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1996年2月21日 冒頭陳述(遠藤誠一)

殺人、殺人未遂(松本サリン事件)
遠藤 誠一

     記
第一 事件の背景・動機について
一 化学兵器開発の経緯
 宗教法人オウム真理教(以下、「教団」という。)代表者松本智津夫(以下、「松本」という。)は、その独自の教義・思想を実現するため密かに一部の教団信者により毒ガスを大量に生産させた上、これを散布して多数人を殺害することを計画し、平成五年三月ころ、教団幹部の村井秀夫(以下、「村井」という。)に対し、大学院で化学を専攻した土谷正実(以下、「土谷」という。)に化学兵器である毒ガスを大量生産するための研究、開発を行わせるよう指示した。
 そこで、村井は、そのころ、土谷に対し、化学兵器の大量生産に関する研究を指示し、これを受け、土谷は、化学兵器であるタブン、サリン、ソマン及びVXなどに関する文献を検討した上、殺傷能力、原材料入手の容易性、製造工程の安全性等を考慮し、神経剤であるサリンを大量生産することとし、そのための生成方法の検討を開始した。
二 サリンの開発・本件サリン生成に至る経緯
1 サリン生成工程の確立
 土谷は、教団所属の長谷川茂之が経営する教団のダミー会社長谷川ケミカル株式会社、株式会社ベル・エポック等を通して、サリン生成に必要な亜リン酸トリメチル、ヨウ素、五塩化リン、フッ化ナトリウム及びイソプロピルアルコール等の薬品類を購入して準備した上、平成五年八月ころから、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺九二五番地の二所在のクシティガルバ棟と称する教団施設(以下、「クシティガルバ棟」という。)において、サリンの生成実験を開始し、各種の生成方法を検討した結果、原材料入手の容易性、収率等を考慮し、第一に、三塩化リンとメタノールをヘキサンを溶媒とし、N、N−ジエチルアニリンを反応促進剤として用いて反応させ、亜リン酸トリメチルを生成する(以下、「第一工程」という。)、第二に、亜リン酸トリメチルにヨウ素を触媒として反応させ、メチルホスホン酸ジメチルを生成する(以下、「第二工程」という。)、第三に、メチルホスホン酸ジメチルと五塩化リンを反応させ、メチルホスホン酸ジクロライド(以下、ジクロ」という。)を生成する(以下、「第三工程」という。)、第四に、ジクロとフッ化ナトリウムを反応させ、メチルホスホン酸ジフロライド(以下、ジフロ」という。)を生成する(以下、「第四工程」という。)、第五に、ジクロとジフロにイソプロピルアルコールを反応させ、サリンを生成する(以下、「第五工程」という。)という生成方法を採用することとし、同年一一月ころには、サリン約二〇グラムの試作に成功した。 2 サリンプラントの建設と大量撒布の準備
 松本は、前記のように土谷に毒ガス兵器の開発・大量生産の方途を研究させつつ、平成五年三、四月ころ、早川紀代秀(以下、「早川」という。)に対し、教団が第三上九と通称する前記上九一色村富士ヶ嶺九二五番地の二の土地にサリン製造プラント用建物の建設を指示し、早川が、教団出家信者に同地の地形測量及び建物の設計を開始させた上、同年九月ころには、同土地に第七サティアンと称する教団施設(以下、「第七サティアン」という。)を建設させた。
 そして、松本は、土谷のサリン生成の研究により、サリン大量生産の目処も立ったので、村井の進言を受け、サリン日産二トン生産可能な化学プラントを建設し、同プラントにおいて七〇トンのサリンを生産することとし、そのころ、村井を介して、滝澤和義(以下、「滝澤」という。)にプラント建設の基本設計を行うことを指示するとともに、サリンの大量撒布を実行するため、岐部哲也(以下、「岐部」という。)らを米国に派遣してヘリコプターの免許を取得させた上、そのころから、早川に指示して旧ソ連製ヘリコプターの購入交渉を行わせた。そして、早川は、同年一二月、「MI−一七」と称する約三〇名乗り旧ソ連製大型ヘリコプター一台の購入契約を締結した。
3 サリン約六〇〇グラムの生成とその使用
 松本は、土谷によるサリン生成の研究が進展したことから、サリンを使用して、かねてから教団と敵対する関係にあると考えていた宗教団体関係者を暗殺しようと企て、村井にその実行を指示した。そこで、村井は、平成五年一〇月中旬ころ、土谷に対し、サリン一キログラムの生成を指示し、また、同人と相談の上、サリン生成のスタッフを増強することとし、土谷の協力者として医師である中川智正(以下、「中川」という。)を、また、中川と土谷の補助者として、森脇佳子(以下、「森脇」という。)、佐々木香世子(以下、「佐々木」という。)及び寺嶋敬司(以下、「寺嶋」という。)を選定した上、サリン生成のスタッフの人選につき松本の了承を得て、同月下旬ころ、中川に対し、土谷に協力してサリンを生成するようにとの松本の指示を伝えた。
 また、松本は、そのころ、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺一一五三番地の二所在の第二サティアンと称する教団施設において、自ら森脇に対し、村井立会いの下で、「危険なワークをやってくれるか。」と言って、土谷のサリン生成の手伝いをするよう指示し、また、中川らを介して、佐々木及び寺嶋に対し、土谷の手伝いをするよう指示した。
 中川は、土谷、森脇、佐々木及び寺嶋と共に、同月下旬ころ、クシティガルバ棟において、市販の亜リン酸トリメチルを用いて第二工程からサリン生成作業を開始し、同年一一月中旬ころ、サリン約六〇〇グラムを生成した。  そして、村井は、そのころ、新實智光(以下、「新實」という。)らと共にこのサリン約六〇〇グラムを注入した農薬用噴霧器を自動車のトランクに積載して、東京都八王子市内で噴霧し、前記宗教団体関係者を暗殺しようとしたが、失敗した。
4 サリン約三キログラムの生成とその使用
 松本は、村井に対し、再度前記宗教団体関係者の暗殺計画を実行するよう命じ、村井は、平成五年一一月下旬ころ、中川及び土谷に対し、サリン五キログラムの生成を指示した。そして、中川及び土谷は、前同様に第二工程からサリン生成作業を開始し、森脇、佐々木及び寺嶋に実験器具の組立、試薬の準備、反応の監視等を行わせ、同年一二月中旬ころ、サリン約三キログラムを生成した。
