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1993.7.12 送付・国連規約人権委員会へのカウンターレポート(英文のための原稿)

日本には,無実事件が多すぎる


 日本政府は,「市民的及び政治的権利に関する国際規約第40条1(b)に基づく第3回報告」を発表したが,刑事手続や裁判のありかたについて,制度のうえで形式的に,さまざまな人権保障があることを報告しているだけで,制度運用の実体あるいは人権が侵害された多くの実例について報告書に記載せず,日本の刑事手続や裁判に何の問題もないかのように取り繕っている。政府の報告は欺瞞に満ちたものである。
 政府報告は,日本では,拷問または残虐な刑は存在せず,いわゆる別件逮捕は認められず,代用監獄は適正に運用されており,公正な裁判が保障され,死刑の適用が厳格・慎重に行われ,死刑確定者は未決拘禁者に準じた処遇を受けているなどと記載しているが,どれも実体からはかけ離れている。
 私たち,日本における多くの無実事件の被害者を支援している者は,こうした日本政府の報告に対して,真実の反対報告をしたいと考える。

 日本では,1983年に死刑囚だった免田栄氏が34年6か月に及ぶ獄中生活ののち,再審で無罪となり釈放された。確定した死刑囚が無罪になって釈放されることは,それまでの日本にはなかった出来事である。このことは世界的にも大きく報道された。

 その後,同様な死刑囚,谷口繁義氏(財田川事件)の再審無罪・釈放,同じく斉藤幸夫氏(松山事件)の再審無罪・釈放,同じく赤堀政夫氏(島田事件)の再審無罪・釈放(1989年)と続き,四人もの死刑囚が,奇跡的に私たちの社会への復帰を果たした。
 日本では,過去に,無実の人の何人かが死刑によって殺され,それが秘密にされていることは確実である。免田氏は,自分が獄中にいる34年のあいだに70人の死刑囚が処刑されたが,そのうちの十数人は冤罪を訴えていたと述べている。
 四人の死刑再審無罪によって,多くの人が日本の司法制度に対する深刻な批判を行ったにもかかわらず,日本の最高裁判所は,いまだに全く反省せず何の教訓も学びとっていない。


1.誤判の死刑囚が多い

  日本には,現在死刑が確定して拘置所に入れられている人は56人いる。ところ が,この人たちのなかには多くの無実の人がいる。
   奥西勝氏 (名張事件) 事件は1961年に起きた。
   富山常喜氏(波崎事件) 事件は1963年に起きた。 
   袴田巌氏 (袴田事件) 事件は1966年に起きた。 
  彼らは,獄中ですでに30年近くを過ごしており,高齢だ。
  このほか56人の死刑囚のなかには,自分が行った犯罪事実以外に,行っていない事実を押しつけられ,また,法律の適用を間違えられたために不当に重い刑罰,  つまり死刑を宣告されたとして,事実関係を再審してほしいと訴えている人が多い。
  56人のうち約20人が、既に再審を請求し,あるいは再審を希望している。その中には,私たちが知っているだけでも次の人々がいる。
   尾田信夫氏(尾田事件),小島忠夫氏,小野照男氏,藤岡英次氏,
   大道寺将司氏,益永利明氏,
   秋山芳光氏  1975年から拘置所に収容されている。
   平田直人氏,浜田武重氏
  日本では3年4か月の間死刑の執行が停止されていたが,1993年3月に破られて3人が死刑執行された。近藤清吉氏と立川修二郎氏は,判決内容に間違いがあると訴えて再審を請求したことのある人だった。また川中鉄夫氏は,獄中で精神の異常が確認され死刑執行は違法な状態だった。
  56人のなかで,つい最近(1988年から1992年にかけて),最高裁判所が上告を棄却して死刑を確定させた人のうち,次の人々が無実を訴えている。
   渡辺 清氏  1973年から拘置所に収容されている。
   石田富蔵氏  1975年から拘置所に収容されている。
   金川 一氏  1979年から拘置所に収容されている。
   晴山広元氏  1974年から拘置所に収容されている。
   荒井政男氏  1971年から拘置所に収容されている。
   諸橋昭江さん 1978年から拘置所に収容されている。
   佐々木哲也氏 1974年から拘置所に収容されている。

