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結果記録 2001年



2001年11月18日
「『人を追いつめる社会』にしないために」

◆日時 11月18日13時30分〜
◆場所 大阪府吹田市立女性センター
◆主催 子供たちの未来を考える会
FREE THE HUMAN(21世紀の人権を考える会)
◆パネリスト 手塚愛一郎/堀弁護士/岩本太郎/森達也
◆司会 神坂直樹さん

●はじめに各パネリストからの意見

・手塚愛一郎さん――(大田原や竜ヶ崎における住民運動のビデオ=大田原市のある夜の風景…酒に酔った住民が信者に罵声を浴びせながら押し寄せている…を見せながら)例えば同和問題に見られるように、本来行政は差別問題があったときに、啓蒙してそれを鎮めるべき立場にある。にもかかわらず、ことオウム問題になると全く逆のこと――差別の挑発――を行なっていて、全く許されるものではない。
 特に自分が深く関わってきた竜ヶ崎のケースでは、子供たちに対して「悪魔のお前達に人権はない」とまで言った反対運動を扇動した大人達が、麻原被告の子供たちに対していまだに謝罪していない。謝罪すべきである。
 オウム排斥は差別であって、差別問題は差別した側が、なぜ差別したのか総括しなければ決して解決しない。いまのアレフの融和的姿勢には批判的だ。差別された側が迎合した場合に、悪しき前例を作ってしまう。つまり、「差別される側が謝れば問題は解決するんだ」というふうになってしまって、差別した側の問題が解決されないままに放置されてしまう。(竜ヶ崎の例にある通り)「差別しても差別した側は謝らなくてもいいのだ」となってしまう。
 だから、安易な妥協はしてはならない。

・堀弁護士――吹田住民票裁判勝訴の報告。
 今まで、本来は負けるはずのない裁判でも、アレフ信者ということで負け続けた。今回の勝訴に関しての感想は、当たり前のことが当たり前に通ったということで、バンザイというよりもホッとしたという感じ。

・岩本太郎さん――98年11月からのオウム取材に関わってきたいきさつ。取材記事をデスクに上げた時点で、既存のオウム報道の枠組から外れると落とされるという話を聞いたこともある。その中で藤岡問題、藤岡の住民と信者が本を書いた経緯。自分は反対運動に反対しない。自分たちと異なるものに対してどのように向き合ったらいいのか、という試行錯誤の過程としては、あってもいいと思う。

・森達也さん――最近、作品のことについて聞かれるのが苦痛になってきている。あまり語りたくない。作品があるのだから、とにかくそれを見てください、と言いたい気持ち。(そう言いながら、「A2」を紹介している今年3月の「ザ・スクープ」の番組録画を15分ほど放映)この放送があったときに、テレビ朝日の電話回線は批判の電話でパンクしたそうだ。番組プロデューサーが顔色を変えて、生放送だっただが、当初決めていた打ち合わせと違うやりとりに急遽なって、(司会の)鳥越さんも、自分も不自然なやりとりになっている。
 メディアは視聴者に迎合しないとやっていけない。だから、メディアだけを責めたくない。国民が変わらないとメディアも変わらない。
 オウムを見ていると、日本社会がよく見えてくる。合わせ鏡のようにうりふたつだ。一つの教えを信じて思考を停止する。これはオウムも社会も同じではないか。オウム事件にしても、麻原が指示して弟子が従ったという単純なものでなく、確信犯はひとりもいなかったのではないか。日本のかつての戦争のように、責任が明確でないまま、誰も止められない状態で突っ込んでいったというか。
 9月11日以降、アメリカに従属する世界各国を見て、思考停止状態が日本だけでないということが分かった。アメリカ同時多発テロ後、世界中が思考停止状態になってしまった。メディアが発達することによって、善か悪かの単純な二元論が跋扈して、豊かな情感が失われてしまった。



