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XI   地下鉄サリン事件

第1 事実経過
1 サリン等の廃棄処分
(1) 平成6年11月頃の強制捜査の噂
 1994年(平成6年)11月頃、強制捜査が入るという情報が教団に入った。教団内では強制捜査に備えての対応がなされたが、特に、村井の指示のもとで、小銃部品の隠匿作業が行われ、豊田ら科学技術省の者の他、井上、早川らが隠匿作業に関与した。
(2) サリン等の廃棄処分指示
 ア 廃棄処分の状況
 1995年(平成7年、以下断りのない限り同年を指す)1月1日、同日付けの読売新聞が、「上九一色村の教団施設付近からサリン残留物が検出された」と報じた。
 これを知って、被告人は、村井に対して、サリン、VX、その他教団で生成した生物化学兵器類やその他の薬物及びこれらの関連物質をすべて廃棄するよう指示した。村井は、遠藤に同様の指示をし、遠藤は、同日午前中、土谷に対して、新聞記事のことを説明したうえで同様の指示をした。土谷は、遠藤に対して不信感を抱いていたため、すぐには廃棄作業をしなかった。しかし、村井からも同様の指示を受けたため、同日、クシティガルバ棟内の自分の勉強部屋の中2階にあったサリン、VX、ソマン等及び実験室の冷蔵庫にあったメチルホスホン酸ジフロライド(以下「ジフロ」と言う)、メチルホスホン酸ジクロライド(以下「ジクロ」と言う)等をスーパーハウス内に持ち込み、アルカリ水溶液を使って加水分解する廃棄処分を開始した。
 中川は、同日夕方頃、第一上九の路上で偶然井上と会ったところ、井上から読売新聞の記事のコピーを見せられた。中川は、驚き、強制捜査に備えて、クシティガルバ棟内のサリン等の物質を中和しなければならないと考えた。また、井上から、「遠藤に記事を見せたら震えだした、顔を青ざめて震えだした」ということも聞かされた。そこで、中川は、様子を見るため、ひとまず第7サティアンに行った。滝澤と話をしたところ、「ここは大丈夫だ」と言われたため、クシティガルバ棟の様子を見に行った。同日夕方頃だった。
 クシティガルバ棟ではすでに土谷がサリンや中間生成物の中和作業を行っており、森脇佳子が土谷を手伝っていた。土谷は疲労が重なっていたうえ、軽症ではあったが、中和作業による有機リン中毒症状が出たため、中川が土谷にパムを打ち、土谷は休憩することにした。中川は、土谷に申し出て、サリンその他の物質及び関連物質等の中和作業を引き継いだ。その時点では中和が必要なサリンは15リットル弱あり、ジクロ、ジフロ等中間物質もあった。森脇が最初中川を手伝ったが、森脇にも中毒症状が出た。クシティガルバ棟内にはその他にも鉄井晶子等がいたが、皆中毒症状が出た。中川にも症状が出たため、林郁夫に来てもらい、パムを打った。
 その後、中川が一人で作業を続け、同月3日夜ないし4日午前中頃には、ドラフト内の物については中和作業は終了した。中川は、中和後の液体は富士山の焼却炉で灯油をかけて燃やすなどして処分した。また、中川は、ドラフトの解体を渡部和実に依頼し、中和作業をしているそばで待機していてもらい、中和作業が終わった段階で、渡部に解体を始めてもらい、渡部は、スーパーハウス内のドラフトに付属する吸引装置の解体を始めた。中川は、中和作業が完了した旨を村井及び滝澤に伝えた。
 なお、中川が中和作業をしている前後頃、クシティガルバ棟から薬品等の持ち出しが行われた。メチルホスホン酸ジメチル、ジクロ、フッ化ナトリウム、三塩化リン、五塩化リン等であり、それらは、その後、教団関連施設等に保管された後の同年4月上旬頃に日光山中に埋められ、1995年(平成7年)6月か7月頃に警察に押収された。
イ ジフロ等の持出し及び保管状況
 その後、同月4日夜か5日に、中川が第6サテイアンの自室で横になっていたところ、村井がやって来て、「もうまずい薬品はクシテイガルバ棟にはないだろうな」と言った。中川は、「ドラフト内のものはすべて中和した」旨述べたところ、村井は「ドラフト外のものはどうなのか」と尋ねた。中川は、中和すべき物はすべてスーパーハウス内のドラフトに運びこまれ、それ以外には中和すべき物はないものと考えていた。中川が、「見ていない」と答えたところ、村井が、「一緒に見よう」と言った。村井及び中川は、クシティガルバ棟に行き、ドラフトの外を点検した。しかし、中川の体調が悪くふらついていたため、中川は外に出て車の中で待機していたが、その間、村井はVXを2本見つけた。村井は待機していた中川を呼び、VXがあった旨伝えた。VXは50シーシーないしは100シーシーくらいの耐熱ねじ口瓶2本に入っていた。
 村井は、中川に対し、「中和できるか」と尋ねたが、その時点ではクシティガルバ棟のドラフトはすでに一部を解体しており、中和作業に使う防護服もなくなっていたため、中和作業をすることはできず、中川はその旨村井に話した。また、中和作業を行っていた者らは中毒症状が出ており、人手がないこともあった。そのまま置いておくわけにはいかず、村井は、その場で「(VXを)持ち出すか」「さっきアーナンダ師(井上)が来てたから、アーナンダ師に持ち出してもらおうか」と言った。
 中川が井上に連絡を取ったところ、井上は上九一色村あるいはその近辺におり、井上に車のところまで来てもらった。中川が井上に事情を説明し、「中和できないからVXを持ち出してほしい」と依頼した。その間にも、村井はクシティガルバ棟でさらに薬品を探していた。井上は検問を怖れて持ち出しを嫌がっていたため、中川は、「マンジュシュリー正大師(村井)の話を聞いてほしい」と言って、クシティガルバ棟内に村井を呼びに行って、井上が来ていることを伝えた。すると、ジフロがあったということだった。ジフロは1リットルくらいの白い半透明の円筒形の容器1本に入っていた。そこで、ジフロもVXと一緒に井上に持ち出してもらうことになった。こうして、ジフロ1本とVX2本を発泡スチロールの箱に入れて井上に渡し、井上はこれを持ち出し、諜報省の東京での拠点の一つである杉並区今川の家の冷蔵庫に保管した。
 この点につき、井上は、「平成7年1月の強制捜査の情報の時に中川から聞いたところによると、サリンを処分した、全部処分したということだった。1月初め頃、中川が一部をどこかに隠していると聞いたことがある。中川から頼まれ、VXを私が預かって今川の冷蔵庫に入れたが、その時に聞いた。私は中川からサリンの材料を受け取ったことはない」旨証言しているが事実ではない。
 その後、1月上旬には、スーパーハウス内のドラフトは撤去された。撤去したのはサリン製造を行う予定がなかったからであった。その後、遅くとも3月初めまでにスーパーハウス自体も撤去された。