2.再審を目指す人々

  再審を希望している人は多い。
  平沢貞通氏は1948年から死刑囚として獄中39年間,無実を訴えつづけたが、1987年に獄死した。彼の息子さんが真実と名誉回復を求めて再審を受け継ぎ,第19次の再審請求を行っている。 
  死刑事件ではないが,無期懲役など自らに不当に押しつけられた刑罰を否認し,判決が認定した事実は間違っているとして再審を請求している人々(再審を一旦拒否され再度再審請求を準備している人を含む),また,再審を準備中の人は,私たちが知っている範囲でさえも,次のとおりである。

   山本久雄氏(山本老事件)         1928年     1945年釈放,1983年から再審請求。92年4月第2次再審請求。
   木村 亨氏(横浜事件)          1943年
    1945年釈放,1986年から再審請求。
   鈴木一男氏(丸正事件)          1955年
    1974年釈放,1963年から再審請求。1992年12月死亡
   石川一雄氏(狭山事件)          1963年
    30年間のあいだ獄中。第二次再審請求中。
     桜井昌司氏(布川事件)          1967年
    26年間のあいだ獄中に入れられている。再審請求中。
   杉山卓男氏(布川事件)          1967年
    26年間のあいだ獄中に入れられている。再審請求中。
   斎藤嘉照氏(日産サニー事件)       1967年
    1988年釈放,1988年から再審請求。1992年3月に地裁は
    再審の開始を決定したが,検察官が抗告した。
   吉田 勇氏(榎井事件)          1972年
    1980年釈放,1990年から再審請求。
   富山保信氏                1975年
    18年間獄中に入れられたまま。再審準備中。
   石田明男氏                1976年
    17年間獄中に入れられたまま。1992年1月上告棄却。無期懲役。
    再審準備中。
   生原 勇氏(グリーンマンション殺人事件) 1977年
    1990年釈放,再審準備中。
   天野了太氏(杉並看護学院生事件)     1983年
    9年間のあいだ獄中に入れられている。再審準備中。

3.最高裁判所に上告した無実事件

 私たちの知っている主な事件だけでも,次のとおりである。
   山田悦子さん(甲山事件)         1974年
    第1審は無罪,検察官に控訴され,第2審は地裁差戻し判決。
    18年目の裁判が再び神戸地裁で始まった。
   大森勝久氏(北海道庁爆破事件)      1976年
    17年間拘置所に入れられたまま。判決は死刑。
   山根一郎氏(日建土木事件)        1977年
    16年間拘置所に入れられたまま。共犯者の自白だけで死刑判決。
   青山 正氏(野田事件)          1979年
    14年間拘置所に入れられたまま。障害者への差別による無実事件。
   折山敏夫氏(田園調布資産家殺人事件)   1985年
    8年間拘置所に入れられたまま。1991年6月上告。
   伊藤一男氏(新宿ビル放火事件)      1986年
    第1審は無罪,検察官に控訴され,第2審は地裁差戻し判決だった。
   野崎 登氏                1982年
    第1審は無罪,検察官に控訴され,第2審は無期懲役。
   樫田良一氏                1986年
    第1審は無罪,検察官に控訴され,第2審は懲役3年。
   村松誠一郎氏・裕次郎氏兄弟        1980年
    誠一郎氏は死刑・裕次郎氏は無期懲役,第2審は1992年に控訴棄却。

