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1996年4月25日 冒頭陳述の要旨(麻原彰晃こと松本智津夫)

冒頭陳述の要旨

 殺人・同未遂、殺人・死体損壊、薬事法違反 麻原彰晃こと松本智津夫
     記
第一 被告人の身上・経歴等
 一 被告人は、昭和三〇年三月二日、熊本県八代郡金剛村において、畳職人である父松本●●、母●●●の四男として出生したが、生まれた時から左目がほとんど見えず、右目も弱視であったことから、父親が同三六年四月、熊本県立盲学校の小学部(全寮制)に入学させ、その後、同校中学部、高等部(普通科)、専攻科を経て、同五〇年三月、同校を卒業した。
 被告人は、卒業後、熊本市や鹿児島県姶良郡加治木町で鍼灸・マッサージ師をし、その後、長兄●●から資金援助を受けて上京し、同五二年五月二五日、受験予備校「代々木ゼミナール」に入校したが、そこで同校に通っていた石井知子(当時一八年)と知り合い、同五三年一月七日、同女と結婚し、千葉県船橋市内で、「亜細亜堂」という名称で鍼灸院を開業した。
 その後、被告人は、同市内で薬局を開設したが、同五七年七月一三日、無許可で製造した医薬品を業として販売した薬事法違反の事実により、東京簡易裁判所において、罰金二〇万円に処せられたことなどから、これを閉じた。被告人は、その後、宗教活動を行うようになり、平成元年八月二九日には、宗教法人「オウム真理教」(以下、「教団」という。)を設立して、自らその代表者となり、以後も活動を続けていた。その間、被告人は、同二年二月一八日施行の衆議院議員総選挙に際し、真理党代表者として東京四区から立候補し、教団ぐるみの選挙運動を展開したが、一、七八三票の得票しか得られず、同選挙に落選した。
二 被告人には、妻知子と、同女との間に生まれた二男、四女の六人の子供がいる。
三 被告人には、●●●●●●●●●●●●●、●●●●●●●●●、●●●●●●●●●●●、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。

第二 教団の成立とその組織の概要
一 教団の成立
 被告人は、昭和五九年二月一四日ころ、東京都渋谷区桜ヶ丘●●番地●●において、「オウム神仙の会」と称する宗教サークルを創り、自らその教祖となって宗教活動を開始したが、同六一年一〇月ころ、その本部を同都世田谷区内に移転した後、同六二年七月ころ、その名称を「オウム真理教」と変更し、同六三年八月には、静岡県富士宮市人穴●●●番地●に「富士山総本部道場」を、同年一一月には、東京都江東区亀戸●丁目●●番●号に「東京総本部道場」(現在は、「新東京総本部道場」となっている。)をそれぞれ開設した。
 また、被告人は、大阪市、福岡市、名古屋市、札幌市等に各支部を開設して組織の拡大を図り、右組織を宗教法人化するため、「オウム真理教」の規則を定め、平成元年三月一日、東京都知事に対し、同規則の認証を申請し、同年八月二五日付けで、東京都知事の認証を受けた上、そのころ、主たる事務所を東京都江東区亀戸●丁目●●番●号、従たる事務所を静岡県富士宮市人穴●●●番地●とし、その目的を「主神をシヴァ神として崇拝し、松本智津夫(別名、麻原彰晃)はじめ真にシヴァ神の意志を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事を行い、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目標を達成するために必要な業務を行う」とし、名称を「オウム真理教」とし、代表者を被告人とする宗教法人設立登記申請をなし、同月二九日、その旨の登記がなされて、宗教法人としての教団が成立した。その後、教団は、同三年ころから、山梨県西八代郡上九一色村にサティアンと称する教団施設及びその付属施設を順次建設し、同四年一二月一〇日には、東京都港区南青山●丁目●番●●号に「東京総本部道場」を開設して活動を行った。
 なお、教団の信者数は、昭和六〇年一二月ころ、「オウム神仙の会」当時約一五名にすぎなかったが、同六三年一一月ころには、約三、〇〇〇名となり、その後、全国的に組織が拡大されたことなどにより急増し、平成七年三月には、出家信者数約一、四〇〇名、在家信者数約一万四、〇〇〇名を数えるに至った。
二 教団の組織の概要
 教団は、従前、建設部及び法務部等の部制を採用していたが、平成六年六月ころ、被告人を神聖法皇として組織の頂点に置き、教団が必要とする各種機械、プラント等の製作を担当する科学技術省(大臣村井秀夫)、被告人等の身辺警護及びスパイの摘発等を担当する自治省(大臣新實智光)、教団に関する裁判を担当する法務省(大臣青山吉伸)、教団の謀報活動等を担当するCHS(別名「諜報省」ともいう。大臣井上嘉浩)などのほか、建設省(大臣早川紀代秀)、防衛庁(大臣岐部哲也)、大蔵省(大臣石井久子)、治療省(大臣林郁夫)、厚生省(大臣遠藤誠一)、法皇内庁(大臣中川智正)、東信徒庁(大臣飯田エリ子)、郵政省(大臣松本知子)等の合計二二の省庁を設け、各省庁に大臣及び次官等を置くなど、国の行政機関を模した省庁制度を採用した。なお、厚生省は、同年一二月上旬ころ、第一厚生省(大臣遠藤誠一)及び第二厚生省(大臣土谷正実)に分けられている。

第三 教団における被告人の地位とその権限等
一 教団における被告人の地位と権限
 被告人は、教団内においては、単に教団代表者という立場だけにとどまらず、自らをシヴァ大神の化身であり、唯一最終解脱をなし遂げた者であるとして、「グル」または「尊師」と尊称させ、教団の最高位に君臨した。そして、自ら制定した教義によって信者を強く指導することはもとより、出家信者に対しては、「オウム真理教のすべての戒律を守り、解脱及び救済活動に全精力を注ぐことを義務とし、シヴァ大神及び麻原尊師に生涯にわたって、心身及び自己の財産を委ね、現世における一切の関わりを断つこと」を要求した。また、出家信者を、順次、正大師、正悟師、菩師長、菩師等の位(ステージ)に格付けし、自ら適宜尊師通達と称する戒律を発して信者にこれを厳守させ、信者が右戒律に違反した場合には、その者に対し降位及び独房修行等の制裁を加えるなどして全ての信者を支配し、教団の資金の支出等についても、一〇万円を超えるものについては自ら決裁するなど、教団運営全般にわたり、強力かつ絶大な権限を有していた。
二 被告人の特殊な教義による殺人行為の容認
 被告人は、昭和六二年一月四日に行われた丹沢集中セミナーにおける教団の信者らに対する説法において、「チベット密教というのはねえ、非常に荒っぽい宗教で、例えばミラレパが教えを乞うた先生の一人にね、『お前はあの盗賊を殺してこい。』と。やっぱり殺しているからね。そして、このミラレパは、その功徳によって修行を進めているんだよ。私も過去世において、グルの命令によって人を殺しているからね。グルがそれを殺せというときは、例えば相手はもう死ぬ時期にきている。そして、弟子に殺させることによって、その相手を『ポア』させるというね、一番いい時期に殺させるわけだね。」などと述べ、その後も、教団の信者らに対する説法において、「ヴァジラヤーナの教え」と称し、「結果のためには手段を選ぶ必要がない。例えば、ここに悪業を積み、寿命が尽きるころには地獄に落ちるほどの悪業を積んで死んでしまうと思われる人がいたとして、成就者が生命を絶たせた方がいいんだと考えて『ポア』させたという事実は、人間界の客観的な見方からすれば単なる殺人であるが、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派な『ポア』であり、知恵ある人が見たら、殺された人、殺した人、ともに利益を得たと見る。」などと述べ、教義を実践するために被告人が必要と認めれば、人を殺害することも正当な行為であると説き、これを「ポア」と称していた。
 かかる被告人の特殊な教義による殺人行為を容認する対象は、当初は、専ら教団に敵対する者に向けられていたが、その後、そのような者ばかりでなく、「真理を妨害することによって得たお金で養われていることも悪業だ。」として敵対する者の家族にも向けられ、さらに、平成二年四月ころからは、現代人は、すべて悪業を積み重ねているのだから、これを被告人が「ポア」することにより魂を救うことができるとして一般人もその対象に組み入れられ、一般人に対する無差別大量殺人も容認するようになった。

第四 落田耕太郎に対するリンチ殺人事件について
