『世界』編集長・岡本厚殿 「僕のマスコミ日誌」執筆者・牧太郎殿 『世界』1996年7月号記事「僕のマスコミ日誌」に対する抗議として、同封の文書および資料を送ります。 1996年11月18日 小野悦男さん救援会 山際永三
月刊『世界』本年7月号の連載「僕のマスコミ日誌」は、《「小野容疑者」問題が突きつけた「メディアと人権」》と題して、筆者・牧太郎氏の思索過程、つまり「日誌」を公表するかたちになっているが、今日のわが国における新聞人の、ある種典型的な発
想をかいま見させる文章で、私にとっては鼻持ちならないものだ。 |
まず牧氏は、冒頭に『週刊新潮』5月16日号、《無罪病裁判官と人権派弁護士が野放
しにした殺人鬼「小野悦男」》と題する記事を援用し、《かなり刺激的で、ある意味で
「ことの本質」に触れる問題を特集した》と書いている。牧氏自身の評価を必ずしも明
らかにしていないが、少なくとも『週刊新潮』がまるで間違った記事を書いているので
ないことが前提となっている。《ことの本質》というのだから、『週刊新潮』に一理も
二理もあるという書き方だ。ところが『週刊新潮』は、全く事実に反する偏見でこの記
事を書いているのであって、「ことの本質」を曲げることはなはだしい挑発的な記事な
のである。《無罪病裁判官》というのは、小野さんの控訴審で無罪を判決した裁判長を
指しているのだが、4年前の『週刊新潮』1992年3月19日号は同裁判長がいわゆる撚糸
工連事件で無罪判決を出したことを非難し、そのうえ過去の冤罪である警視総監公舎爆
破未遂事件でも同裁判長が無罪を出したことなどに理不尽な言いがかりをつけて《無罪
病》と誹謗した。“裁判官は弁明せず”を逆手にとって、いくつかの無罪判決を同じ裁
判官が出したからといって《無罪病》とは、あまりにも酷いではないか。同裁判長は、
当然ながら有罪判決も出しているし、証拠に基づく確信をもって無罪を出したのであっ
て、病気であるわけがない。裁判批判の次元ではなく、要するに検察側のいうとおりに
判決をすればいい繙繹ォい奴に無罪を出すなど許せないという裁判否定・法治国家否定
の記事であって、『週刊新潮』は常軌を逸しているのである。92年の記事につき第二東
京弁護士会は、新潮社に意見書を送りつけて警告している。にもかかわらず本年5月、
16日付と30日付の二号にわたって再び書かれたわけだ。 以 上 |