 なお、1月6日か7日頃、中川は、上九一色村で、井上から、井上が持ち出したジフロ及びVXは今川の家で保管していることを聞かされた。また、同年1月10日頃、中川が今川の家を訪れた際、井上は納戸の前まで中川を案内し、「あれ、ここにあるから」と言った。1月下旬にも、中川は今川の家に行ったことがあったが、その際、冷蔵庫の中にジフロがあるのを見た。納戸の扉と壁の隙間にガムテープで目張りがしてあり、扉には「絶対あけるな」と書いた紙が張ってあった。  検察官は、「中川は、土谷から引き継ぎを受けて、サリン及びその関連物質等を加水分解するなどして処分していたが、後日、サリンを使用する必要が生じた際にすぐさま生成できるようにと考えて、サリンの前駆物質である『ジフロ』約1リットルが入った容器をひそかに持ち出して教団施設内に隠匿保管した」と主張するが(論告174丁)、事実と異なる。
(3) その他の対応
 上記のとおり、読売新聞の記事を契機として、教団にあったサリン・VX等は村井が井上に預けたジフロ及びVXを除き、すベて廃棄されたが、その他にも、対応策として、第7サテイアンのサリンプラントを一部解体したり、シヴァ神の像を設置する等の作業が行われた。
 サリン等の処分、サリンプラントの解体等は、村井、井上、中川以外の本件に関与した林泰男その他の教団幹部らも知るところであり、林泰男においては、村井から、「サリンの生成物質は全部捨てた。すべては仕切直し。全部これで打ち切りにして終わりにしてやり直さなければいけない」というようなことを聞かされていた。
 また、教団信者らのうち多くの者らは、前年11月頃の強制捜査が入るとの噂があったうえ、読売新聞の記事が出たことで、強制捜査の可能性がより強まったとの認識を抱いていた。
   【林泰男尋問速記録(第71回32丁裏〜33丁裏)、第72回21丁表〜23丁表、第76回6丁裏〜7丁裏、98丁裏〜101丁裏)、廣瀬尋問速記録(第16回22丁裏〜23丁表)、林郁夫尋問速記録(第12回110丁表〜112丁表、第22回64丁裏〜66丁表)、杉本尋問速記録(第23回55丁表)、豊田尋問速記録(第16回2丁裏〜3丁表、第23回5丁裏〜8丁表、10丁裏〜13丁表、18丁裏、20丁表〜21丁表、22丁裏〜27丁裏、34丁表〜37丁裏、46丁裏〜47丁表)、井上尋問速記録(第9回30丁裏〜31丁表、第15回40丁裏〜53丁裏、第20回10丁裏〜11丁表、第22回30丁裏〜33丁裏、36丁裏〜37丁表)、中川尋問速記録(第184厨4丁〜5丁、27丁〜28丁、第189回1丁〜31丁、第190回1丁〜48丁、第194回1丁〜14丁)、土谷尋問速記録(第245回63丁〜75丁)、遠藤尋問速記録(第216回33丁〜34丁、第217回124丁〜126丁)など】

2 假谷事件後の経緯
 (1) マスコミ報道及びその対応等
 すでに述べたとおり、村井、井上が発案し、井上が指揮をとって假谷事件が行われた。拉致行為の直後頃から警察が捜査に乗り出していたが、事件直後頃、犯行現場等での井上の独断・突出ぶりにつき、実行行為を行った平田信が、親しかった林泰男に対して、「行為自体がひどい。昼間の誰でも分かるような所で犯行を行ってしまった」等と井上の行動を批判するほどであった。
 また、3月1日に假谷が死亡したが、その直後頃、井上、中村及び中川の三人は、一緒に第6サテイアンの被告人の部屋に行き、假谷の遺体焼却について相談したところ、被告人は、「何でお前ら勝手にやったんだ」、「お前たち、関わった者でやるしかないじゃないか」などと井上らを強く叱責した。その後、中村らは、假谷の遺体の焼却作秦をしたが、その間、警察から教団に電話が入るなどの情報が入ってきた。
 3月4日頃に、死体の焼却が終わったが、その頃から、マスコミ等が假谷拉致についての報道を始めた。そして、その2日くらい後から、假谷事件に関係した者のうち、平田悟、加賀原、井田、林武について、中川がポリグラフにかけた。警察から連絡があったということでスパイがいるとの話があった。また、假谷事件の実行行為者や関係者について、ナルコ又はニューナルコを実施した。井上や飯田らから「記憶を消してくれ」との依頼を受けて、林郁夫が林武らにつき実施した。  また、ナルコ又はニューナルコを実施した後頃、井上、飯田、中村らがいるところで、被告人が、「警察が動いている。大変だ」「今度の失敗は井上の責任だ」などと井上らを叱責した。
 このように、假谷事件後の警察の動き、マスコミ報道によって、教団の多くの者は強制捜査が近いとの受け止め方をしていた。そして、假谷事件を発案し、指揮をした村井、井上、特に井上は、このような事態を招いたことで責任を感じ、焦りを感じており、名誉挽回の機会をうかがっていた。
    【中村尋問速記録(第122回66丁裏〜67丁裏、72丁裏〜81丁表)、林泰男尋問速記録(第66回7丁表〜7丁裏、第72回34丁裏〜52丁裏、第84回38丁表〜39丁裏)、廣瀬尋問速記録(第11回10丁裏〜11丁裏)、林郁夫尋問速記録(第12回121丁裏〜124丁表、第22回91丁裏〜97丁表)、井上尋問速記録(第15回27丁表〜33丁表、第22回20丁表〜22丁表)、中川尋問速記録(第189回39丁、41丁〜43丁、第194同18丁、第195回(1)5丁〜6丁)、土谷尋問速記録(第246回44丁)、遠藤尋問速記録(第217回101丁〜105丁)など】
(2) アタッシュケース事件
 假谷事件がマスコミ等で報道されるようになって後の3月上旬頃、焦りを感じていた村井及び井上は、遠藤が研究しているボツリヌス菌を使って騒ぎを起こすことを考えた。村井から、小型の機械にボツリヌストキシンを入れて噴霧するとの案が出された。そして、同月10日頃には、霞ヶ関の地下鉄駅構内に装置を置いて警視庁を狙うということになった。ボツリヌス菌については井上が入手して遠藤に渡した。
 現場指揮は假谷事件と同様、井上であり、井上は、地下鉄のガイドマップ等を見て警視庁近くを通過する地下鉄有楽町線桜田門駅、日比谷線及び丸ノ内線の霞ヶ関駅の乗降者数や各駅の空気の流通状況等を仔細に研究した。また、井上は、平田信、松本剛とともに、実際に地下鉄駅構内に行き、松本剛にたばこを吸わせて、空気の流れを調べたりした。
 アタッシュケースに仕込んだのは振動子式の装置であったが、これは村井が、科学技術省の強瀬に指示して作らせたものであった。犯行の1、2日前、林泰男は清流精舎にいたところ、井上から、強瀬を手伝って、アタッシュケースに装置を取り付ける作業をしてほしいと依頼された。林泰男は、アタッシュケースを使って何をするのか、何の目的のために仕掛けるのかはわからなかったが、井上の言葉の端々から上司の指示がなく、井上独自の判断で指示しているものと思い、これを拒否した。そのため、井上は、高橋克也を呼んで手伝わせた。
 3月15日午前8時頃、井上、山形明及び高橋克也が、地下鉄霞ヶ関駅構内の3か所に遠藤が生成したボツリヌス菌トキシンを仕込んだアタッシュケースを各1個ずつ置いたが、失敗した。
