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破防法団体適用処分請求却下の要請
公安審査委員会委員長 堀田 勝二 様


 現在、オウム真理教団に対する破壊活動防止法の団体適用の是非について、多くの識者のあいだで論議されているところですが、本年1月18日以来の弁明手続きのプロセスをみても、私たちは同法の団体適用はなされるべきでないと確信し、公安審査委員会として公安調査庁からの処分請求を却下されるよう、委員の皆様に要請します。


 破防法は、日本国憲法との整合性がないことが明らかですが、今回、公安調査庁が行なった適用への手法そのものが、この法律が条文のなかで明示している抑止事項と明らかに矛盾しています。

 すなわち、第2条(解釈適用)において、「必要な最小限度においてのみ適用すべきであって、いやしくもこれを拡張して解釈するようなことがあってはならない。」とし、第3条(規制の基準)では、「必要な最小限度においてのみ行うべきであって、いやしくも権限を逸脱して、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団結行動する権利その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあってはならない。」と規定してあります。二度にわたって「最小限度」が繰り返され、「拡張解釈」「権限逸脱」が重ねて禁じられていることからもわかるとおり、この法律が自己目的化しかねない危うさを秘めていることが、立法当時から予測されていたわけです。

 この第2条・第3条は、破防法という法律の心臓部に注意深く内臓された自動制御装置・安全装置のようなものですが、現在は、その装置が効かなくなった状態、いわばブレーキが機能しなくなった状態にあたります。破防法の施行は昭和27年であり、たとえり排気ガスを噴きながら猛然と走りだしている異様な光景を目にするようなものです。その古びたブレーキが金属疲労を起こして機能しなくなっているのですから、恐ろしいかぎりです。

 今回の公安調査庁の手法は、「拡張解釈」につぐ「拡張解釈」です。

 まず、「松本サリン事件」が破防法適用への有力な根拠となっていますが、この事件も実際には、いまだに全体構造がみえにくい状態です。検察庁すら「政治目的」を主張し得ないのに、公安調査庁がどうして「政治目的」と断定できるのでしょうか。何よりも宗教団体がかかわるという動機部分や、「裁判官への報復?=国家転覆」という公安調査庁の主張するストーリーが、現実感をもっていません。この点は、第3回・第4回の弁明において明白になったと思われます。「麻原彰晃を絶対君主とする祭政一致の独立国家の建設」というストーリーを支える根拠は、全く脆弱です。公安調査庁は押収したフロッピーディスクから取り出した情報により、「祭政一致の独立国家、太陽静寂国建設」なる言葉を有力な証拠としていますが、その内容は多くの出家信者や一般信者が全く知らないことです。また、そのフロッピーを押収された信者は、結局逮捕もされていません。

 裁判手続きにより事実関係が確定することさえない段階での「政治目的」の断定――今回の破防法団体適用は、法的に正当性が全くないといわざるを得ません。

 つぎに、麻原元教団代表は、教団がなしたとされる「暴力主義的破壊活動」の中心に常にいたとされており、その弁明は不可欠であるにもかかわらず、中途で打ち切られました。しかも、同元代表は視力障害者であり、公安調査庁が提出した証拠などを朗読した録音テープを再生聴取する時間が必要でしたが、それも十分には与えられませんでした。かんじんの証拠内容を、弁明者本人にきちんと知らせないうちに、手続きを終了させようとする公安調査庁の手法は、明らかに強権的です。

 また、それらの証拠の主要な部分は、信者・元信者の供述とされていますが、その信用性を担保するものは結局示されませんでした。誰が何処で供述したのか不明のまま、調査に当たった公安調査庁職員の報告を信用せよというのは、あまりにも無理です。私たちの調査によっても、供述をしたとされている信者・元信者は、相手が法務省の人なのか警察の人なのか判らぬうちに、曖昧な返事をした者も多いということです。質問のしかたも非常に誘導的であったといいます。電話で、聞かれたことがあるという人もいます。刑事訴訟手続における、供述調書の読み聞け・自署・捺印という手続きにあたるものがあるのかどうかも不確かです。弁明において公安調査庁の受命職員は、「我々を信じてください」と述べ、教団代理人が、「それでは宗教ではないか」と発言せざるを得なかったことは、今回の弁明手続きの不透明さを象徴的に示しています。