 そして、村井は、そのころ、新實らと共にこのサリン約三キログラムを滝澤らが製作してトラックに設置したガスバーナー使用の直下加熱式噴霧装置を使い、東京都八王子市内で噴霧したが、前記宗教団体関係者の殺害は再び失敗に終わった。その際、被告人は、村井らを支援するため同市内において待機していたが、新實が防毒マスクを一時取り外してサリンを吸入し、瀕死の状態に陥ったことから、村井らと共に人口呼吸をするなどして介抱し、新實を同都中野区野方●丁目●●番●●号所在の教団附属医院に運び込んだ。松本は、そのことを知り、わざわざ、新實が運び込まれた同医院付近まで赴き、同人の治療を担当する教団の医師林郁夫に対し、「サリーちゃんでポアしようとした。」などと言って、新實がサリンで前記宗教団体関係者を暗殺しようとした時反対にサリン中毒に罹ったことを打ち明けるとともに、必ず同人を回復させるよう指示した。そして、これを受けた林郁夫の治療により、新實は、辛うじてサリン中毒から回復したが、松本をはじめ被告人ら教団幹部にとって、これらの出来事によりサリンの効果を強く認識する結果となった。
5 サリン約三〇キログラムの生成
 松本は、前述のとおり、二度にわたる前記宗教団体関係者暗殺計画が失敗に終わったことから、この上は、大量のサリンを撒き、多数の者を巻添えにして殺害してでも前記宗教団体関係者の暗殺計画を実行しようと考え、平成五年一二月下旬ころ、村井に対し、サリンの大量生成を指示し、村井は、中川に対し、同六年一月に前記宗教団体関係者を再度狙う旨告げた上、サリン五〇キログラムの生成を指示し、土谷に対しても、早急にサリン五〇キログラムを生成するよう指示した。
 土谷は、従前と同様に市販の亜リン酸トリメチルを用いてサリン生成作業を第二工程から開始することとし、サリン生成に必要な原料薬品の重量を計算したメモを作成した上、森脇、佐々木及び寺嶋に対し、同メモに基づいてサリン五〇キログラムの生成作業を行うよう指示した。森脇、佐々木及び寺嶋は、同五年一二月末ころ、クシティガルバ棟において、中川及び土谷の指導の下、第二工程の作業から開始し、三ツ口フラスコにヨウ素を入れてこれに亜リン酸トリメチルを加えて反応させ、メチルホスホン酸ジメチルを生成した。その後、同六年一月上旬ころ、土谷が作業の安全性等を考え、滝澤に依頼してクシティガルバ棟内に換気装置付きのスーパーハウスと称する実験用の小屋を設置したので、森脇、佐々木及び寺嶋は、その中で、中川及び土谷の指導を受けながら、第三工程に入り、三ツ口フラスコに五塩化リンを入れ、これにメチルホスホン酸ジメチルを滴下して反応させ、これによってジクロと副生成物のオキシ塩化リンが生成されたので、分留してジクロを取り出した。次いで、森脇、佐々木及び寺嶋は、第四工程に入り、三ツ口フラスコにフッ化ナトリウムを入れてこれに第三工程で生成したジクロの一部を加えて反応させ、これによってジフロと副生成物の塩化ナトリウムが生成されたので、蒸留してジフロを取り出し、同月下旬ころ、第四工程まで完了した。
 中川及び土谷は、サリンプラント建設のため化学的情報を土谷から入手していた滝澤と相談の上、サリンの生成量が大量であり、従前と同様にフラスコを使用して最終の第五工程を行うことは危険性が高かったため、滝澤がサリン生成用に業者から借り受けていた容量一〇〇リットルのグラスライニング製反応釜を使用して行うことを決めた。そこで、滝澤は、同年二月上旬ころ、教団出家信者に手伝わせて、第七サティアン三階に同反応釜を設置し、冷却水循環用のポンプやイソプロピルアルコール投入用の定量ポンプ等の配管を行った。
 その後、中川の都台により、一時作業が中断したが、同月一五日ころ、中川が上九一色村の教団施設に戻り、土谷らと共に、サリン生成の第五工程の作業を開始することとし、同月中旬ころ、森脇、佐々木及び寺嶋が、クシティガルバ棟から第七サティアン三階まで、ジクロ、ジフロ及びイソプロピルアルコールを運んだ。その後、中川、滝澤及び寺嶋は、ジクロ及びジフロを同反応釜に入れ、定量ポンプを用いてイソプロピルアルコールを流し込んで反応させる方法で第五工程の作業を行い、サリンの液体約三〇キログラムを生成した。
 その過程で、イソプロピルアルコールを過剰に投入するなどしたため、サリンのほかにメチルホスホン酸ジイソプロピル及びフッ化水素が発生し、また、無色であるはずのサリンが青色を呈した。土谷がこの液体の成分を分析した結果、サリンが生成されていたが、全体量の約七〇パーセントであり、残り約三〇パーセントはメチルホスホン酸ジイソプロピルであった。
6 サリン約三〇キログラムの保管等
 中川らは、サリン約三〇キログラムを生成後、これを八リットル用、一〇リットル用及び一五リットル用の三個のテフロン容器等に入れて、第七サティアン三階の小部屋に置いた。そして、中川は、村井に対し、サリンの生成が完了したことを報告した。
 中川は、松本らと共に平成六年二月二二日から中国に旅行した際、中川らがサリンを生成したことを知った松本からホテルの部屋に呼ばれ、「結果を出したのはお前だけだ。」などと言われ、労われた。
 松本は、当初同年一月に前記宗教団体関係者の暗殺計画を実行することを予定していたが、サリンの生成時期が遅れたため、同計画は事実上中止され、その後、サリン約三〇キログラムは、第七サティアン三階の小部屋で保管されていたが、村井は、第七サティアンでサリン生成用のプラント建設の工事を行うため、同年四月ころ、中川に対し、サリンをクシティガルバ棟へ移動させるよう指示し、これを受けて、中川が、クシティガルバ棟の管理者である土谷の了解を得た上、サリンの入った容器三個を第七サティアンからクシティガルバ棟に移動した。
 また、そのころ、中川は、村井の指示を受け、振動子式の噴霧方法でもサリンを発散させることができるかどうか確かめるため、土谷及び林郁夫らと共に静岡県富士市内の富士川河口付近の河川敷において、市販の超音波加湿器を改造したものに前記サリン約三〇キログラムのうち約一〇〇グラムを入れて噴霧実験を行ったが、その際、サリン中毒に罹り、林郁夫から治療薬パムの注射をしてもらった。
三 教団松本支部の開設と民事紛争
