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千代丸健二さん 講演



 千代丸健二です。

 これまでオウムの方々と接しまして、シンポジウムをしたり、うちわの会合等を重ねてきています。私が関わったのはオウムが強制捜索を受けるその前段階です。もっと言いますと、5〜6年前からです。熊本の波野村で国土利用計画法違反ということで弁護士が逮捕されました。そのころからです。その当時から私の考え方と立場は変わっていないつもりです。


運動は自前でやる 



 世間的、マスコミ上ではあまりはっきり書かれていませんが、私は弁護士諸君や一部の人たちからはオウムにきわめて近くて、シンパシイを持っている者である、千代丸を呼んで話をさせるとオウムの味方ばかりすると言われる筋もあるようです。

 ただ、私がオウムの人に対し接近、あるいは相談を受けたという立場からいきますと、私は、オウムを批判する面と評価する面を持っています。評価はしないですね、批判する面はたくさん持っていましてね、こういう場で語るときもしかり、それから彼らと直に話をするときも同じです。そういう意味では、私の立場や考え方は変わらないということです。

 つまり、私は運動を自前でしているからです。紐付きになるとどうしても立場は弱くなります。紐付きというと、思想的・信仰的・銭金といいますが、金の面で縛られると弱いですね。したがって、私どもは、いっさい自前で運動をやるというのが長い闘争をやってきての体験です。



人権110番運動 



 人権110番運動というのは、自らの人権を守り闘う、主として、公権力に対する闘いから始まっております。人権110番の会員をみますと、10年15年の会員がおられます。やはり、自ら逮捕され、或いは疎外され、近隣のトラブルなどありとあらゆる事件を苦労をして闘うというか、闘わざるを得ない立場に追い込まれた人たちは、最初は怖く納得しない。でも、後では闘っていきます。

 私が20年前に書いた『無法ポリスと渡りあえる本』というのがあります。これを読まれて弁護士になった人、裁判官になった人、新聞記者になった人、たくさんいます。20年前の私は髪はまだ白くありませんでした。現在62歳ですが、40歳代でした。私自身も10年間冤罪裁判を闘ったという体験から他人様のことに、生きている間は多少関わりをもっていこうと思っています。通常人生60年といいますが、私は定年まで仕事をしてきておりません。敗戦からずっと自立して生きてきたつもりでおりますから、絶対的な権威・権力をつくらない。他人におもねない、好きなことしかしない、という人生を生きてきたつもりです。それらが、今回のオウムに対する取り組み、対権力で取り組んできた私の立場です。

 1990年11月、波野村における一斉捜索があり、またその一年前には坂本弁護士一家の件がありました。あれは行方不明事件、当時から拉致、という事件で取り組み、評価を私はしています。その後、最近になって遺体の発見という事態が起きております。

 当時と私の考えが変わっていないのですが、国土利用計画法違反というきわめてささいな或いは形式的な事件で弁護士を逮捕するという異常な事態、それから住民票の登録を受け付けない、この二点、これだけで、特に後者の場合は憲法違反であると思います。子ども達を就学させない、或いはしようと思っても受け付けない。日本国民は、職業選択の自由もあるし、どこに住もうと自由です。どのような信仰を選ぼうと、或いは信仰を持たなくても自由であると思います。私は、他人様のしようとしていることに口を挟まない主義であるし、同時に私の考えにも他人様の口は挟ませないとい う考えを持っています。



麻原氏が相談に来たとき 



 麻原彰晃氏が私の事務所兼自宅に相談にみえました。美女連中をたくさん引き連れてね、あ、この人目が見えないんだなと思いました。その時はもうテレビカメラがいっぱいでした。

 私も取材し、取材されるのになれていますので、その段階からメディアをチェックしたつもりです。勝手に撮るなと。つまり、取材、言論、表現の自由というけれども誰の許可を得て撮ったんだと。当然撮られない権利というのがあります。勝手に撮った場合は、それを勝手に放送させない、或いは記事にさせない権利があると思っています。言論、表現の自由ということを書く立場の人は麗々しく言うが、言論表現の自由に名を借りて、何でもかんでも書いていいということは成り立たない。抽象的には、公共性ということですね。

 それに対して、取材されない、放送されない自由・権利というものが私は優先すると考える立場です。したがって、例えば、記者会見なども私はやります。ワイドショウ等を含めてね。その時に最初に言います。諸君が勝手に撮って、勝手に放送することは許さない。もしあなた達が、オウムの連中はとんでもない団体だ、その親はどう考えているか、彼らはどうだと、マイクやカメラをバズーカ砲のように持っていって、さあ、しゃべれ、しゃべれというのは別にあなた方の権利じゃないんだ。拒否する権利だってあるんだよと。それを自宅まで、会社まで、朝晩張り込んでやるというのはどういう根拠に基づいてやるんですかと私は問います。それに対して「皆さんが知りたい」と言うから、「いや皆さんって誰ですか」と。「いや、国民です」と。「そう、じゃ、国民の委任状でももらっていますか」と。