 証拠とされている信者・元信者の供述が、もしそのようになされたのだとしても、マスメディアの報道に影響されていることは、十分に考えられます。マスメディアは、オウム事件に関して、あることないことをセンセーショナルに書き立て、恐怖を煽りました。重要な点で多くの誤報がなされていたことが、いまは明らかになっています。

 弁明の公開性も、全く不十分でした。傍聴席は、記者クラブ所属の新聞社・通信社・テレビ局に限って用意され、それ以外の雑誌・一般新聞・一般市民は傍聴できませんでした。雑誌記者が、弁明の行われる建物の外観を撮影することさえ禁止されました。戒厳令下の軍事法廷さながらの厳重な警戒は、世論にオウムの恐怖を印象づけるための演出にすぎなかったと考えざるを得ません。私たちは、そうした公安調査庁の手法に、時代の逆行をみる思いがしました。

 もうひとつの大きな問題は、破防法の団体適用において禁止される「団体のためにする行為」とは具体的にはどういうことなのか、そのガイドラインが、なにひとつとして明らかにされていないことです。3人で会議をすれば「団体のため」なのか、2人で修行をすれば「団体のため」なのか、万が一に適用された場合の混乱は、計り知れないものがあります。

 また、昨年6月以来、教団側から公安調査庁に対して再三の指導要請があったにもかかわらず(6月14日、7月22日、8月12日、9月21日に送った意見書)、それに対して返事がありませんでした。10月2日に上祐史浩緊急対策本部長(当時)が公安調査庁に出頭して文書を手渡し、「@教団との正式なコンタクト、A貴庁の教団に関する見解の表明、B教団運営に対する指導(特に将来の危険を取り除くためになど)」を具体的に求めたにもかかわらず、公安調査庁は、当日もその後も全く対応しませんでした。オウム真理教団とのコミュニケーションを一方的に絶った状態で、ともかく「はじめに破防法適用ありき」で押し切ろうとしているのが公安調査庁です。現在のオウム真理教団のどこに、「継続又は反復して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれ」があるというのでしょうか。

 以上のように、大きな矛盾・不透明性・反時代性の要因をはらみつつ、強権的に破防法団体適用へのプロセスは、規定方針のように進められています。公安調査庁としては、公安審査委員会が却下することなどは 100%あるはずがないと、決めてかかっているようにも見受けられます。

 弁明者側の主張、当該団体個々人の基本的人権は全く無視されていますが、それとともに、公安審査委員会の委員の皆様の意思も無視されているのではないでしょうか。日本の行政機関と有識者によって構成される審議会等の関係がしばしばそうであるように、公安審査委員会委員の皆様の見解も、弁明手続き同様に、公安調査庁からみれば、単な る「形式」以外の何ものでもないのではないかと考えざるを得ません。

 しかし、本来そうであってはならないはずです。21世紀をまぢかにしてこの国が、原理・原則を根底から考え直さなければならない時期にさしかかっていることは、最近のさまざまな社会現象からみても明らかです。

 破防法団体適用の是非繙繧アの結果は、将来にわたって多様な角度から論じられるでしょう。公安審査委員会委員の皆様の判断が、歴史的な決定になることは間違いありません。エモーショナルな「世論におされたかたちでの適用」あるいは、「公安調査庁におされたかたちでの適用」が、はたして厳正な歴史の批判に耐えられるかどうか、いま問われています。皆様の、勇気ある「却下」の決定を、心から要請します。

 この要請は、本年1月に発足した「オウム裁判対策協議会」の責任において、賛同者をつのり、その署名をそえて公安審査委員会委員長に提出し、あわせて、同委員会委員の皆様にコピーを送らせていただきます。

 「オウム裁判対策協議会」は、オウム真理教団関係事件の裁判が、マスメディア等の不当な影響を受けることなく公正に行なわれ、被告人が適切な弁護を受けられることを目指して、オウム真理教団とは異なる立場の人権活動家と、オウム真理教の一般信者有志が手を携えて結成した会です。


1996年7月7日

オウム裁判対策協議会
世話人  山 際 永 三
千代丸 健 二
山 中 幸 男





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