 教団は、平成三年に入り、長野県松本市内の不動産業者に仲介を依頼し、同市大字芳川野溝字野溝●●●番地等の土地約九〇〇平方メートルを購入し、同土地に教団の支部及び食品工場を建設しようと計画したが、同土地は長野県知事により国土利用計画法上の監視区域に指定されており、五〇〇平方メートル以上の売買の場合、県知事への届出が必要なところから、それを避けるため、同土地を売買で取得する部分と賃貸借で使用する部分に分け、一部を地主から教団の関連会社である株式会社オウムが賃借するなどして、教団が使用し、残りを地主から仲介不動産業者に購入させた上、同不動産業者から教団が購入することとし、同年六月一八日ころ、賃貸借契約及び売買契約を行った。
 ところが、右賃貸借契約の成立後、地主から、右賃貸借契約が本来の買主である教団の名前を隠蔽した上での契約の申込みによる詐欺であるとして、契約の取消しを通知されたので、教団は、長野地方裁判所松本支部(以下、「松本支部」という。)に対し、建築工事妨害禁止の仮処分命令の申立てを行い、これに対し、地主も、松本支部に建築工事禁止の仮処分命令を申立てたが、松本支部は、同四年一月一七日、地主の申立てを認容、逆に、教団の申立てを却下する各命令を下し、その後、東京高裁も教団の抗告を棄却し、松本支部の結論を是認した。
 そこで、教団は、当初の計画を縮小し、右売買で取得した部分に教団の支部建物を建築することにし、長野県建築主事から建築確認を受けた上、同年三月ころ、建築を開始したが、同年五月、地主から教団に対し、右建物の建築工事禁止(建物完成後は建物収去請求に変更)と教団が売買により取得した土地及び右賃借した土地の明渡し等を求める訴訟が松本支部に提訴されるに至った。
四 松本の本件犯行決意
 このような教団と地主との紛争の間に、地元の住民により「オウム真理教松本進出阻止対策委員会」が結成され、多数の松本市民等が教団の同市への進出に反対する旨の署名活動を行い、最終的には一四万人にも及ぶ同市民等の署名が松本支部に提出されるなど教団の松本支部開設は社会問題化した。
 松本は、教団の幹部である青山吉伸弁護士(以下、「青山」という。)に右仮処分及び本訴を担当させ、同弁護士をして、松本支部に対し、右反対運動が一部左翼勢力に利用された運動であるなどと主張させたが、これら裁判所、地元住民らの動向が教団発展に敵対するものであるとして強い反感と危機感を抱き、自ら、平成四年一二月に開催された教団松本支部道場の開始式において、「現代は、まさに世紀末である。司法官が乱れ、裁判が正邪の判定を正しくできなくなり、世の中に迎合し、力の強い者に巻かれる。地主、不動産業者、裁判所が一蓮托生になり、平気で嘘をつき、そしてそれによって今の道場の大きさになったと。・・・これがもし逆にその圧力を加えている者から見た場合、どのような現象になるのかを考えると、恐怖のため身のすくむ思いである。」などと述べ、裁判官や反対派住民等に対する強い反感を明らかにし、また、裁判官ら教団に敵対しているとみなした者に対し将来恐るべき危害が加えられることを予言する説法を行った。
 右土地明渡し等訴訟は、同六年五月一〇日、結審し、同年七月一九日に判決が言い渡されることになり、松本は、青山から、同訴訟の結審と前記賃貸借部分について、仮処分同様敗訴の可能性が高い旨の説明を受けた。  他方、第七サティアンは、同五年九月ころ、鉄骨建物が完成し、松本の指示を受け、渡部和実(以下、「渡部」という。)及び滝澤らが同建物内に設置するサリンプラントの設計を終了し、同六年四月ころからプラン卜用の設備工事が開始され、さらに、同年五月ころから、第一工程から第五工程までの反応釜の設置が始まり、サリンプラントの完成が間近い情勢となっていた。また、早川が購入を担当した前記旧ソ連製ヘリコプターは、同年六月一日、本邦に到着した。
 かかる状況から、松本は、サリンの大量生産を間近に控え、教団施設内で保管されていた前記約三〇キログラムのサリンを使用して、サリンの効用を都市部の人口密集地で実験することを企て、その具体的目標として、教団松本支部の開設に絡み民事紛争化した際、建築工事妨害禁止仮処分で教団の主張を認めず、近く行われる本訴判決でも教団の主張を排斥するおそれが強い松本支部を選定し、同支部を目標にサリン噴霧を行い、かねて教団に対する敵対者とみなしていた裁判官はじめ反対派住民を含む同支部付近の住民多数を殺害することを決意し、同年六月二〇日ころ、その計画を村井に打ち明けるとともに、村井に対し、同計画実行に必要なサリンの噴霧装置を製作することを指示した。

第二 犯行に至る経緯
一 事前謀議
 松本は、平成六年六月二〇日ころ、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺三九番地の一の二所在の第六サティアンと称する教団施設(以下、「第六サティアン」という。)の自室に被告人、村井、中川及び新實を集め、「オウムの裁判をやっている松本の裁判所にサリンを撒いて、実際に効くかどうかやってみろ。」と指示し、その場にいた被告人らはいずれも、松本の指示が松本支部を目標にその周辺にサリンを撒布することであると認識しながら、これを承諾した。また、松本の意を受けた村井は、被告人らに対し、その具体的な実施方法について、前記宗教団体関係者の暗殺計画の際と同様、サリンの噴霧器を積載した車両(以下、「噴霧車」という。)を使ってサリンを噴霧すること、噴霧器の熱源はバッテリー方式とすること、噴霧車が出来次第、昼間に実行することなどと説明した。その際、松本は、村井が噴霧器を操作すること、警察等の妨害に備え教団幹部の中でも武道に長けた中村昇(以下、「中村」という。)、富田隆(以下、「富田」という。)及び端本悟(以下、「端本」という。)を警護役として同行させること、新實が富田ら三名を指揮すること、端本には噴霧車の運転をさせることを具体的に指示し、その他の実行の詳細については、被告人、村井、中川及び新實の四名に任せた。
 その後、新實は、同月二七日早朝ころ、同村の教団施設に、中村、富田及び端本を召集し、同日松本市において松本支部を目標にサリンを噴霧するので、その実行に同行し、計画遂行のため協力することを指示した上、各人の具体的役割等について、中村ら三名は警察等の妨害があれば、それを排除すること、端本は噴霧車を運転すること、同日昼ころ、第七サティアン前を出発することなど、松本らにより予め決められた事項を伝達し、中村、富田及び端本は、これを承諾した。
二 犯行の準備
1 噴霧車等の製作
(一) 村井による噴霧車等の製作指示等