●第2部は会場からの発言を交えながらのディスカッションになりました。

・名古屋のFさんからは、市民運動が行政に取り込まれているという実態を、愛知万博の例を交えながら報告があった。
・フリーライターのfさんという人から(問題団体と住民との関係について調査している人)、このオウムの住民からの反発はその宗教性と関係があるのか、という質問があった。 これに対して→岩本さんは、「知らないと思う。どういう奴らか知りたいという思いはある。だからといって気軽に訪ねて行けない。」
→手塚さんは「宗教性については全く知らないだろう。自分だって知らないし。」

・都市部に比べて地方の方が、田舎特有の地縁、血縁の強い田舎特有の異質文化に対するアレルギーのような物が排斥運動となっているのではとの会場からの質問に、各パネラーからそのようなことはないとの回答。
・岩本太郎さん「むしろ人間関係の出来ていないところで人間関係が出来ると、ワーッと燃える」

・森達也さん「自分の住んでいる我孫子市の市役所に『人権を守ろう!…』の隣に『オウム反対!…』の看板があったので、矛盾を感じて看板をはずすよう抗議したところ、なんと『人権を守ろう!…』の看板がはずされた」

・手塚愛一郎さん「竜ヶ崎の事例では、行政が発端を切って、PTAがそれを助長した。今年に入ってからの問題は、3人の小学生に対し、1000人の大人が上げたこぶしを振り下ろす理由がないという、ただそれだけの理由で続いていた。」

 「これは、確証はないが、99年の北御牧村に始まる住民運動は、盗聴法やオウム新法といった法律を通すためにあったのだと思う。法律制定以降の住民運動は、だらだらと観察処分を継続させるためにやっているが、特に行政の後押しはない。
 竜ヶ崎の例は、特異であって、県からも国からも孤立していた。市長の独断・独走が発端となっていた全く必要とされていない排斥運動だった。」

 「また、松戸市では信者が数名転入届を実際に受理されているが、それは信者が転入前に5ヶ所住所を変更していたからわからなかったからとのことで、これからはアレフ信者に多い30代の人がいたら、5ヶ所前まで転入前の住所を探ると松戸市は言っている。このようなことに対して住民が何の疑問も持たないことを危惧している。」

「排斥運動は、むしろ地縁血縁関係が無い、隣人が何をしているか判らない都市部でこそ『みんな一緒』という幻影が基になっているのではないか。」

・森達也さん――オウムは触媒ではないかと思う。つまり、自分たちは変化しないが周りを変化させる。騒ぎの渦中にあるにもかかわらず、最ものほほんとしてるのは当のオウム信者であって、周りがあたふたしている。その中で地域のいい部分/悪い部分をあぶり出すような形になっている。
 昔は村八分と言ってまだ二部は残っていた。ところが、オウムの場合は、村十分である。竜ヶ崎の運動はニュータウンと呼ばれる新しい住民の間で起こっているし、村八分というまだ恩情を残していた昔ながらの共同体が解体していく中で、何の地縁もない横のつながりのない新しい住民たちが、オートマティックに一つの方向に流れていく傾向がある。それが危険であると言うことにすら気づいていない、非常に危険な状態にあると思う。



ち〜こ♪さんの日記http://www2.diary.ne.jp/user/76370/もあわせてご覧ください。




2001年6月16日
「公共の福祉」を考える 世田谷集会

◆日時 6月16日17時30分〜21時30分
◆場所 東京都世田谷区烏山区民センター
◆主催 人権と報道連絡会/転入届不受理裁判支援連絡会/読者会通信
◆協力 世田谷市民運動・いち
◆パネリスト 佐藤文明、辛淑玉、神坂直樹、中島真一郎
◆コーディネーター 山際永三

