オウム真理教と人権のすべてがわかる! 日米「マインドコントロール理論」事情、サリン事件、信者排斥運動、子ども強制保護、団体規制、宗教法人解散、オウム報道… ニッポン最大のタブー 「オウム真理教と人権」 が、国境をこえ今明らかになる。 パイオニア精神溢れる米国学術誌 AUM SHINRIKYO AND HUMAN RIGHT A Special Issue of: SYZYGY:Journal of Alternative Religion and Culture Volume 8:Nos.1-2 1999 を、妥協なき日本語バージョンで逆輸入! |
『SYZYGY』 特別号日本語版のご案内 オウム真理教と人権 12人が語る(掲載順)
James Lewis 米国ウィスコンシン大学宗教学部(Religious Studies Department at the University of Wisconsin)にて教鞭を執っている。新興宗教に関して広範囲に書き著わしている。福田 雅章 一橋大学法学部教授(刑事政策)浅野 健一 人権と報道・連絡会世話人山際 永三 人権と報道・連絡会事務局長木附 千晶 ジャーナリスト三山 巌 人権と報道・連絡会会員黒川 高 オウム真理教に対する強制捜査を考える市民の会世話人大今 歩 オウム真理教に対する強制捜査を考える市民の会世話人寺西 和史 判事補(仙台地方裁判所勤務)千代丸 健二 人権110番主宰神坂 直樹 オウム真理教に対する強制捜査を考える市民の会世話人三浦 英明 人権と報道・連絡会会員巻末・排斥運動現地調査写真 |
James Lewis米国ウィスコンシン大学宗教学部(Religious Studies Department at the University of Wisconsin) にて教鞭を執っている。新興宗教に関して広範囲に書き著わしている。 西洋人読者のためのイントロダクション 日本は今、国家統制主義の極みに逆戻りするのか、それとも恐怖及び不寛容による現在の暗いムードから目覚め、民主主義及び人権への誓約を再確認するのかを決定する分岐点に立っている。これは、大胆な声明ではあるが、本書に集約されている情報によって広く裏付けられることであろう。… |
福田 雅章一橋大学法学部教授(刑事政策) いわれのない「オウム信徒の非国民化」 ――その裏に隠された翼賛体制の政治目的 最近、わたしは、ときどき、言いようのない錯覚と恐怖におそわれる――「いったい、私は、いつの時代の、どこの社会に生きているのだろうか?」と。 |
浅野 健一人権と報道・連絡会世話人 天皇の軍隊の時代から不変の日本社会 「反オウム」からあらゆる異端を排除へ 日本は法治国家のはずだ。私にはオウム信者だという理由だけで、「オウムには人権はない」と断定して、よってたかって排除する集団ヒステリー的な日本社会の方がよほど怖いと思う。 |
山際 永三人権と報道・連絡会事務局長 オウム事件の意味 歴史には多くの前例があるが、特殊な恐ろしい犯罪事件をきっかけとして、その恐ろしさへの反動として、美しく見えるスローガンが人々の眼を狂わせ、結果として警察と保守的政治家が権力の基盤を強固にする。その意味では「歴史は繰り返す」ようにも思えるが、「オウム事件」には、いままでの日本の歴史にはなかった新しい要素が内在していると思われる。 |
木附 千晶ジャーナリスト オウムの子どもたち 97年春に取材したとき、子どもたちは「第十サティアンに帰りたい」と、口々につぶやいた。「オウムの方が自由だから」と。 |
三山 巌人権と報道・連絡会会員 オウム報道およびオウム関連裁判の問題点 …報道機関は、「オウム真理教」について、嘘かホントかわからないようなことも断定的に言いたい放題、という状況ができあがっている。「オウム真理教」という名の、怪物のようなイメージだけが、ひたすらに独り歩きを続けているのだ。 |
黒川 高オウム真理教に対する強制捜査を考える市民の会世話人 マインドコントロール理論と新宗教 オウム真理教への特別立法の狙いのひとつは「外部からの信者脱会活動を促す」ことだといわれているが、そもそも「信者脱会活動」自体が先に見たような多くの問題を含んだものだとすると、それを「促す」法律を作ることは非常に危険である。 |
大今 歩オウム真理教に対する強制捜査を考える市民の会世話人 「連座制」とオウム排除 破防法制定(1952年)当時、参院議員であった歴史学者の羽仁五郎(はにごろう)は次のように述べている。 |
寺西 和史 オウム真理教信徒への差別について 個人責任の原則からして、たとえ教団なり教祖なりが組織的に犯罪を犯したとしても、その犯罪に関与していない信徒が差別されるいわれのないことは明白である。しかし、私は、単にそんな当たり前のことだけを主張しようと思っているのではない。… |
千代丸 健二 オウムを利用する公権力犯罪 地元で住民票を受理しないのは、オウムが騒いでいるのではない。信者の子どもが小学校に行くことまで妨害し、子どもの権利を侵害している。自治体が法律違反をおかしている。まさに無法国家、無法自治体だ。オウムを無法という資格はまったくない。 |
神坂 直樹オウム真理教に対する強制捜査を考える市民の会世話人 「教団」を裁いた論理の誤り―― 宗教法人法に基づく解散命令の検討を中心に …私が一番問題にしたいのは、裁判所の「教団の組織的犯行」という判断それ自体が、本当に正しい根拠に基づいたものであったのかという点である。 |
