事実にもいろいろある
それから一つだけ。江川さんは忙しいので帰っちゃったんだけども、これは一般論として言わしてもらいたいのですが、事実をもって考えると言うのには私も全く異議はないのですが、事実というのもいろいろありまして、裁判上の事実、それから私にとっての事実、それから私が認めたくない事実とか、形容詞を付ければいろんな事実があるんであって、裁判上の事実というのは、少なくともそれが真実なのかどうかとは違うということは、反弾圧の立場からも、運動家として考えても、弁護士さんもいらっしゃいますが、全然違うものであるということは念頭に置いておいたほうがいいのではないかという風に、僕は思っております。
供述について、さっき江川さんは上祐さんの例を言われましたけれども。
「自白調書がこんなに出てる」
って。
まあ、確かにそうなんだけれども。ただ、自白調書なんて、刑事訴訟法を?????のに、それが本当の事実なのかどうかということがですね、仮にそれが自白であっても、違うということは、沢山の冤罪事件を見たり経験すれば、誰でも分かるかどうかは難しいところですが、少なくとも彼らのレベルで言ったら、括弧付きの刑事事実というものに基づいて論を建てるということは、私は?????とりますので、しません。
それから、極端に言ったら、判決が出たら、それは拘束力はありますが、それが事実なのかどうかどうかということについては、これは私は留保を付けさせていただきたいと思っています。
救援と左翼事件、破防法
そんなことを言い出したら長くなりますので、言いたかったことだけ言いますが、私は先程紹介されましたように、救援連絡センターの事務局長というものをやっています。救援センターそのものは、一九六九年三月に発足してまして、大体一九七六、七年以降ですね。ほぼ?????として。
最初は、死んじゃったんですけども、?????さんだとかと一緒にやってた経緯がありまして、いつから(事務局長に)なったのかは正確には思い出せないんですけど。
それにしてもですね、この破壊活動防止法については、例えば一九六九年四月の沖縄闘争に向けて、当時の革命的共産主義者同盟、共産主義者同盟、全学連などの指導者を、個人破防法ということで、独立扇動罪、独立教唆ですか、などで何人も逮捕されて。
その後、裁判になって、有罪執行猶予判決が出てるんですけども。その後、一九六九年十一月の大菩薩峠浅間山荘、これは当時共産同赤軍派の塩見孝也氏が個人破防法の適用をされています。さらに、一九七一年十月に、当時革共同の、松尾?????が、やはり破防法で逮捕・起訴されています。
つまり、個人が破防法の、もちろんこの団体適用は初めてですから、個人が破防法の、破壊活動の扇動その他で逮捕されている事例は、新左翼系の?????と言われている人達も、何件かある。
ただし、これらは何れも、さらぎさんという方が現在控訴審中ですので、それを除いては、被告人として死んだ方がおりますので、裁判所の判決まで行った人は、何れも有罪執行猶予判決が確定しています。
私は救援センターで、例えば先程話した鈴木さんが「腹々時計と狼」で書かれた、いわゆる連続企業爆破事件、狼グループと言われる、そういう人達の一九七四年から七五年にかけて連続企業爆破事件というのが起きたわけです。その中で、天皇のお召し列車に対する爆破未遂ですね、?????事件というのがあったわけです。
結局、私からこういうことを言うのは変ですが、先程の個人破防法になった対象の事件も含めまして、破防法で言う暴力主義的破壊活動というのはですね、こういうことを言うのであって。
私が事務局長を務めている救援連絡センターには設立趣旨というのがありまして、
「国家権力による弾圧の犠牲者に対しては、犠牲者の思想・信条の如何を問わず救援する」
そういう立派な行動?????ですよね(笑)。最近、そういうのが崩れかかったるんです。
オウムは何と戦ったのか
それはさておき、そういうことがあって、もし、ここにオウムの方がいた場合、それはそれでオウムの人達は信仰を持ってるから、非常に評価は割れると思いますが、一体、一連の事件が仮にオウムの人達の、信仰集団としてのオウム真理教と、一連の起訴されている事件が、関わりがあるのか無いのかということも含めて、これについて安住をするという立場を私は採りませんが、少なくともオウムは何と戦おうとしたのか、そういうことについて、いろんな立場とかあるのかもしれないけど。あると思うんですね。
そういう思いについては、いますぐどうとかいうことじゃないんだけども、それは考えておいても良いのではないかと思います。
つまり、それは極論すれば「無い」ということであれば、破防法の問題も最初から、・・・だって、そりゃあそうですよ、反安保でも侵略企業糾弾でも何でもいいけども、そういう、何か目標があっての暴力主義的破壊活動なのであって、オウムが何と戦おうとしたかについてですね、これはぜひとも。考えてる人もいるかもしれないし、いないかもしれない。
で、破防法は、こういうことを考えている人達の世界に対する、言わば国家権力による弾圧的規制執行なのであって、そのことが、微罪逮捕とかいろんなことを生み出すのであって、オウムでなければ子供なんかすぐ返す、とかいう裁判所の言も含めてですね、大体、治安立法というのは、経験的に、おそらくそういうものだろうという風に考えます。
そしてなぜこの運動をするか
そうすると、最初に申上げました救援連絡センターが
「国家権力による弾圧の犠牲者に対しては、犠牲者の思想・信条の如何を問わず救援する」
と。勿論、反弾圧ということなんですが、何もその、何も無くていきなり反弾圧、その前提としての弾圧、弾圧というのは何に対してか。
