月刊『現代』の魚住昭氏論文および『週刊 金曜日』の安田弁護士・宮崎学氏・佐高信氏 の鼎談を、興味深く読ませていただいた。改 めて安田さんのデッチ上げ逮捕・長期勾留、 そして裁判が、いかに異常であり、象徴的で もあるかを痛感した。 私が安田さんを知ったのは、安田さんが東 京国際合同にいて、晴山さん事件や宮代事件 にとり組んでおられる頃だったと思う。膨大 な弁論要旨のコピー作業などをお手伝いした ことがあった。よく言われるように、安田さ んの受任事件に対する精力的なとり組みや洞 察力には舌を巻くものがあった。弁護士とい う職能は、徹底してやりだすと、どうにもな らないほどの仕事量になるのだということを 安田さんは身をもって示していた。
弁護士という職能 一般的には、弁護士という職能は独立独歩 の自由業で、よくも悪くも人間社会の近代的 な知恵が生み出し、また必要とした職能であ る。法の裏付けのあるギルド(弁護士会)が 整備されており、基本的には企業的な組織か らも自立しているわけで、多くの弁護士は何 に対しても自分のオピニオンを常に持って闊 達に論じ、自在に活動しているように見えて、 うらやましい思いをさせられる。 ところが、互いに「先生」と呼び合うあた り、さらに裁判で敗北したような時の依頼人 への態度に、ふと、弁護士は医者や坊主と同 じで“ひとの不幸がメシの種”、いやな一面 を見せつけられることもある。独立している だけに自分ひとりで決定しなければならない 場面も多く、その意味では大変に難しい、孤 独を強いられる職能でもあろう。 私は映画監督として、企業組織の外にあり ながら、ある時はその組織と渡り合い、プロ デューサーという“権力者”と協力関係をも ち、また対立もし、大勢のスタッフや俳優と の共同作業、そのなかで決断しなければなら ない自分の位置、作品が完成した後のしばし ば理不尽な評価といったもろもろの体験をし ながら、つくづく映画監督は孤独な職能だと 思ったこともある。映画監督は、日本ではめ ずらしい部類の協同組合というギルドももっ ている。ギルドでは、政治的主張や作品のよ し悪しは極力論じないという暗黙の申し合わ せもある。 だから弁護士会の中がまとまりにくいとい う話を聞くたびに、当然だろうとの理解もで きる。しかし、日本の弁護士が、司法試験に 受かった人の中から裁判官志望者、検察官志 望者と分かれていくとはいうものの、時とし て「法曹三者」という言い方で同じカマのメ シを食べたという意識をチラリとみせること もあり、幻滅を感じる。 安田さんは、そうした「法曹三者」意識か らも最も遠いところにいる純粋な弁護士であ ることは多くの人が認めるところだ。その安 田さんが今回の弾圧にさらされたのだから、 私たちがショックを受け、権力に対して強い 怒りを感じたのは当然だ。同時に私は、この 状況全体を再度冷静に見直さなければならな いという思いにかられた。 さまざまな弁護士像 権力に強制されたとはいえ安田さんを告発 したのが、私たちもよく知っている弁護士ら であったことも驚きだった。バブル崩壊以降、 債権回収強化のスローガンのもと、すでに弁 護士の多くが権力側の組織に組み込まれてい たという。安田さんが主任を務めている麻原 国選弁護団に対して、テレビなどで何かと非 難していたのも弁護士であった。 一方、安田弁護士を弁護するために、多く の優秀な弁護士が集まってくれ、誰々さんが 着任してくれたという知らせを聞いて、ささ やかながら拍手を送ったのは私だけではある まい。思わぬ人々からのカンパも寄せられて いることも聞いて、改めて安田さんの人徳を 知った。 選択を迫られる別れ道 「安田弁弾圧状況」は、それに向き合う誰 に対しても、弁護士であれ映画監督であれ、 他の職能の人であれ、何らかの選択をせざる を得ない、一種の別れ道をも私たちに示して いる。それは単に「安田弁支援」を目指すか どうかだけではなく、「中坊良識体制」に組 み込まれるかどうかであり、「第2破防法体 制」「オウム救援」に、どのような姿勢をと るかが問われるという、ある種複雑な別れ道 であった。その交差するところで、急速にさ まざまな“ねじれ現象”も起きている。“ね じれ現象”とは、ある問題では同じ考えで一 緒に行動できる人が、別の問題では対立する 考えをもっていて一緒に行動できないという ほどの意味である。 