(略)

第五 薬事法違反事件について
(略)

第六 地下鉄サリン殺人等事件について
一 犯行に至る経緯等
1 犯行の動機
 被告人は、新實らに指示し、平成六年六月二七日、長野県松本市内で、サリンを霧状に噴出させる方法で住民多数を殺傷させたいわゆる松本サリン事件を起こしたが、同七年一月一日、同日付けの読売新聞に、「山梨県の上九一色村で、昨年七月悪臭騒ぎがあり、臭いの発生源とみられる一帯の土壌等を鑑定した結果、サリンを生成した際の残留物質である有機リン系化合物が検出され、この化合物は、松本サリン事件の際にも、現場から検出されていたことから、警察では、サリン生成に使う薬品の購入ルートを中心に、捜査を急いでいる」旨の記事が掲載されていることを聞知し、同事件が教団により起こされた事件であることの発覚を恐れ、教団施設に対する警察の捜索に備えて、教団がサリンを生成していたという証拠を残さないようにするため、そのころ、村井を介して、同事件後も、残存サリンを保管していた土谷に対し、残存サリン全部を処分するよう指示し、土谷及び中川をして、クシティガルバ棟で、残存サリン全部を加水分解するなどして処分させた。
 その後、被告人は、井上らに指示して、同年二月二八日、目黒公証役場事務長假谷清志を拉致して監禁し、死亡させる事件を起こしたが、同事件は、犯行直後、警察に発覚し、警視庁大崎警察署の捜査員から、青山吉伸(以下、「青山」という。)又は●●●●●●(以下、「●●●」という。)に対し、右事件のことで事情を聴取したい旨の連絡があったことから、教団では、直ちに青山らがその対応を検討し、取りあえず同人が付き添って●●●を警察に出頭させ、教団が同事件に関与していない旨嘘の供述をさせた。
 しかし、同年三月四日以降各新聞紙上に、「犯人は新興宗教の者である」とか、「右假谷と教団関係者との関係」とか、「容疑者の使用したレンタカーが判明して同車が警察に押収された」などの記事が掲載され、その後、新聞、週刊誌等で同事件に教団が絡んでいるとの報道が大々的になされ、一部週刊誌には、近く教団に対する警察の強制捜査が行われる旨の記事が掲載されるに至った。
2 被告人らの共謀状況等
 かかる状況から、被告人は、近く、警察の教団に対する大規模な強制捜査が実施されるという危機感を抱き、平成七年三月一八日未明ころ、教団幹部の会合から帰途の車中で、村井及び青山らに対し、警察の強制捜査の可能性につき意見を求めたところ、同人らは、強制捜査の可能性が高い旨意見を述べた。
 そこで、被告人は、首都中心部を大混乱に陥れるような無差別テロを敢行することにより右強制捜査の実施を事実上不可能にすることが、警察組織に打撃を与えるとともに、被告人の前記の特殊な教義にも合致すると考え、松本サリン事件でその効果を実験済みであったサリンを地下鉄列車内で撒き、多数の乗客らを殺害することを決意し、村井に対し、「お前が総指揮でやれ。」などと、本件犯行計画を具体化して実行するよう命じ、同人は被告人の右命令を了解した。なお、サリンは、人の神経の信号伝達機構を破壊して死に至らせる神経剤であり、その性状は、常温で無色無臭の液体であるが、揮発性があり、その毒性は、無防備の人が一立方メートルあたり一〇〇ミリグラムの濃度のサリンが存在する大気中に一分間さらされるとその半数が死亡すると言われているもので、殺傷力が極めて高い毒物である。
 そこで、村井は、直ちに、地下鉄内で実際にサリンを撤く実行者(以下、「実行者」という。)として、教団幹部の中から、科学技術省次官の林泰男、同廣瀬健一(以下、「廣瀬」という。)、同横山真人(以下、「横山」という。)、同豊田亨(以下、「豊田」という。)の四名を選定し、被告人にその了解を得たが、その際、被告人は、その実行者に治療省大臣の林郁夫を加えるよう指示した。
 そして、被告人は、前記のとおり、当時教団に残っていたサリン全部を土谷らに処分させていたため、本件犯行に使用するサリンを新たに生成させなければならないと考え、直ちに、同車中で、遠藤に、新たにサリンを生成することが可能であることを確かめた上、そのころ、同人に対し、本件犯行計画に使用するサリンを生成するよう命じ、同人は、被告人の右命令を了解した。
3 遠藤らによる本件サリン生成等
(一) サリン生成における中川、土谷の関与等
 村井は、土谷及び中川らに命じて、平成五年一一月ころから同六年二月ころまでの間、三回にわたり、サリンを生成させたことがあり、前記のとおり、同七年一月ころ、土谷らが残存サリンを処分したが、その際、サリンの中間生成物であるメチルホスホン酸ジフロライド(以下「ジフロ」という。)約一・四キログラムが処分されず、中川が隠して保管していることを知っていたので、同年三月一八日ころ、中川に対し、同人が保管しているジフロを遠藤のところに持って行き、それを使って同人と共に早急にサリンを生成するよう指示した。
 遠藤は、中川からジフロを受け取り、その後、土谷から、ヘキサンを溶媒とし、N、N−ジエチルアニリン(以下、「ジエチルアニリン」という。)を反応促進剤として用い、ジフロとイソプロピルアルコールを反応させる方法でのサリン生成方法を教示されたが、同月一九日、まだサリンを生成していなかったところ、被告人から、第六サティアンの自室で、「早くやれ。今日中に作れ。」と命じられ、サリンの早期生成を決意した。
 そこで、遠藤は、中川と共に、三ツ口フラスコ、オイルバス等のサリン生成に必要な器具を準備してこれをジーヴァカ棟内の実験室に設置した上、サリン生成に用いるヘキサン、ジエチルアニリン、イソプロピルアルコール等の薬品を土谷に用意してもらい、これらをクシティガルバ棟からジーヴァカ棟へ運び込んだ。
 そして、遠藤及び中川は、ドラフトと称する強制排気装置を設置したジーヴァカ棟内の実験室において、サリン中毒にならないよう、頭からビニール袋をかぶり、その中に酸素ボンベの酸素を引き込んで、これを吸いながら、土谷の指導の下、同人が本件サリン生成に必要な各物質の数量を計算し、その内容を記載したメモに基づき、三ツ口フラスコ内にヘキサン、ジエチルアニリン及びジフロを入れ、反応させる温度を調節するとともに、田下聖児に手伝わせてイソプロピルアルコールをそれに滴下するなどして、同日夜、約三〇パーセントのサリンを含有する六ないし七リットルのサリンの混合液を生成した。同液体は、ヘキサン、ジエチルアニリンを含み、透明な部分と薄茶色の部分の二層に分かれていたが、土谷が遠藤の依頼で分析したところ、いずれの層にも生成されたサリンが含まれていることが確認された。
(二) 被告人に対するサリン生成結果の報告と被告人の指示
 遠藤は、生成した液体にサリンのほかへキサン、ジエチルアニリンの不純物が含まれていたことから、そこからサリンだけを分留しようと考え、土谷に対し、これに要する時間を尋ねたところ、半日から一日は必要であると言われたため、その日のうちに分留することは不可能であると判断し、被告人の指示を仰ぐこととした。遠藤は、第六サティアンの被告人の部屋へ行き、被告人に対し、「できました。ただし、まだ純粋な形になっておらず、混合物です。」と言って、生成したサリンが混合液の状態である旨報告するとともに被告人の指示を仰いだところ、被告人は、遠藤に対し、「いいよ、それで。」と言って、サリンを分留せず、混合液の状態のままで本件犯行に使用することを了承した。
(三) サリン注入とその引渡等
 村井は、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺九二五番地の二所在の第七サティアンと称する教団施設(以下、「第七サティアン」という。)において、中川に対し、かねて教団が特注により業者から購入していた横約五〇センチメートル、縦約七〇センチメートルの大きさのナイロン・ポリエチレン袋(以下、「ナイロン袋」という。)をサリンを入れる容器として渡し、中川は、これを受け取ってジーヴァカ棟に運び、遠藤に対し、村井の右指示を伝えた。  遠藤は、同所において、中川と共に、これをサリンの袋詰め用に使うため、約二〇センチメートル四方の大きさに切り取った上、シーラーと称する圧着機を用い、開放している部分を圧着して袋を作り、さらに、一方の角の部分を一部切り取って注入口を開け、そこから給油ポンプを用いて、サリンの混合液約六〇〇グラムずつを入れ、その後、その注入口の部分をシーラーで密封してサリンの入った袋一一袋を作り、さらに、運搬途中で、袋が破損したりして中のサリンが漏出しないようにするため、これらを約二五センチメートル四方の大きさに切り取って作ったナイロン袋に入れて二重袋にした。遠藤は、これらのサリンが入ったナイロン袋一一袋を段ボール箱に入れて第七サティアンヘ持参し、村井に渡した。
