも、新實らが、同駐車場到着後直ちに用意済みビニール袋の防毒マスクを頭からかぶり、中川が酸素ボンベからホースを通し酸素の供給を始めた。
 そして、村井は、噴霧車の助手席で遠隔操作でサリン貯留タンクの下についているエアバルブを開けるとともに、銅製容器の加熱及び有圧換気扇の作動をそれぞれ開始するためのスイッチを作動し、噴霧装置を始動させた。
 すると、同日午後一〇時四〇分ころから噴霧車の噴霧口から気化したサリンが白煙状になって噴出し、噴霧車の周りに立ち込め、同駐車場の東側にある池の畔に生えている木立の上等を通って周囲に拡散された。
 村井は、同所で約一〇分間サリンの噴霧を続けた後、サリンの残量がなくなったと判断し、端本に対し、噴霧車を移動するよう指示し、端本が噴霧車を発進させ、同駐車場の西側道路を北方に向け逃走を始め、これを見た富田もワゴン車を発進させ、噴霧車に追従して同駐車場から逃走した。

第四 サリンの拡散及び被害発覚
一 サリンの拡散
 村井らがサリンを噴霧した前記●●●駐車場一帯は、松本市の市街地の中心からやや北寄りで、緩やかに南向きに傾斜しており、一般住宅、マンション及び社宅等が立ち並ぶ閑静な住宅街であり、同駐車場を中心とするおおむね直径四〇〇メートルの範囲に居住する住民の数は、約一、八六〇世帯、約四、三〇〇人である。
 平成六年六月二七日の本件犯行前後ころの同市の天候は、同日午後一〇時二〇分、北北西の風、風速一・九メートル、気温二一・四度、午後一〇時三〇分、西の風、風速一・八メートル、気温二〇・八度、午後一〇時四〇分、西の風、風速一・七メートル、気温二〇・六度、午後一〇時五〇分、南西の風、風速〇・六メートル、気温ニ〇・四度、午後一一時零分、南西の風、風速〇・五メートル、気温二〇・四度、午後一一時一〇分、南南東の風、風速〇・八メートル、気温二〇・二度、午後一一時二〇分、南西の風、風速一・二メートル、気温二〇・四度であり、この間、雨量はなかった。
 噴霧されたサリンは、同駐車場周辺に拡散した後、折からの気候条件の中、同駐車場付近を流れる風に乗り、主として同駐車場の東方から北方にかけて拡がり、村井らが狙いとした裁判所宿舎に居住する住民はじめ付近住民等に到達することになった。
二 被害の発覚等
 ●A●●(当時四四年)は、昭和五一年一一月ころから、サリンの噴霧場所である前記●●●駐車場北側に接する松本市北深志●丁目●●番●号所在の家屋に妻●B(当時四六年)及び三人の子供(一男二女)と居住する会社員であるが、本件事件当日である平成六年六月二七日夜、夕食を済ませた後、同日午後一〇時ころから、自宅一階南側の居間で妻●Bとテレビを見てくつろいでいたところ、同日午後一一時前ころ、同女が、突然、身体の不調を訴えたため、同女に横になるよう勧めた。そのうち、自宅の北側犬小屋の方から、不審な物音がしたので様子を伺うために屋外に出たところ、飼育していた親子の二頭の犬が犬小屋の周りで全身を痙攣させて、口から泡を出すなどして倒れていたのを発見し、当初、誰かが自宅敷地内に毒を投げ込むなどの悪質ないたずらでもしたのではないかと思ったが、居間に戻ると同女がテーブル付近で口から全身を痙撃させるなどして仰向けに倒れているのを発見し、容易ならざる事態であると直感し、同日午後一一時六分ころ、自宅から一一九番通報した。