 なお、このアタッシュケース事件があった頃、井上は、中村に対して、「警察が動いているので何かしなきゃいけない。大変だ」などと愚痴をこぼしたことがあった。また、井上は、中川に対して、「自分がちゃんとしたボツリヌス菌をわざわざ手に入れたのに、どうしてできないのか。こっちが危ない目をして撒きに行っているんだから、造った人が撒けばいい」などと生成に失敗した遠藤に対する不満を述べたことがあった。
     【井上尋問速記録(第15回102丁裏〜103丁表、第17回52丁裏〜66丁裏)、林泰男尋問速記録(第72回52丁裏〜64丁裏、第73回26丁表〜26丁裏、第76回102丁裏〜105丁表、第84回28丁表〜29丁表)、中村尋問速記録(第122回66丁裏〜67丁裏、72丁裏〜81丁表)、中川尋問速記録(第195回(1)7丁〜11丁)、弁118号証のノートなど】

3 指紋除去
 3月16日、中川が今川の家にいたところ、井上から、假谷拉致に使用したワゴン車が警察に押収され、車内から事件関係者の指紋が検出されたことが報じられている読売新聞の記事を見せられた。井上は、「大丈夫だと思うが、自分とマツ(松本剛)の指紋を取る手術はできるか」と中川に尋ねた。中川は、以前指紋除去の手術を行ったことがあったため、「取れないことはないけど、大手術だよ。何日も風呂に入れないよ」などと答え、「松本君はどこにいるのか」と聞いたところ、「大川隆法の拠点を片づけている。今日の夕方まで帰って来ない」とのことだった。
 一方、松本剛は、同16日に、『夕刊フジ』又は『日刊ゲンダイ』を読んで、ワゴン車から指紋が検出されたことを知ったが、今川の家に行ったところ、井上から同内容の記事を見せられ、「誰かの指紋が出たかもしれない。捕まったらオウムは大打撃だ」、「指紋が出るかもしれない。指紋を取る手術ができるが、どうする?いずれ俺も指紋を取る」などと言われたため、「お任せします」と答えた。
 翌3月17日正午頃、松本剛及び林武が今川の家に呼ばれた。井上は、松本らに対して、「これから指紋を消す手術を受けに一緒に第6サティアンに行ってくれ。クリシュナナンダ師(林郁夫)が待っている。行けばわかる」と指示した。また、井上が、「手術を受けると1週間以上は風呂にも入れない」と言ったため、松本らは風呂に入った。その後、井上、松本剛及び林武に中川も加わって、一緒に上九一色村の第6サテイアンに行った。着いたのは午後3時頃から夕方頃にかけてであった。
 井上らは、3階の治療室に行き、林郁夫に会って、指紋除去を依頼した。井上は、松本については、「例の件で使ったから」、林武については、「いろいろなことで使った」というようなことを説明した。林郁夫が、「指紋消しはやったことがない」旨言ったところ、中川が、「まだらに指紋を取ればいい。前にやったことがあってうまくいった」などと答えた。林郁夫は、松本剛らに対して、「手術の6時間前くらい前から食べ物をとってはだめなのだが、どのくらい前に食べたのか」と聞いたところ、松本らは、「3,4時間くらい前に食べた」と答えたので、待つように指示した。また、林郁夫は、ナルコ又はニューナルコを実施していたところだったが、井上の依頼が假谷事件のからみだとは思わず、急ぎだとは思っていなかつたこともあって、ナルコ又はニューナルコが終わってからやろうと考えた。指紋除去につき、この時点で井上はすでに被告人の許可を取っており、井上は中川にその旨話していた。
 松本らはかなり待たされ、実際に手術が行われたのは3月19日になってからのことであったが、待っている間、井上が来て、松本剛らに、「がんばれよ。いずれ俺もやるから」などと言って励ました。
 この指紋除去につき、井上は、3月18日午前7時頃に、被告人から許可をもらった旨証言しているが、事実と異なる。井上は意図的に虚偽の証言をしている。この点については後記で詳述する。
      【中川尋問速記録(第24回24丁裏〜27丁表、第190回49頁〜50頁、第249回52頁〜58頁)、林郁夫尋問速記録(第12回119丁裏、124丁裏〜129丁表、第18回1丁表〜5丁裏、第22回91丁裏〜97丁表)、井上尋問速記録(第15回32丁裏〜40丁裏、78丁表〜80丁表)、J甲154号証の松本剛の検面調書、A甲11878の報告書添付の読売新聞・夕刊フジ・日刊ゲンダイ記事など】

4 食事会
 3月17日、尊師通達が出て、同日付けで正悟師に昇格した者及び後日付けで正悟師に昇格する予定の者の名前が発表された。各部署の責任者を昇格させるもので、責任者のほぼ全員が同日付けで正悟師となるか、後日の日付けで正悟師になる予定とされていた。
 この点、検察官は、「被告人は、3月16日に假谷拉致に使用された車から事件関係者の者と思われる指紋が検出された旨の報道がなされるなどしたことから、近く、教団施設に対し警視庁の大掛かりな強制捜査が実施されるのではないかという危機感をこれまで以上に強く抱くようになった」として、「被告人は、警察の強制捜査に対処できるよう、ヴァジラヤーナ要員を中心にステージを昇格させ各自の奮起を促すこととし、同月17日、尊師通達を出し、同日付けで、井上、石川、渡部及び越川らを正悟師に昇格させ、林泰男、廣瀬、横山、豊田及び林郁夫らをそれぞれ一定期間経過後、正悟師に昇格させる旨発表した」旨主張する(論告31丁〜32丁)。
 しかし、各部署の責任者を昇格させることに決まったのは、3月15日の段階であり(遠藤尋問速記録第217回28丁〜29丁)、また、実際に昇格したのは、検察官が言う「ヴァジラヤーナ要員」だけではなく、本件には関わりのない者らもいたのであって、「警察の強制捜査に対処できるよう」にするためではなかった。
 通達が出た同日から18日にかけての深夜、昇格祝いの食事会が識華で行われた。被告人及び村井の他、昇格した者ないしは昇格予定者である、井上、青山、石川、遠藤、野田成人らが出席し、被告人の妻である松本知子や子供達も出席した。
 食事会では、食事をしながら、被告人が指名した昇格した者が皆の前で体験談を語ったりした。食事会は約2時間続いたが、指名を受けた者が話をするというだけで、被告人が個別的に誰かと話をするというようなことはなかった。
 井上は、その場で、被告人が、井上及び越川に対して、「Xデーが来るみたいだぞ」、「アパーヤージャハ(青山)、さっきマスコミの動きが波野村の強制捜査の時と一緒だって言ったよな」と尋ね、それに対して、青山が、「やっぱりXデーは来るんじゃないでしょうか」と答えた旨証言しているが(井上尋問速記録第9回32丁裏〜33丁麦)、遠藤や石川が明確に否定しているとおり(遠藤尋問速記録第217回52丁〜53丁、石川尋問速記録第234回25丁〜26丁)、そのような事実はなく、「Xデー」という言葉自体も出なかった。また、被告人が井上、青山に話しかけたことはなく、青山が被告人に話しかけたこともなかった。
 こうして、食事会が終わったが、井上が被告人に申し出て、その結果、被告人のリムジンに乗り換え、村井、井上、青山、遠藤、石川がリムジンに同乗することとなった。