 その後、遠藤は、村井の指示を受けて、サリンの袋詰めに使用したものと同じナイロン袋に水を入れたものを五袋くらい作り、これを第七サティアンヘ持って行き、村井に渡した。
4 村井の部屋における犯行の謀議等
 一方、村井は、平成七年三月一八日早朝ころ、第六サティアン三階の自室において、井上に対し、地下鉄内でサリンを撒くという本件犯行の実行者らを支援して右犯行を成功させるよう指示し、また、そのころ、同室において、林泰男、廣瀬、横山、豊田及び林郁夫の五名に対し、警察の強制捜査の目先を変えるために、同月二〇日の朝、東京都内の地下鉄の列車内にサリンを撤くことを指示し、林泰男らは、いずれもその実行意思を明らかにした。
 その際、村井は、地下鉄の列車内でサリンを撤く具体的方法について、サリンをヨーグルトなどの容器に入れ、その蓋を開けてサリンを車内にこぼすというのが被告人のアイデアであるなどと述べて、本件犯行が被告人の指示によるものであることを示唆したが、その時点では具体的方法までは決まっておらず、林泰男ら実行者にもさらに良い方法がないか考えるよう指示した。
 その後、廣瀬及び横山は、静岡県富士宮市内の書店及びホームセンター等において、東京都内の地下鉄の路線等が掲載された地図ガイド及びサリンの携帯容器として使えそうな容器などを購入し、第六サティアンに持ち帰った。
 村井、林泰男、廣瀬、横山及び井上は、同月一八日午後三時ころ、村井の前記自室に集まり、同室において、廣瀬らが購入した前記地下鉄の路線図、井上が持参した東京都内地下鉄の各駅の状況を詳しく記載した「地下鉄最新ガイドマップ」及び各駅の乗降客数等が記載されている「新東京圏通勤電車事情大研究」を見ながら、サリンを撤く地下鉄の路線及び駅はどこが適当かを検討した。そして、村井は、林泰男らに対し、「警視庁に近い出口はどこだろう。どうせやるんだったら、警視庁に近い方がいい。」などと言い、警視庁に近い場所にある地下鉄霞ヶ関駅を走行する帝都高速度交通営団日比谷線(以下、「地下鉄日比谷線」という。)、同営団丸ノ内線(以下、「地下鉄丸ノ内線」という。)及び同営団千代田線(以下、「地下鉄千代田線」という。)の三つの路線にサリンを撤くことを指示するとともに、乗客が多いラッシュ時に実行するということで、同月二〇日の午前八時に各路線で一斉にサリンを撒くことを指示した。さらに、村井は、林泰男らに対し、各路線の霞ヶ関駅での警視庁側出入口の位置、方向等を確認させた上、進行する列車の何両目にサリンを撒くのがよいのかも検討させた。
 その際、村井らは、サリンをどのような容器に入れて地下鉄の列車内に持ち込んで撒くかという具体的な方法についても話し合ったが、それは決定するに至らず、同人がサリンを準備するまでの間、更にそれを検討することになった。
 その後、村井は、各実行者を犯行現場まで自動車で送迎するなどの支援をする者(以下、「運転者」という。)として、自治省大臣の新實、同省次官の杉本、同北村、同外崎清隆(以下、「外崎」という。)及び井上が大臣をしているCHS所属の高橋克也(以下、「高橋」という。)の五名を選定した上、実行者と運転者の組み合わせも決め、井上にそれを伝えるとともに、自らもしくは井上らを介して、実行者及び運転者らに東京に行くよう指示した。 5 東京集結と犯行現場の下見等
(一)杉並アジト集結と犯行準備等
 林泰男、廣瀬、横山、豊田及び杉本は、平成七年三月一九日午前九時ころ、普通乗用自動車二台に分乗して第六サティアンを出発し、まず、井上らがアジトとして使用していた東京都杉並区今川●丁目●●番●号●●●●方(以下、「杉並アジト」という。)に立ち寄った。その後、林泰男らは、同日午後零時過ぎころ、右自動車二台に分乗して新宿に行き、タイ料理店で食事後、新宿区内のデパートなどにおいて、犯行時に使用するメガネ、かつら、コート、スラックス、ショルダーバック等を購入するなどして、再び杉並アジトに戻った。
 その後、井上が杉並アジトに立ち寄った際、井上は、林泰男らに対し、村井からの指示で、犯行時に実行者を送迎する自動車の運転者が、新實、杉本、北村、外崎及び高橋の五名になったことを伝えるとともに、同日午後八時ころに、同都渋谷区宇田川町●丁目●●番●●●●●●●●●号室(以下、「渋谷アジト」という。)に集合するよう指示した。 また、井上は、同所で合流した高橋に対し、本件犯行計画を打ち明け、その運転者をするように指示した。
 その後、渋谷アジトには、同日午後八時ころ、林泰男、廣瀬、横山、豊田、杉本、高橋、新實、北村及び外崎の九名が到着し、井上は、杉並アジトで林泰男らと分かれた後、教団の在家信者に電話して、本件犯行に使用する普通乗用自動車三台の借用方を申し込み、その承諾を得た上、同日午後九時ころ、渋谷アジトに到着し、林郁夫は、第六サティアンでの松本剛らに対する指紋消去手術が長引いたため出発が遅れたものの、実行者らがサリンを吸入した場合に備え、その治療薬として硫酸アトロピン、パム等の薬液や注射器等を携帯し、同日午後九時三〇分ころ、渋谷アジトに到着した。 (二)渋谷アジトでの謀議
 渋谷アジトに集合した井上、林泰男、廣瀬、横山、豊田、林郁夫、新實、北村、外崎、杉本及び高橋の一一名は、井上主導の下で、それぞれの実行者が担当する地下鉄の路線を決めるとともに、井上は、林泰男らに対し、村井が決めた実行者と運転者の組み合わせを伝え、さらに、犯行の実行に当たっての細かい注意事項を指示した。すなわち、地下鉄日比谷線の中目黒方面行の路線は、林泰男と杉本が、地下鉄日比谷線の北千住方面行の路線は、豊田と高橋が、地下鉄丸ノ内線の荻窪方面行の路線は、廣瀬と北村が、地下鉄千代田線の代々木上原方面行の路線は、林郁夫と新實が、地下鉄丸ノ内線の池袋方面行の路線は、横山と外崎が担当すること、サリンを撒く時刻は平成七年三月二〇日午前八時とすること、サリンは降車の直前に車内で撒くこと、乗車駅と降車駅が距離的に離れている場合には、運転者が交通渋滞に巻き込まれ、予定時刻までに待ち合わせ場所に到着できないこともあるので、そのような場合を考慮し、当日は午前六時ころには、渋谷アジトを出発すること、実行者の降車駅は、林泰男が秋葉原駅、豊田が恵比寿駅、廣瀬が御茶ノ水駅、林郁夫が新御茶ノ水駅、横山が四ツ谷駅であること及び何か問題が起こった場合には、井上の携帯電話に架電することなどを確認させた。
 その後、実行者らは、井上の持参した前記「地下鉄最新ガイドマップ」を拡げ、地下鉄霞ヶ関駅構内の日比谷線、丸ノ内線及び千代田線の各ホームの位置等を確認し、それを踏まえてサリンを撒く列車の車両の位置をどこにするかを確かめた。
 しかし、この時点でも、まだ、サリンをどのような容器に入れて地下鉄の列車内に持ち込んで揃くかという具体的な方法は、決まっていなかった。
(三)犯行現場の下見及び犯行車両の詞達
 実行者及び運転者らは、平成七年三月一九日午後一〇時ころ、普通乗用自動車数台に分乗して渋谷アジトを出発し、それぞれが担当する地下鉄の路線の犯行場所である降車駅に行き、実際に地下鉄の列車に乗車するなどして犯行現場の下見をし、また、犯行直後の降車駅付近の待機場所を決めたりした後、渋谷アジトに戻った。
 本件犯行の際に必要な自動車の台数は五台であるが、そのうち三台については、井上が、前記のとおり在家信者から調達できる手はずになっていたため、井上は、残りの二台の調達を新實らと相談し、山梨ナンバーでない自動車がよいとの考えで、出家信者に依頼して、二台の普通乗用自動車を渋谷アジトに運ばせた。
 井上は、高橋、北村、外崎及び杉本の四人に指示して、井上が在家信者に調達方を依頼していた普通乗用自動車三台を引き取りに行かせた後、上九一色村に向かった。
 高橋らは、井上の指示どおり、同月二〇日午前零時ころ、東京都新宿区内で、在家信者から普通乗用自動車三台を引き取り、これを渋谷アジト付近の地下駐車場等に駐車させた。
6 犯行方法の予行演習とサリンの交付
 実行者らが、渋谷アジトで、犯行当日に着用するズボンの裾上げをするなど犯行準備をしていたところ、平成七年三月二〇日午前一時三〇分ころ、村井から林泰男に電話があり、村井は、林泰男に対し、サリンの用意ができ、それを渡すので第七サティアンまでそれを受け取りに来るように、また、その際、サリンの具体的な撒き方を教示するので、実行者全員が一旦戻ってくるよう指示した。
