結果記録 2001年
2001年11月18日 「『人を追いつめる社会』にしないために」 ◆日時 11月18日13時30分〜 ◆場所 大阪府吹田市立女性センター ◆主催 子供たちの未来を考える会 FREE THE HUMAN(21世紀の人権を考える会) ◆パネリスト 手塚愛一郎/堀弁護士/岩本太郎/森達也 ◆司会 神坂直樹さん ●はじめに各パネリストからの意見 ・手塚愛一郎さん――(大田原や竜ヶ崎における住民運動のビデオ=大田原市のある夜の風景…酒に酔った住民が信者に罵声を浴びせながら押し寄せている…を見せながら)例えば同和問題に見られるように、本来行政は差別問題があったときに、啓蒙してそれを鎮めるべき立場にある。にもかかわらず、ことオウム問題になると全く逆のこと――差別の挑発――を行なっていて、全く許されるものではない。 特に自分が深く関わってきた竜ヶ崎のケースでは、子供たちに対して「悪魔のお前達に人権はない」とまで言った反対運動を扇動した大人達が、麻原被告の子供たちに対していまだに謝罪していない。謝罪すべきである。 オウム排斥は差別であって、差別問題は差別した側が、なぜ差別したのか総括しなければ決して解決しない。いまのアレフの融和的姿勢には批判的だ。差別された側が迎合した場合に、悪しき前例を作ってしまう。つまり、「差別される側が謝れば問題は解決するんだ」というふうになってしまって、差別した側の問題が解決されないままに放置されてしまう。(竜ヶ崎の例にある通り)「差別しても差別した側は謝らなくてもいいのだ」となってしまう。 だから、安易な妥協はしてはならない。 ・堀弁護士――吹田住民票裁判勝訴の報告。 今まで、本来は負けるはずのない裁判でも、アレフ信者ということで負け続けた。今回の勝訴に関しての感想は、当たり前のことが当たり前に通ったということで、バンザイというよりもホッとしたという感じ。 ・岩本太郎さん――98年11月からのオウム取材に関わってきたいきさつ。取材記事をデスクに上げた時点で、既存のオウム報道の枠組から外れると落とされるという話を聞いたこともある。その中で藤岡問題、藤岡の住民と信者が本を書いた経緯。自分は反対運動に反対しない。自分たちと異なるものに対してどのように向き合ったらいいのか、という試行錯誤の過程としては、あってもいいと思う。 ・森達也さん――最近、作品のことについて聞かれるのが苦痛になってきている。あまり語りたくない。作品があるのだから、とにかくそれを見てください、と言いたい気持ち。(そう言いながら、「A2」を紹介している今年3月の「ザ・スクープ」の番組録画を15分ほど放映)この放送があったときに、テレビ朝日の電話回線は批判の電話でパンクしたそうだ。番組プロデューサーが顔色を変えて、生放送だっただが、当初決めていた打ち合わせと違うやりとりに急遽なって、(司会の)鳥越さんも、自分も不自然なやりとりになっている。 メディアは視聴者に迎合しないとやっていけない。だから、メディアだけを責めたくない。国民が変わらないとメディアも変わらない。 オウムを見ていると、日本社会がよく見えてくる。合わせ鏡のようにうりふたつだ。一つの教えを信じて思考を停止する。これはオウムも社会も同じではないか。オウム事件にしても、麻原が指示して弟子が従ったという単純なものでなく、確信犯はひとりもいなかったのではないか。日本のかつての戦争のように、責任が明確でないまま、誰も止められない状態で突っ込んでいったというか。 9月11日以降、アメリカに従属する世界各国を見て、思考停止状態が日本だけでないということが分かった。アメリカ同時多発テロ後、世界中が思考停止状態になってしまった。メディアが発達することによって、善か悪かの単純な二元論が跋扈して、豊かな情感が失われてしまった。 ●第2部は会場からの発言を交えながらのディスカッションになりました。 ・名古屋のFさんからは、市民運動が行政に取り込まれているという実態を、愛知万博の例を交えながら報告があった。 ・フリーライターのfさんという人から(問題団体と住民との関係について調査している人)、このオウムの住民からの反発はその宗教性と関係があるのか、という質問があった。 これに対して→岩本さんは、「知らないと思う。どういう奴らか知りたいという思いはある。だからといって気軽に訪ねて行けない。」 →手塚さんは「宗教性については全く知らないだろう。自分だって知らないし。」 ・都市部に比べて地方の方が、田舎特有の地縁、血縁の強い田舎特有の異質文化に対するアレルギーのような物が排斥運動となっているのではとの会場からの質問に、各パネラーからそのようなことはないとの回答。 ・岩本太郎さん「むしろ人間関係の出来ていないところで人間関係が出来ると、ワーッと燃える」 ・森達也さん「自分の住んでいる我孫子市の市役所に『人権を守ろう!…』の隣に『オウム反対!…』の看板があったので、矛盾を感じて看板をはずすよう抗議したところ、なんと『人権を守ろう!