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以下は、長野県衛生公害研究所『松本市における有毒ガス中毒事故の原因究明に関する報告書』1995年に示されているサリンの説明である。全体的に詳しく書かれているが、治療の観点からのデータはとくに詳しく記されている。



 Sarinとは

1 名称、分子式及び化学構造式(出典1)
・Methylphosphonofluoridic acid 1-methyl-ethyl ester 又は
・Isopropoxymethylphosphoryl-fluoride

410FO2P   

          O
          ‖
(CH32CHO−P−F
          |
          CH3


2 化学的、物理的性状、環境中での挙動(出典1)
・性状………常温では液体
・分子量……140.09
・比重……………1.10(20℃)
・融点………−57℃
・沸点………147℃( 760mmHg、1気圧)
・蒸気圧…………2.86 mmHg(25℃)
・蒸気密度………4.86(空気=1)
・臭い………純粋なものは殆ど臭わないといわれている
・溶解性……水によく溶ける
・分解性(環境中での挙動等)
………水…水中で加水分解を受けるがその速度はpHと温度に影響され,pH4以下又はpH6.5以上では激しく分解する。水温25℃におけるpH区分毎の半減期は次の通り。
        pH4.0〜6.5   237時間
          7.0       75時間
          7.5       24時間
          8.0       7.5時間
          9.0       0.8時間
………土…土壌への吸着性は低く(土壌吸着係数は59)、土壌中では加水分解と蒸散が起きる。初めの5日間で90%は消失する。
………大気…沸点は147℃で常温では液体であるが、蒸気圧が気温25℃で2.9mmHgと比較的揮発性が高いので、乾燥した地表上では蒸気の形で拡散する。25℃で1m3に21.9g気化する。光化学反応によって生じたOHラジカルにより分解する(半減期10日)。水によく溶けるため、雨や雲により大気から除去される。