 林泰男は、直ちに、豊田ら実行者四名に対し、村井の右指示を伝えるとともに、杉本、外崎に運転を頼み、普通乗用自動車二台に分乗して渋谷アジトを出発し、中央自動車道を高速で走行し、河口湖インターチェンジで同道路から降り、途中、ガソリンスタンドで給油した後、同日午前三時ころ、第七サティアンに到着し、杉本及び外崎を車内に残し、林泰男ら実行者五名は、第七サティアンの中に入った。
 村井は、遠藤から、前記サリン入りナイロン袋一一袋を受け取った後、林泰男らより一足先に第七サティアンに戻ってきていた井上に対し、サリン入りナイロン袋を突き破るのに使用するため、先が金属製になっている傘を購入してくるよう指示した。そこで、井上は、同日午前二時三〇分ころ、静岡県富士宮市内の●●●●●●●において、ビニール傘七本を購入して第七サティアンに戻り、それを村井に渡すと、同人は、科学技術省次官の滝澤和義に指示して、傘の先端部の金具部分をグラインダーで削らせて、先を尖らせた。 村井は、同日午前三時ころ、第七サティアン一階において、井上の立ち会いの下で、戻ってきた林泰男ら五名の実行者に対し、傘の先でサリン入りナイロン袋を突き破ってサリンを袋内から漏出・気化させる方法を採るが、ナイロン袋が二重袋になっているので、地下鉄の列車内にこれを持ち込む際には、事前に、突き破り易いように外側のナイロン袋を取り除いておくこと、サリン入りナイロン袋を傘の先で突く際には、予めそれを列車内の床に置いておき、外側から傘の先でそれを数回突き剌してサリンがナイロン袋内から漏出し易いようにしてから、すぐに列車内から降りて逃走すること、傘の先に付着したサリンを水で洗い流すこと、傘には指紋が付いているので持ち帰ることなど地下鉄列車内にサリンを撒く具体的方法及びその際の注意事項等を指示した。
 そこに、遠藤が、村井の指示で作った水が入ったナイロン袋五袋を持ってきたので、村井は、林泰男ら実行者に対し、その袋を傘の先で突き剌し、犯行の予行演習をするよう指示した。林泰男らは、水が入ったナイロン袋をサリン入りの袋に見立てて、それを先が尖った傘の先で突き剌したが、その際、サリン入りナイロン袋を裸のまま列車内の床に置いて、それを傘で突き剌すと他の乗客に不審がられるので、犯行時はナイロン袋を新聞紙で包んだほうがよいという意見も出たので、水が入ったナイロン袋を新聞紙で包み、これを同様に傘の先で突き剌したが、そのようにしてもナイロン袋を突き破ることに別段支障は生じなかった。
 その後、村井は、本件犯行に使用するサリンの入った袋が一一袋あるので、実行者一名につき二袋ずつだと一袋余ることから、林泰男らに対し、「袋は全部で一一袋ある。一人だけ三袋になる。誰がやってくれるか」と言い、ナイロン袋三袋のサリンを撒いてくれる者を募ったところ、林泰男が、それを申し出たので、同人がナイロン袋三袋のサリンを撒き、他の四人が二袋ずつサリンを撒くことに決まった。そして、林泰男ら実行者が、村井から、サリン入りナイロン袋一一袋及びビニール傘約五本を受け取り、サリン入りナイロン袋一一袋については、豊田のショルダーバック内にしまった。
 また、村井は、遠藤に指示して持ってこさせたサリン中毒の予防薬であるメスチノン錠剤各一錠を、同人に指示して林泰男ら実行者に配布させ、その際、遠藤において、林泰男ら実行者に対し、それを犯行の二時間前に服用するよう指示した。
 最後に、村井は、東京に戻る林泰男らに対し、河口湖インターチェンジの管理人から上京する実行者を目撃されないようにという被告人の指示があったことを伝え、そのため、林泰男らは、普通乗用自動車二台に分乗して第七サティアンを出発し、同インターチェンジから中央自動車道に入ることをやめ、一般道路をしばらく走行し、途中、●●●●●●●●で、指紋の付着を防ぐため着用する綿の軍手及びドライブ用手袋計五双を購入した上、東京寄りの大月インターチェンジから中央自動車道に入り、同日午前五時過ぎころ、渋谷アジトに戻った。
7 犯行直前の準備
 渋谷アジトに戻った林泰男らは、豊田が運んできた一一袋のサリンの入ったナイロン袋を、第七サティアンで決まった割合で、それぞれ実行者に分配し、さらに犯行に使用するビニール傘も一本ずつ分け、また、先に遠藤から渡されたサリン中毒の予防薬を服用したほか、林郁夫を除く四名は、それぞれ新宿で購入した衣服に着替えたり、変装したりした。
 林郁夫は、他の実行者らに対し、サリンの被害をこうむった場合に注射するようにと、サリン中毒の治療薬の硫酸アトロピン二アンプル分(二ミリリットル)を吸入した注射器を一本ずつ渡した。
 このように準備をした後、林泰男ら実行者と運転者は、本件犯行を実行するため、平成七年三月二〇日午前六時前後ころ、それぞれ、サリン入りナイロン袋及びビニール傘等を携帯し、普通乗用自動車に乗って、渋谷アジトを出発した。
二 犯行状況
1 地下鉄日比谷線北千住発中目黒行列車関係
 林泰男は、平成七年三月二〇日午前六時ころ、杉本運転の普通乗用自動車に乗車して地下鉄日比谷線上野駅に向かったが、途中、林泰男から頼まれた杉本が、東京都新宿区内の●●●●●●●●などで、同日付けの読売新聞等の新聞を二部、ミネラルウォーターの入ったペットボトル、手袋、ゴミ袋及びハサミ等を購入し、その後、林泰男は、上野駅に至るまでの間に、停車させた同車内において、紙袋の中からサリンの入ったナイロン袋三袋を取り出し、内袋からサリンが漏れていないものについては、外袋をハサミで切って取り除いた上、サリンの入った袋三袋を重ね、それを読売新聞の新聞紙で包むなどした。
 林泰男は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線上野駅出入口付近で杉本運転の右自動車から降り、サリン入りナイロン袋三袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅に入り、その後、杉本は、同車を運転し、途中時間潰しをしてから、同日午前七時五〇分ころ、林泰男との待ち合わせ場所である秋葉原駅付近に到着し、同車を停車させて同人を待った。
 林泰男は、北千住駅午前七時四六分発八両絹成の中目黒行A七二〇S列車に乗車し、同日午前八時ころ、秋葉原駅に到着するまでの間に、同列車の第三車両の床に、サリン入りナイロン袋三袋を入れた新聞包みを置いた上、それを所携のビニール傘の先で多数回突き剌して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行した。 林泰男は、本件犯行後、直ちに秋葉原駅で降車し、杉本の待機している右自動車に戻り、同所で、同人からミネラルウォーターを受け取って、車外でそれをビニール傘の先にかけてサリンを洗い流した上、傘をゴミ袋の中に入れてから同車に乗り込み、同人と共に、同日午前八時三〇分ころ、渋谷アジトに戻った。
2 地下鉄日比谷線中目黒発東武動物公園行列車関係
 豊田は、同日午前六時三〇分ころ、高橋運転の普通乗用自動車に乗車して地下鉄日比谷線中目黒駅に向かったが、途中、コンビニエンスストアーで報知新聞を一部購入した上、住宅街の路上に同車を停車させ、同車後部座席で、ショルダーバック内からサリン入りナイロン袋二袋を取り出し、その外袋をハサミで切って取り除き、内袋を取り出してこれを重ね、それを報知新聞の新聞紙で包んだ。
 豊田は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線中目黒駅前で高橋運転の右自動車から降り、サリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅周辺で時間潰しをし、同日午前七時三〇分ころ、同駅構内に入り、数台の列車をやり過ごした後、マスクを付け、中目黒駅午前七時五九分発八両編成の東武動物公園行B七一一T列車の第一車両に乗車した。
 同列車は、始発駅ながら乗客が座席に座りきれない程混んでいたが、豊田は、第一車両のドア付近の座席に座り、同列車が同駅を発車すると、間もなく、ショルダーバックを自已の足下付近の床に置き、その中からサリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包みを取り出して、これを自已の足下に置いて本件犯行を用意し、同日午前八時一分ころ、同列車が恵比寿駅に入って停車する直前に、これを所携のビニール傘の先で数回突き剌して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行した。
