神坂直樹 (司法修習修了者/裁判官任官拒否訴訟原告)
市民運動が問い直されている
市民運動のあり方そのものが問い直されてるなあ、という風に思っております。関西だと、今は時候の挨拶のように、O―157のことが言われています。O―157ということがあって、実際に破防法適用の根拠が一つ失われてるなあ、と思うのは、O―157があって、かつて、例えばオウムのいろんな刑事事件が取り沙汰されているさなか、ハイジャックの事件が起きたら、「あれは、ひょっとしたらオウムの信者がやったのかもしれない」という風なことを、コメンテーターの弁護士さんが仰ったりするといった状況の中、実際にはそうでなかったということが、後で明らかになった。
で、セアカゴケグモの騒動が、堺などを中心に起きた時にも「あれは、ひょっとしたらオウムがやったのかもしれない」、こういうことを平気で。メディアがそれに乗っかったりするんですね。
そんな状況が実際にある、そういう中で、実は今回、O―157が起きた。場合によっては、そういう風な、ありもしないような無責任な噂が、またメディアに乗ってくるかな、こう思いましたけれども、それは今回に関しては無かった。やはりそれは、非常にまあ、我々市民生活をおくっている者にとって、今、オウムという人達がどういう存在であるかを、ある一部を反映しているように思います。つまり、それほど怖い存在ではないんだという一面を表わしていると思います。
つまり、実際に、怖い怖いという気持ちは持っているのかも知れないけども、現実には、いろんな形でバッシングは進んでいて、かなり弱体化が進んでいるだろうということも、実際にメディアの中から読み取っているということだろうと思います。
O―157のことは、そのために取上げたということではないんですけども、そのO―157を見て、ある意味では、また、学校に行ってない子は、別にO―157による被害を受けていないと思うんですね、実際は。何が感染源か、まだまだ分からないというような状況の中で、じゃあ本当に学校で、いろいろ給食制度とかを問い直さなければいけないという意見が実際に起こってくる、これは当然だとは思いますが、「いやあ、学校へ行くからあかんのや」と、例えばこういう風な人がいてもおかしくない訳です。ただまあ、そういう風な意見は、なかなかクローズアップされない訳なんですけども、実際、市民社会で我々は生活していて、いろんなことを考える人がいるということは、これは実際、押さえておかなければいけないだろうと思います。
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