      【石川尋問速記録(第233回141丁〜152丁、第239回7丁〜36丁)、遠藤尋問速記録(第208回2丁〜4丁、第216回3丁〜12丁、第217回21丁〜78丁)、井上尋問速記録(第9回31丁裏〜33丁裏、第15回60丁裏〜65丁表、第17回4丁裏〜22丁表、27丁裏〜30丁裏、40丁表)など】

5 リムジン車内での会話
 リムジン車内では、強制捜査の話題が出た。石川が、間近には強制捜査は来ないとは思っていたものの、批判の多い教団の立場を有利に向かわせたいと思い、捨身供養という気持ちから、「私を撃ってほしい」と被告人に申し出た。しかし、同人では知名度が低く世間にアピールするのには効果がないということで、この提案は受け入れられなかった。
 その後、道場とか、教団のシンパに対して反教団的立場の者が何か嫌がらせをすることを装ったらどうかという話が出たが、具体的に、いつ誰がどこで何をするという話はなかった。被告人は、教団以外の者が嫌がらせを行ったかのように見せるビラを作るよう指示したが、いつ作る等の具体的な指示はなかった。
 この自作自演の話が出た後、阪神大震災が起きたために強制捜査が遅れたという話があり、その後、強制捜査を阻止するために大規模な授乱作戦を起こせばいいという話が誰かから出た。
 井上証言の「いつになったら四つになって戦えるでんしょう・・」という会話はなかった。同じく、アタッシュケース云々の話は出なかった。「T」とか「妖術」の話も出なかった。「お前総指揮でやれ」との言葉も聞いていない。廣瀬らの名前も出なかった。サリンを撒いたら強制捜査が来るか聞いたということもなかった。石川がそれに答えだということもなかった。
 検察官は、リムジン内において、「被告人は、村井に本件サリン撤布計画の総指揮を、井上には一連のVX暗殺事件、假谷拉致事件等と同様の現場指揮を、遠藤にはサリンの生成を命じ、村井ら3名はいずれもこれを了承した結果、被告人と村井、井上及び遠藤との間に本件犯行の共謀が成立した」旨主張するが(論告175丁〜177丁)、事実ではない。この点については後記で詳述する。
     【石川尋問速記録(第239回36丁〜55丁、82丁〜126丁)、遠藤尋問速記録(第208回4丁〜9丁、第216回1丁〜3丁、13丁〜28丁、78丁〜133丁)。井上尋問速記録(第9回35丁裏〜49丁裏)など】

6 準備状況
 (1) 村井の最初のサリン撤布指示等
  ア 上記のとおり、3月17目、村井は、強制捜査があるとのことで、廣瀬に対して、小銃部品等を隠匿する作業を指示し、廣瀬はこれに従事していたが、18日午前1時か2時頃に作業が終了した。廣瀬は第6サティアン3階の自室で休んでいたところ、同日午前4時頃、村井が来て、「君達4人にやってもらいたいことがある」と伝えた。4人とは、廣瀬、横山、豊田及び林泰男のことだった。廣瀬は何をやるのか尋ねたが、村井は教えず、「どうだ嬉しいだろう」などと言った。村井は、非常に興奮している様子で、廣瀬の部屋を2,3回出たり入ったりして同様のことを繰り返し言った。
 また、村井は、同じ頃、豊田に対しても、同様のことを伝えたうえ、強制捜査に備えて、小銃部品を隠匿するよう指示した。村井は切迫している様子で、隠匿場所は井上と相談しろと命じた。豊田は、井上とも相談し、相模原の倉庫に隠すことになり、同日午後1時に八王子インターを降りたところで、井上と待ち合わせ、倉庫の鍵を受け取ることになった。豊田は、科学技術省の部下に指示して部品を運び出す作業を行わせた。
 豊田は、同日午後1時頃、八王子インターを降りたところで、井上から倉庫の鍵を受け取った。井上の車を運転していたのは高橋克也だった。豊田は、相模原の倉庫に行って隠匿作業を指揮した。豊田が第6サティアンに戻ったのは同日夕方頃だった。
イ 村井は、3月18日午前8時か9時頃、第6サティアン3階の自室に廣瀬、横山、林泰男及ぴ林郁夫を呼び集め、「強制捜査の矛先を変えるために地下鉄にサリンを撒く。警視庁がある霞ヶ関を狙う」、「霞ヶ関を通る3つの路線で行う」、「衆生のカルマを背負うのは我々の修行だ。君たちにやってもらいたい」、「断りたかったら断ってもいいんだよ」などと指示した。皆しばらく黙っていたところ、村井が一人一人答えを促したため、皆は承諾した。
 村井はアタッシュケース事件についても話をし、仕組んだ装置が複雑で、村井のアイデアだったからだめだったというような話が出て、笑いが出た。そして、村井は、3月20日の朝の通勤時間帯に撤くこと、サリンは今準備させていて、明日までには東京に届けさせるということ、サリンの量は全部で1リットル、一人につき200ccということ等を説明し、メンバーについては、そこにいた者の他に、井上と豊田が加わることを伝えた。役割分担について、井上は、地下鉄の時刻の調査、車の調達、林泰男は井上との連絡役、林郁夫はサリンの解毒剤の準備、廣瀬と横山は地下鉄の路線図と道路地図の用意、それとサリンを撒く容器の準備であった。村井はジュースか何かの容器を使うことを言っていたが、どのような方法で撒くかはその場では決まらなかった。村井は、強制捜査が切迫している状況下で、できればなるべく早くやりたいという様子を見せ、しかも、被害を大きくしたい、騒ぎも大きくしたいということで、人の多い平日にしたいが、一番早い平日である20日の月曜日ということで、20日に撒くことに決まった。
 村井の指示について、廣瀬は、承諾したものの、假谷事件でマスコミが騒ぎ、前日の隠匿作業の際にも強制捜査も近いというような話を聞いていたため、このようなことをするとかえって強制捜査が行われるのではないか、サリン生成や自動小銃密造等が明らかになって教団が壊減するのではないかと思った。
 また、林泰男も、承諾したものの、第7サティアンのサリンプラントは1994年(平成6年)5月か6月頃から稼働を始めたが、半年くらい経ってもまだ5段階の工程のうち3段階までしかできていないと聞いており、サリン製造は長時間かかるものだろうと思っていたため、3月20日にサリンを撒くと言われても、それまでにサリンが作れるはずがないこと、仮にできたとしても実行の効果はないだろうと思った。
ウ ところで、検察官は、村井が指示する際に、「村井が、『これは』と言いながら顔を上向きにして視線を上げ、『…からだね』と言いながら視線を戻す動作をして、本件サリン撒布計画が教祖である被告人の指示に基づくものであることを示した」と主張し(論告180丁)、これは林郁夫の証言を根拠としていると思われるが、廣瀬と林泰男が共に、村井のそのような動作については明確に否定する証言をしていること、他の点では被告人の名前を出したうえで、被告人の指示だと言いながら、この場面だけは敢えて被告人の名前を出さないというのはいかにも不合理であること、被告人の自室は第6サティアン1階にあり、村井はもちろんその場にいた林郁夫らも当然そのことを承知していながら、顔を上方に上げて、被告人の指示だとするのはいかにも不自然であること等からすると、林郁夫の証言が虚偽であることは明らかである。村井がそのような動作をした事実はなかった。