アレフ信者15名ほどを含めて100名ほど参加した。
17時30分 簡単な司会の挨拶で開始
17時35分 手塚さんがビデオを上映する(30分間)
99年以降のオウム騒動に関するビデオ。北御牧村、大田原、足立区谷中、藤岡、吹上、池袋、世田谷など。
18時05分 読書会通信の古谷史子さん(司会)が挨拶。烏山には40年以上住んでおり、93年の免田栄事件で山際さんと関わりを持つようになった。レッテルを貼っての排除に疑問を感じるようになった。今回は対話の機会をと思って。
18時10分 山際さん挨拶。パネラーの一人の中島真一郎さんが遅れるとの報告があった。今日の参加者は、読書会+市民運動いち、アレフ側は荒木さんを初めとし、10数名来ている。パネラー各人の紹介をする。辛淑玉(しんすご)さんは反石原運動、佐藤文明さんは戸籍住民票問題で、神坂さんは任官拒否問題で、さらに吹田の住民票不受理支援をしている。
その後、各パネラーの発言へと移る。

◆発言

☆辛淑玉
笹塚生まれ。つつじヶ丘にもいたことがある。親は三代とも東京。オウムをどうして叩くのか?弱いから叩く、こわかったらやらないんです。在日朝鮮人を叩くのと同じ構造がある。マイノリティの恐ろしさを感じる。いじめと同じ。
NHKの研修で河野義行さんと一緒になった。「パニックになっている住民の問題」だと言っていた。
メディアに毒された人は、真実が目の前にあっても修正がきかない。それはマスコミの責任だ。情報の品質管理がなってない。
龍ヶ崎追い出し運動の関係者は、本当はやりたくないと言っていた。強い側につく習性がある。日本で培われた文化である。
オウムで「悪業をなすものはポアしろ」というのがあった。もしほんとうにきちんとした社会を作っていくなら、オウムのまねをしてはいけない。住民たちがやっていることはかつてのオウムと同じである。悪いことをした奴には何をしてもいいんだ。住民がオウムと化した。
ヒトラーの最大の成果はアメリカをヒトラー化したことだと言われる。オウム事件は住民をオウム化した。
今のパニックにはどんなことがあっても声をあげなくてはならない。子ども、オウム、朝鮮・・・みんな弱いから叩いている。
恐いから叩いているのではない。

☆佐藤文明
調布の国嶺に住んでいる。世田谷区は人権意識のレベルが高いと思っていたが、今回の様子を見て、日本はとんでもない国だと認識するようになった。
人権の薄皮をはいでしまうと、醜いものがあらわれてきてしまう。
町内会、自治会は日本の組織の起点である。人の排除の組織である。
関東大震災後、組織された。それが自警団になり、全地域へと広げられていく。それが第二次世界大戦へのエネルギーへとつながった。 大政翼賛会となる。みんなと一緒になって行動しなければならない。そうじゃないと言えないことが町内会の恐ろしさである。
弱い者イジメの為に大声を出す奴がリーダーシップを握ってしまう。
ビデオが地域の実態だと思う。
区長、知事、自治大臣も住民の気持ちが分かると言って逃げてしまう。これがこの国の正体です。
本来、転入手続は「権力」業務であり、「サービス」業務ではない。制定時は第2の徴兵台帳だということで反対運動が起きたものである。
村八分(葬式、火事は協力する)という言葉があるが、村十分になっている。

☆神坂
大阪から3時間で来ました。
追放運動はアパルトヘイトになってしまう。解決策もみないまま、迷走している。
わたしは自治会長をしているが、先日の池田小事件の前に例会があった。自治会は危険性を煽っている。
排斥運動はコスト、エネルギーがかかりすぎ。
わたしの5歳の子どもは住民票ない。本当に困っているかというと困っていない。健康保険等認められているから。
そういう意味で区長は罪を作っている。

☆山際
オウムの集団居住は、出家しているから。5,6人単位で住まなければならない。一緒に修行するのがよいのだそうだ。
今の社会で「出家する」・・・排除につながっている。
「実家に帰って働け」と言ってもしょうがない問題だ。

☆辛
排斥問題に関して。アレフに問題はない。
また加害者の代理人(アレフ)が、被害者の代理人に謝っても解決しない。
加害者が被害者に謝る必要がある。
やった人が罰せられる。これが法治国家だ。

☆山際
価値観の違いがあるんだと思う。家を捨てて出家したということに関する価値観の違いが排斥運動の根本にあるのでは?