 豊田は、同駅で同列車から降り、同駅を出て高橋との待ち合わせ場所に行き、同人運転の右自動車に乗り込んで、渋谷アジトに向かったが、途中、豊田が、同車内で、犯行時使用した傘と靴をゴミ袋に入れるなどしたところ、高橋がサリン中毒の症状を呈したため、同車の窓ガラスを開放し、急ぎ渋谷アジトに戻った。
3 地下鉄丸ノ内線池袋発荻窪行列車関係
 廣瀬は、同日午前六時ころ、北村運転の普通乗用自動車に乗車して渋谷アジトを出発し、途中、コンビニエンスストアーで、ミネラルウオーターを購入した後、東日本旅客鉄道株式会社(以下、「JR」という。)四ツ谷駅前で同車を降り、同駅から中央線でJR新宿駅に出てから埼京線に乗り換え、同日午前七時過ぎころ、JR池袋駅に到着し、同駅付近で時間潰しをした後、同駅楕内の男性用トイレで、手袋をはめて、ショルダーバック内からサリン入りナイロン袋二袋を取り出し、外側のナイロン袋をカッターナイフで破って取り外し、同駅地下売店で購入したスポーツ新聞の新聞紙でそれを包んでショルダーバック内にしまった。
 廣瀬は、同日午前七時四〇分ころ、地下鉄丸ノ内線池袋駅に入り、同駅午前七時四七分発六両編成の荻窪行A七七七列車の第二車両に乗車し、その後、ショルダーバック内からサリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包みを取りだそうとしたが、付近にいた乗客に不審に思われたと感じたため、同列車が茗荷谷駅または後楽園駅で停車した際に、第二車両から第三車両に乗り移った。
 そして、廣瀬は、混雑している第三車両内で出入口ドアに向かって立ち、ショルダーバック内から新聞紙に包まれた状態のサリン入りナイロン袋を取り出そうとしたところ、そのナイロン袋を包んでいた新聞紙が外れてしまい、そのためショルダーバック内から取り出したのは、裸のナイロン袋二袋であった。
 そこで、廣瀬は、出入ロドアと体の間の隙間を滑らせるようにしてサリン入りナイロン袋二袋を自己の足下に落下させ、それを少しずつ蹴って近くの座席の方向に移動させ、同日午前七時五九分ころ、同列車が御茶ノ水駅に到着し、同列車の出入口ドアが開き始めた瞬間に、床上にあるそのナイロン袋を数回ずつ所携のビニール傘の先で突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行した。
 廣瀬は、御茶ノ水駅で同列車から降り、北村との待ち合わせ場所に行き、待機していた同人運転の右自動車の後部座席からミネラルウォーターを取り出し、車外でそれを傘の先にかけてサリンを洗い流そうとしたが、その際、舌がこわばり呂律が回らなくなるようなサリン中毒の自覚症状を感じて、あわてて同車に乗り込んだが、右足の大腿部も痙攣を始めたので、林郁夫から事前に受け取っていた硫酸アトロピンを自分で注射した。
 その後、廣瀬は、走行中の右自動車内で、犯行時着用していた手袋、ズボン、靴下等を着替えるなどしたが、サリン中毒の症状が好転しなかったため、北村と附属医院に行ったが、同医院の医師らが林郁夫から本件の事情を聞いていないようだったので、同医院での治療をあきらめて渋谷アジトに戻った。
4 地下鉄千代田線我孫子発代々木上原行列車関係
 林郁夫は、同日午前六時少し前ころ、新實運転の普通乗用自動車に乗車して、まず、林郁夫の降車駅である地下鉄千代田線新御茶ノ水駅に向かったが、途中、林郁夫が、新宿区内の●●●●で、カッターナイフ、セロテープを購入し、また、新實が、千代田区神田駿河台●丁目●番地●●●●●●●●付近でサリン入りナイロン袋を包むために聖教新聞及び赤旗新聞を各一部入手した。
 どの新聞でサリン入りナイロン袋を包むかを二人で相談した結果、聖教新聞を使用すれば、教団が敵としている創価学会に濡れ衣を着せることになり、それは出来過ぎており、逆にそのようなことをするのは教団しかないということで、教団による犯行と疑われる可能性が高いということになって、そのため赤旗の新聞紙を使うことになった。
 林郁夫は、右自動車をその付近の道路に停車させた上、車内で、手袋をはめ、ショルダーバックの中からサリン入りのナイロン袋二袋を取り出し、外側のナイロン袋をカッターナイフで破って取り外した上、赤旗の新聞紙でそれを包んでショルダーバック内に入れた。
 林郁夫は、その後、地下鉄千代田線千駄木駅前で、新實運転の右自動車から降りて同駅に入り、時間潰しをするため、列車に乗ってなじみのある綾瀬駅まで行き、同駅周辺を歩いた後、同線を使って同駅から北千住駅まで行き、同駅の男子用トイレに入って、手袋、マスクを着けた上、ショルダーバック内からサリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包みを取り出し、それを聖教新聞の新聞紙の間に挟んでショルダーバックの上に載せ、左手でそれを抱えるようにして地下鉄千代田線のホームの上に出た。
 林郁夫は、新御茶ノ水駅までの所要時間を計算し、我孫子駅始発で北千住駅午前七時四八分発一〇両編成の代々木上原行A七二五K列車の第一車両に乗車した。同列車内は乗客の肩と肩がぶつかり、身動きが取れないほど混雑していたが、林郁夫は、同列車が新御茶ノ水駅に近づき、減速を始めた時、新聞紙の間に挟んで持っていたサリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包みを、自分の体の前面で滑らせるようにして足下の床上に落下させて置き、所携のビニール傘の先で、その新聞包みを数回突き剌し、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行したが、穴が開いたナイロン袋は、一袋であった。
 林郁夫は、犯行後、同駅で停車した同列車からすぐ降りて、新實との待ち合わせ場所に行き、同人の運転する右自動車に乗車し、渋谷アジトに向かったが、途中、走行中の同車内で、新實が準備していたミネラルウォーターのペットボトルの中にサリンの付着した傘の先を差し入れて洗った上、ゴミ袋でぺットボトルを包み、着用していた手袋、マスク等を別のゴミ袋に入れた。
5 地下鉄丸ノ内線荻窪発池袋行列車関係
 横山は、同日午前六時ころ、渋谷アジトを出発し、渋谷区内の駐車場から外崎運転の普通乗用自動車に乗って乗車駅である地下鉄丸ノ内線新宿駅に向かい、途中、同人が、渋谷区内の●●●●で、ミネラルウオーター、スポーツ新聞を購入したが、新聞については、横山が、スポーツ新聞より一般紙を希望したため、外崎は、JR新宿駅付近で新聞配達をしていた者から日本経済新聞を一部貰った。
 そして、横山は、外崎に同駅付近の道路に右自動車を駐車させ、同車内で、指紋が付かないように両手に手袋をし、日本経済新聞の新聞紙を拡げ、その上に、ショルダーバック内から取り出したサリン入りナイロン袋二袋を載せ、二重に包装されているナイロン袋の外側の袋をハサミで切り取って外し、そのナイロン袋二袋を新聞紙で包んだ。
 横山は、同日午前七時ころ、JR新宿駅西口付近で、変装用のメガネをかけて外崎運転の右自動車から降り、地下鉄丸ノ内線新宿駅と四ツ谷駅の間の所要時間を確認した後、時間漬しなどし、同日午前七時五五分ころ、地下鉄丸ノ内線新宿駅に入った後、荻窪駅午前七時三九分発六両編成の池袋行B七〇一列車の第五車両に乗車し、同列車が乗客の肩と肩が触れあう程度に混み合っていたので、同車両の出入口付近に立ち、指紋が付かないように白い手袋を着用してショルダーバック内からサリン入りナイロン袋二袋が入った新聞包みを取りだそうと考えたが、白い手袋を着用するとかえって乗客から怪しまれるのではないかと危惧したので、ズボンのポケットから右手でハンカチを取り出し、そのハンカチを左手に持ちかえて、ショルダーバック内からサリン入りナイロン袋二袋が入った新聞包みを取り出した。
 そして、横山は、同列車が四谷三丁目駅を発車した後、手に持っていたその新聞包みを自已の足下付近の床上に落下させて置き、それを足で引き寄せて、自已の両足の間に固定するように置き直し、同列車が四ツ谷駅に進入するため減速を始めたので、同日午前八時一分ころ、両手で持った所携のビニール傘の先で、その新聞包みを真上から数回突き剌して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撤き、本件犯行を実行したが、穴が開いたナイロン袋は、一袋であった。