かく言う私自身、95年の時点では少し事態 を甘くみていた。かの野崎研二弁護士に「オ ウム弁護」をもちかけたのは私だった。野崎 弁は、95年10月の麻原氏の私選弁護人(当時) とのゴタゴタの際には、それなりの役割も果 してくれた。そのころ野崎弁が孤立してマス コミにとり囲まれる状況が、放置されたこと は残念だった。ひき続き野崎弁と私にとって は、小野悦男さんの新しい事件(96年4月) が起こってしまい、野崎弁は小野さんの20年 前の冤罪の弁護人だった関係から、その冤罪 は実は虚偽だったのではないかというマスコ ミの攻勢に屈伏し、小野さんの新しい事件の 弁護に懐疑的となり、結局私とは決定的にね じれてしまった。マスコミから“ころび人権 派弁護士”として便利に利用され、少年事件 や冤罪事件などの人権問題について事実関係 を無視した“反人権”的コメントまで取られ て、いくら私が批判しても開き直ることしか しなくなってしまった。野崎弁と私の長い交 流を省みて、慚愧にたえない。 一方、麻原氏には国選弁護団が着任するこ とになり、安田さんが引き受けられたと聞い た時には、本当に「さすが安田さん」と感激 したものだ。1970年当時から、弁護士抜き裁 判の動きと闘ってこられた渡辺脩弁護士が弁 護団長になられ、刑事弁護の原則にのっとっ て麻原氏の弁護活動を始められた。ところが その麻原国選弁護団に対して、検察官から裁 判官、政治家、マスコミまでの、ゆわれなき バッシングの嵐が始まった。「裁判の引き延 ばしをするな、麻原を早く死刑にしてしまえ」 という論調は、ほとんど西部劇のリンチに走 る人々にも似て、近代社会が多くの人々の犠 牲の経験から積み上げてきた裁判のあり方そ のものをも全面否定しかねない世論ヒステリ ーの様相を呈していた。 しかも、その裁判の内容は、ほとんど物証 なしの調書裁判に終始している。肝心の薬品 であるサリンの鑑定関係や袋などの証拠物、 その写真さえも法廷には顕出されていない。 弟子たちの「自白」と「証言」で全てを立証 しようとする検察官の方針は、一連のオウム 事件に対するさまざまな疑問・謎の解明を許 さず、臭いものに蓋をして、麻原極悪人説に 収斂させ、歴史の1ページを葬り去る方向を 目指しており、裁判がねじ曲げられているよ うに思えてならない。 あげくの果てが、主任弁護人である安田さ んへのデッチ上げ弾圧である。“権力という 虎の尾を踏んだ”と言われるゆえんだ。 オウム問題をめぐって 95年の時点から、オウムの被告人に私選で 着任する勇気ある弁護士もいた。圧倒的に少 数だが、「弁護士が、いわゆる犯罪者の弁護 をしてなぜ悪いの?」と、堂々としているそ うした弁護士の姿をみると、本物の人間性の 幅を感じて、うれしくなる。ただ、東京の弁 護士がいかにも少なく、関西から数人の弁護 士が新幹線で往復しているのをみると、6000 人もいるという東京の弁護士は、一体何をし ているのだと言いたくもなる。 96年から97年にかけての、オウム破防法適 用の際の代理人となられた内藤隆・芳永克彦 ・清井礼司・李宇海の4弁護士の緻密でフエ アーな活躍はすばらしかった。 そうした弁護士を陰で支えていた弁護士の 存在もあった。こうした弁護活動の真の実践 は、何としても語り継がれ、将来に生かされ るべきだ。 オウム事件では、横浜の坂本弁護士一家殺 害事件があったことも、弁護士のオウム嫌悪 をかきたてたと言われている。確かにそれは あるだろう。しかし、その職能意識はいただ けない。職能にあぐらをかけば、やがて大き な反発もある。 ロス疑惑事件の主任弁護人である弘中惇一 郎弁護士が、薬害エイズ問題で起訴された医 学部教授の弁護を引き受けて、これまた非難 された頃、「国家から資格を与えられる職能 は、しょせん批判をあびる時代ですね」とい うような感想を漏らしておられたのが印象的 だった。ロス疑惑事件は、“あんな悪い奴の 弁護をする悪い弁護士”といった世論ヒステ リーが醸成されるようになったハシリでもあ った。そうしたマスコミ攻勢にくたびれ果て、 被告人との信頼関係まで傷つけられてロス疑 惑裁判を途中で降りた有名弁護士もいた。 