☆佐藤
アレフの追放は事件以前からあった。波野村の問題。背後に警察、それに応える住民組織。運動のように見せかける。

☆神坂
感情に火を付けたのは行政司法だ!

☆山際
裁判報告:住民票裁判で住民票3度目の復活。団体規制法裁判は敗訴した

☆辛
小泉・石原等に負けない戦いをしたい。今の状況は草の根ファシズムと言ってもいい。そこから止めなければいけない。
一個人が動くものが何なのか?隣にいる人がどうするか?という問題だ。

※※※ここで、中島氏の到着が遅れるとのことで、裁判の報告に移る。

☆渡辺弁護士(観察処分取消訴訟原告代理人弁護士)
団体規制法の判決がこの前あり、地裁判決は原告請求棄却だった。
・経緯・・・観察処分は1ヶ月で決定された。1回意見聴取があったのみ。そうして取り消し訴訟を提起した。
裁判ではこちらの主張を言い尽くせた。
判決をきいたときは真っ暗になったが、判決文を読む限りでは、負けたがかなりいい結論ではと思う。
裁判所も偏見に満ちた対応ではなかった。
・特徴・・・合憲限定解釈だ。
この法律は違憲の疑いがあるが、特定の解釈ができるとするもの。裁判所は原告と被告の意見の折衷案といえる。
藤田公安審査員会委員長は、「結論は妥当だが、不満」と述べている。・
5条1項1号から5号に要件が書かれているが、原告は、具体的危険性が必要だと主張。被告は形式的該当で可としている。
裁判所は、具体的危険性が裏付けられなければならないとする判断を示した。
・信教の自由の規制は制約を受けると明言。
・被告の公共の福祉論を一蹴している。
全体として見識のある判決だった。

☆清水(アレフ信者)
これまでの経緯の説明
12月19日から最高裁決定で住民票が復活するまで。

※中島氏到着

☆中島真一郎
熊本在住。90年5月阿蘇波野村2000人の地域に500人のオウム信者が転入してくるということがあった。
半年間待ったが、どこも動かないので、90年11月から関わるようになった。
波野村・・・転入届不受理、就学拒否、不売運動、監視小屋の設置、公共集会場の使用拒否といった今ある反対運動の全雛形があった。
根拠は確かに坂本疑惑というのがあったが、ファシズムだと思った。全県中に反対運動が広がった。あっという間に一色になった。
村当局と一体化したもので、熊本県・国がバックについていた。最大の問題は、批判する声がゼロだということ。
背後に「お上」がいるということは、安心して動ける。ファシズムだ。
声をあげようと思って、自宅を連絡先にしたら、電話がじゃんじゃんかかってきたが、60件中27件は激励だった。
27か所に申入書を送った。
結果的に93年違憲判決が出た。
村議会では不受理に対して実は11村議中4名が反対した。その後、つるし上げを食らった。最終的には9億2000万円で和解した。
しかし、波野村は国勢調査では信者の数500名を入れていたため、5年間5億円をただ取りしていた。
岩下村長には、オウム施設だけをわける分村化計画もあった。これは全く意味のないこと。出ていかないのだから。論理性がない。
上九は、最終的には受理して退去させたが、波野は、分割して支払いを続けた。結局、不受理をしたことが間違いの元であった。

☆辛
一人一人が変わっていくことが必要。

※※※その後、質疑応答
名古屋からの参加者の感想。
三鷹のフリーライターの意見。
障害者の方の意見。
世田谷の住民の意見。
など活発なやり取りが発せられた。
・世田谷区職員の意見
住民票不受理は行政の終焉を意味している。許されないこと。職場内では問題になっている。監視小屋も全職員に回ってきている。
・烏山の地元の人の意見
地元では不信感を持っている。どうしてお金、集団居住にこだわるのか。排除では解決しないのはわかっている。落としどころはどこかという問題だ。
腹をくくってここで、みんなで一緒に考えて、解決するんだと自分は思っている。
☆佐藤
住民登録は受理すべきで、それとごっちゃにするのは許されないこと。