 当然報道されたくない側、或いは、メディアが報道しようとしている対象者の側に立つ私は委任状を取ります。具体的には、オウムの美人四姉妹とされている清水さん一家の人たち、或いは、最近、11月11日、毎日新聞をおとりになっている方があれば記憶にあると思いますが、夕刊の社会面トップに元オウム信者の女の子(17歳)夜間中学に入れず、宙に浮いたままという記事が出ていました。この報道についても、当初から一貫して私は委任状をもらって、全部マスコミへの対応をとりシャットアウトしています。つまり放送させない。極端にいうと、オウムの家族は放送も報道もされたくないんですね。どんなに良く書いてあげようと言われても、それはマイナスしか生まないという状態にあります。そういう立場を守るということから、私は人権という面から関わっています。これ、私自身が冤罪裁判を10年やった体験から生まれてきたのです。
 権利というものは黙っていても誰も持ってきてくれない。したがって、自分たちで闘い取らなければならない。そういう意味です。



オウムへの評価 



 私がなぜオウムを評価しないかといいますと、彼らは実に集団としてはエゴ集団です。金の集め方もうまいなぁと思いますね。それから、闘い方とか、情報の集め方も非常にうまいです。もしも政治党派の諸君がこれほど金を集め、大衆を信仰でなくイデオロギーで巻き込んで、100億も200億も集めたら、それは日本革命は見事に大成功したでしょうね。

 そしてまた、オウムの諸君が、もしも黙秘権、絶対に官憲にはしゃべらない、この技術を身につけていたなら、事態は変わっていたと思います。これは絶対に不可能だったでしょうね。その意味で、党派とオウムが合体するか両方学べばよかったと思います。

 残念ながらこれは一種の近親相姦というのかな、僕ら言うんです、「チャチな、爆発もしないような金属弾なんかぼんぼんと飛ばしてね、権力解体なんていわなくても、やるなら徹底的にやれ」と。それでいて、破防法も適用されない。しかし、党派の連中はオウムについては、「反人民、反革命集団である。彼らはテロリストである」と言いながら、「破防法の 適用はけしからん」「それに支援をするような、或いは救援活動をするような弁護士もけしからん」と言っています。口で言うだけならアリバイ証明で誰でも言えます。アピールだけして自分は安全地帯にいるんですから。実践をしない文化人や学者も同じだと思います。ところが、実際に実践するとなったらどう関わるのか、どう反対するのかということを深く考える必要があります。何人かの弁護士やジャーナリストを含めて、反オウム、しかし破防法はけしからんという立場の人たちが延々議論を重ねている間に、もうオウムの捜査は終わってしまいそうなんですね。出番がなくなっています。

 そういうような実状の中で、さてオウムの連中は金の集め方もうまい、あっと気がつく間に、5〜6年前までは私もあんなにサリンを作り得るような、というと作ったという前提みたいになるんですが、それはともかくとして、大変な農薬をつくりね、武器製造のような設備もつくり、これは宗教団体であろうか云々のことのほかに、よくやるなぁと思いましたね。

他人の知恵を使うことについてはものすごく長けている。したがって、5〜6年前に麻原彰晃氏が来たときも、助けてくださいと、あるいは相談に来たわけであります。

 私は、平等に誰の意見でも聞くつもりです。したがって先入観をもたないというのが私の生き方の大前提です。それは、罪を犯した、犯さないに関わらずです。そのあたりが、オウムの信徒さんなり、在家、脱会者を含めて相談に来やすい立場ではないかと思います。