 村井は、犯行に使用するサリン噴霧装置の基本的な原理と構造について、トラック(普通貨物自動車)のコンテナ部分にサリン貯留用のタンク三個を設置し、遠隔操作により自動開閉式エアバルブ(以下、「エアバルブ」という。)を開き、そのタンクからパイプを経由してサリンを銅製容器に落下させた上、右容器底部に挿入した棒状のヒータ−を大型バッテリーを電源として加熱し、サリンを気化させ、トラックのコンテナ部分に設置した有圧換気扇(大型送風扇)を使用して外部の空気をコンテナ内に吸入し、その空気とともに気化したサリンを外部に押し出して噴霧する加熱式噴霧器(以下、「噴霧器」という。)とすることにし、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺八二一番地の一所在の第一二サティアンと称する教団施設(以下、「第一二サティアン」という。)で噴霧器をアルミコンテナ付きトラックに設置して、噴霧車を製作した上、犯行を実行することとし、平成六年六月二〇日ころ、教団幹部の渡部に対し、噴霧器等の原理等を説明し、噴霧器等の製作を指示した。
 また、村井は、教団幹部の藤永孝三(以下、「藤永」という。)、同冨樫若清夫(以下、「冨樫」という。)及び同林泰男に対し、それぞれ、噴霧器等の原理等を説明し、噴霧器等の製作に協力するよう指示した。
 さらに、村井は、そのころ、噴霧車に改造するアルミコンテナ付きトラック一台の手配を新實に依頼し、新實は、教団内において使用されていたアルミコンテナ付き二トントラック一台を噴霧車に選定し、その後、第一二サティアンに搬入させた。
(二)本件噴霧器等の製作状況等
 村井及び渡部は、噴霧器を構成する有圧換気扇、銅板及び棒状ヒーターなどの必要機材につきその調達方法を購入又は教団内部における製作のいずれにするかを決定し、必要なものを教団出家信者の角川知己(以下、「角川」という。)らに指示して、平成六年六月二〇日ころから発注させ、これらの機材を第一二サティアンに搬入させた。
 そして、渡部は、藤永、角川及び教団出家信者高橋昌也(以下、「高橋」という。)に対し、噴霧器等の原理等を説明した上、噴霧器等の製作を指示した。
 高橋、角川及び藤永らは、前記アルミコンテナ付き二トントラックが第一二サティアンに搬入された前後ころから、それぞれの分担する作業を開始し、高橋は、同サティアン一階において、角パイプを切断する作業を行った後、角川と協力して、右角パイプの溶接・組立作業を行ってコンテナ内にフレーム(台枠)を完成させ、また、高橋及び角川は、フレームが完成した後、有圧換気扇二台をコンテナ内フレームに設置する作業を行うとともに、外部からの吸気用及びサリン噴霧用として、コンテナの左右両側を有圧換気扇の形状に沿って縦約六三センチメートル、横約一一四センチメートルに窓状に切断する作業を行った上、それぞれ、切断箇所を蝶番で止めて、上下に開閉できる扉とした。
 藤永は、銅製容器製作のための銅板溶接作業等を行い、二、三日後には銅製容器三個の製作を終了した。
 一方、村井は、冨樫及び林泰男に対し、噴霧器を三〇分以上噴霧用に使用することはないとの条件の下、加熱用銅製容器に挿入するヒーター用等の電源として一二ボルト用バッテリーを準備すること及び噴霧車のキャビン部分(運転席)から噴霧器を遠隔操作することができるよう電気配線を行うことを指示し、右指示を受け、冨樫及び林泰男は、同サティアンにおいて、コンテナ内のバッテリーを充電の上、バッテリ用フレームに、加熱用銅製容器の電源等として計二五個のバッテリーを設置するなど、これらの配線作業を行い、これに引き続き、冨樫及び高橋らは、溶接の終了した銅製容器三個に一〇〇ボルト・四〇〇ワット用と同八〇〇ワット用のヒーター合計四〇本を埋め込む作業を行った上、コンテナ内に右銅製容器三個を設置した。
 また、冨樫及び林泰男は、角川に依頼してコンテナ及びキャビンの両面に穴を開けさせた上、本件車両のキャビン部から遠隔操作によって銅製容器の加熱及び有圧換気扇の作動を開始させるためのスイッチを設置するなどの作業を行った。
 その後、渡部の指揮の下、藤永、高橋及び角川は、コンテナの天井部分に三個の穴を開けてその各箇所にサリンの注入用等として手動バルブを取り付け、これに対応させて、一〇リットル容量のサリン貯留用タンク三個をコンテナ内に設置し、また、藤永らが、噴霧車のキャビン部からの遠隔操作によってサリンをパイプを経て銅製容器に落下させるためのエアバルブをサリン貯留用タンクの下部に設置した。
(三)本件噴霧器による噴霧実験等
 村井は、平成六年六月二五、二六日ころ、噴霧器の主要部分の製作及び噴霧車の改造等を一応終了したので、銅製容器で水を加熱・気化させて、その蒸発に要する時間等を測定した結果に基づき、犯行現場におけるサリンの加熱及び噴霧に要する時間等を計算してこれを確認することとし、第一二サティアンに、渡部のほか、冨樫、林泰男、藤永、高橋及び角川らを集めて噴霧実験を行い、水を銅製容器に注入した上、冨樫に指示して運転席のスイッチを操作させて、銅製容器を加熱するとともに有圧換気扇を作動させ、時計で時間を確認しつつ、その蒸発状況及び有圧換気扇による車外への蒸気の排出状況等を二、三〇分間にわたって確認した。
 村井は、実験結果が計算どおりだったので冨樫らに指示し、噴霧実験に使用したバッテリーの再充電を行わせた。
(四) 噴霧実験終了後の噴霧車の擬装工作等
 渡部は、噴霧実験終了後、エアバルブ用ホース及びキャビン部へのエアバルブ用スイッチの取付け等を行うとともに、藤永及び角川に対し、気化したサリンをアルミコンテナ内で環流させることなく、一定方向に排出するため、アルミコンテナ内に風洞を設けることを指示した。そこで、藤永は、第一二サティアンにおいて、渡部の指揮を受けつつ、高橋及び角川と共に準備したコンクリート型枠用合板(以下、「コンパネ」という。)をコンテナ内のフレームの寸法にあわせて切断し、有圧換気扇によって吸入した空気が気化したサリンとともに他方の開口部から排出されるようコンパネでその周囲を囲った風洞を製作した。
 その後、藤永及び角川は、コンパネの黄色塗装部分に銀色のアルミ薄板を張り付ける作業を行うとともに、コンテナの開口部に金網を取り付けてその金網を銀色で塗装するなどの作業を行い、本件噴霧器の存在が外部から開口部を通じて目立つことがないよう擬装工作を行った。
 また、冨樫及び林泰男は、そのころまでに電気配線の作業等を終了するとともに、気化したサリンが本件車両のキャビン部に逆流した場合に備え、電気配線等の際に開けたコンテナ及びキャビンの穴にアルミテープを使用して目張りを行うなどの作業を行い、同月二六日夜半ころまでには、本件噴霧車等の製作を終了した。