     【廣瀬尋問速記録(第11回4丁裏〜8丁表、10丁裏〜12丁表、27丁裏〜31丁表、第14回1丁表〜84丁裏)、豊田尋問速記録(第16回2丁裏〜3丁表、第23回5丁裏〜8丁表、1OT裏〜13丁表、18丁裏、20丁表〜21丁表、22丁裏〜27丁裏、34丁表〜37丁裏、46丁裏〜47丁表)、林泰男(第66回7丁裏〜12丁表、第73回28丁表〜48丁表、第76回15丁裏〜21丁裏、89丁裏〜90丁表、95丁裏〜96丁表、第84回40丁裏〜41丁裏、第84回51丁表〜53丁表、58丁表〜59丁裏、第85回54丁裏〜55丁表、64丁表〜66丁裏)、林郁夫(第8回9丁表〜24丁裏、第18回17丁裏〜75丁表)など】
(2) 上九一色村到着後の井上の行動
 ア リムジンが上九一色村に到着してからの井上の行動について、井上自身は以下のとおり、証言している。
 午前4時頃上九一色村に着いた。イニシェーションを予定している人(自衛官)の確認に行った。その後、第2サティアン3階の被告人の部屋に行った。最初は鍵がかかっていて会えなかったが、しばらくして、また行ったところ会えた。松本剛の指紋除去の許可をもらった。運転手に井田を使うことの許可ももらった。さっと話してすぐ出た。サリン等の話は一切でなかった。
 午前5時頃から第2サティアン2階で、イニシエーションを始めた。二人を予定しており、当日の午後10時までかかる予定だった。午前7時頃、第2サティアンの2階で村井と会った。村井は私を探しているような感じだった。村井は「科学技術省のメンバーでサリンをやる」と言い、自分は、自作自演の爆弾と火炎瓶のことを指示された。サリンに関しての指示はなかつた。
 その後、午前7時〜8時頃、第6サティアン3階のAHIの部屋に行って林郁夫に指紋除去の依頼をした。
 その後すぐに、第6サティアン3階で、村井と豊田に会った。村井から「科学技術省の荷物を八王子の倉庫に隠すから八王子の倉庫の鍵を豊岡に渡してくれ」と指示された。イニシエーションを中断して、今川の家(今川アジト)に戻って鍵を取りに行って、18日の午後1時過ぎに八王子インターを降りたところで豊田に渡すことになった。
 その後、第5サティアン3階の青山のところに行った。島田の住所を聞くためだった。青山から住所を書いたメモを受け取り、第2サティアンに行って、イニシエーションの中継ぎを依頼した。
 今川の家に行く目的は、倉庫の鍵を取りに行くこと、松本剛らに大川隆法の監視ビデオを撤去するよう指示すること、松本剛と林武に指紋除去をするよう指示すること、強制捜査に備えて押収されたらまずいものを処分することだった。
 午前8時か9時頃、今川に向かった。着いたのは午前11時前後頃だった。松本剛らに大川隆法の監視ビデオ撤去を指示し、同人と林武に指紋除去のため夜上九一色村に行くように指示した。また、押収されたらまずい書類等を処分した。
 午後1時前後、八王子インターを降りたところで、約束どおり、豊田に鍵を渡した。午後3時頃第2サティアンに戻った。イニシエーションの続きをするためだった。二人ともぐっすり眠っていた(以上、第9回49丁裏〜60丁裏、第17回78丁裏〜86丁表、121丁表〜161丁表、第21回50丁表〜51丁裏)。
イ 上記の証言のうち、井上が第2サテイアンの被告人の部屋を訪れて、松本剛の指紋除去の許可をもらったとする点は明らかな虚偽証言である。井上は前日の3月17日の段階ですでに指紋除去の許可は得ている。井上は、リムジンに乗り込んだ動機を指紋除去の許可であったとして虚偽を述べたため、必然的にこのような嘘を言わざるを得なかったのである。この点の井上証言がまったくの嘘であり信用できないことについては、後に詳述する。
 また、上記のとおり、豊田は、同日午後1時頃、八王子インターを降りたところで、井上から倉庫の鍵を受け取ったが、その際、井上の車を運転していたのは高橋克也であると証言しており(高橋克也を見間違えることはない。井田とは面識はない)、運転手の交替の許可をもらうことも虚偽である可能性が極めて高い。
 井上は、イニシエーションを中断してまで、今川の家に行き、大川隆法の監視ビデオの撤去を指示し、強制捜査に備えて押収されたらまずいものを処分したというのであるから、井上自身、強制捜査が間近に迫っているとの危機感を有していたと言うべきである。井上は、「教団」が強制捜査の危機感を持っていたのであって、自分自身は、「教団の方針」に沿って行動をしたのであり、危機感はなかった旨繰り返し証言しているが、井上が諜報省長官として情報収集を担当していたこと、1994年(平成6年)11月頃の強制捜査の情報があったこと、1995年(平成7年)1月の読売新聞記事のこと、假谷事件で警察が動き出して、マスコミ報道が始まり、ナルコ等の対策を行っていたこと、3月18日も村井が豊田に小銃部品の隠匿を指示し、井上も協力して倉庫の鍵を豊田に渡していること等を考え併せると、井上が強制捜査が間近に迫っていて、危機意識を抱いていたことは疑いようがない。
 上記のとおり、1月初め頃、井上は、中川からジフロを預かり、今川の家で保管していたこと、保管してある冷蔵庫には開けるな等と張り紙がしてあり、今川の家の管理者である井上しか自由に持ち出せる者がいないこと、井上自身が、リムジン内において、「中川が保管しているサリンの材料があることを自分からも話をした」旨証言していること、その後のサリン生成の準備状況等からすると、3月18日夕方頃までに、ジフロが上九一色村内に持ち込まれていたこと、中川は同日夕方頃、村井から「ジフロがここにある」と言われて受け取ったこと、井上自身、同日夕方に、第6サテイアン3階で村井に会った旨証言していること(第20回24丁裏)等からすると、井上は、上記の3月18日に今川の家に戻った際にジフロを取り出し(むしろジフロを取りに行くのが目的であった)、同日夕方頃までに上九一色村に運び、村井に渡したことが容易に推認される。
 この井上がジフロを持ち込んだ点については、後に詳述する。
(3) 村井の中川らへのサリン生成指示及び生成状況
 ア 3月18日午後2時頃、村井は、第6サティアン3階の村井の部屋に遠藤を呼び、「中川が後から行くからよろしく」と言った。遠藤は、「中川がCMI棟に来たらわかるから従ってくれという意味だ」と思い、CMI棟に戻ったが、中川は来なかった。
 一方、井上は、同日午後3時か3時30分頃、遠藤に電話をし、「中川がそっちに行くから、彼は知っているから」と伝えるとともに、上述のとおり、自ら保管していたジフロを上九一色村に持ち込んで村井に渡した。