私たち人権と報道・連絡会の活動は、マス コミに煽られた世論が、裁判を、証言を曲げ てしまう時代、私たちが言うところの「情報 化時代」の弊害への闘いとして、まさに「法」 のあり方を問うものとして、1985年に発足し たのだった。 テレビが人をダメにする マスコミは、全てを単純化して、論理より も感情で判断するような見方を、圧倒的な量 でばらまく。犯罪ストーリーは、勧善懲悪で なければ紙面にも電波にものらない仕組みが 出来ている。犯罪は社会の病理だという考え 方を、完全に捨象する。「あの“犯罪者”さ えいなければ、社会は、家庭はこんなにも幸 せだったのに」という構造である。それに全 面的に楯突いたとして、極悪非道の烙印を押 されたのがオウムだった。 テレビに出演して、まことしやかに事件を 分析する解説者には、驚くほど「元検察官」 が多いが、元からの弁護士もいる。オウム事 件の被害者側にたつという某弁護士は、テレ ビでの発言が弁護士法43条(他の弁護士を誹 謗中傷)や56条(法律・会則違反)に該当す るとして、弁護士会に懲戒請求までされた。 また、カルトの専門家というふれこみで、薄 っぺらなオウム論を喋っている弁護士もいる。 その弁護士に破防法反対集会で顔を合わせた ので、「Kさん、適用賛成じゃないんですか」 と声をかけたら、「僕は、破防法適用をつぶ すのに貢献してるんだよ」と言って、その後 著書を送ってくれた。しかしそのKさんは、 第2破防法(団体規制法)適用を前に、オウ ム元幹部の刑期満了に大騒ぎするテレビに出 演して、元幹部に付き添う弁護士の姿を見て 非難の言葉をあびせていた。自分が弁護して 有罪となった元被告人が、満期で出獄するの を迎えに行く弁護士など、実にヒューマンな 場面ではないか。弁護士が、犯罪を犯したの でもない弁護士を告発する時代だから、K弁 護士のピエロぶりを笑ってすますわけにはい かない。 江川紹子氏や有田芳生氏らの、いわゆるオ ウムウォッチャーたちのテレビでの発言も酷 すぎる。まさに虎の威をかる狐、権力のアナ ウンサーである。彼らは、テレビカメラの向 こうに、市民社会全体がのっぺりと繋がって いると信じて発言を続けているようだ。江川 氏はオウム事件の前から、私たち人権と報道 ・連絡会が提唱している事件報道における匿 名主義に対して何かと異議をとなえて、犯罪 ストーリーを書いていた人である。彼女は、 「テレビのワイドショウ、大好きなんです」 とも発言していた。彼女が坂本弁護士にオウ ム対策を依頼するような経緯があったと聞け ば、私たちと“ねじれて”しまう、その気持 ちはわからないではない。しかし、オウムと いう宗教に多くの若者がひかれていった原因、 家を捨てて修行に身を投じるのはなぜか、と いった基本的な問題を、単なるマインドコン トロール論で割り切り、居丈高になって人を 非難する様子は、どうみても異常である。彼 女がマスコミで果たした役割が、「安田弁弾 圧状況」に拡がっていることが確実だ。 それなのに、安田さんが逮捕された直後の 弁護士会館クレオで開かれた抗議集会で、江 川氏が発言者として紹介された時には驚いた。 誰かが内容不明のヤジを飛ばした。その時、 司会の弁護士が予期していたようにキッとな って、「やめてください!この会は安田さん を取り戻す目的で集まっているのですから」 と言ってヤジを抑え込んだのにも2度驚いた。 ヤジを浴びて怒るような“有名人”を壇上に 呼ぶなよ、と私は思った。さらに99年1月に 赤坂区民センターで開かれた集会でも、主催 者が配付した資料の中に江川氏の麻原裁判傍 聴記がコピーされていた。そこには、「オウ ム裁判と安田弁護士個人の件(逮捕等)は別 個にとらえるべきだ」という彼女の主張が載 っていたが、それこそ“マッチポンプ”とい うものだ。彼女は別個と思いたいだろうが、 それは間違っている。 和歌山カレー事件状況 98年の「和歌山カレー事件」についての世 論ヒステリーもすさまじいものだった。ロス 疑惑事件当時と違って朝日新聞やNHKとい う大メディアが率先して醜悪な取材・スクー プを競ったことが特徴的だった。人権と報道 関西の会の木村哲也弁護士の尽力もあって、 強力な弁護団が編成されたが、この弁護団に 対する風当たりも酷いもので、「あんな悪い 奴に自白をさせない悪い弁護士」という風潮 をテレビ・新聞が煽りたてた。