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月刊むすぶ99年10月号(No.346)掲載

「オウム事件」とくに松本・地下鉄サリン事件について
          
人権と報道・連絡会  山際 永三


 私たちは最初から言っていたのだが、「オウム事件」に は裏がありすぎる。“臭いものに、寄ってたかって蓋をす る”から、こちらも、いよいよ意地になるのだ。
 戦後だけみても、謎につつまれた事件というものはある。 三鷹・松川事件も小説家の推理はあるが、本格的な真相暴 露は、いまだである。歴史の曲がり角には、そういう謎が つきものだとも言える。そのあたりを考えようともしない “オウム・ウォッチャー”どもの薄っぺらな口舌には虫酸 が走る。
 同時に、“オウム・ファシズム論”を言っていた政治至 上主義者たちにも、あきれるばかりだ。冷戦構造の崩壊以 外にも、世界史の転換要因はある。情報化社会の総管理体 制のなかでこそ、噴出してきた「オウム」という視点で、 考え直してもらいたいものだ。「オウム」の内部にも要因 はあった。しかし、それだけではない。


     権力は知っていた

 マスメディアの大勢は、一九九五年三月二十日の地下鉄 サリン事件で、突然大騒ぎになったということになってい る。ところが、あとで知るところによると、前の日の日曜 日には多数の警察官が朝霞の自衛隊施設で防毒マスクの装 着訓練をやっていた。警察幹部は、少なくとも何者かが、 近く毒ガス散布を決行することを察知していたのだ。そし て同じ十九日夜、青山のオウム真理教団本部前に火炎瓶が 投げつけられる事件があった。あとで、それはオウム信者 の自衛隊員が自作自演したものだったという。地下鉄サリ ン事件にしても、捜査攪乱が目的などというが、ちっとも 攪乱していないではないか。みえみえの自滅的事件である。
 午前八時ころに事件発生、証拠物を警察が入手したのが 九時だとして、それを大宮の自衛隊化学学校に運んで仕分 けしたともいわれているが、裁判では警視庁科学捜査研究 所の技師が分析・鑑定したとされている。いずれにしろ午 前十一時の警視庁寺尾捜査一課長記者会見におけるサリン 断定は、あまりにも手際が良すぎる。私は、十九日の時点 で、警察幹部とオウム幹部またはその周辺にいた別人物な ど、ルート複数の可能性も含めて、緊迫した情報のやりと りがあったことは確実だと考えている。たとえば、「いよ いよサリンを撒く」「いや、やめさせろ」「いや、もう間 に合わない」など。
 しかも、前年の九月には、松本サリン事件はオウムの犯 行だという怪文書が出回っていたというではないか。その うえ九五年一月一日の読売新聞を始めとして複数のマスメ ディアは、富士山麓のオウム施設周辺において、サリンの 痕跡が警察によって分析されたと報道している。警察は何 をしていたのか? 三月二十日を本当に防ぐ気は、なかっ たのではないか。
 私は、だからと言って、警察の怠慢を第一の問題と言う つもりはない。知っていて防がなかったことに、謀略性が あると言いたいのである。



    カナリアの語るもの

 三月二十二日のサティアン一斉捜索についても疑問が多 い。早朝の捜索開始は全マスメディアに知らされており、 中央道を疾走中の車内からすでに中継は始まっていた。傑 作なのは、カナリアの映像である。テレビカメラは、重装 備(十九日の防毒マスクは二十日には間に合わず二十二日 には役にたったことになる)で待機している警察部隊とサ ティアンの中間にセットされていた。噂によれば、各テレ ビ局のカメラがスタンバイして、「ハィ!OKデース」と いうことになった。そこで警察部隊は、カナリア籠を先頭 に静々と歩きだした――という。そして、カメラはカナリ ア籠を、左から右へ、きっちりとパン撮影したのである。 警察部隊よりもサティアンに近いところにテレビクルーは 先に行っていたということだ。もしサリンを撒かれたら、 一番危険なところにマスメディアが先に行っていた。それ ほどに命を張ってまで取材するにふさわしい大事件だと説 明されるだろうか。風は警察部隊方向からサティアン方向 に吹いていたという説明もあるかも知れない。だったら、 何でカナリアを先頭にたてるのだ。ヤラセじゃないか。い ずれにしろ!――これらの事実は、サリンがもう無いこと を知っていた者が警察側にいたということにより、はじめ て納得できる。



