雑誌『インパクション』1996年12月 100号掲載
“オウム事件”の現在
山際 永三
オウム真理教団に対する破防法団体適用が強行されるかどうかをメルクマールとして、日本の“公安警察・マスコミ情報”は、残る“逃走犯人”の行方と国松警察庁長官狙撃事件の推移をめぐって多忙のようである。
運動史的視点から
話は古くなるが、1968年から70年にかけての日大闘争では1600名以上の逮捕者があり、
私たちは日大闘争救援会を作って差入・面会・保釈金集めなどをやった。71年には日大
全共闘の学生もターゲットとされた警視総監公舎爆破未遂事件が起きて6名が逮捕され、
これがデッチあげだったため十数年の裁判闘争に付き合うことになり、全員無罪を獲得、
最近その国家賠償請求訴訟がやっと結審し、この1月には判決が出る。
当然ながら“公安事件”には複雑な要素があって歴史的真実を極めるには困難が多い
ので、思想・信条に関わりなく発言者の立場が問われることになる。私は全てを相対化
する不可知論には立ちたくない。行動のなかにこそ思想性があるという信念で救援・人
権運動に取り組んできた。
総監公舎事件は、麹町の公舎玄関付近に時限爆弾を仕掛けて逃げようとする犯人を警
官が取り押さえたが、門の鉄柵の間からスルリと抜けて逃げられたという不思議な事件
で、使われた爆弾は火薬様のものを詰めた画材の缶にキッチンタイマーを経由した電流
がガスヒーターに流れて発火させる仕組みになっていたが、時間がきても到底爆発しな
いチンケなしろものだった。h仕掛けた者は無責任、i大騒ぎした公安警察やマスコミ
は虚構を作って利用、j「凶悪爆弾犯人」と顔写真入りで書き立てられ、逮捕拘禁に続
く二十数年間も刑事・民事の裁判に明け暮れた元被告の人々は重い実存そのもの、と私
は考えている。しかし歴史は、そのh〜jを抱え込んで動いているのだから、現象とし
てのhiに対しても目を離すことはできない。
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