終了は9時30分でした。

その後の2次会は烏山駅西口近くの居酒屋です。
30名ほど参加。


記事提供/試練




2001年2月3日
シンポジウム 「公共の福祉」を考える PARTW
あの子たちはいま


◆日時 2月3日13時30分開始
◆場所 栃木県総合文化センター第3会議室
◆主催 人権と報道・連絡会栃木グループ
◆パネリスト 松井武・近藤尚子・水木啓太
◆コーディネーター 山際永三

マイクの不調で1時30分開始が15分遅れて、1時45分に開始した。
34人ほど参加。
内モンゴル留学生の出席者があった。
まずはじめは、久喜から参加したジャスティスという夫婦で、ギターを弾いて歌いながら運動をしている2人が紹介されて、曲を4曲ほど披露して始まった。
個人的には印象に残る歌だった。

◆発言

司会:山際さん
龍ヶ崎は、7人が移って、問題が起こった。去年の3,4月になっても物件が見つからず、教団を脱会して家族で住みたいという意向を子供の養育をしているMさんから聞き、それなら援助しようと山際・山中の2人が物件を購入した。7月下旬に引っ越しをするとたちまち報道され、住民票不受理・就学拒否が決定された。どうにもならないので、松井弁護士が法的な手続きを進めた。
自分は子供たちの可能性に賭けている!

ここで、今日のパネリストの紹介・・
パネリスト 松井弁護士、水木記者、主婦の近藤さんの紹介が山際さんによって、された。松井弁護士は、龍ヶ崎で子供の代理人弁護士。水木さんは、茨城の新聞記者で、今日は報道の側からみての意見を中心に。近藤さんは、日本キリスト教会南柏協会に属する主婦で、松本家と近所つきあいをしている方。

水木さん発言
 第二県紙なので、いい意味でのいい加減さがあり、問題提起ができた面がある。
最近はメディアの洪水で報道被害・つるし上げがひどい。象徴的なのがオウム報道である。最近は、締め切りに追われて検証できないうちに報道される傾向がある。
自分は県西部を担当しており、三和町でオウム問題に関わりをもった。
98年暮れ家宅捜査、99年4月転入拒否があった。当初は自分は黙認していた。しかし公安・マスコミの情報で煽られる状況ができあがり、町長が自分の選挙の利権で「公共の福祉」を打ち出してきた。横並び意識で排斥運動を広げていった。また、三和で荒木さんが宗教服で住民に囲まれて個人で対応していた姿を見てりりしく感じ、報道としては内部の人たちの声を聞かなければならないと思ったのが実質的にかかわるようになったきっかけ。

龍ヶ崎はいじめ問題を解く鍵になると思う。
龍ヶ崎は早い段階から地元の記者を入れたことが功を奏した面がある。
全体としてバランスの取れた報道ができている。
ただし、行政の不法行為に対する報道が弱いと思う。→記者クラブのせい。
逆に気になるのはテレビメディアである。

自分はデスクからは偏向報道をしていると言われ龍ヶ崎から外され、三和だけになる。

山際さんコメント
「山際、山中、手塚の三人は龍ヶ崎の家の中にデモ当日はいたのだが、もうデモはやめようと思った。(会場笑い)子供たちに「悪魔のおまえたちに人権はない」叫ばせたことはおかしい。」

近藤さん発言
 去年の8月末の土浦での集会で初めて出会ったのが始まり。浅野健一先生と同じ教会。9月末朝日新聞、12月初めクリスチャン新聞に取り上げられる。

子供が学校から持ち帰ってくる連絡帳に「オウム対策協議会ニュース」が入っており、署名の要望書があり、担任の先生を通じて、集めるということがあり、学校に行き、校長に苦情を告げたら、これはまずいとなり、それ以来連絡帳に挟まれてくることはなくなった。朝日の新聞に記事が載った翌日に松葉小の運動会に松本家の子供を連れて行ったら、大問題になった。
周りの住民たちはわたしのバックにはオウムがついているからと直接文句を言ってこない。すべてPTA会長を通してである。
最近はオウム対策協議会ニュースは各新聞販売店の「協力」で新聞に入ってくる。
住民が龍ヶ崎市に転居させたことに謝罪を求めていることに疑問。みんなどうしちゃったのかと思う。
結局一皮むけば本音が出てきたわけで非常に日本的だと思った。

