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弁護人意見書

平成八年四月二四日
被告人 麻原 彰晃こと松本 智津夫

 右被告人に対する殺人等被告事件の起訴状・訴因変更請求書及び追起訴状(平成七年七月五日付、同年七月一六日付)記載の各公訴事実に関する被告人意見の結論は、その認否を留保するという趣旨であり、弁護人らも、同様に、その認否を留保するとともに、あわせて、本件公訴事実に関する問題の所在と弁護人らの基本的な態度について、左記の意見を述べる。

東京地方裁判所
刑事第七部御中

     記
一、予断排除の原則と公正裁判について
 この裁判をめぐる最大の特徴は、法廷における証拠調もまだ始まっていない段階であるというのに、社会現象としては、被告人を断罪する報道・論評が広範囲に先行し、本件各公訴事実がすでに成立しているかのような社会的予断が充満しているということである。 このような社会現象は、今や、刑事司法における公正裁判の生命線ともいうべき「予断排除の原則」にとって、重大な脅威になっているというべきである。
 弁護人らとしては、当裁判所が、本日の開廷に当たり、被告人に関する既存の報道・論評等の一切の情報を念頭から完全に排除し、白紙の状態で、この公判に臨んでいることを確信しているが、そのことは、今後とも、一貫して、厳しく保持されるべきものである。 また、検察官の公訴提起とそれを維持する訴訟活動も、当然、このような「社会的予断」に依存することのないように、厳正・適切でなければならない。
 この法廷で、真に公正な裁判を実現していくためには、訴訟関係者の全員が、このような根本問題を率直かつ十分に見きわめ、万一にも、右の社会的予断に左右されることのないように真剣に努めることが必要である。

二、弁護人らの基本的職責と任務について
 そのために、弁護人らは何をなすべきかが、次の問題である。
 いうまでもなく、刑事訴訟手続における審理の対象は、仮説としての検察官主張の訴因の成否であり、訴因として特定された被告人の具体的な犯罪行為の成否であって、その成立には、厳格な証明が必要である。
 それは、あくまでも、適法な証拠による疑問の余地のない証明であるから、証拠獲得のプロセスも十分に吟味されなければならないし、証拠価値の検討も厳密を期することになる。
 弁護人らの基本的な職責は、何よりも、審理の対象としての訴因の明確化を求め、その上で、右のような証拠の検討を通して、まず、公訴事実の客観的側面としての罪体それ自体の成否をチェックし、次に、その罪体と被告人との結びつきの有無をチェックしていくことである。
 それは、当事者主義に基づいて、検察官と被告人弁護人とが相争うという訴訟構造におけるチェックであるから、本質的に、公訴事実を批判的に検討し、厳正に吟味していくということにならざるをえない。
 これらの点をすべて含めて、適正手続による公正な裁判の実現に寄与することこそ、弁護活動の基本である。
 以上が、職責と任務に関する弁護人らの基本的な立脚点である。

三、審理の対象の明確化と共謀について
 このように、公正で適正な審理手続を円滑に進めるためには、審理の対象となるべき検察官の主張としての訴因が明確に特定されていなければならない。
 したがって、本件においても、検察官としては、「起訴状等に対する求釈明申立書」が指摘している各問題点について、今後の主張・立証の中で、必ず明確化していくように、真剣に努力しなければならないし、裁判所も、また、真に公正な訴訟運営を遂行していかなければならない。
 その観点から、本件で、最も大きな問題になっているのが「地下鉄サリン事件」の共謀共同正犯における「共謀」の問題である。
 実行行為を伴わない共謀共同正犯の「共謀」については、実行行為が具体的に特定されているのであれば、単に、「共謀の上」と書くだけで十分であるとの見解もあるが、本件では、次のような特有の問題が解決されない限り、被告人・弁護人の側には、防御と弁護の方法がないことになるという点にある。
1、本件の場合、最後に発生した「地下鉄サリン事件」までの多数にのぼる一連の事件がすべてこの事件の背景になりうるのか、「地下鉄サリン事件」は全体の中でどう位置づけられるのかなどの点が明らかにされないと、「共謀」が、いつから始まったのかも不明であり、実行行為の観点から見るだけでは「共謀」を絞り込むことができない。
2、しかも、検察官が、右の「地下鉄サリン事件」について、弁護人らに対し、罪体と被告人との結びつきを示す証拠を全く事前開示していないし、事前開示を求めた弁護人らの請求を拒否し続けてきたために、弁護人らとしては、検察官主張の「共謀」が何を指しているのか、つまり、起訴の対象とされている被告人の具体的行為は何であるのかを未だに認識・理解することができない状況におかれているのである。
3、この検察官手持証拠の事前開示請求は、被告人に有利な証拠であって、検察官が手もとに隠し、法廷にも提出する予定のない証拠を弁護人に関示することを求める場合とは異なり、起訴の対象を把握するために、被告人にとって不利益な証拠であっても開示せよと求めている点で、一般的な証拠開示請求の問題とは性質が違っているのである。
 このため、弁護人らとしては、検察官の主張によれば、被告人が、いつ、どこで、誰と、どのような「謀議」をしたことになっているのか、また、それについては、どのような検察側証拠が用意されているのか、それに対し、被告人の主張とその論拠は一体どうなるのか等、被告人と弁護人らとの打合せにおける最も肝心な問題にメスを入れることもできないまま、公判を迎えるに至ったのである。

四、訴訟手続の歴史と課題について
 これらの点は、本件に特有の問題点の一部にすぎず、その他にも、本件には、戦後五〇年に及ぶ日本の刑事司法がかって経験したことのない新しい幾多の問題点がある。
 それを漫然と放置するならば、すべての問題点が必ずわが国の刑事司法における適正手続の原理と原則を根底から覆していく危険を含んでいるものといわなければならない。
 また、そのような問題の原点をふまえることにより、この裁判を通じて、法廷における長年の慣行についても、当事者主義や適正手続の原理・原則に立ち戻って考え直すべき問題点が洗い出されていくことになると思われる。
 したがって、この法廷の基本的な責務は、本件訴訟手続上のあらゆる問題点について、たえず、適正手続と公正裁判の原理・原則に立ち戻りながら、具体的な状況に即応して、適切・妥当な訴訟進行を図ることにある。
 弁護人らは、以上の立場から、社会的予断に対しては冷静に対応し、適正な訴訟手続と公正な裁判を実現していくために、総力を結集し、全力を尽くす決意であることを申し添えて、弁護人らの意見としたい。





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