 イ 村井は、同日夕方頃、第6サティアン2階の中川の部屋に行き、同人に対し、「ジフロからサリンを造る」ことを指示した。中川は、1月にジフロを井上に預けたままだったので、井上がまだ保管しているのだと思っており、「(ジフロは)まだ東京にあるんじゃないですか」あるいは「アーナンダ師(井上)のところにあるんじゃないですか」という趣旨のことを言ったところ、村井は、「今日移動した。今、ここにある」と言って、ジフロ入りのクーラーボックスを中川に見せて、それを手渡した。そして、村井は、「ジーヴァカ正悟師(遠藤)の指示に従ってくれ。ジーヴァカ正悟師がCMI棟で待っている」と伝えた。中川は、遠藤がそれまでサリン生成に関与したことがないため、「自分や土谷ではなく、なぜ遠藤なのだろう」と違和感を持った。また、それまで、ジフロとジクロにイソプロピルアルコールを滴下するという方法でサリンを生成していたため、中川は、村井に「ジフロから(サリンを)造ったことはないですよ」と言ったところ、村井は、「イソプロピルアルコールを加えればできる」と答えた。村井が自信ありげに言うので、中川はジフロだけからでもサリンができるのかと思った。
 この点につき、検察官は、「村井は、同日(18日)午前4時頃、上九一色村に到着後、第6サティアン2階の中川の部屋に行き、同人に対し、遠藤らと共に、隠匿保管中のジア回を使って東京の地下鉄電車内で撒布するサリンを早急に生成するよう指示し、中川はこれを了承した上、隠匿保管場所からジフロを持ち出して、ジーヴァカ棟まで行き、遠藤にこれを引き渡した」旨主張する(論告177丁)。
 しかし、上述したとおり、村井が中川の部屋に行ってサリン生成を指示したのは、3月18日夕方頃であつた。「同日(18日)午前4時頃」とする証拠はない。検察官は、いかにも、サリン撤布計画がすでに確定し、計画を急いだことにしたいと思っているようであるが、そのような事実はない。その際、村井が「東京の地下鉄電車内でサリンを撒布する」という趣旨のことを言った事実はないし、「早急に生成するよう」指示した事実もなかった。村井が「隠匿保管中のジフロを使え」と指示した事実もなく、中川が、隠匿保管場所からジフロを持ち出した事実もなかった。井上から受け取ったジフロを村井が中川に渡したのである。
 なお、論告は中川の検面調書に依拠していると思われるが、中川検面調書に信用性がないことは後に詳述する。
 ウ 中川は、その後、まもなく、CMI棟の遠藤のところに行き、ジフロ入りのクーラーボックスを遠藤に渡した。遠藤はクーラーボックスを開けると、「どうして1本しかないのか」と聞き、また、「ジクロないの?」と驚いた。遠藤は「できるのか?」と中川に尋ねたので、中川は、「イソプロピルアルコールがあれぱできるんじゃないですか」と村井に言われたことを答えた。遠藤は「クシテイガルバ師(土谷)に相談してみる。また、連絡する」などと言ったが、遠藤も急いでいる様子はなかった。
エ その後、遠藤は、土谷をCMI棟に呼び、「ジフロからサリンを造る」との趣旨を述べた。土谷は、遠藤がジフロを持っていたため、何故ジフロがあるのかと驚き、また、前年12月8日に決められた被告人の意思に反して遠藤がコカイン等いろいろな薬物を田下ら部下に造らせていたことは知ってはいたが、遠藤がサリン合成まで手を出しているのかと驚いた。また、土谷は、同年2月の段階で、被告人が遠藤のことで手を焼き、ぼやいていることを知っていたこともあって、遠藤の依頼が被告人の指示に基づくものであるなどとは考えもしなかった。
 土谷は「ジクロがあれば」と言いかけたところ、遠藤は「ジクロはないんだ。ジフロから造らねばいけないんだ。合成方法を教えてくれ」、「ジフロであるかどうか分析して確認してくれ」と依頼した。土谷の認識としては、遠藤の依頼はサリン合成の方法を教えてくれというもので、実際にサリンを生成する依頼とは考えなかった。
 検察官は、「遠藤及び中川は、直ちに生成に着手することはせず、翌19日の朝、強制捜査がないことを見定めてから着手することとし、ジフロはひとまず土谷に預けて成分検査をしてもらうこととした」と主張するが(論告177丁)、直ちに生成に着手しなかったというのが事実であるが、強制捜査がないことを見定めてから着手することにしたのではない。これは遠藤証言に依拠していると思われるが、それが誤りであること、この点での遠藤証言も信用できないことは後述する。
オ 土谷はGC/MSの分析を行った結果、ジフロであることがわかった。土谷はジフロ入りの容器を遠藤のところに持って行った。その際、土谷は、それまでの実験の経験から、遠藤に、「N,Nジエチルアニリンを使うと失敗しますよ」などと伝えた。
 その後、遠藤が土谷のところに行って、「君の棟でできるか」と尋ねた。土谷はサリンを造るつもりなのかと思ったが、やりたくなかったことと、スーパーハウスがすでに解体してなかったことから、「無理です」と答えた。そこで、遠藤はそのまま帰った。
 検察官は、「被告人は、今回は強制廃棄装置が撤去されていないジーヴァカ棟でサリン生成を行わなければならず、そのためには遠藤が中心となって生成作業を進める必要があると考えていた」と主張するが(論告177丁〜178丁)、事実ではないうえ、これを裏付ける証拠はまったくない。
カ その後、3月19日未明、中川が遠藤に呼ばれてCMI棟に行ったところ、遠藤は、ジフロとN,Nジエチルアニリンとヘキサンを混ぜて、それにイソプロピルアルコールを滴下する方法で造るということを話した。中川は、イソプロピルアルコールを加えるだけでできるんではないかと言ったところ、土谷に相談することになり、両名は土谷がいるクシティガルバ棟に行って土谷と相談した。その結果、中川が主張するイソプロピルアルコールを加えるだけの方法ではだめだということになった。この時点でも遠藤は生成を急ぐ様子はなかった。
キ 遠藤と中川は、CMI棟に帰ったが、中川は遠藤に対し、「N,Nジエチルアニリンは教団で大量に購入している薬品なので、それを使ってサリンを造ったら、押収されたらすぐに教団で造ったものだとわかりますよ」と話した。それは、中川が第7サティアンのサリンプラントでN,Nジエチルアニリンを大量に購入していたことを知っていたためだった。そこで、トリエチルアミンを使ったらどうかということになり、遠藤及び中川は、再度土谷を訪ねて相談したが、土谷は、VX生成時の経験からN,Nジエチルアニリンは塩基性が低く、反応が起き難いことから、トリエチルアミンを勧めた。なお、トリエチルアミンはすぐには調達できないということだった。
ク その後、遠藤は、CMI棟からいなくなったが、19日朝方、再び中川を訪ねてきた。結局、N,Nジエチルアニリンを使う方法でやるということだった。しかし、この時点でも、遠藤はサリン生成を急ぐ様子はまったくなかった。
ケ 19日昼頃、遠藤が中川のところに来て、「サリンを造るから来てくれ」と伝えた。CMI棟で造るということを聞かされ、中川は、それまでCMI棟でサリンを造ったことはなく、ドラフトの能力の点から作れるのか疑問を抱いたが、クシティガルバ棟のスーパーハウスがすでに解体されていたため、それが理由なのかと思った。