 右通報を受けた松本広域消防局通信指令課係員は、同日午後一一時九分ころ、同市北深志●丁目を管轄する同消防局丸の内消防署の緊急隊員に出動指令を発出した。
 丸の内消防署の緊急隊員●●●らは、直ちに救急車で●A●●方に向かい、同日午後一一時一四分ころ、同宅に到着し、●B●●ほか、そのころには、サリン中毒症状を呈していた●A●●及び同人の長女●●を収容して、救急車で同市巾上九番二六号所在の松本協立病院に搬送し、同通信指令課係員に対し、通信無線で、●Bらの症状につき原因不明の中毒症状である旨報告した。
 そこで、同通信指令課係員は、同日午後一一時三〇分ころ、松本警察署に電話で状況を連絡するとともに、その栽、松本市水道局、松本ガス株式会社等に出動要請し、同宅付近の水質の検査、ガス漏れの有無等の調査を依頼した。
 また、同通信指令課係員は、同日午後一一時四八分ころ、前記●●●駐車場北東側に位置する開智ハイツ一階に居住する住民からも異臭がする旨の一一九番通報を受理するなど付近住民や現場に臨場した救急隊員らから次々と出動要請を受けたため、右丸の内消防署のほか、同広域消防局に所属する同市内の渚消防署、本郷消防署、芳川消防署及び丸の内消防署庄内出張所の計五消防署等に順次、同駐車場付近への出動指令を発出した。

 そして、出動した消防署員らは、翌二八日未明までの間に、後に死亡した●●●●及び●●●の二名を含む合計三七名の被害者等を同市本庄二丁目五番一号所在の医療法人慈泉会相澤病院等同市内の五つの病院に搬送した。