松井弁護士発言
子供の問題という観点から発言
現状と今後について話す
昨日2月2日進行協議で提出した意見書について・・・どうして学校に入るのに住民の承諾がいるのか疑問。
今後はどうなるか弁護士としてもわからない。なぜなら、筋が通らないからだ。全く理解できない。
権力は松本兄弟に血を流せと言っているようにしか思えない。それに対して市は血を流さない。こういう権力の在り方はおかしい。
公権力は事実を調査しようとしなかった。
市は住居に来ていない。事実を見ようともしない。
風評・憶測・予断・偏見で胸がはりさけそうになる思いだ。

15時10分から質疑応答に入る。

名古屋の参加者からの意見
「1,人間であるということを意識しなければならない
2.現状の不満鬱憤がアレフに向かっているように思える。」
それを受けて司会の山際さん発言
「自分と同じようになることを強要する社会。多様な価値観を認めない」

松井弁護士
「子供を一人として見て欲しい。いろんな考え方を大人にやさしく説明できる大人でなければならない・自分で考えることをしない」

埼玉の参加者
「異端に対する排除。排除の論理だ。新宿のホームレスしかり、オウムしかり、不適任教員の問題しかり」

松井弁護士
「毒のない思想は魅力がない。

近藤さん
「あなたは普通の日本人と違いますね、と言われた」

ここで、手塚さん
日弁連の勧告書の解説をする

松井弁護士
子供たちは勉強は保護者に見てもらっている。通常学年よりはるかに上の学力。
生活は兄弟げんか、家の中をかけずり回っている。

結論へ

水木さん
わからなさを受け入れることだ。
マスコミの伝える事実が頼りない。
自分が自分である余裕を。
オウム問題は傍観者を許さないラジカルさを持っている。
自分の頭で考えてかかわっていくのが必要。
住民一人一人の考えが求められている。

近藤さん
子供のつきあいだ。親がどうとか関係ない。
4月から久保台小学校に通うことを望んでいる。
早く友達に恵まれるようにと思っている。

〜4:50分

このあと、二次会へ。
集会とは関係ないが、印象的だったこと。
内モンゴルの留学生から日本は先進国だと聞いていたので、こんな問題があるとは思ってなかった。精神的に貧困だ。
モンゴルは、経済的に発展していないが、弾圧されている人の子供でも学校に通える。日本は全くの後進国じゃないか。と発言。

記事提供/試練




2001年1月21日
「公共の福祉」を考える 柏集会

◆日時 1月21日13時30分開始
◆場所 柏中央公民館 4階集会室
◆主催 人権と報道・連絡会柏グループ
◆講師 河野義行(松本サリン事件被害者)