コ 中川はCMI棟に行き、遠藤及び中川らは滴下装置の組立等サリン生成の準備を始めたが、遠藤も中川も格別作業を急ぐということはなかった。同日午後2時か3時頃には準備作業は完了し、同日夕方頃、サリン生成作業に着手した。この時点でも、遠藤、中川らも格別急ぐことはなかった。
 なお、実際のサリン生成の過程は、遠藤及び中川が行い、土谷が関与したことはほとんどなかった。土谷は、遠藤に生成に必要な物質及びその量を教えたが、実際に遠藤がその教えに従ったどうかは、後述するとおり大きな疑問がある。
サ 19日午後7時から8時頃、一応サリンと思われるものができた。ただし、実際にできあがったものが、いわゆる「サリン」かどうかについては疑問がある。この点については後に詳述する(なお、以下では、便宜上「サリン」と呼称することとする)。
 しかし、一応生成したサリンは不純物が入って、二層に別れていた。遠藤は土谷に「サリンだけ取り出すことはできないか」と尋ねた。土谷は「分留すれば取り出すことができますよ」、「分留には1日くらいは見ておいたほうがいいですね」と答えたところ、遠藤は「今日中には無理だ。もういい」と言った。
 一方、中川は、村井の指示に従って、遠藤のところに行き、遠藤からサリンを袋詰めにするよう指示された。中川はビニール袋を十数個作り、各袋にサリンを詰める作業を行った、途中で遠藤が袋は二重にしろと指示し、二重にしたサリン入りの袋約10個ができた。
 検察官は、「遠藤が被告人に分留の要否について判断を仰いだが、被告人は分留していては翌20日朝の犯行に間に合わないと考えた」とし、分留しないままで使用することを了承したと主張するが(論告178丁)、被告人と遠藤との間でそのような会話をした事実はなかったし、そのような被告人の意思を裏付ける証拠もない。
 また、検察官は、サリン生成の過程で、上述した以外にも、被告人が遠藤に対して、サリンの生成を指示したり、進捗状況を確認したり、生成を催促したりした旨主張し(論告177丁〜178丁)、これは遠藤の証言に依拠しているとするが、そのような事実はなかった。この点についても、後記に詳述する。
     【中川尋問速記録(第184回1丁〜38丁、第189回31丁〜51丁、第190回47丁〜48丁、54丁〜103丁、第191回1丁〜125丁、128丁〜141丁、第192回1丁〜62丁、第193回67丁〜78丁、第194回14丁〜15丁、32丁〜58丁、第195(1)回3丁〜4丁、11丁〜18丁)、土谷尋問速記録(第245回88丁〜128丁、第246回2丁〜52丁、第247回1丁〜12丁)、遠藤尋問速記録(第208回10丁〜15丁、第216回29丁〜57丁、第2t7回1丁〜20丁、136丁〜144丁、第218回1丁〜114丁二136丁〜)など】
(4) 井上の林泰男への指示等
 ア 林泰男は、村井の上記指示を受け、同日午前中、第5サティアン3階の杉本の自室に赴き、「今日か明日運転してほしい」旨伝え、杉本はこれを了解した。
 同日夕刻頃、林泰男が、自室にいたところ、井上がやって来た。井上は、林泰男に対して、「もうマンジュシュリー正大師又はマンちゃん(村井)から聞いた?」と尋ねた。林泰男としては、先の村井からの指示の際には、井上はおらず、このような重要なことを井上に話していいものか疑問もあったが、井上は教団内ではそれなりに力があり、それまでも、他の省庁の次官クラスの者を使える立場にあったため、サリンを撒く話を井上にしないという選択肢はなかった。そこで、林泰男は、「聞いた」という趣旨のことを答えた。
 井上は、「この計画を村井に任せておいたら、うまくいかないから、自分が面倒をみなきゃいけない。自分でないと車の手配ができない。車は東京又は東京近辺のナンバーをそろえないといけないが、5台必要になる。自分でないとできない。こんなことは村井にはできない」などと言った。林泰男は、井上と親しい関係にあったが、井上がそのように言い訳じみたことを言うことについて、当時強制捜査が入るという情報の発端となったのが假谷拉致事件であって、その事件に中心的に関わったのが井上であり、そのため、井上が強制捜査の原因を作ったこと、直前のアタッシュケース事件でも井上が中心的役割を担っていたが、それについても井上が責任を感じていたことから、そのようなことをわざわざ言ったのではないかと考えた。
 車については犯行に使うということではなかったが、井上は、運転手役として、平田信、寺嶋敬司、杉本繁郎を使うことを林泰男に話した。林泰男は、この3名とも親しかったため、巻き込むのは嫌だと考えた。寺嶋については、その直前くらいに、杉本から寺嶋はちゃらんぽらんになっていることを聞いていたので、それを話し、平田については、假谷事件あるいはアタッシュケース事件のことを出して、平田が非常に否定的になっていて、もうそういうことはしたくないと言っている旨の話をして、この二人は精神的状況からしてふさわしくないのではないかと言って、反対した。井上は、林泰男に対し、3人とも教団でのサリン生成のことを知っていること等を挙げ、「反対するなら他に誰がいいのか」などと言ってきた。上述した井上の教団内での地位・実績からすると、井上が他の省庁所属の杉本(自治省)、寺嶋(自治省)、平田(車両省)を使うことは許されており、林としては、沈黙するしかなく、杉本については名前を出して反対することもできなかった。  その他、井上は、「東京で集まる場所が必要である」旨の話をし、また、サリンを撤く方法については、「VXを注射器に入れて被害者の会の永岡会長を狙ったが、今回もそれでいいんじゃないか」などと言った。撒く方法については先の村井からの指示で一応は決まっていたが、林泰男は、運転手について反対したときの井上の反応で、これ以上あまり口を挟まないほうがいいと思ったこと、また、井上が実際に注射器を使って犯行を行ったという実績があることから、村井の指示のことは言わず、反対もしなかった。井上は、「今回は200ccになるので大きな注射が必要になる。浣腸器のようなものがあったらいいんじゃないか」、「そういう注射器があるなら林郁夫のところに行って聞いてみよう」ということになり、二人で林郁夫の所に行くことになった。
イ 以上の点についての井上の証言は、次のようなものである。
 林泰男のところに行ったのは一緒に食事をするためだった。林泰男から、村井からサリンを撒くことを指示されたことを聞いた。林泰男は、「マンジュシュリー正大師からサリンを撤くように指示されたんだが、まだ具体的な撒き方の方法が決まってないし、悩んでいる。運転手についてもまだ指示もなくてどうしようか悩んでいる」と言った。林泰男は、「運転手については、教団でサリンを生成していることを知っている杉本、平田信、寺嶋に頼もうと考えているんだ」と言った。また、「東京でどこか集まる場所でいいところはないかな」と言った。私は、「場合によっては今川の家を使ってもいいよ。その代わり使うんだったら事前に連絡してくれ」と言った。
