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木附千晶
(ジャーナリスト)


オウムと関わったきっかけ

初めまして、木附と申します。
あの、江川さんと違って、私はまだまだ駆出しですので、皆さん、勿論ご存じないと思うんですが。
私が今回、ここに来ることになったきっかけとなったのは、まあ、オウムの方と出会ったということがあるんですが、それは千代丸さんを通して知り合ったんですけれども、最初、私は別に取材しようとかいう意思も無くて。
ただ、今、報道されていることが本当だとは思えないということがあったんで、真実を知りたいというふうに思ったのがきっかけで、千代丸さんの集会に顔を出して。
そこで知り合った人達の話を聞くうちに、彼女らとか彼らとか、子供の場合もありますけども、かなりいろんなことを我慢して生きているということを知って、本当は裁判とかでも、不当な裁判は沢山あるんですけれども、そういうことを言うだけで、さっき荒木さんとかが仰ってたように、
「反省が足りない」
とか、
「オウムのくせに何偉そうなこと言ってるんだ」
とかいうようなことを言われたりとか、あと、
「マインド・コントロールが解けていないから、ああいうことを言うんだ」
とか、そういうことを言われて、何も言えなくなっちゃってるという状況を、すごく、よく見ました。
で、そういう?????彼らの言葉を聞いている内に、やっぱりそういうことはおかしいと思うし、「これは納得がいかない」と思うことは、ちゃんと人に伝えた方がいいと思ったんです。
それで、多少記事も書いてますけども、いろんな所に企画書を持っていくと、やっぱり必ず
「反省してない」
とか
「あの連中の擁護をするのか」
みたいなことを言われたり、
「仲間だと思われるから、やめた方がいい」
ってアドバイスをされることもあるんですけれども。


いろいろ法律的なことに関しては、皆さんが仰ってたので、私が実際に会った人達の印象から、理論的には目から語らしていただくと、全然、怖い人なんか一人も会ったことないです。
どっちかと言うと、本当に、ボーッとしてるというか(笑)、何も分かってないような人って私が言ったら失礼なんですけど、そういう人の方が多くてですね。
私もかなり現世ではボーッとしてる方で通ってるんですけど、皆さんを見てて安心する、という位、ボーッとしてる人が多くて。
それで、逆に皆さんから見ると、
「まるでオウムの人みたいですね」
って、よく。
布教じゃないけど、
「修行しませんか」
とか勧められるんですけど、私は別に修行するつもりがあって皆さんと付き合ってる訳じゃないので(笑)。
そういうつもりも全然無いんですが、ただ、言えることは、全然本当に怖くないし、一人一人会ってみたら、すごく純粋な人が多いです。
で、私の友達たちの中でも、私もかなり現世では浮いた存在だったのかもしれないですけど、オウムの人で話が会わない人って、今まで殆ど会ったことがないし。
で、そういう人達が、自分が知らないところで犯罪が行われたことに対して責任を取らされようとしているというか、少なくとも社会的に側に来ないでくれとか、住むところを奪われているという状況を見てですね、最初はまあ、真実を知りたいという位でしたけど、どうしてこんな人達がそんな目に会わなくちゃいけないんだろうかって、当然思うと思うんです。
私はたまたま、ものを書くという仕事をしていたので、そしたら自分の出来る範囲で何か皆さんの、まあおこがましいですけど、何か気持ちを代弁できることはないだろうか、と思って、今、仕事をしてます。
そういう意味では、彼らをネタに食べていると言われてもしょうがないんですけれども。


私の見たマスコミ

今、いろいろですね、さっき、報道の話とかって、今、実名を出して言うと、
日本テレビの方の取材とかをしてるんですが、あまりにもひどい取材の仕方をしているということで、何度か取材に行ったりとか、週刊金曜日とかで記事を書いたりとかもしたんですが、話に行っても全然本当に聞く耳を持たないっていうか、
耳が無い人達でして、一般論として、オウムは怖いと言われてるとか、まだ見張ることがあるとか、それが報道の、こういう公共性というか、そういうものに、報道倫理に則ったものだというような言い方しかしなくてですね、
そのことで、実際に職場を奪われたりとかした人もいまして、そういう人に対してはどうするのか、と言うと、
本当にその人が自分たちの作った番組のせいでなったのか、証拠を見せろとか、
またお金を貯めてサリンとか武器を買うかもしれないじゃないかと、また犯罪を犯す危険性があるんだということを散々言うんですけれども、
さっき江川さんも仰ってたように、麻原被告が命令したから従ったということが、あれほど言われてきて、それだとしたら、もう全然危険じゃない訳ですよね。
それで、麻原被告をまだ信じているのがおかしいんだという言い方もしますけど、彼らは、全然その、殺人をするつもりでオウムに入った訳じゃなくって、修行がしたくて入ってた、
そういう人達が今も麻原被告を信じてるというのは、すごく自然なことだと思うんです。
で、事件のことを信じられないっていう状況でみんなずっと今まで来て、自分の信じてた人とか、教義とかそういうものを一年、たった一年しかまだ経ってないんですよね。

まあ一年ちょと経ってますけど、それで捨てられる人間の方が、私は信じられないと思います。
今まで自分がこれを信じてきたんだったら、やっぱり、いくらこれが本当なんだって言われたって、そっちを信じられなくて当たり前なんだと思うんです。
そういう人達が、何の危害も加えようとしないのに、世の中から排除されていこうとしているというのを、どうしてマスコミとががですね、
それを追い風と言うか、大分減りましたけど、未だに叩いてるのかということが、全然分からないんですね。
彼らは本当に怖いと思ってやってるのかというと、私が見ていて、そうは思えないんです、今の状況は。
それは、記者会見の状況とかを見てても、みんな、全然今のオウムを怖いとか危険性があるなんて思ってないんじゃないかと思います。
ただ自分達とは違う、異質なものだから、という見方はしていると思いますけれども。


私の見た信者達

ただ私は本当に彼らが異質なのかと思うとですね、自分が実際知り合った人達、確かに私はオウムに入る気持ちも無いですし、宗教とかを持ってないけれども、彼らがオウム真理教を信じたいという気持ちはよく分かります。
さっき、武田さんが仰ってたような、何故生きてるのか、とか、死は何なのか、とか、どうして皆こんなに嘘ついて平気で生きていられるのかって、皆思ってると思うんですけど、本人はなんとなく、社会で生きていくにはしょうがないという風に思って生きていくと思うんですよ、その人は。
でも、そういうことが嫌だと思う人もいて、で、オウムの人達の多くは、そういう人だったんじゃないかなあ、という風に私は出会ってみて思ってます。
そういう中でですね、まず破防法に反対するというのは、?????あれ、私は今、オウムの人達と一緒に御飯を食べたりもするし、泊りに言ったりもするし、遊びに行ったりもするし、いろんな話を聞かせてもらったりもしていて、もう私の友人になってると思います。
自分の友人が不当に居場所を奪われたりとか、仕事を奪われたりとかすることは、やっぱり許せないんです。
それで、私が一緒に関わることで、公安に数回尾行されたりとか、いろんなことが最近あるんですけど、やっぱり自分の意見を曲げたくはないので、自分の友達が今こういう目に遭ってるのを見過ごして、自分だけは安全な場所に行こうと思ったら、それは私は自分で自分を否定することだという風に思ってます。
だから、いろいろ報道の話とか細かい話は、質問していただいたら答えるような感じにしていただいて、まあ私は友達としてオウムの人達が破防法をかけられることには反対だという風に言わせていただきたいと思います。





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