 横山は、犯行後、四ツ谷駅に到着した同列車からすぐに降り、同駅改札口近くにある男子用トイレで、傘の先に付着しているサリンを洗い流すとともに、変装用のメガネやかつらを外し、外崎との待ち合わせ場所に行き、待機していた同人運転の右自動車に乗り込んだ。
 外崎は、サリンが傘の先に付着していることが気になり、横山にペットボトルの水で傘の先を洗うよう勧め、渋谷アジトに向かう途中に右自動車を道路に停車させて、横山に、後部ドアを開けさせて傘の先や同人の履いていた靴の底を車外に出させ、ペットボトルの水でそれらを洗わせていたところ、自分が急に息苦しくなったので、慌てて同車のドアガラスを全部開けるとともに、同車をその場から発進させ、同日午前八時二四分ころ、同車を前記駐車場に再び駐車させた上、渋谷アジトに戻った。
三 各列車内及び停車駅におけるサリンの漏出・気化並びに同列車の運行状況等
1 地下鉄日比谷線北千住発中目黒行列車関係
 林泰男によって新聞紙(読売新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋三袋が置かれた中目黒行A七二〇S列車は、平成七年三月二〇日午前八時ころ、地下鉄日比谷線秋葉原駅を発車し、同日午前八時二分ころ、小伝馬町駅に到着した。その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第三車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がって剌激臭を発したため、小伝馬町駅到着後、同車両の男性の乗客が、同車両内からサリン入りナイロン袋三袋が入った新聞紙の包みを同駅一番線ホーム上に蹴り出し、それを同ホーム上の支柱付近に寄せたが、同列車が同駅に少し停車している間に、サリン中毒により、同支柱付近の同ホーム上に乗客男女各一名が倒れた。
 漏出して流れ出したサリンが床に付着し、かつ、気化したサリンが第三車両内に漂っている同列車は、同日午前八時三分ころ、小伝馬町駅を発車した後、人形町駅、茅場町駅、八丁堀駅に各停車したが、茅場町駅では、サリン中毒により、男性に掴まりながら全身を痙攣させている女性が第三車両付近のホーム上にいたので、駅員が救急車を要請し、さらに、男性客一名、女性客二名がホームのベンチにうずくまっていたので、駅員らがそれらの者を駅事務室に保護したりした。
 その後、同列車が八丁堀駅を発車してから、間もなく、第三車両内の非常通報ブザーが鳴動したため、同日午前八時一〇分ころ、同列車が築地駅で停車し、出入ロドアを開放したところ、開放と同時に乗客が一斉に一番線ホーム上に飛び出し、サリン中毒により、そのうちホーム上に五名、同車内に三名の乗客が倒れ、さらに体の不調を訴える者が続出した。
 そこで、各救急隊に救急車を要請するとともに、築地駅で同列車の乗客全員を降車させ、同列車の運転を中止した。その後、同日午前八時一四分には、運輸指令所長が、日比谷線全線一斉発車待ちを指示し、同日午前八時四一分には、小伝馬町駅及び築地駅では、旅客及び駅員等全員が駅構内から退去するように運輸指令所長の指令が発せられた。
 この間、三袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約一、八〇〇ミリリットル)が、第三車両内及び小伝馬町駅一番線ホーム上支柱付近に流れ出るとともに気化し、さらに、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
2 地下鉄日比谷線中目黒発東武動物公園行列車関係
 豊田によって新聞紙(報知新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた東武動物公園行B七一一T列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄日比谷線恵比寿駅を発車し、広尾駅、六本木駅に各停車したが、その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第一車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がり、恵比寿駅発車直後には、サリンの影響で、咳き込む乗客が出てきた。その後、同列車は、同日午前八時一一分ころ、神谷町駅に到着したが、同駅到着後、サリン中毒により、第一車両内に数名が倒れており、乗客五、六名が同駅のホーム上に座り込んだので、各救急隊に救急車の要請をするとともに、同車両の旅客を他の車両に移動させたが、それでも、次々と体の異常を訴える乗客が多数出た。
 その後、同列車は、神谷町駅を約七分遅れて、同日午前八時一八分ころ、発車し、同日午前八時二〇分ころ、霞ヶ関駅に到着した後、乗客全員を同列車から降車させ、その運転を中止した。
 そのころまでに、二袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約一、二〇〇ミリリットル)が、第一車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
3 地下鉄丸ノ内線池袋発荻窪行列車関係
 廣瀬によってサリン入りナイロン袋二袋が置かれた荻窪行A七七七列車(折り返し後、池袋行B八七七列車)は、同日午前七時五九分ころ、地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅を出発し、淡路町駅、大手町駅、東京駅、銀座駅、新宿駅等の各駅で停車後、同日午前八時二五分ころ、中野坂上駅に到着し、運転手の引継のため、同駅で約五分間停車した。
 その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第三車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がり、同列車が淡路町駅を発車したころから剌激臭を発するようになった。
 同列車が中野坂上駅に停車した際、同駅駅員が、第三車両内の床に倒れていた男性の乗客一名及び同車両内の座席にぐったりし、口から泡を出すなどして今にも座席から崩れ落ちそうな女性の乗客一名を発見し、各救急隊に救急車を要請するなどして救護措置を取った。
 また、同駅の●●●助役は、同列車の第三車両内の床の上に置かれていた右ナイロン袋二袋を発見し、一つには、中身が入っておらず、他の一つには、サリンの混合液が半分程度入っているのを確認した。そして、右ナイロン袋内からサリンが流れ出ていたことから、これらのナイロン袋を付近にあった新聞紙で包んでこれを同車両内からホーム上に運び出し、次いで、同駅の●●●●助役が、それをビニール袋に入れて同駅事務室に運び込み、その後、中野警察署の警察官にそれを提出した。
 その後、同列車は、同日午前八時三〇分ころ、中野坂上駅を発車し、南阿佐ヶ谷駅等を経て、同日午前八時四〇分ころ、荻窪駅に到着し、同駅では、駅員が、第三車両車内の床の上に流れ出して床面に付着していたサリンをモップで拭いて同車両内の掃除を行った。 その後、同列車は、同日午前八時四三分ころ、荻窪駅から折り返し、南阿佐ヶ谷駅を経て、同日午前八時四七分ころ、新高円寺駅に到着したが、同駅では乗客全員を降車させた上、運転を中止した。
 そのころまでに、二袋のナイロン袋内のサリンの一部(混合液で約九〇〇ミリリットル)が、第三車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅楕内にも漂うなどした。
4 地下鉄千代田線我孫子発代々木上原行列車関係
 林郁夫によって新聞紙(赤旗新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた代々木上原行A七二五K列車は、同日午前八時四分ころ、地下鉄千代田線新御茶ノ水駅を発車し、大手町駅、二重橋前駅、日比谷駅に各停車した後、同日午前八時一二分ころ、霞ヶ関駅に到着したが、その間、新御茶ノ水駅では、第一車両内の床に置かれたサリン入りナイロン袋が入った新聞紙の包みが、乗降の際に、乗客に踏まれ、穴の開いたナイロン袋内からサリンが同車両の床に流出し、それが気化したため、日比谷駅近くになってから、サリンの影響により咳き込む乗客が出てきた。