これは、?????なかなか難しいんですが、犯罪者は、そりゃ逮捕されて、しょうがないのかどうか、とかいう。本当のことは?????とか。これは僕の考え方は少数の考え方だと思いますけども、国民的な議論には馴染まないかも知れませんが、少なくとも犯罪者とされている人が犯罪の告訴をされている事実は、大体残酷なんです。
特に殺人事件なんかの判決公判などを傍聴していれば、それが事実かどうかは別にしてですね、そこに出てくる内容は、小説の世界かどうなのかということは、その違いを考えると、大体、生き埋めにしたりですね、殺したりですね、何の関係もない人をいきなりぶっ殺したり?????。しかも、それに対して弁護権があるとか弁護を受ける権利があるとか。
弁護士の方もいらっしゃいますので、特に弁護のことは僕は言いませんが、救援というのは、じゃあ何なのかと言えば、それは、なるべく逮捕されないで済むこと、起訴されないで済むこと。
つまり、どうやって逃げるかということを、ひたすら考えてる訳ですよね。それに対する援助ですからね。そしたら、勿論刑法の中には逃走援助罪とか犯人隠避罪とかある訳であって、それ自体、犯罪視されるものでもある訳です。けれども、ただ、刑法というのは一方では良く出来ていて、それが家族であったならば免責されるとか、まあ現実的なやりかたではないかも知れませんが、そういう部分もあるのであって、何が良いか悪いかということは、少なくとも被害の事実について、例えば、いろんな、オウムの人達が関係していた、坂本さんの事件も含めて、何で死んだかということを考えてみれば、沢山あると思いますが。
坂本事件の死亡とか、何でそうなったのかということを考えれば、先程言った、オウムが何と戦おうとしていたのかということは、僕は是非ともオウムの皆さんには、今後のこともあるので考えて欲しいと思いますけれども。
それから、合法的であるとか、非合法的であるとかいう評価はですね、殆ど運動の理屈であって、実際に死んでしまった人が何人かいる訳であって、そのことの事実についての、それは裁判所でどうだとかいうことじゃ無くって、一人一人の胸の内に秘めた事実として考えることは、私は必要だと思っております。
で、ちょっと長くなるのでもうやめますが、先程のオウムの公判対策を含めて、全て私は山中幸男個人として、この場に立たしていただいております。
もう、団体適用の発動が出てきて、少し今は風向きが変わってきてるんですが、僕がなぜ個人として言ってるのかというと、別に私は、自分がこういう立場で戦うということを他人に対して強制する、同じ様に戦え、という気がそもそも無い人間ですから。ただ、僕がやることについて、
「センターとしてやるのはおかしい」
とかね、そういうことが、センターの内部で実際にあります。で、先程の繰り返しになりますが、オウムの人達が如何に残酷で犯罪的で、麻原?????であるということを、現に新左翼系の党派に属する人が、私に対して?????したこともあります。
しかし、どんなことを言われても、お前らだって同じじゃないか、というのが私の?????であります。ただ、いいとか悪いとかじゃなくってね、やっぱし逮捕されるとか獄中に入るとか、それから刑法的に言えば死刑制度が現にあるわけであって、それらを含めて将来どうするのかということに?????という時に、都合の悪い事実は、自分にとって、結局、私は今述べたようなストーリーで物事を考えるし、結局、説得力のある裁判というのは、自分の考えているストーリーに一致する結論が出た場合、それがその人にとって説得力のある裁判である。それが違う場合には、説得力の無い裁判である。
ただ、そこまで相対化していいかという考え方の問題もとれるけれども、ただ、少なくとも括弧付きであれ犯罪者となって法廷に立っている人の人権を守るということは、技術的には、それをなんとか、その人の生命を含めてですね、守りきれるかどうか。
だから、おそらくもう結論を、救援連絡センターというのは一方で反弾圧の立場での運動として言えば、逮捕された人の人権でありますし、獄中者の人の人権でありますし、究極的には死刑制度の廃止である訳ですから。今の現状で言えば、麻原氏、松本さんの死刑も認めないという、そういうことを確認した上で、死刑制度廃止を掲げないとですね、僕は、運動としては今後、将来のことを考えた場合、なんで戦うのかという方向性を見失うんじゃないかと、私は個人的に思っております。
だから今、国民にアンケートを取れと言って、例えば
「麻原さんに、どういう刑が妥当ですか」。
そうすれば、めちゃくちゃな世論・・・世論が正しいかどうかと言えば、間違ってる世論は沢山あった訳であって、でも、まあ僕は
「いや、俺は絶対正しいんだ」
と言う気はない、そういう考えもありません。
「俺は間違ってるかも知れないけども、少なくとも全体を眺めながら、間違っている場合もあるということを経験しなければいけない社会に今後入っていくのではないか」
という風に思っております。
で、救援連絡センターという立場に戻りますが、あの、今日なんか、正直言って、わかんないですね。
「かつて、なんでも救援するって言ってたじゃないか」
という風に、皆さんに追及してほしいんですけども、ただ、出来ないことは出来ない、という、ごく当たり前のことなんですが、出来るようで出来ることは、今後の、破防法の団体適用以降ですね、破防法罪がありうる訳ですけども、例えば刑事弁護の活動については、私は個人として、全面的に、出来るだけのことはしていきたいという風に思っております。ちょっと話がいろいろ飛びましたが、以上です。
|