 ただし、私は銭金もらって彼らの救援をする訳じゃありませんから、いわゆる私の本を読んでいただくのはありがたいけれども、800円の本を買って読んでも、私の収入になるのは80円であります。だからたかが80円のために君らを助ける理由はないよと言いたい。本格的に私が闘うのは権力に対してだから、本当に払う気があるなら適当に払えといいます。実際に、私は、カウンセリングをしていますが、一時間に二万円をいただきます。一時間稼いだお金を持って市民運動に使うという立場をとっているわけです。
 さて、私は喧嘩の仕方についても一応のプロと自認をしております。したがって、人に相談をせずとも戦えるんです。智恵もある。人脈もある。そうすると喧嘩の相手はなるべくでかい方がいいわけですね。隣の親父と喧嘩するよりはやはり権力を持った奴と喧嘩する。或いは、権力を振り回す奴と喧嘩をする。その点では、警察とか、教師ですね。「師」という名前の付く連中はだいたいろくな事をやりませんね。それは、バッチを持っているからです。それを偉いと思っている我々庶民の感覚も問題です。
 それらを超えて、オウムの教団が組織を作り、そして一万人の人間を麻原彰晃という人に帰依させた。これはすごい力だと思います。まさに彼をどう思いますかと、何人かに聞かれました。私の家に来たときには、同じように話を聞きました。別に私、感動したりしないし、ふつうのおじさんだなあというか、彼は40歳です。私の息子とおなじ年です。したがって私、親父ふうに言うならば、ごくふつうの気持ちです。オウムの人たちは、最高のグル、尊師といわれる人が、わざわざ千代丸のところに来たんだから、グルより偉い、つまり、麻原彰晃より偉いというのがオウムの教団の人たちの私に対する評価であります。したがって、私は、千代丸教の教祖みたいなものになっているけれども、実際にあまりいばらないんですね。もっとも今言っていることも、偉そうに言っていると思われる方もかなりあるかと思いますが、三歳の子どもに話をするときも、女性に話をするときも、お巡りに話をするときも、裁判官に話をするときも、私の姿勢は変わりません。同じようなことしか言いません。



オウムへの違法捜査



 その麻原彰晃氏が逮捕された。その前段から彼らはやばいやばいと思い始めたんですね。ガサを入れられたらどうするか。どういう守りをするかを考え始めた。実際に彼らは攻めはうまい。しかし逮捕されたときにいわゆる三点セット五点セットと言いましてどのように身を守るかの準備がなかった。

 接見、面会で弁護士しか入れないような場合どうするか。つまり被疑者なら誰でも会えるとか、被告人なら誰でも会えると言いますけれど、例外がありまして、その例外が原則みたいになっている。いわゆる接見禁止という処分が裁判所から付きました。

 当初警察に捕まると、2泊3日といいまして48時間捕まります。捕まったあと身柄が検察庁に、或いは書類だけで送られます。検察官の持ち時間が24時間、これをあわせて3泊4日。これで、検察官が釈放すれば検事パイ。だから、がんばれ2日間、或いは3日間といいます。身柄を送られた検察官は、その段階から接見禁止すべきかどうか、勾留請求をします。裁判所の許可状をとります。最高23日間といいますけれど、原則は10日以内の勾留です。これを1勾といいます。再度特別に勾留する必要のある場合のみ、また10日間の延長ができるんですね。

 にもかかわらずオウムの関係者に関しては勾留が当たり前のようになっている。まさにメディアも、裁判所も世論も、オウムウオッチャーといわれている連中、テレビでしゃべりまくっている、あの連中私は、吸血鬼ゴキブリといいます。なぜならば、他人の不幸をしゃべる、しかも自分たちで取材もしない、調査もしない。テレビ局は週刊誌やスポーツ新聞を頭に振った番組を作ったところで、「有田さんいかがですか、江川さん?」或いは「伊藤弁護士どうですか?」こういうふうにマイクを振られると、すかさず「いやーひどい連中ですねえ、死刑は当然ですよ。早く真実を述べなさい」と適当なことをいうんですから、こいつら弁護士か、コメンテーターかと私は思います。

 だからいつでもはっきりと面と向かって私は言います。批判されるということは、私たちの関心の中にあるんだから、うれしいでしょと面と向かったときには彼らに言います。

 マイクが追いかけ、テレビが追いかけ、しかも警察が追いかけ、だんだんオウムの中にいる人たちは飯が食えなくなってきますね。その人達をどうするかという事で、一斉捜索の3月22日の前日からオウムの人たちに接触しています。その数具体的には200人以上です。司会者が、オウムの子ども達、お母さん達と言いましたが、私はまず彼らの弁護士を探すことから始めました。当初は青山弁護士しかいませんでした。私は3月22日以降何度も青山の本部に入りました。私自身も彼らに問います。しゃべることと書くこと、これはできます。その次に映像、やはり武器ですね。



法に対し筋を通す



 皆さんたちも私の本を読まれたならばご存知だと思いますが、法律知識と、意識と、技術、ノウハウですね。この三つをお持ちなさいと。知識だけなら、智は力なりといいますが、権力とはなかなか闘えません。意識というのは、「俺は主権者である、職務質問をされても答える義務はない」という覚悟ですね。
 そのあたりは中村喜四郎代議士、及びまもなく逮捕されるであろう山口敏夫代議士、立派ですね、原則を通しています。彼らは政治的、世論的には糾弾され、代議士として政治家としての非難はあるにしても、実際に法に対してきちんと筋を通す態度は立派だと思います。
その点では、皆さんも一回逮捕されてご覧なさいよと私は言います。逮捕されてどんなに屈辱的な思いをするか。私は二回逮捕されています。今から20年前、企業を脅したとされ、消費者運動の中で逮捕されました。それを契機として10年裁判を闘いました。そして無罪をとりました。大変なエネルギーと時間と金を使いました。本当に相手を殺したくなりますね。殺したいときには私は自分で殺します。本当に殺します。しかしね、常識とか、家族とかいろんなものがあるからそこまでしないけど、それに近いとこでぶんなぐるとかするのが宅八郎さんです。
 やられたらやり返せ、ということで私はこういうところでもしゃべります。それから書きます。私の書く本には全部権力の名前実名をあげています。そのかわり闘う人たちにも自分たちも実名を出さなければいけないよと、言っています。