     物証がなさすぎる

 だいたいオウムが、本当にサリンを作っていたのかとい う疑問もある。第7サティアンの器械装置では、本格的な サリン合成は無理だと言われている。私は詳細は判らない が、きちんとした換気装置がないと合成作業をしている者 に危険が及ぶのだという。この点、オウムの人々の「ワー ク」は、綿密性がなく失敗は日常茶飯事だったという話も あるし、何かの時には撒いた当人が中毒症状になって、あ わてて治療したという話も伝えられているから、案外粗雑 なやり方で薬品を扱っていたのかも知れないとも思う。地 下鉄サリン裁判における検察側主張は、第7サティアンで はなくプレハブの研究棟で作ったということになった。そ うであるならば、第7サティアンの器械装置を「ワーク」 しただけの人に殺人予備の罪名を適用するのは無理という ことになる。でも、その罪名で重い判決がすでに出ている。  サリンの化学的な詳細については、私たちの仲間の三浦 英明さん(緑風出版『DNA鑑定』の著者)が相当勉強し ているので、彼からの受け売りが多くなるが、純粋なサリ ンは無色・無臭だそうだ。ところが、松本でも地下鉄でも 現場で白っぽい霧のような煙のようなものを見たという証 言が多い。また、刺激臭を証言している人も多い。そこか ら、オウムのサリンは純粋なものではなく、不純物が混じ ったか、わざと混ぜたか、あるいは現場で2種類の薬品を 混ぜた(バイナリ方式)か、またはサリンとは違った毒ガ スを発生させたのではないかという説が有力だ。



    刑事裁判の形骸化

 このあたりは、裁判ではおよそ不十分にしか審理されて いない。地下鉄サリンの薬品についても、いつのまにか出 来上がったものがビニールだかポリエチレンだかナイロン だかの袋に入っていて配給され、だいたい2袋ずつなのに 誰とかは3袋になって、その時の気持ちは……と、心情の 方ばかりが「自白」されて、肝心の物証としての証明は全 くおろそかになっている。熱心な弁護士が、この辺を突っ 込もうとすると、「時間の無駄使い」「裁判の引き延ばし」 と検察官・裁判官・マスメディアに、寄ってたかってバッ シングされ、あげくの果ては別件をでっち上げられて弁護 士が逮捕されてしまうのだから(麻原主任弁護人・安田好 弘氏のケース)ひどい世の中になったものだ。
 サリンが入っていたという袋も、サリンの残留物も、法 廷では明らかになっていない。押収・仕分け・鑑定の過程 の写真さえきちんと提出されていないと聞く。袋は、病院 で点滴に使うようなものという話も出たが、それを誰がど こから調達してきたのかなども、これまでの別の裁判だっ たら必ず問題になった点だろうに、今回は全く出てこない。 点滴に使うような袋ならば、雨傘の先で穴を開けることは 不可能だと言っている人もいた。想像は膨らむが、では傘 の先を削ってとがらせていたのかとも思ってみる。ところ が、その雨傘がどこからも発見されないのだから、証明・ 納得のしようがない。
 三浦英明さんの研究によれば、地下鉄車内での薬品収納 容器は、袋ではなく箱型のものという話も沢山あり、乗客 がビンの割れるような音を聞いたという話もあるという。
地下鉄の線によって被害の程度が全然違うのはなぜか。日 比谷線が特に被害が大きかった。
 消防庁の分析では、アセトニトリルが検出されたという。 ところが、警視庁は一貫してそれを無視・否定している。 三浦さんの研究では、アセトニトリルは、現在起訴されて いるオウム幹部のサリン生成過程では登場しない。またサ リンの分解の過程にも登場しない。工業的によく使われる 薬品で毒性はあるという。サリンの効果を遅らせるために 混ぜられた可能性はあるとのことだ。一方、自衛隊の化学 部隊は、ガス検知器でびらん性ガスを検出したという情報 もある。びらん性ガスとなると、サリンやタブンなど神経 性毒ガスとは系統が異なる。この他、地下鉄サリンには多 くの疑問点がある。すべて裁判では一向に解明される気配 はない。