 霞ヶ関駅では、異物があるという乗客の通報により、同駅の●●●●助役が、第一車両内から、サリン入りナイロン袋が入った新聞紙の包みを白手袋着用の両手で持って、それをホーム上に運び出して置き、さらに、同人は不要の新聞紙を使って、サリンが流れて付着している同車両の床を拭いた後、同人、●●●●助役、●●●●助役の三名が、それらをビニール袋に入れ、その後、同人らが、それらを同駅事務室に運んだ。
 新聞紙に包まれたサリン入りナイロン袋二袋のうち、一つは、穴が開いておらず、その中には約六一五ミリリットルのサリン混合液がそのままの状態で残っていたが、他の一つは、サリン全部が、ナイロン袋内から漏出して第一車両内の床に流れ出すとともに、気化した。
 その後、同列車は、約二分遅れて、同日午前八時一四分ころ、霞ヶ関駅を発車し、同日午前八時一六分ころ、国会議事堂前駅に到着したが、同駅では同列車の乗客全員を降車させて運転を中止し、駅員が、モップを使って第一車両の床を拭いて清掃した。
 その間、一袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約六〇〇ミリリットル)が、第一車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
5 地下鉄丸ノ内線荻窪発池袋行列車関係
 横山によって新聞紙(日本経済新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた池袋行B七〇一列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅を発車し、赤坂見附駅、霞ヶ関駅、大手町駅等に各停車し、同日午前八時三〇分、池袋駅に到着した。その間、同列車が四ツ谷駅を発車してから間もなく、穴の開いた一つのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第五車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに気化して同車両内に広がった。
 その後、同列車は、池袋駅で折り返し運転となり、列車番号が「A八〇一」に変更となって、新宿行の列車として、同日午前八時三二分ころ、池袋駅を発車し、同日午前八時四二分ころ、本郷三丁目駅に到着した。本郷三丁目駅の一つ手前の後楽園駅に同列車が到着した際、乗客から同駅駅員に対し、異臭のある不審物をかたずけるようにとの申し出があり、そのため駅員が、隣の本郷三丁目駅に連絡し、同駅において、●●●●助役が、第五車両(折り返し後は、第二車両となった。)内から、箒とちりとりを使って、サリン入りナイロン袋二袋が入った新聞紙の包みを撤去し、その後、駅員が、同車両内のサリンが付着した床面を新聞紙、布切れ及びモップで拭き取った。
 その際、遺留領置したナイロン袋のうち、一袋は、穴が開いておらず、その中には約六三〇ミリリットルのサリンの混合液がそのまま残っており、また、もう一つのナイロン袋の中には、約五〇ミリリットルのサリンの混合液が残留していた。
 同列車は、同日午前八時四四分ころ、本郷三丁目駅を発車し、東京駅、大手町駅を経て、同日午前九時九分、新宿駅に到着し、その後、同列車は、同駅で、折り返し運転となり、列車番号が「B九〇一」に変更となって、池袋行の列車として、同日午前九時一三分ころ、新宿駅を発車し、同日午前九時二七分ころ、国会議事堂前駅に到着した後、同駅で乗客全員を降車させ、運転を中止した。
 その間、一袋のナイロン袋内のサリンの一部(混合液で約五五〇ミリリットル)が、前記車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
四 被害状況
 本件サリン中毒による地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線の各線における乗客等の被害状況については、その詳細は、公訴事実記載のとおりであるが、前記地下鉄日比谷線中目黒行列車関係では、死亡者七名、受傷者二、四七五名、同線東武動物公園行列車関係では、死亡者一名、受傷者五三二名、前記地下鉄丸ノ内線荻窪行列車関係では、死亡者一名、受傷者三五八名、同線池袋行列車関係では、受傷者二〇〇名、前記地下鉄千代田線代々木上原行列車関係では、死亡者二名、受傷者二三一名の、合計で死亡者一一名、受傷者三、七九六名という多数の死傷者を生じさせている。なお、本件による死亡者及び重篤者の被害状況については、次のとおりである。
1 死亡者関係
 被害者●●●●(当時三三年)は、両親及び弟の四人暮らしで、OA機器販売会社に勤務していた会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して茅場町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅ホームで意識不明の状態に陥り、平成七年三月二〇日午前八時五分ころ、同所において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時二九年)は、妊娠中の妻と二人暮らしの会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して霞ヶ関駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅ホームで意識不明の状態に陥り、一般車両で東京都中央区日本橋兜町八番八号所在の中島クリニックに搬送されたが、同日午前一〇時二分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。なお、妻は、夫が死亡した翌々日の二二日に長女を出産している。
 ●●●●(当時五三年)は、子がおらず、妻と二人暮らしで、塗料会社の部長として勤務していたものであるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に上野駅から乗車して人形町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅から一般車両で同都千代田区神田和泉町一番地所在の三井記念病院に搬送されたが、同年四月一日午後一〇時五二分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●(当時二一年)は、両親及び妹の四人暮らしの会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して茅場町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅から一般車両で同都中央区明石町九番一号所在の聖路加国際病院に搬送されたが、同年四月一六日午後二時一六分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時五〇年)は、都内で一人暮らしをしていた会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に茅場町駅から乗車して中目黒駅まで行く途中で本件被害に遭い、八丁堀駅から九段救急隊により同都新宿区信濃町三五番地所在の慶應義塾大学病院に搬送されたが、同年三月二〇日午前一〇時二〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●(当時四二年)は、妻及び長女の三人暮らしで、建設会社に勤務する会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に茅場町駅から乗車して六本木駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から下谷救急隊により同都渋谷区恵比寿二丁目三四番一〇号所在の東京都立広尾病院に搬送されたが、同月二〇日午前一〇時三〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時六四年)は、一〇年前に妻を病気で亡くし、長男夫婦と暮らしていた会社役員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して神谷町駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から赤坂救急隊により同都千代田区神田駿河台一丁目八番地一三所在の駿河台日本大学病院に搬送されたが、同月二二日午前七時一〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