2 防毒マスク等の準備等
 中川は、前記松本の部屋での相談後、村井から一五分間使用できることを条件にした上、サリン噴霧時に現場で着用する防毒マスクを準備するよう指示され、過去に前記宗教団体関係者暗殺計画の際使用した経験のあるビニール袋を頭から被り、袋の入口部分を紐で閉めて空気の流入を制限し、その中に酸素ボンベからホースを通して空気を送る方式の防毒マスクを使用することとし、前記上九一色村の教団施設付近のホームセンター等から数種類の大きさのビニール袋を購入したほか、教団内の在庫品からビニール袋の入口を閉めるための紐、酸素ボンベからビニール袋まで酸素を送るホース、教団で医療用等に購入済みであった七立方メートルの酸素ボンベ約三本及び一・五立方メートルの同ボンベ約八本などの防毒マスクを作成するのに必要な材料等を第七サティアン等に運び込むなどして準備し、防毒マスク装置の作成を開始し、平成六年六月二七日午前中までの間に、同所において、縦三五センチメートル、横四〇センチメートル位のビニール袋に穴開け器で穴を開け、用意した紐を通して防毒マスクを作成し、また、サリン噴霧時の中毒に備え、パム及び硫酸アトロピンなどの治療薬やサリンの予防薬メスチノンを教団の在庫品から持ち出して、準備した。
 そして、中川は、前記噴霧実験が行われた前後ころ、用意した酸素ボンベのうち七立方メートルのボンベ一本を噴霧車の予備用酸素ボンベとして、予め第一二サティアンに搬入した上、高橋に対し、右酸素ボンベを噴霧車のコンテナに積み込むよう指示した。そこで、高橋らは、同酸素ボンベをアルミコンテナ内に積み込んで、フレームに固定し、コンテナ及びキャビンの両側に穴を開けて右酸素ボンベ用ホースを噴霧車のキャビン部まで延長する作業を行った。
3 下見及び犯行使用ワゴンの準備
 新實は、平成六年六月二五日ころ、松本支部等を下見するため、犯行を実行する際には噴霧車を運転する予定になっていた端本を誘い、普通乗用自動車で松本市に向かった。新實は、その途中、端本に対し、松本に赴く目的を告げ、端本もサリン噴霧計画に参加することをほのめかした上、教団松本支部に架電して、同市内の地図の借用方を申入れ、東日本旅客鉄道株式会社(以下、「JR」という。)南松本駅で同支部の出家信者から株式会社ゼンリン発行の「松本市ゼンリンの住宅地図」を受け取った上、同車で同市内を回り、松本支部及び松本警察署等の位置を確認した後、松本支部付近で二人で下車した。そして、新實らは、松本支部付近のたばこ屋でたばこ等を購入して、二人で松本支部の周辺を歩いた際、端本がたばこに火を点けて、松本支部周辺の風向きを調べたりしたほか、犯行を実行する日の風向きに応じて、噴霧車を駐車するのに適当な場所を探したりした。
 被告人は、同月二六日、村井から、噴霧の実行日が翌二七日に決まったことを知らされた上、同市まで行き、被告人及び新實らサリン噴霧を支援する者が乗車するための自動車を同市内のレンタカー業者から借りてくること及び同市に赴いた際には、松本支部等を下見してくるよう指示されたので、中川に同行を依頼し、事情を知らない部下の出家信者に普通乗用自動車を運転させ、同市に向かった。被告人及び中川は、JR松本駅付近で右出家信者を下車させて、レンタカー会社を探させ、二人は、松本支部及び松本警察署等の周辺を右普通乗用自動車に乗って見回り、その後、被告人が、右出家信者の探したレンタカー会社に行き、普通乗用自動車(車種「マツダボンゴ」灰色、以下、「ワゴン車」という。)一台を同月二六日午後六時から同月二八日午後六時までの間、借用することとし、同車を右出家信者に運転させて、第七サティアンまで回送させた。
4 噴霧車へのサリンの注入
 中川は、平成六年六月二六日ころ、村井から犯行実行日を知らされた上、クシティガルバ棟で噴霧車にサリンを注入するよう指示されたので、同棟で土谷が保管していた約三〇キログラムのサリン入り容器三個の引渡しを受け、同棟スーパーハウス内に準備した。その後、中川は、土谷に対し、村井の指示内容を伝えて、サリン注入時に同棟に残っているよう依頼し、同月二七日早朝、サリン注入作業が他の出家信者等に見つからないようにするため、土谷と共に同棟を立ち入り禁止にした。
 そして、村井の指示を受け、藤永が同日午前一〇、一一時ころ、第一二サティアンからクシティガルバ棟に噴霧車を回送してきたので、中川は、一人で噴霧車にサリンを注入する作業を開始した。中川は、村井から噴霧車の車体の上部にある三本の手動バルブから噴霧車内のタンクにそれぞれ約四リットルずつサリンを注入するよう指示されていたので、まず、同棟スーパーハウス内で、両手に手袋、顔面に防毒マスクを着け、コンプレッサーでホースを通して防毒マスク内に空気を送りつつ、前記八リットル用容器と一〇リットル用容器に入っていたサリンを灯油用のポンプで一旦同棟にあった目盛り付きポリタンクに計約一二リットル移し替えた。
 中川は、ポリタンクにサリンを移し替えた後、サリンの入ったポリタンクや灯油用ポンプ等を持ち、噴霧車の屋根に昇り、三個の手動バルブを開けて、灯油ポンプ等を使用し、貯留用タンクに通ずる同バルブの中にポリタンクから約四リットルずつサリンを流し込み、サリンの注入作業を終了した。
 その後、中川は、事情を知らない出家信者らに手伝わせて、酸素ボンベ、ホース及び医薬品などを第七サティアンの前等に駐車してあったワゴン車や噴霧車に積み込んで準備した。
5 変装用作業着等の準備
 新實は、平成六年六月二七日早朝ころ、富田及び端本に対し、犯行に参加するメンバーの名前を知らせた上、人数分の作業服上下、作業帽、ベルト及びサングラスなどを購入してくるよう指示して、一〇万円から一五万円位の現金を渡し、同日午後一時少し前ころ、富田らは静岡県富士宮市内の作業服店で作業服上下、べルト及び作業帽など七組を購入し、さらに、同市内のホームセンターでサングラス七個を購入し、第六サティアンに戻った。
 その後、富田らは、新實から警察等の排除を指示されていたため、松本の警備用に教団施設内に備え付けてあった特殊警棒等を持ち出して、第七サティアンに集合した際、これをワゴン車に積み込み準備した。

第三 犯行状況
一 サリン噴霧の目標の変更