当日の参加者は45人。

◆発言

・山際永三(人権と報道・連絡会事務局長)
19日の日弁連の勧告は望んでいたこと。しかし、まだまだ問題解決への 道は遠い。

・河野義行(松本サリン事件被害者)
はじめに
最近はインターネットで河野義行で検索すると「オウムに肩入れする卑劣漢河野義行」との表現もでてきているほどである。本当は肩入れしたいところだが、肩入れはしていない。
松本サリン事件から6年半経つが、我が家にとっては殺人未遂であった。5人中4人が入院し、妻はまだ意識が戻っていない。
自治体は現在住民票不受理は憲法違反であると認識している。これに関して法律がどうでもよくなっているのでは?と危惧している。
松本の事件の元々は松本にオウムが食品工場を建設しようとしていたのを住民が車両の封鎖など妨害したことに原因があるとみられ、今と同じ構図である。その中で事件が起こっており、私はとばっちりを受けているのである。そういうことをした住民にも道義的責任がある。
「人殺し」「町からでていけ」と叫ぶこと、公共の施設を使わせないことなどは、日本が無法の国になってしまったことを感じさせる。
今回、日弁連が住民票不受理に関して勧告を出したことを転機として正常に戻してほしい。
事件に関して
1994年6月27日夜8時に帰宅し、食事をとってから、11時前に犬の異常に気づいたときから、事件は始まった。次に妻がおかしくなって、自分もおかしくなった。サリンは記憶に影響を及ぼすようで、前日、今日のこともわからない状態になっていた。それを警察は不審に考えたようだ。
28日強制捜索が始まった。事件なのか事故なのかわからない段階でいきなり「殺人」容疑で始まった。シアンが押収されたが、このときは警察はシアンでないことはわかっていたはずである。というのも被害者に縮瞳が起こっていたからである。有機リン系農薬も押収されたことになっているが、あれは実はバルサンであった。それを「会社員宅で薬品類押収」「『殺人』罪」とマスコミは報道し、その後のマスコミ報道が過熱化する一因となった。
29日は新聞記事になった。記事は3つに分けられる。それは
1:誤報、
2:疑惑の補強、
3:疑惑の引き延ばし
である。
1:誤報は、ガスが第一通報者宅からでた、会社員は調合を間違えたと発言、事件の関与ほのめかす、との記事である。
2:疑惑の補強は、薬品会社勤務(実際は20年前のことで、しかも単なる営業マンとしてで専門的知識はない)、調合容器が回収された(実際は犬の餌入れ、すり鉢)、使途不明の機械があった(実際は陶芸用のろくろ)。
3:疑惑の引き延ばしは、鍵を握る人物だと書く、捜査本部は回復を待って事情聴取を再会したいと書く。
等であった。
退院直前の読売新聞記事の「薬剤使用ほのめかす」との記事が決定要因となり、その後、週刊誌でも取り上げられ、無言電話等の嫌がらせがくるようになった。
事件から2日して、弁護士を依頼したことが更に世間の感情を煽ることになったようだ。だが、本人としては刑事弁護の認識はなく、あくまでもTVの犯人視報道に対して訴訟を起こすつもりだった。
警察は当初は自分を守ってくれる所だと思っていたが、認識が間違っていた。退院後の事情聴取で考えが変わった。警察には「あんたの疑惑はあんたが晴らす」と言われて、最初はそうかと思ったが、実際は法律はそんなことを規定していない。
今日は早くこうなってしまった世の中を正常に戻さなければとアピールしようと柏にやってきました。

◆その後質疑応答など

・松戸・柏の住民等数人の質問あり。活発な質疑応答だった。

・龍ヶ崎で松本一家と個人的なつきあいをしている女性からの報告
就学拒否はおかしいと思い、接触を始めた。松本家と近所づきあいをするようになった経緯を語る。
のんちゃんの「いじめられてもいいから、学校へ行きたい」という言葉を聞いたが、寂しい社会だな、と思う。

・世田谷の状況報告(アレフ信者から)

・流山・松戸の状況報告(アレフ信者から)

・手塚愛一郎(転入届不受理裁判支援連絡会事務局長)
龍ヶ崎の裁判進行状況報告

・河野義行(松本サリン事件被害者)
結局、反対住民というのは推測で危ないかもしれない、と言っているだけ。具体的な危険な行為は何一つないのに、推測であれこれ言うことには断固反対する。

・浅野健一(同志社大学教授)
日本人はアジアの3000万の人々を殺した天皇に対して非常に寛容だ。ドイツでは今でもヒトラーを称賛するだけで処罰されるというのに。こんなに寛容な民族が、ことアレフに対してはなぜここまで厳しいのか?
今の日本はアレフをスケープゴートにすることで、いろいろな社会の矛盾を覆い隠してしまっている。

記事提供/試練





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