…』の看板がはずされた」 ・手塚愛一郎さん「竜ヶ崎の事例では、行政が発端を切って、PTAがそれを助長した。今年に入ってからの問題は、3人の小学生に対し、1000人の大人が上げたこぶしを振り下ろす理由がないという、ただそれだけの理由で続いていた。」 「これは、確証はないが、99年の北御牧村に始まる住民運動は、盗聴法やオウム新法といった法律を通すためにあったのだと思う。法律制定以降の住民運動は、だらだらと観察処分を継続させるためにやっているが、特に行政の後押しはない。 竜ヶ崎の例は、特異であって、県からも国からも孤立していた。市長の独断・独走が発端となっていた全く必要とされていない排斥運動だった。」 「また、松戸市では信者が数名転入届を実際に受理されているが、それは信者が転入前に5ヶ所住所を変更していたからわからなかったからとのことで、これからはアレフ信者に多い30代の人がいたら、5ヶ所前まで転入前の住所を探ると松戸市は言っている。このようなことに対して住民が何の疑問も持たないことを危惧している。」 「排斥運動は、むしろ地縁血縁関係が無い、隣人が何をしているか判らない都市部でこそ『みんな一緒』という幻影が基になっているのではないか。」 ・森達也さん――オウムは触媒ではないかと思う。つまり、自分たちは変化しないが周りを変化させる。騒ぎの渦中にあるにもかかわらず、最ものほほんとしてるのは当のオウム信者であって、周りがあたふたしている。その中で地域のいい部分/悪い部分をあぶり出すような形になっている。 昔は村八分と言ってまだ二部は残っていた。ところが、オウムの場合は、村十分である。竜ヶ崎の運動はニュータウンと呼ばれる新しい住民の間で起こっているし、村八分というまだ恩情を残していた昔ながらの共同体が解体していく中で、何の地縁もない横のつながりのない新しい住民たちが、オートマティックに一つの方向に流れていく傾向がある。それが危険であると言うことにすら気づいていない、非常に危険な状態にあると思う。 ち〜こ♪さんの日記http://www2.diary.ne.jp/user/76370/もあわせてご覧ください。 |
2001年6月16日 「公共の福祉」を考える 世田谷集会 ◆日時 6月16日17時30分〜21時30分 ◆場所 東京都世田谷区烏山区民センター ◆主催 人権と報道連絡会/転入届不受理裁判支援連絡会/読者会通信 ◆協力 世田谷市民運動・いち ◆パネリスト 佐藤文明、辛淑玉、神坂直樹、中島真一郎 ◆コーディネーター 山際永三 アレフ信者15名ほどを含めて100名ほど参加した。 17時30分 簡単な司会の挨拶で開始 17時35分 手塚さんがビデオを上映する(30分間) 99年以降のオウム騒動に関するビデオ。北御牧村、大田原、足立区谷中、藤岡、吹上、池袋、世田谷など。 18時05分 読書会通信の古谷史子さん(司会)が挨拶。烏山には40年以上住んでおり、93年の免田栄事件で山際さんと関わりを持つようになった。レッテルを貼っての排除に疑問を感じるようになった。今回は対話の機会をと思って。 18時10分 山際さん挨拶。パネラーの一人の中島真一郎さんが遅れるとの報告があった。今日の参加者は、読書会+市民運動いち、アレフ側は荒木さんを初めとし、10数名来ている。パネラー各人の紹介をする。辛淑玉(しんすご)さんは反石原運動、佐藤文明さんは戸籍住民票問題で、神坂さんは任官拒否問題で、さらに吹田の住民票不受理支援をしている。 その後、各パネラーの発言へと移る。
◆発言 記事提供/試練
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2001年2月3日 シンポジウム 「公共の福祉」を考える PARTW あの子たちはいま ◆日時 2月3日13時30分開始 ◆場所 栃木県総合文化センター第3会議室 ◆主催 人権と報道・連絡会栃木グループ ◆パネリスト 松井武・近藤尚子・水木啓太 ◆コーディネーター 山際永三 マイクの不調で1時30分開始が15分遅れて、1時45分に開始した。 34人ほど参加。 内モンゴル留学生の出席者があった。 まずはじめは、久喜から参加したジャスティスという夫婦で、ギターを弾いて歌いながら運動をしている2人が紹介されて、曲を4曲ほど披露して始まった。 個人的には印象に残る歌だった。
◆発言 記事提供/試練
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2001年1月21日 「公共の福祉」を考える 柏集会 ◆日時 1月21日13時30分開始 ◆場所 柏中央公民館 4階集会室 ◆主催 人権と報道・連絡会柏グループ ◆講師 河野義行(松本サリン事件被害者) 当日の参加者は45人。
◆発言 記事提供/試練
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