 当初松本市への出発は、平成六年六月二七日の昼ころの予定であったが、サリンの注入に手間どったりしたため出発が遅れ、第七サティアン前に集合した被告人、中川、村井、新實、富田、中村及び端本が、前記準備した作業着等に着替えて、同サティアン前から同市に向かったのは、同日夕方ころであった。噴霧車は、松本の指示に従い、端本が運転して、村井が同乗し、ワゴン車には、被告人、中川、新實、中村及び富田が乗車し、富田が運転した。
 被告人らは、国道一三九号線から国道二〇号線に入り、同県岡谷市内の塩尻峠付近のドライブインの駐車場で休憩したが、新實は、同駐車場において、既に日が暮れかかり、裁判所の勤務時間中に松本支部にサリンを噴霧することが事実上不可能になったと判断し、村井に対し、前記松本市の住宅地図を示しながら、サリン噴霧の目標を松本支部から約四〇〇メートル離れたところにある松本市北深志一丁目一三番二二号所在の長野地方裁判所松本支部田町宿舎(以下「裁判所宿舎」という。)に変更してはどうかと示唆したところ、村井も、新實の意見に同調した。そこで、村井及び新實は、サリン噴霧の目標を松本支部から裁判所宿舎に変更することを被告人ら他の犯行参加者に知らせた。
 また、中川は、松本市に至るまでの間に被告人らに対し一錠ずつサリン中毒の予防薬メスチノンを配り、服用させた。
二 偽造ナンバープレートの貼付及び犯行場所の決定等
 被告人らは、平成六年六月二七日午後一〇時前ころ、裁判所宿舎の西方約一九〇メートルにある松本市開智●丁目●番●●号所在の●●●●株式会社●●●●●●●●●●西側駐車場に到着し、同所に噴霧車とワゴン車を駐車させた。そして、新實らは、同駐車場において、事情を知らない岐部に予め作成させた自動車のナンバープレートの大きさに切った白色カッティングシートの上に緑色カッティングシートから切り抜いた登録番号の数字等を貼り付けて作成した偽造のナンバープレートを噴霧車とワゴン車の車体の前後に付いている正規のナンバープレートの上に貼り付けた。
 また、中川らは、同駐車場でワゴン車等に積んで用意してきた酸素ボンベにホースを接続し、酸素の供給の準備をした上、酸素ボンベに接続されたホースの先端を被告人ら同乗者に渡し、中川が用意してきたビニール袋の内側にそのホースの先端部分をガムテープで留めるよう指導して、防毒マスクを各人に準備させた。
 さらに、中川は、サリン中毒発生に備え、所携の鞄の中からサリン中毒治療薬のパム等を取り出し、アンプルの中の薬液を注射器に吸い上げる等して準備し、被告人も、パム等のアンプル、注射器及び注射針を同鞄の中から取り出し、いつでも使えるよう準備した。 一方、村井は、前記住宅地図と風向きを調べるためのたばこ、ライター等を携行して、同駐車場からサリンを噴霧するのに適した場所を探しに行き、裁判所宿舎の西方約三七メートルにある同市深志●丁目●●●番●●●駐車場(東西最長約二五・一メートル、南北約二〇・八メートル、面積約四九一平方メートル。)を噴霧場所と定めて、右●●●●●●●●●●西側駐車場に戻った。そして、村井は、新實らに対し、サリンを噴霧する場所を決定した旨告げた上、サリンの噴霧時間は約一〇分間であること、噴霧場所に着いたら直ちに噴霧を始めること、サリン噴霧が終了すると直ちに出発すること等を知らせ、噴霧車にワゴン車も追従して来るよう指示した後、噴霧車に乗車し、噴霧車を出発させた。そこで、新實らもワゴン車に乗車し、噴霧車に続いて、同駐車場を出発した。
三 サリン噴霧
 村井らの乗車する噴霧車等は、平成六年六月二七日午後一〇時三〇分ころ、前記●●●駐車場に到着し、噴霧車は、同駐車場の東側のフェンスの側に先頭を南側に向けて駐車し、ワゴン車は、同駐車場の西側寄りに先頭部を同じく南側に向けて駐車した。
 村井は、到着後直ちに、噴霧車から降りて、噴霧車の左右側面に付いているサリンの噴霧口等の扉を開け、同車の助手席に戻り、端本と共に用意済みの防毒マスク用の前記ビニール袋を頭から被り、酸素ボンベからホースを通し、ビニール袋の中に酸素の供給を始めた。一方、ワゴン車の中でも、被告人らが、同駐車場到着後直ちに用意済みビニール袋の防毒マスクを頭から被り、中川が酸素ボンベからホースを通し酸素の供給を始めた。
 そして、村井は、噴霧車の助手席で遠隔操作でサリン貯留タンクの下についているエアバルブを開けるとともに、銅製容器の加熱及び有圧換気扇の作動をそれぞれ開始するためのスイッチを作動し、噴霧装置を始動させた。
 すると、同日午後一〇時四〇分ころから噴霧車の噴霧口から気化したサリンが白煙状になって噴出し、噴霧車の周りに立ち込め、同駐車場の東側にある池の畔に生えている木立の上等を通って周囲に拡散された。
 被告人は、サリンが噴霧されている間、ワゴン車の中から、同駐車場の西側の道路を注視し、サリン噴霧を妨げる者の出現を警戒していた。
 村井は、同所で約一〇分間サリンの噴霧を続けた後、サリンの残量がなくなったと判断し、端本に対し、噴霧車を移動するよう指示し、端本が噴霧車を発進させ、同駐車場の西側道路を北方に向け逃走を始め、これを見た富田もワゴン車を発進させ、噴霧車に追従して同駐車場から逃走した。
 なお、富田がワゴン車を運転し、同駐車場西側の出入り口から右折して道路に出ようとした際、同入口の石柱にワゴン車の右側面を衝突させてしまい、同所に擦り傷をつけてしまった。

第四 サリンの拡散及び被害発覚
一 サリンの拡散
 村井らがサリンを噴霧した前記●●●駐車場一帯は、松本市の市街地の中心からやや北寄りで、緩やかに南向きに傾斜しており、一般住宅、マンション及び社宅等が立ち並ぶ閑静な住宅街であり、同駐車場を中心とするおおむね直径四〇〇メートルの範囲に居住する住民の数は、約一、八六〇世帯、約四、三〇〇人である。
 平成六年六月二七日の本件犯行前後ころの同市の天候は、同日午後一〇時二〇分、北北西の風、風速一・九メートル、気温二一・四度、午後一〇時三〇分、西の風、風速一・八メートル、気温二〇・八度、午後一〇時四〇分、西の風、風速一・七メートル、気温二〇・六度、午後一〇時五〇分、南西の風、風速〇・六メートル、気温二〇・四度、午後一一時零分、南西の風、風速〇・五メートル、気温二〇・四度、午後一一時一〇分、南南東の風、風速〇・八メートル、気温二〇・二度、午後一一時二〇分、南西の風、風速一・二メートル、気温二〇・四度であり、この間、雨量はなかった。
 噴霧されたサリンは、同駐車場周辺に拡散した後、折からの気候条件の中、同駐車場付近を流れる風に乗り、主として同註車場の東方から北方にかけて拡がり、村井らが狙いとした裁判所宿舎に居住する住民はじめ付近住民等に到達することになった。