4.問題点
  このほか,日本全国の高等裁判所・地方裁判所で審理中の無実事件は実に多い。とても数えきれない。
  身に覚えのない事件で逮捕・起訴され,長い年月の裁判で被告とされ,苦しい闘いののちにやっと無罪を獲得する人もまれにはいる。小野悦男氏は16年7か月の闘いののち1991年4月に無罪となった。その判決は,代用監獄の捜査への利用を明確に指摘し批判した。
  刑事事件で逮捕され,マスメディアに犯人として実名で書かれたにもかかわらず,起訴されなかった人々も多い。そうした人の一部は,自分の名誉回復のために国や警察や保険会社やマスメディアに損害賠償を求めて訴訟を起こし,その民事裁判が実質的には自分の無実を証明するための裁判になっているケースがある。  

  これら,“日本型”無実事件に共通している問題点は次のとおりである。
 ・ 警察の見込み捜査(物的な証拠よりも,被疑者の“自白”を重要視する日本警察の伝統的な捜査方法)。
 ・ “自白”を取るための総合的なシステム(逮捕以前の被疑者に対する実質的な尋問・脅かし,欺瞞的な証拠による逮捕状の発布,警察の留置場(daiyoo-kango- ku)での精神的・肉体的虐待,被疑者の家族や知人にも疑いが及ぶといった脅かし,さまざまな利益誘導など)。
 ・ 逮捕とともに展開される大々的なマスメディアによる有罪の断定(全て警察の公式・非公式発表による)。
 ・ 鑑定の不十分・間違い(普段から主として警察の依頼による鑑定を多く行っている鑑定人の科学的水準の低さ,警察による鑑定人に対する誘導)。
 ・ 警察と検察は,被告人に有利な証拠を隠し法廷に出さない。証拠開示の不十分。
 ・ 検察官が量刑不当などで上訴・抗告するケースが多い。
 ・ 検察官・裁判官ともに警察を信頼しすぎる傾向(警察こそ日本の社会秩序維持の推進者であるという暗黙の了解)。
 ・ 裁判官の保守化・官僚化,最高裁判所判事を任命する政府の保守化(人権よりも産業の発展を重要視する日本社会全体の傾向)。
 ・ 日本の人々の裁判制度に対する無関心

  日本では,無実事件は今後も減ることがないだろう。われわれは,彼らを救い出すために努力をつづけ,日本で死刑制度をなくすように,また,日本の犯罪に関する報道のありかたを改善するためにも努力している。

  1993年7月8日
                  再審事件交流会
                   〒168 東京都杉並区永福4−3−2
                         いのせんと舎

(一応解決した主な無実事件・死後再審事件などの読みかた)
   八丈島事件             福岡事件
   帝銀事件              幸浦事件(さちうら)
   三鷹事件              弘前大教授夫人殺害事件
   松川事件              二俣事件(ふたまた)
   小島事件              牟礼事件(むれ)
   木間ケ瀬事件(きまがせ?)     梅田事件
   八海事件(やかい)         青梅事件(おうめ)
   小平事件(こだいら?)       万能事件(まんのう?)
   白鳥事件(しらとり)        米谷事件(よねや)
   辰野事件(たつの)         菅生事件(すごう)
   花巻事件(はなまき)        龍門事件(りゅうもん)
   徳島ラジオ商殺害事件        石和事件(いさわ)
   三里塚事件             仁保事件(にほ)
   五番町事件             熊谷二重逮捕事件
   熊谷柴崎事件            江津事件(ごうつ)
   六甲山事件             デザイナー殺害事件
   蛸島事件(たこしま)        六本木事件
   千葉大腸チフス事件         日大経済学部事件
   鹿児島夫婦殺害事件         三億円事件
   豊橋放火事件            勧銀大森支店事件
   警視総監公舎爆破未遂事件      朝霞自衛官殺害事件
   三里塚東峰事件(とうほう)     沖縄ゼネスト警官死亡事件
   土田・日石・ピース缶爆弾事件    植木商強盗殺害事件
   仙崎・桑原さん事件         二木さん事件
   富士高放火事件           遠藤事件
   野崎事件              山中事件・霜上則男氏
   綾瀬母子殺人事件          大阪貝塚市事件
   大阪選挙違反事件・122人無罪   首都圈連続女性殺人事件・小野悦男氏



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