3 毒性、代謝、治療
 (1)人体への作用メカニズム・毒性(出典1)
 有機燐化合物の一般的な作用機序としては、アセチルコリンエステラーゼ等の神経系酵素の活性部位に不可逆的に結合することによって、アセチルコリンの加水分解を阻害することである。
 サリンは蒸気として肺、目、皮膚から容易に吸収される(皮膚は損傷されない)。
 皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至る。サリン暴露により霊長類及び人ては脳波に頑固な変化を引き起こす。(この2行は出典3)
 吸収後の一般的な症状は、鼻水、胸の圧迫感、視野が狭くなる、よだれを垂らす、過度の発汗、吐き気、嘔吐、けいれん、尿や便の失禁、よろめき、頭痛、ろうばい、ぼんやり、昏睡、ひきつけである。これらの症状の後、呼吸停止、死に至る。短時間の暴露でも致命的で、濃度にも関係するが、1〜10分後あるいは1〜2時間後には死に至る。
 人の致死量は0.01mg/kgで、毒性の強さはシアン化ナトリウム(致死量は3.3〜5mg/kg)の約500倍である(出典2)。また、吸入致死量(濃度)を前記致死量から換算すると(体重60kg、平常時の平均吸入量を15m3/日と仮定して)、1μg/゙(0.16ppm=20℃、1気圧)となる。(この部分の計算は当所)
 (2)代謝(出典1)
 血獎や肝臓の酵素により加水分解され、解毒されるが、中には代謝により毒性が強くなるものもある。代謝産物は、暴露後12〜48時間後に検出される。
 (3)治療(出典3)
 ア 汚染除去:サリンに暴露した皮膚を石鹸と水で3回洗い流す。より効果的にするには、水で10倍に希釈した漂白液、エタノール、又はGreen soap tinctureを使用する。汚染した衣類は分けて危険廃棄物として処分する。暴露された眼は、微温湯で少なくとも15〜20分間洗い流す。軍隊が携帯するタオルには神経剤を分解するアルカリ性クロルアミンとフェノールの混合物が含まれている。
 イ 2次汚染の可能性:皮膚から全てのサリンが除かれれば可能性は低い。
 ウ 初期救助の方法:吸入による被害者を有害な環境から移す。救護者は防護服や適当な呼吸器防具を着ける。必要に応じ患者に人工呼吸器により酸素を供給し、気道の分泌物を吸引除去する。
 エ 対症療法:通常の抗けいれん剤を投与する。Diazepamが効果的である。心電図をモニターし、酸素供給、挿管、人工呼吸により呼吸を維持する。気管支けいれん処置のため、Atropine単独で効果がないときはSympathospasmを吸入させるか、Theophyllineを静脈注射する。通常の抗不整脈剤を投与し心拍と血圧を維持する。
 (4)解毒剤
 ア Atropineはムスカリン様作用には初期では有効であるが、ニコチン様作用(nicotinic effect)には無効である。DIAGNOSTIC DOSEは、大人1mg、子供0.25mg(約0.01mg/kg)を静脈注射又は筋肉注射する。治療投与量は、大人2-5mg、子供0.05mg/kgをゆっくりと静脈注射する。繰返し投与はAtropine飽和の達成と維持(肺分泌物の乾燥)を目安に10〜30分毎に行う。持続投与は当初は0.02〜0.08mg/kg/hr。重い副作用は高温環境時に起きやすいので注意する。
 イ Pralidoxime (Protopam,2-PAM)とその塩化物(US):mesylate(P2S)(UK):methylsulphate(フランス、イタリア)
 ニコチン様作用を伴う重症の有機燐中毒、あるいは中枢神経系症状がある場合には、Pralidoximeにより治療する。大人は1〜2gを0.5g/minの速さで静脈注射するか、 250mlの生理食塩水に混合して30分以上かけて点滴する。子供は25〜50mgを5%の割合に生理食塩水で希釈し、 5〜30分かけて点滴する。投与間隔は最初の投与から1時間後に投与し、その後もし必要なら 6〜12時間毎に繰返し投与する。大人の患者に対しては、1回投与より500mg/hrの持続点滴の方が有効である。Pralidoximeの最大投与量は、大人に対し12g/24hrである。
 ウ ObidoximeDichlorideは、Pralidoximeより毒性が少なく、より効力が強い誘導体である。250mgを筋肉注射又は静脈注射する。その後2時間毎に250mgの注射または35mg/hrの持続点滴が必要である。
 エ HI−6はOximeの代替品であり、VXによるアセチルコリンエステラーゼの再生産に効果的でサリンに対し有効である。
 オ 自動注入器:アメリカ軍は、戦場で神経剤中毒の初期に自己又は仲間の治療として補助的に使用するため、Atropine(2mg)3個とPralidoxime chloride(600mg)3個の自動注入器を携帯する。また、単Diazepam自動注入器も携帯し、Atropine注入後の発作を防ぐため使用する。
 カ 予防的解毒剤:Pyridostigmin bromideの8時間毎30mgの使用は、アセチルコリンエステラーゼの30%と可逆的に結合することにより、また神経剤との不可逆的な有機リン結合を防ぐことにより、神経剤(特にソマン)に対しある程度保護できる。この投与量では、僅かな逆効果が知られている。しかし、360〜900mgの1回の過量投与は、腹痛、下痢、嘔吐、吐き気、唾液分泌の亢進、繊維束れん縮、筋力低下、視力低下の強い副作用を起こす(Almogらによる1991)。
 もし、筋弛緩を伴う麻痺が挿管を必要とする場合は麻痺が長引くため、Succinyl chlorideを使用してはならない。

4 植物影響(出典4)
 23ng/t及び106ng/tのメチルフッ化ホスホン酸エステルを、それぞれ5時間及び1時間、暴露した実験では、小麦に対する明らかな影響は身受けられなかったとされている。

5 歴史、用途(主として出典5)
 サリンは第二次世界大戦中にドイツで有機燐系殺虫剤の開発中に発見されたもので、発見者の名前から命名された。戦争用の神経ガス。同様の目的・作用を持つものにソマン(Soman)、タブン(Tabun)がある。イラン・イラク戦争(1980〜1988)後、イラクが同国内のクルド族の鎮圧に使ったとされている。

出典:1 Hazardous Sabstance Data Bank(through April 1994)
    2 Merck Index
    3 POISINDEX(R) SUBSTANCE IDENTIFICATION
    4 Pestic Sci.1976.7.349-354「Uptake of Volatile Alkyl Methylphosphonofluoridates from the Vapour Phase by Wheat Plants」
    5 日本中毒百科(内藤裕史、南江堂)





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