第五 被害状況
 本件サリン中毒により、別表1記載のとおり、●●●●ほか六名が死亡し、別表2記載のとおり、●B●●ほか一四三名が傷害を負った。なお、死亡者及び重篤者(加療期間不詳の者)の被害状況の詳細は、次のとおりである。
一 死亡者関係
1 ●●●●(当時二六年)は、千葉県で出生し、製薬会社に勤務していた会社員で、平成二年八月ころから開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日、自室で夕食を食べた後、午後九時三〇分過ぎころから、交際中の女性と電話で談話していたところ、午後一一時前ころ、本件被害に遭い、同女に急に気持ちが悪くなったから後で電話をかけ直す旨伝えた後、翌二八日午前零時一五分ころ、同所ダイニングキッチンにおいて、サリン中毒により死亡した。
2 ●●●●(当時一九年)は、千葉県で出生し、●●大学経済学部に入学し、新聞記者を目指して勉学に励んでいた同大学二年生で、同五年四月から開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日、実家から自室に戻った後、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所ダイニングキッチンにおいて、サリン中毒により死亡した。
3 ●●●●(当時二九年)は、富山県で出生し、●●●大学政治経済学部を卒業後、●●大学医学部に再入学した同大学六年生で、同三年四月から開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日午後一〇時ころ、自室から実家に電話をかけて実父らと談話した後、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所洋間において、サリン中毒により死亡した。
4 ●●●●(当時五三年)は、新潟県で出生し、半導体製造機の開発製造会社に勤務していた独身の会社員で、同四年一月ころから松本レックスハイツ●●●号室で単身で生活していたものであるが、本件事件当日、勤務終了後自室に戻った後、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所洋間において、サリン中毒により死亡した。
5 ●●●●(当時三五年)は、大阪府で出生し、専門学校を卒業して同府内の衣料品会社で稼働後、同二年九月ころから松本市に転居し、松本レックスハイツ●●●号室で単身生活を始め、その後同五年一二月ころ同ハイツ●●●号室に転居し、資格取得の援助会社の事務員として勤務していたものであるが、本件事件当日午後一一時ころ、自室で本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所玄関付近において、サリン中毒により死亡した。
6 ●●●●(当時四五年)は、群馬県で出生し、明治生命寮●●●号室で単身で生活していた独身の生命保険会社の社員であるが、本件事件当日午後一〇時三〇分過ぎころ帰宅し、その後、同日午後一一時ころ、自宅浴室で入浴中に本件被害に遭い、翌二八日午前一時二五分ころ、出動指令を受けて現場に臨場した消防署員らに浴槽内において、意識不明の状態で腰を下ろしているところを発見され、同日午前一時五三分ころ、救急車両で前記医療法人慈泉会相澤病院に搬送されて治療を受けたが、同日午前二時一九分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
7 ●●●(当時二三年)は、静岡県で出生し、都内の電気関係の会社で稼働していた独身の会社員で、同年五月二五日から同市内に長期出張派遣され、松本レックスハイツ●●●号室で単身生活をしていたものであるが、本件事件当日、勤務終了後帰宅し、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前一時四〇分過ぎころ、同所玄関先付近において、出動指令を受けて現場に篇場した消防署員らに、意識不明の状態で倒れているところを発見され、同日午前二時ころ、救急車両で同市城西一丁目五番一六号所在の医療法人城西病院に搬送されて治療を受けたが、同日午前四時二〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
二 重篤者関係
1 ●B●●は、前記のとおり、本件事件当日午後一一時前ころ、自宅居間において、本件被害に遭い、その後、一一九番通報により出動指令を受けて同所に臨場した丸の内消防署の消防署員によって、同日午後一一時三〇分ころ、サリン中毒による心停止の状態で前記松本協立病院に搬送され、医師の治療を受けたことにより一命をとりとめたものの、以後同病院に入院して治療中であり、大脳に広範な障害を受けたため無酸素脳症となり、口も利けず、身体を動かすこともできない。
2 ●A●●は、前記のとおり、一一九番通報した後、妻●Bの介抱をしていたところ、本件被害に遭い、サリン中毒による縮瞳、全身攣縮及び発熱等の症状を呈し、●Bと共に右松本協立病院に搬送され、同病院に入院して医師の治療を受け、平成六年七月三〇日退院したものの、同七年三月三一日までの間、自宅療養を余儀なくされ、その後、職場に復帰したものの、なお微熱が継続するなどのサリン中毒の症状が現れているため、通院加療を必要とする状態にある。
3 ●●●●(当時一九年)は、同六年四月、●●大学経済学部に入学し、開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日午後一〇時四〇分ころ、自室において、目覚めたが、そのうちに、視界が暗くなり、身体全体に力が入らないなどのサリン中毒の症状を自覚したため、同日午後一一時前ころ、友人宅に架電し、身体の異常を訴えるなどしたものの、その後意識を失い、同室洋間でうつ伏せに倒れていたところを出動指令を受けて現場に臨場した消防署員らに発見され、翌二八日午前一時二五分ころ、松本市旭三丁目一番一号所在の信州大学医学部附属病院に意識不明の状態で搬送され、同病院に入院し、治療の結果、意識を回復して、サリン中毒の症状も軽減し、同年七月一四日、退院したものの脳波異常や不整脈の症状が現れており、経過観察を必要とする状態にある。

第六 犯行後の状況
 村井らは、前記●●●駐車場から逃走後、平成六年六月二八日早朝、第七サティアンの前まで戻り、噴霧車を中和作業を行うため、前記のとおり被告人らが立入禁止としていたクシティガルバ棟内に噴霧車を格納した。その後、村井らは、第六サティアン一階の松本の部屋へ行き、同人に対し、犯行の結果報告を行った。
 中川は、同日、クシティガルバ棟において、藤永と共に、農薬用噴霧器を使って、サリン中和用の炭酸ナトリウムの水溶液を噴霧車に掛けて同車両を洗浄し、その廃液をポリタンクに入れて富士川河口付近の河川敷に運び、これを同所に投棄して処分した。
 村井は、平成六年一一月ころ、警察が上九一色村の教団施設を捜索するとの情報を得たことから、藤永に対し、本件噴霧器を解体するよう指示し、藤永は、第一二サティアンにおいて、噴霧車に設置された噴霧器を解体し、解体後、本件車両に設置されていた銅製容器を第六サティアン付近に放置するなどした。噴霧器を取り外した車両は、その後、藤永を班長とする教団建設省溶接班において使用していたところ、同七年二月二八日、同溶接班班員が同車両を運転中、同村富士ケ嶺地区の道路において自損事故を起こしたため、廃車となった。

第七 情状その他





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