二 被害の発覚等
 ●A●●(当時四四年)は、昭和五一年一一月ころから、サリンの噴霧場所である前記●●●駐車場北側に接する松本市北深志●丁目●●番●号所在の家屋に妻●B(当時四六年)及び三人の子供(一男二女)と居住する会社員であるが、本件事件当日である平成六年六月二七日夜、夕食を済ませた後、同日午後一〇時ころから、自宅一階南側の居間で妻●Bとテレビを見てくつろいでいたところ、同日午後一一時前ころ、同女が、突然、身体の不調を訴えたため、同女に横になるよう勧めた。そのうち、自宅の北側犬小屋の方から、不審な物音がしたので様子をうかがうために屋外に出たところ、飼育していた親子の二頭の犬が犬小屋の周りで全身を痙攣させて、口から泡を出すなどして倒れていたのを発見し、当初、誰かが自宅敷地内に毒を投げ込むなどの悪質ないたずらでもしたのではないかと思ったが、居間に戻ると同女がテーブル付近で全身を痙攣させるなどして仰向けに倒れているのを発見し、容易ならざる事態であると直感し、同日午後一一時六分ころ、自宅から一一九番通報した。
 右通報を受けた松本広域消防局通信指令課係員は、同日午後一一時九分ころ、同市北深志●丁目を管轄する同消防局丸の内消防署の緊急隊員に出動指令を発出した。
 丸の内消防署の緊急隊員●●●らは、直ちに救急車で●A●●方に向かい、同日午後一一時一四分ころ、同宅に到着し、●B●●ほか、そのころには、サリン中毒症状を呈していた●A●●及び同人の長女●●を収容して、救急車で同市巾上九番二六号所在の松本協立病院に搬送し、同通信指令課係員に対し、通信無線で、●Bらの症状につき原因不明の中毒症状である旨報告した。
 そこで、同通信指令課係員は、同日午後一一時三〇分ころ、松本警察署に電話で状況を連絡するとともに、その後、松本市水道局、松本ガス株式会社等に出動要請し、同宅付近の水質の検査、ガス漏れの有無等の調査を依頼した。
 また、同通信指令課係員は、同日午後一一時四八分ころ、前記●●●駐車場北東側に位置する開智ハイツ一階に居住する住民からも異臭がする旨の一一九番通報を受理するなど付近住民や現場に臨場した救急隊員らから次々と出動要請を受けたため、右丸の内消防署のほか、同広域消防局に所属する同市内の渚消防署、本郷消防署、芳川消防署及び丸の内消防署庄内出張所の計五消防署等に順次、同駐車場付近への出動指令を発出した。
 そして、出動した消防署員らは、翌二八日未明までの間に、後に死亡した●●●●及び●●●の二名を含む合計三七名の被害者等を同市本庄二丁目五番一号所在の医療法人慈泉会相澤病院等同市内の五つの病院に搬送した。

第五 被害状況
 本件サリン中毒による被害者は、公訴事実記載のとおり死亡者●●●●ほか六名、受傷者●B●●ほか一四三名であるが、そのうち、死亡者及び重篤者(加療期間不詳の者)の被害状況の詳細は、次のとおりである。 一 死亡者関係
 被害者●●●●(当時二六年)は、千葉県で出生し、製薬会社に勤務していた会社員で、平成二年八月ころから開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日、自室で夕食を食べた後、午後九時三〇分過ぎころから、交際中の女性と電話で談話していたところ、午後一一時前ころ、本件被害に遭い、同女に急に気持ちが悪くなったから後で電話をかけ直す旨伝えた後、翌二八日午前零時一五分ころ、同所ダイニングキッチンにおいて、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時一九年)は、千葉県で出生し、●●大学経済学部に入学し、新聞記者を目指して勉学に励んでいた同大学二年生で、同五年四月から開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日、実家から自室に戻った後、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所ダイニングキッチンにおいて、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時二九年)は、富山県で出生し、●●●大学政治経済学部を卒業後、●●大学医学部に再入学した同大学六年生で、同三年四月から開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日午後一〇時ころ、自室から実家に電話をかけて実父らと談話した後、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所洋間において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時五三年)は、新潟県で出生し、半導体製造機の開発製造会社に勤務していた独身の会社員で、同四年一月ころから松本レックスハイツ●●●号室で単身で生活していたものであるが、本件事件当日、勤務終了後自室に戻った後、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所洋間において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時三五年)は、大阪府で出生し、専門学校を卒業して同府内の衣料品会社で稼働後、同二年九月ころから松本市に転居し、松本レックスハイツ●●●号室で単身生活を始め、その後同五年一二月ころ同ハイツ●●●号室に転居し、資格取得の援助会社の事務員として勤務していたものであるが、本件事件当日午後一一時ころ、自室で本件被害に遭い、翌二八日午前零時一五分ころ、同所玄関付近において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時四五年)は、群馬県で出生し、明治生命寮●●●号室で単身で生活していた独身の生命保険会社の社員であるが、本件事件当日午後一〇時三〇分過ぎころ帰宅し、その後、同日午後一一時ころ、自宅浴室で入浴中に本件被害に遭い、翌二八日午前一時二五分ころ、出動指令を受けて現場に臨場した消防署員らに浴槽内において、意識不明の状態で腰を下ろしているところを発見され、同日午前一時五三分ころ、救急車両で前記医療法人慈泉会相澤病院に搬送されて治療を受けたが、同日午前二時一九分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●(当時二三年)は、静岡県で出生し、都内の電気関係の会社で稼働していた独身の会社員で、同年五月二五日から同市内に長期出張派遣され、松本レックスハイツ●●●号室で単身生活をしていたものであるが、本件事件当日、勤務終了後帰宅し、同日午後一一時ころ、本件被害に遭い、翌二八日午前一時四〇分過ぎころ、同所玄関先付近において、出動指令を受けて現場に臨場した消防署員らに、意識不明の状態で倒れているところを発見され、同日午前二時ころ、救急車両で同市城西一丁目五番一六号所在の医療法人城西病院に搬送されて治療を受けたが、同日午前四時二〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