三浦 英明人権と報道・連絡会会員 サリン事件への問題提起 事件はオウム実行犯がナイロン・ポリエチレン袋にサリンを入れ、傘の先で突き刺し、地下鉄で撒いた、として裁判は進められていた。私もそう思いこんできた。… |
James Lewis 付録「マインドコントロールの終焉」 私が最初に日本を訪問した時、「マインドコントロール」理論が、太平洋のこちら側で、いまだ正当な理論として受け入れられていることに驚いたものである。アメリカでは、この理論は、学者間、あるいは裁判でも全く使われなくなっているのにである。それから五年後に私が知ったことは、やはり少数の日本人しか、マインドコントロールが非学問的な理論として完全に退けられている事実を知らないということだった。さらに私が驚いたのは、スティーブ・ハッサンのような反カルト請負人が、アメリカではもはや顧みられていないにもかかわらず、この日出ずる国に対し、破綻したマインドコントロール理論を輸出していることであった。今回のジャーナル特別号は、日本でも広く読まれることが予想されるため、私はこの機会を利用し、きちんとした記録を残しておくべきであると感じた。そこで、アメリカにおける「カルト」議論、そしてマインドコントロール理論の終焉に関して、この付録を追加することにしたわけである。… When I first visited Japan, I was surprised to discover that the notion of "mind control" which had been thoroughly rejected by scholars and by the courts in the United States was still being accepted as legitimate on the other side of the Pacific. Five years later, I continue to find that only a few Japanese are aware that mind control has been thoroughly debunked as a pseudo-scientific concept. I have, furthermore, been shocked to find that anti- cult entrepreneurs like Steve Hassan who are no longer taken seriously in America have exported their bankrupt mind control theories to the land of the rising sun. Because I anticipate this special journal issue will be widely read in Japan, I felt that I should take the opportunity to set the record straight by attaching this appendix on the "cult" controversy and demise of the mind control notion in the United States. 【95ページ】
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日本語版あとがき
1999年来日の際には、おりから各地で熾烈を極めていたオウム排斥運動の現地にも足を運んで実態を把握し、また多くの人々とのインタビューをこなした。そして、インタビューした日本人に自分の雑誌への寄稿を依頼した。 こうして、2000年3月に出来上がったのが 『SYZYGY, Vol:Nos.1-2特別号, オウム真理教と人権』 である。 ルイス氏も「西洋人読者のためのイントロダクション」に書いているとおり、この特別号に執筆した人々は全く同じ考えかたを共有しているわけではないし、立場もさまざまで、どのような雑誌になるのかの打ち合わせさえ、ほとんどしてこなかった。 しかし「オウム事件」後4年半の日本社会が、何か大きな曲がり角にさしかかっており、それは民主的な社会とは程遠く、何か強権的な、警察国家的な方向に向かっているのではないかという危惧をもつという点で、執筆者の意識は共通しているように思える。 オウム真理教あるいは「オウム事件」について、日本の新聞・雑誌には情報が氾濫しているが、本当のところ、なるほどと納得させてくれる論調にはほとんど出会えないのが現状である。そのことは、社会学・犯罪学・法学の面についても言えるし、宗教学的なレベルでも言える。この『SYZYGY特別号』は、オウムの問題を論ずる場合に、日本社会の人権状況の視点を捨象することはできないということを、地味に、しかし鋭く提起することになるだろう。 ルイス氏、翻訳者たち、そして執筆者たちの了解を得て、 「SYZYGY特別号日本語版刊行委員会」 の名で日本語版を発刊することは、いろいろな意味で意義あることと信じられる。 2000年4月 SYZYGY特別号日本語版刊行委員会 (世話人:山際永三)
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