 問題提起としていくつか出します。オウムの人達がエゴであるというのは、他人の知恵は非常によく使う、しかしながら、得たもの、宗教的な教義やそれらを社会・大衆の中に還元しないということですね。
 このあたりが少し、ヤマギシイズムと違っている。ただ新左翼の連中に言わせますとね、ヤマギシも、統一協会も、オウムも皆同じであるという言い方をします。ヤマギシについては、私の友人或いは同僚、先輩が入っていますが、またその機会があれば、ヤマギシとオウムと議論をさせたら非常におもしろいだろうと思っています。



オウム被弾圧者への救援 



 さてそのオウムの人になぜ私が支援をするか、救援をするかということですが、オウム真理教団、集団としてのオウムを私は支援しません。それから、以前はオウムは嫌いだけれどもと話の頭に振っていましたが、いまはそれも言いません。私はオウムの人たち200人ぐらいに接しましたが、みんな人間が素直で純情で、しかもしたたかなんですね。悪い人間いないんです。これは本当の話、実に信念それから信仰心豊かです。
 じゃ、オウムのどこが間違っているかというと、いや、殺しまでやっていいという教義はないともいうけれど、それはタントラヴァジラヤーナ、いわゆる金剛乗のなかにはですねえ、この男を明日生かしておけば、明後日には、むこの者を殺すであろうという悪人がいる、それならば修行をつんだ高い尊師といわれる修行者が、その人間の魂を入れ替える、ポワというそうですが、入れ替えることはむしろ善行であると、そういう教義があるという事ですね。なるほどそういわれれば理屈が付くなあと思いますが、ただ現実にこの世でこれをやられたんじゃ困るわけですね。
 麻原彰晃氏がどれほど偉いかどうかわかりませんが、実際に神様でも仏様でもないという言い方を私もするし、そう感じている。しかしながら一万数千人の人間を落下傘のようにずーっと帰依させるというのは、これは大変な人間だと思いますね。魔界の魔王のような人だろうと私は思います。
 ともあれ、資料をみていただきたいと思いますが、本日までに逮捕された人は370人、延べ件数で580件。起訴された人が半分。裁判の済んだ人が約80人。
 そして、一人一人ABCというふうに事件を分類しています。いわゆる地下鉄サリン、殺しの事件、松本サリン事件等をやったとされるのがAクラス。死刑求刑を含む事件に関わった人たちが20人弱ですね。彼らはまだ釈放されていません。麻原彰晃氏にいたっては11回繰り返し逮捕されています。
 それからBCクラス。殺人予備。この殺人予備というのは名前はおどろおどろしいけれど、懲役をくったって最高2年なんですね。交通違反並です。あとは住居侵入等いろいろあります。これをBCというふうにわけますと、Bクラス、Cクラスの事件で逮捕された人達、これが先ほどいった370人としますと、350から360人がBCクラスです。この人達の延べ逮捕の繰り返し、平均を取りますと120日間くらい逮捕勾留されています。
 23日間勾留からすると、5回ないし6回逮捕されていると考えてください。ただオウムであるから特別に逮捕した。オウム潰しが最初にありです。繰り返し逮捕されて5件6件で逮捕されながら、起訴されたのは1件の罪名だけ、しかも判決は、ほとんどが、岐部哲也氏を除いて、これまでの事件では、全員が執行猶予付きでした。一番短い人で6か月、或いは1年半、長くて3年以内の懲役で執行猶予付きです。1回ないし3回の裁判で釈放です。
 しかも問題として、これまで代用監獄はけしからんと言っていた弁護士達も、誰ひとりとして警視庁なり所轄署に勾留されている人達を拘置所に移せとは言わないですね。代用監獄は悪であるという集会を何度も何度も我々も開いてきました。その率先して反対をしてきた人達すら、警察の言うように、「いや、先生、面会をするのに便利がいいでしょ」という形で取り込まれている、ということがあります。

 報道についてもどんどんなしくずしにされてきたこと。そういう問題がたくさんあるという事を、提起させていただきます。

(拍手)



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