二 重篤者関係
 被害者●B●●は、前記のとおり、本件事件当日午後一一時前ころ、自宅居間において、本件被害に遭い、その後、一一九番通報により出動指令を受けて同所に臨場した丸の内消防署の消防署員によって、同日午後一一時三〇分ころ、サリン中毒による心停止の状態で前記松本協立病院に搬送され、医師の治療を受けたことにより一命をとりとめたものの、以後同病院に入院して治療中であり、大脳に広範な障害を受けたため無酸素脳症となり、口も利けず、身体を動かすこともできない。
 ●A●●は、前記のとおり、一一九番通報した後、妻●Bの介抱をしていたところ、本件被害に遭い、サリン中毒による縮瞳、全身攣縮及び発熱等の症状を呈し、●Bと共に右松本協立病院に搬送され、同病院に入院して医師の治療を受け、平成六年七月三〇日退院したものの、同七年三月三一日までの間、自宅療養を余儀なくされ、その後、職場に復帰したものの、なお微熱が継続するなどのサリン中毒の症状が現れているため、通院加療を必要とする状態にある。
 ●●●●(当時一九年)は、同六年四月、●●大学経済学部に入学し、開智ハイツ●●●号室で単身で生活していたが、本件事件当日午後一〇時四〇分ころ、自室において、目覚めたが、そのうちに、視界が暗くなり、身体全体に力が入らないなどのサリン中毒の症状を自覚したため、同日午後一一時前ころ、友人宅に架電し、身体の異常を訴えるなどしたものの、その後意識を失い、同室洋間でうつ伏せに倒れていたところを出動指令を受けて現場に臨場した消防署員らに発見され、翌二八日午前一時二五分ころ、松本市旭三丁目一番一号所在の信州大学医学部附属病院に意識不明の状態で搬送され、同病院に入院し、治療の結果、意識を回復して、サリン中毒の症状も軽減し、同年七月一四日、退院したものの脳波異常や不整脈の症状が現れており、経過観察を必要とする状態にある。

第六 犯行後の状況
一 松本への報告等
 前記●●●駐車場から逃走後、被告人らは、松本市大手●丁目●番●●号所在の●●●●株式会社駐車場において、一旦噴霧車とワゴン車を駐車し、防毒マスクを片づけて、村井が噴霧車の左右側面の噴霧口等を閉め、また、新實が犯行時噴霧車とワゴン車のナンバープレートに貼り付けていた偽造ナンバープレートを取り外し、同駐車場から前記上九一色村の教団施設に向かった。その途中、松本からワゴン車の中に積んでいた携帯電話に電話があり、無事に終了したかどうか尋ねられた新實は、盗聴を恐れて、事前に松本との間で取り決めておいた暗号で、サリン噴霧を無事終了し、同村に帰る途中である旨答えた。 被告人らは、平成六年六月二八日早朝、第七サティアンの前に到着し、噴霧車をクシティガルバ棟の中に格納したりしてから解散し、村井及び新實が松本に報告するため第六サティアンに向かい、中川は、農薬用噴霧器でサリン中和用の炭酸ナトリウムの水溶液をワゴン車及び噴霧車の車体に掛け、その後、報告のため被告人と共に同サティアンに向かった。
 松本は、同サティアン一階の自室において、被告人、村井、中川及び新實と会い、村井らから松本市でのサリン噴霧について報告を受け、村井らに対し労いの言葉を掛けたが、被告人から、ワゴン車を運転していた富田が現場から逃げる際、ワゴン車を何処かにぶつけ、車体に損傷が出来たことを知らされたため、被告人に指示して、教団自治省の幹部である杉本繁郎(以下、「杉本」という。)と共に東京に行き、故意に衝突事故を起こし、松本市で衝突して出来たワゴン車の損傷箇所と同じ場所に傷を作り、警察に届け出るよう指示した。
 そこで、被告人は、同月二九日、杉本と共にワゴン車に乗車して、上京し、東京都杉並区内のすかいらーくの駐車場において、同市で損傷ができたワゴン車の部分を故意に建物の柱に衝突させた上、警視庁高井戸警察署宗源寺前派出所警察官に右損傷につきあたかも初めて同駐車場で事故が発生したかのように届け出て、また、同車を同市内のレンタカー会社に返還する際にも、自損事故が都内のレストランの駐車場で発生した旨申告した。
二 噴霧器等の中和作業等
 中川は、平成六年六月二八日、クシティガルバ棟において、藤永に手伝わせて、手袋及び防毒マスクを着用し、農薬用噴霧器を使って、サリン中和用の炭酸ナトリウムの水溶液を噴霧車の外側や車内に掛けて、洗浄し、中和作業中に銅製容器内等に残った廃液をポンプで吸い出してポリタンク数個に入れた上、廃液を藤永の運転する自動車で前記富士川河口付近の河川敷に運び、同所において、その廃液を投棄して処分した。そして、藤永は、中和作業の終わった噴霧車を第一二サティアンに運んだ。
 その後、中川は、サリンの保管、サリンの移替え等で使用した八リットルテフロン容器、メスシリンダー及び灯油用のポンプ等の器具については、中和剤の水溶液に数日浸し、静岡県富士宮市の富士山総本部の焼却場に持って行き、焼却した。
三 噴霧器等の解体
 村井は、平成六年一一月ころ、警察が前記上九一色村富士ヶ嶺地区の教団施設を捜索するとの情報を得たことから、藤永に対し、本件噴霧器を解体するよう指示し、藤永は、第一二サティアンにおいて、噴霧車に設置された噴霧器を解体し、解体後、本件車両に設置されていた銅製容器を第六サティアン付近に放置するなどした。  なお、噴霧車は、その後、藤永を班長とする教団建設省溶接班において使用していたところ、同七年二月二八日、同溶接班班員が噴霧車を運転中、同村富士ヶ嶺地区の道路において自損事故を起こしたため、廃車となった。





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