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オウム真理教に対する強制捜査を考える市民の会ニュース 第10号掲載

支離滅裂な理論による強制捜査と無責任な報道
          
岩崎 一郎


 私は信者でも元信者でもないが人権擁護の立場から、オウム関係者の不当強制捜査に対する国家賠償請求を準備の段階から支援している。

 この活動をしているうちに以下の事実を知った。

 警察は今やガサに入りたい所へは自由に入り、好きな物を取っていくことができる前例を作り上げた。

 では警察はどうやってそんなに自由に強制捜査ができるのか。その代表的手段が96年から徹底的に行われたオウム信者・元信者に対する「電磁的公正証書原本不実記録・同供用」の罪による強制捜査だ。


 新聞にもこのように掲載されれば「またオウムが悪事をはたらいた」と読者には理解され、権力の動きに疑問を挟まない。

 しかし「電磁的公正証書原本不実記載・同供用」という罪をわかりやすくいうと、新しい入居先に住民票を転入し忘れたりしただけの、誰にでもごくありがちな、犯罪性の極めて低いことなのである。住民票の問題は普通なら口頭注意ですまされるところだろうし、そうすべきだろう。その住民票の罪を犯した人が一度行ったことのある場所だから強制捜査、などの支離滅裂な例もめずらしくはない。そして実際そこを捜索しても犯罪性のあるものは何も出てきていない。警察の狙いは教団関係者の情報である。だから押し入った容疑と関係あろうとなかろうとパソコンがあったら必ず押収していっている。また、情報と言ってもなんのことはない、誰と誰が友達とか、経済状態はどうとか、別に犯罪とは全然関係のない個人のプライバシーでも警察は知っておきたいのだ。知りたい方はいいかもしれないが、いつ部屋を荒らされプライバシーを暴かれ、何を取って行かれるかわからずに怯える方はたまったものではないだろう。無論、こんな方法で情報を押さえようとする警察の行為が完全に違憲・違法であることは言うまでもない。

 また、この強制捜査は時期・回数とも完全に把握するのは不可能である。知りうる前例を見ても裁判所は「極めて軽率に」に「何も考えず」に強制捜査令状を与えているからだ。単純にオウム信者といっても様々な性格、立場の人がおり、少々気の弱い人なら精神状態を叩きのめされてしまう。

 抗議の声を上げたくとも、相手は一応手続き上は、「合法」としてやってきており、即効果のある抵抗方法は今の日本の法手続では存在しない。とんでもないストーカーに睨まれてしまったようなものであり、家族や仕事、その他のプライバシーなど、守るべきものが多い人に対してなら他殺行為にも匹敵する。一昔前の過激派に対する爆取り法を使った強制捜査ではいきなりの身に覚えのないガサによりショックで入院した老人などもいる。私の知るオウム信者・元信者は、一つの物事に固執しない傾向があり性格的にも楽天的な人が多いのでどうにか持ちこたえているようではあるが、それがせめてもの救いである。

 これが「法治国家日本」の現状なのである。

 そしてつい先日、さらにエスカレートしたヒステリー捜査が行われた。

 以下で、ことの流れをわかりやすく説明する

 まず、農林水産省のインターネット上に出しているホームページに悪戯がおこなわれた。

 そのホームページを開くとオウム真理教が作曲した音楽が流れるようにされていたのだ。

 ちなみにこのいたずらは多少のコンピュータの技術があれば誰にでもできる。問題になった音楽自体、オウム真理教がインターネット上で公開しているものなので誰にでもコピーは可能である。

 インターネットになじみのない人にたとえて言うなら、誰にでも手に入るレベルのオウム真理教の音楽が入ったカセットテープを、どこかの誰かが農水省に置き去りにして黙って立ち去ったようなものだ。またこのたとえで言うならいたずらに対する対処法はカセットテープを捨てることになるが、現実の農水省ホームページに対するいたずらもデータを消せばいいだけである。簡単にできる。そして実際農水省は発見次第すぐに対処し終わっている。

 いたずらの被害のレベル自体この程度で、この「被害の程度」の観点、「犯罪性」の観点から言ってもいいこととは言えないが特に騒ぐようなことではない。まあ、何回もやっていたらさすがに犯罪性がでてくるかもしれないが、この場合はそうではない。

 要するにこのいたずらはインターネットを楽しむ何千万(何億かもしれない)という多くの人々の、誰にでもできることなのであり、その上犯罪性も極めて低い。日本語が分かれば外国からでも簡単にできる。アメリカ他インターネットにつながりさえすれば全世界どこからでもできる。また、警察官にも十分可能な所業である。中にはいたずら好きな人はたくさんいるだろうし、このような現象は今後もめずらしいことではないだろう。

 ところがこのいたずらを理由に、また!、オウム関係者に強制捜査がおこなわれたのである!

 このあと、読売、産経、毎日など大手の新聞が「電子計算機損壊等による業務妨害」などとややこしい言葉を使ってオウムに対する強制捜査がおこなわれたと書くから、大多数の市民はつっこんだ検討ができずに、あいまいに「またオウムが悪いことしたのかな」と思って終わりだろう。ところが実態は前述したとおり、「論理があまりにも飛躍している強制捜査」なのだ。

 警察のやりたい放題も極まった。それに追随する大手新聞の欺瞞な記事も情けなさすぎる。記者たちもデスクたちも違法捜査の実態を理解はしているだろうが、権力批判は怖くて誰も書けないのだ。

 ペンの力を持つ報道関係者を含め権力を有する人々は、同時に義務を背負っていることを自覚するべきである。

 そして権力は世論に弱い。自分一人の力は弱いと思わずに、これを読んでいるあなたにも不当な権力への抗議の声をあげてほしい。市民の会ニュースに寄稿するのも一つの方法だろうし、いろいろ微力ながらもやれることはあるだろう。問題を解決していくのにはこれからの小さな積み重ねが大切だ。他人事として、あるいは例外として、ほおっておけば上記のようなことが前例となり必ず権力のヒステリーが増大していく。これに対抗するのが唯一、市民の声なのだ。



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