いちはやく現 場に駆けつけて調査活動を行った浅野健一さ んが、弁護士会に来た多くの抗議・脅迫のフ アックスのコピーをもっている。 98年11月13日の産経新聞は、「人権擁護、 刑事弁護の責務どこまで」の見出しで法曹関 係者の声を集めた。そのなかで野崎研二弁護 士は小野悦男さんの事件について質問され、 「無罪と無実は別のもの。今回の事件(96年 の小野さん事件)と松戸事件(74年)との類 似性を真剣に考えれば、無実との判断が弱く なったのは争いません。犯人を無罪にした、 させたとの非難があるのなら、それは甘受し ます」とまで述べている。74年の事件と96年 の事件との類似性など全くない。74年の事件 が冤罪であることは 100%間違いないのだ。 その冤罪で小野さんの無罪を獲得するのに、 ほとんど貢献しなかった人が、こんなことを 言ってはいけない。明らかに弁護士倫理違反 である。 こうしたいくつかの噴出した事例が重なっ て十分に準備されたところで、安田さんはデ ッチ上げ逮捕された。安田さんが逮捕された 時の報道も、この不況時代の悪徳不動産屋に 加担する悪い弁護士という調子で、酷いもの だった。この国で、安田さんを知る人が圧倒 的な少数派であることを、計算しての権力と マスコミの動きであった。 第2破防法状況と言葉 破防法以上に違憲性の高い団体規制法の特 質は、S立法の必要性が架空の事実(世論ヒ ステリー)、T要件が曖昧で未来よりも過去 の危険でどこまでも規制、U「何々しようと しているとき」という認定で処分、Vどこま でも財産を追いかける被害者救済法とセット、 W公安調査庁と警察が組んで令状なしの立ち 入り・捜索が可能、Xオウムだけが対象とい われているが他の団体に拡がるのは必至、 繧ニいうところだ。 この法律を審議する参議院法務委員会に、 浅野健一さんが参考人として呼ばれた時に、 中村敦夫議員が、「カルトの信徒にはまじめ で優しい青年が多い。しかし危険性があるの は、マインドコントロールによって自我が失 われていることだ。マインドコントロールを 解くためには群がっていてはだめだ」(議事 録から要約)と質問している。ここで言われ ているマインドコントロールとは何か。自我 とは何か。28年前、オーソライズされた劇団 ・俳優座を脱退して自立を求めた彼もまた、 自我を確立したことによって「社会的規範を 守る」(同)側に自らをオーソライズしてし まった。本家のアメリカでは、マインドコン トロールなどという言葉はすたれたと言われ ているのに、どうしてそんな言葉で状況を割 り切ろうとするのか。 精神的・肉体的拷問によって「自白」をも ぎ取られた冤罪被告もまた、裁判が始まって からも「自白」を維持して、精神的におかし くなっていたというようなことも言われるこ とがある。しかし、詳細にその経緯を探って いくと、警察官の巧妙な策略・脅迫から始ま って、「自白」の警察官との共作、精神鑑定 医の誘導あるいは薬品使用、家族や友人との 刺し違え「自白」、弁護士との信頼関係欠如 または弁護士による「自白」維持教唆などの 事実が浮かびあがってくることがある。コン トロールを解いて自我を獲得すればいいとい う問題ではない。背広を着てネクタイを結ん でいる人になど、自分の現実は判ってもらえ ないと思っている獄中者は多いし、そうした 傾向は普通の庶民にも大いにある。なぜそう なるかが問題だ。 言葉の問題がある。オウムについて語ると き、宗教的・精神的次元と政治的・社会的次 元と日常的次元といったものが、しばしばゴ チャゴチャになるように思える。言葉の翻訳 なしに、論議・発言して、かみ合わず、誤解 を生む危険に注意すべきだ。とくに左翼用語 で解釈することはよくない。言葉と実践との 齟齬という問題にも発展する。オウム事件の 真の動機は何か、裏に隠された事実は何か、 村井秀夫氏刺殺事件の真相は何かなど、断定 できないことは断定しないことを前提にして 論議する必要がある。 現状が現状だけに、真実を明らかにするの は容易なことではない。しかし、何といって も裁判は被告人の人権を尊重し、証拠に基づ いて原則的に行われるべきだ。そうしないと 歴史が曲げられる。 そのために、本当にごくろうさまだが、安 田さんが少しでも早く自分のデッチ上げ裁判 で無罪を獲得するとともに、麻原弁護団へ復 帰してくださることを心からお願いする。