福田雅章さん 講演
福田: 福田雅章でございます。きょうは、こんなたくさんの方がお集まりいただいて大変光栄に思っております。今日のテーマは、「オウム問題における人権」という書き方をしております。これはいったい何を意味しているのかというところから入らせていただきたいと思います。
人権こそ問題だ
「オウム問題における人権」とは、いま起訴され、被告人になっているオウムの人達の人権のことなのでしょうか。或いは、子ども達を強制連行されたオウムのお母さん、お父さん達の人権なのでしょうか。それともサリンで殺された被害者の人権のことなのでしょうか。私は、実は本当に大事な人権はそこにあるのではないと、その人権とは我々の人権なのだと、我々一般市民の人権こそがこのテーマの中に入っている一番重大な問題だと考えております。
最近この事件が起きてから日本社会は、命の問題に大変センシブルと申しますか、神経質になりました。いつサリンで殺されるかもわからないこの恐怖、こういことが、いまの平和な日本の市民社会の中であってはならない、哲学者まで動員いたしまして、オウムの事件とは、非常に残虐な、日本の未来を背負うべき人達が、日本社会を壊し、日本人の生命を危うくしているんだ、そこにこそオウムの本質があるという事を喧伝してまいりました。しかしこの視点からでは決してオウムの本質は捉えられないと私は考えております。
吉本隆明氏さえも、次のようなことを述べております。「命を懸けて革命をやろうとした人達、―これは、麻原さんほかオウム教団の人達を意味していると思いますが― 自らの命を懸けて革命をやろうとした人達をそんなに簡単にバッシングする事はできない」というコメントを新聞に出されております。ここでも吉本さんの問題意識というのは、実は“命”の問題だったんです。
私は日本で初めて“人権こそ問題だったんだ”という視点でこのシンポジウムを開かれた今日の実行委員会の皆様の見識の深さに敬意を表させていただきたいと考えております。
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