    松本サリンの時刻問題

 今年の5月に、三浦英明さんたちは、改めて松本の現地 を調査した。その調査は、公表されたさまざまな資料に基 づいて、綿密になされた。とくに、これまでも一部で指摘 されていたことだが、サリン散布時刻の問題で、重大な疑 惑が浮上した。

 松本サリン事件は、一九九四年六月二十七日夜十時四十 分ころから十分間サリンが撒かれて、それが河野義行さん の家や近くのマンションの窓に入り、多くの人が中毒し、 七人が死亡したということになっている。犯人とされたオ ウム幹部の「自白」もその線で統一されているようだ。と ころが、まだ明るい午後六時ころ、自宅の松の木から沢山 の毛虫が落ちて刺激臭があったと証言している人がいる。 七時ころ、白っぽい霧を目撃し、その後目が痛くなり具合 が悪くなったという人もいる。また、八時台・九時台に自 覚症状をもった住人が十三人もいる。これらは、松本市地 域包括医療協議会がまとめた『松本市有毒ガス中毒調査報 告書』という公式の文書に記載されているのである。治療 に当たった人々の報告だから信用性もある。これらの事例 の一部は、新聞にも載っている。さらに九時半ころ、電話 をしていた女性が電話の相手から声がおかしいと言われ、 その後呼吸困難、視界不良となり、あとで救助隊員に助け られたという事例、十時半ころ部屋の窓を開けると異臭を 感じたという事例、同じく十時半ころ家族で気持ちが悪い と訴えた事例も報告されている。

 また、朝日新聞によると、九時ころ近くに車が停まって おり、そばに銀色っぽい宇宙服のようなものを着た二人が 立っていたのを見たと言う人がいる。いずれにしろ、オウ ム幹部が撒いたという十時四十分ころより前の時間帯であ る。毒ガスが撒かれたあと、どこかに滞留して、後になっ て中毒者が出たというのなら判るが、前に、しかも五時間 も前から異常があったとなると、オウムが何回かに分けて 撒いたのか、そうでなければ別働隊がいたということにな る。この疑問も、いまのところ裁判では何の問題にもなっ ていない。



     オウム事件の意味

 オウム事件では、村井秀夫氏刺殺事件の真相も闇の中だ。 実行犯は特定の者の指示により決行したとして有罪確定、 指示したとして起訴された者は無罪である。二つの内容対 立する判決がそのままになっている。国松警察庁長官銃撃 事件に至っては、「自白」した元オウム信者の警察官の問 題が、結局あいまいになってそのままだ。
 犯罪を裁くつもりならば、きちんとした証拠と手続に依 拠すべきだ。歴史のなかで人類が積み重ねてきた智恵では ないか。
 オウム事件は、巨大な謀略事件の様相を呈している。そ のなかで、国旗・国歌法、盗聴法を含む組対法、総背番号 制、入管・外登法改悪などが、いとも簡単に成立してしま った。破防法の改悪さえ叫ばれている。各地のオウム排斥 運動、自治体による転入拒否など、憲法の精神は土足で踏 みにじられ、マスメディアが圧倒的に振りまく価値観は、 ――オウムさえいなければ日本は幸せ――というあだ花だ。 私は、それを拒否する。
        

(九九年九月)



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