時九二年)は、姪と暮らしながら靴の修理関係の仕事に従事していたものであるが、本件事件当日、地下鉄日比谷線に恵比寿駅から乗車して八丁堀駅近くにある仕事場に赴く途中で本件被害に遭い、同月二〇日午前八時一〇分ころ、神谷町駅構内において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時五四年)は、妻及び長女との三人暮らしで、ゴルフ場経営会社の役員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄丸ノ内線に東京駅から乗車し、京王新線の乗り換え駅である新宿三丁目駅まで行く途中で本件被害に遭い、同駅で降りられない状態になり、中野坂上駅で車両内に倒れているところを発見され、同駅から宮園通救急隊により同都新宿区河田町八番地一号所在の東京女子医科大学病院に搬送されたが、同月二一日午前六時三五分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時五〇年)は、妻、長女、長男及び次男の五人暮らしで、帝都高速度交通営団職員として地下鉄千代田線の霞ヶ関駅に勤務する駅務助役であるが、前記のとおり、同駅で、車両内からサリン入りナイロン袋等を片づけた陪に本件被害に遭い、一般車両により同都千代田区内幸町一丁目三番二号所在の浩邦会日比谷病院に搬送されたが、同月二〇日午前九時二三分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 ●●●●(当時五一年)は、妻、長男及び義母の四人暮らしで、同営団職員として地下鉄千代田線の霞ヶ関駅に勤務する乗務助役であるが、同駅で、サリン入りのナイロン袋等を片づけた際に本件被害に遭い、一般車両により同都千代田区神田駿河台一丁目八番地一三所在の駿河台日本大学病院に搬送されたが、同月二一日午前四時四六分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
2 重篤者関係
 ●●●●(当五一年)は、妻、長女及び長男の四人暮らしで、洋菓子の製造販売会社に勤務する会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して西新橋の勤務先まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から本郷救急隊により日本医科大学病院に、サリン中毒により心肺停止状態で搬送され、心臓マッサージ等の治療を受けて心拍が再開したものの、重篤な脳障害が残り、意識までは回復せず、将来も意識回復の可能性は望めない状態にある。
 ●●●●(当三五年)は、両親と三人暮らしの会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に秋葉原駅から乗車して神谷町駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から月島救急隊により都立墨東病院に、サリン中毒により意識不明の状態で搬送され、医師の治療を受け意識は回復したものの、現在、記銘力障害が残っている状態にある。
 ●●●●(当三一年)は、両親と三人暮らしの会社員であるが、本件事件当日、会社の責任者会議に出席するため、地下鉄丸ノ内線に霞ヶ関駅から乗車して新高円寺駅まで行く途中で本件被害に遭い、中野坂上駅から新宿救急隊により東京医科大学病院に搬送されて治療を受けているが、サリン中毒により重篤な脳障害を受け、現在、口も利けず、身体も動かすことが出来ないいわゆる植物状態にある。
五 犯行後の状況
1 犯行後の実行行為者の行動と罪証隠滅工作等
 林郁夫は、新實と共に渋谷アジトに戻ってきた後、同所に戻ってきた林泰男ら実行者や運転者が、サリン中毒により、縮瞳、呼吸困難などの症状を呈していたことから、林泰男、豊田、横山、廣瀬、北村及び高橋に対し、用意しておいたサリン中毒の治療薬である硫酸アトロピンやパムを注射して治療を行った後、平成七年三月二〇日午前一〇時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転して渋谷アジトを出発したが、途中、息苦しさを感じ、自らもサリン中毒になったことが判ったので、附属医院の看護婦の村上栄子を呼び出し、同人から硫酸アトロピンの注射をしてもらい、その後、同日午後九時ころ、第六サティアンに戻った。
 林泰男、新實及び井上らは、渋谷アジトにおいて、テレビのニュースで本件被害状況が大々的に取り上げられ、都内が大混乱に陥っていることを知り、本件犯行計画が一応成功したことが判った。そこで、林泰男、新實、井上及び杉本は、林泰男ら実行行為者が本件犯行に使用したビニール傘、衣類などを焼却し、罪証隠滅を図ろうと考え、それらをゴミ袋等に詰めたものを自動車に積み込み、二台の自動車に分乗して、多摩川の河川敷に向かい、途中、東京都日野市内の●●●●●●●●●●●において、百円ライターを二個購入し、さらに同都立川市内のガソリンスタンドにおいて、灯油一八リットルを購入した後、同日午後零時三〇分こウ、同都日野市内の多摩川河川敷において、ビニール傘、衣類などに灯油をかけた上、ライターで点火して、これを焼却し、その後、同日午後四時ころ、第六サティアンに戻ったが、横山、廣瀬、豊田、北村及び外崎は、多摩川の河川敷に行かず、一足先に、北村、外崎の運転する普通乗用自動車二台に分乗し、同日午後二時ころ、第六サティアンに戻った。
2 被告人が実行者らから本件犯行の報告を受けた状況等
 横山、廣瀬及び豊田は、第六サティアンに戻ってから、村井から、被告人のところに本件犯行の報告に一緒に行くよう言われ、平成七年三月二〇日午後三時ころ、村井と共に同サティアン一階の被告人の自室に行き、椅子に座っている被告人の前の畳に座った。そして、村井が、被告人に対し、横山ら三人が本件犯行を成功させて帰ってきた旨報告すると、被告人は、横山らに対し、「シヴァ大神にポアされた」と述べ、本件犯行により死亡した者はシヴァ大神にポアされ、高い世界に転生したと伝え、本件犯行が被告人の意思に基づくものであるので、安心するよう述べた。
 新實、林泰男及び杉本は、同日午後四時ころ、第六サティアンに到着後、遠藤から、被告人に本件犯行結果を報告したほうがよいと示唆を受け、その報告をするため、同サティアンの被告人の自室に行き、同室の椅子に座っている被告人の前に座り、それぞれ、自分たちのホーリネームを名乗った上、新實が、本件犯行により死者が発生していることを報告した。すると、被告人は、新實らに対し、「これは、ポアだからな。分かるな。瞑想しなさい。そして、『グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によってよかったね』という詞章を一万回唱えなさい。」と指示した上、新實らの労をねぎらい、新實らにおはぎとジュースを与えた。
 林郁夫は、第六サティアン三階にいたところ、被告人から、自分のもとにくるよう連絡を受けたため、同日午後一一時ころ、同サティアンの被告人の自室に行き、東京から帰って来たことを報告すると、被告人は、林郁夫に対し、「シヴァ大神と全ての真理勝者方にポアされてよかったね。マントラを一、〇〇〇回唱えなさい。」と指示した。
3 被告人の指示による罪証隠滅工作
 被告人は、平成七年三月二一日正午ころ、遠藤を第六サティアンに呼び、同人に対し、サリンのナイロン袋詰めに使用した前記シーラーを、信者向けの糖分の入った粉末飲料であるサットヴァレモンでべとべとにしておくように述べて、シーラーについての罪証隠滅工作を指示し、そのため、遠藤は、部下の小林之生に命じてシーラーの処分をさせた。
4 本件逮捕時における被告人の状態等
 被告人は、本件犯行後、自己に警察による捜査の手が及ぶことを警戒し、自已の所在を判らないようにするため、専用運転手である網信基らに命じて、被告人が乗車してないのに、自己専用車を東京等に移動させたりして偽装工作をした。また、被告人は、その後、第六サティアンの二階の天井裏にある縦三・三五メートル、横一・〇三メートル、高さ五〇センチメートルの広さの隠し部屋に潜み、本件逮捕の際は、右隠し部屋に隠れていたところを警察官に発見され、逮捕された。





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