 林泰男が村井からどういう指示を受けたかは分からなかった。サリンを撒くことと、撒き方について考えておくようにと言われて悩んでいたのだろうということの二つは分かった。撒き方とは何を意味するかも分からなかった。林泰男から聞いたことは、サリンを撒くことだった。地下鉄に撒くのか、車両に撒くのか、何カ所に撒くのかということについて林泰男から聞いたかどうかは断言できない。撒く人を送り迎えするということは、林泰男自身はその必要性を考えているだろうことは伺えた。
 そこで、「そんなに悩んでいるのなら村井のところに聞きに行ったらいいんじゃないか」と林泰男に言った。以前から、林泰男から村井のことで愚痴を聞かされており、かわいそうになったためだった。林泰男は行くことを決めかねていたので、「僕も一緒に行くから行こうよ」と言った(以上、第9回59丁裏〜62丁裏、第17回161丁表〜178丁表、第20回72丁表)。
ウ 検察官がいみじくも言うように、井上は、自己の役割を少しでも小さくするため、林泰男が逃亡中で同人の供述がないことをいいことに、1、運転手の3名は自ら名前を出したにもかかわらず、林泰男が言い出したこととし、送り迎えの必要も林が考えていることが伺えたとし、また、2、自ら、東京で集まる場所が必要であることを言い出したにもかかわらず、林泰男から、集まる場所がないかと聞かれたこととし、さらに、3、サリンの撒き方についても、自ら永岡VX事件を引き合いに出して具体案を出したにもかかわらず、林泰男が悩んでいたので、村井に相談したらいいなどと、自分の言動をすべて林泰男に押しつけているのである。後述するとおり、林泰男の証言は、他の点でも、廣瀬ら他の共犯者らの証言とも一致していること、教団内における井上と林泰男の地位等からは、林泰男の証言の方が自然かつ合理的であること等からすると、この点では林泰男証言の方が信用でき、その反面、井上証言は全く信用できず明らかな虚偽証言である。
 なお、井上証言の全般的な信用性については、後記「争点」で詳述する。
    【林泰男尋問速記録(第66回13丁表〜18丁表、第73回26丁裏〜27丁裏、49丁表〜66丁表、第74回27丁表〜27丁裏、第76回27丁表〜28丁表、第84回35丁裏〜37丁表、第85回58丁裏)、杉本尋問速記録(第19回1丁裏〜2丁表、第23回2丁裏〜3丁表)、井上尋問速記録(第9回59丁裏〜62丁裏、第17回161丁表〜178丁表、第20回72丁表)など】
(5) 井上、林泰男及び林郁夫の打合せ
 ア その後、井上と林泰男は、一緒に第6サテイアン3階にある治療省の林郁夫のところに赴き、浣腸器の話等をしたところ、林郁夫から、点滴の袋にサリンを入れて管を伸ばして足下から垂らす方法が提案された。それに対して、井上は、「それじゃ自分の足にかかってしまうから危険だ」と言い出し、結論は出なかった。
 井上は、林泰男に対して、車のこと、運転手のこと、撒き方についての林郁夫の案を村井に伝えること等を指示した。自分は林郁夫に話があるとのことだった。林泰男は、村井のところに行くため、先に出た。井上は、林郁夫に対して、「19日の午後の9時に渋谷に来るように。来たら電話をするように」と言って、井上の携帯電話の番号を教えた。
イ 上記のとおり、井上は、林泰男がサリンの撒き方について悩んでいて、村井に相談したがっていたが、林泰男はためらっているようなので、自分が一緒に「行きましょう」と言った旨の証言をし、また、「林泰男と一緒に村井を探しに行った。第6サティアン3階に行ったところ、林郁夫に会った。AHIのシールドルームで話をすることになった。村井のところに撒き方を聞きに行くにあたって具体的な方法が少しでもあったほうがいいだろうと思ったから、三人で話をすることになった。林郁夫と相談した。数分間いた。私と林泰男が村井の部屋に行くことになって話は終わった。林郁夫はAHIのワークに戻るようなことを言っていた」(第9回62丁裏〜64丁裏)旨証言している。いかにも、林郁夫とは偶然会ってたまたま話をしたかのような証言であるが、本当は、井上自らが注射器を使う方法を考え、大きな注射器が必要となるので林郁夫のところに行こうと言い出したのであって、井上の上記証言は、全くの虚偽である。
 井上は、「自分は村井から爆弾と火炎瓶をやれと言われていた。本来林泰男に対して、サリンのことを口出しする必要はない。林泰男があまりにも悩んでいたのでお節介をやいた」(第20回88丁裏〜89丁裏)等と証言しているが、井上の上記の言動からすると、この証言も全く信用できない。
 また、「林郁夫に対して、夜の9時までに渋谷アジトに来いと言い、携帯の電話番号を教えたということは一切ない。19日の夜渋谷ホームズで自分の携帯に林郁夫から電話があったことは認めるが、林郁夫は村井から自分の電話番号を聞いたのではないか」(第20回73丁表〜74丁表)、「林郁夫を渋谷ホームズに集めるのは村井だと考えていた」(第20回88丁表)等と証言しているが、林郁夫がこの点で嘘を言う必要は微塵もなく、井上のこの証言は全くの出鱈目である。
    【林泰男尋問速記録(第66回18丁表〜19丁裏、第73回66丁表〜68丁裏、第84回59丁裏〜62丁裏)、林郁夫尋問速記録第8回(25丁裏〜26丁表、第18回75丁表〜82丁表)、井上尋問速記録(第17回178丁表〜裏)など】
(6) 村井の2回目のサリン撒布の指示等
 ア ところで、上記のとおり、村井の指示を受けた廣瀬及び横山は、18日午前11時過ぎ頃、地図・サリンを入れる容器等を買いに行き、地下鉄路線図2部・道路地図1冊・ポリエチレン製の瓶等を購入し、同日午後3時頃か4時頃、上九一色村に戻って来た。そして、廣瀬及び横山は、同日夕刻頃、第6サティアン3階の村井の部屋に行き、村井に購入してきたものを見せ、3人で話し合いをしていた。
 そこに、林郁夫の部屋を出て来た井上及び林泰男が加わった。井上は部屋に入ると、廣瀬らが広げていた地下鉄路線図を見て、「こんなのではだめだ」と言って、自分の鞄から地下鉄の資料(地下鉄最新ガイドマップ等)を出して村井に見せた。各駅の乗降者数やホームの詳しい図が載っているものであった。その後は、これらの地図を見ながら具体的な事項を決めていった。
 村井が、「何時頃が一番混むのか」と井上に聞き、井上が、「午前8時10分くらいじゃないか」と答えた。村井が「8時だとちょうどきりがいいので8時にするか」ということで犯行時間は午前8時になった。「本当は桜田門に撒ければいいんだがな」というような話も出た。
 一斉に撒くことも決まったが、そうしないと、他の者ができなくなってしまうからということで、実際に撤くのはそれぞれの路線の車内で撒くということだった。各自が担当する路線もこの時決められた。その他、下見に行くこと、スーツを購入すること、乗る電車の車両の位置等の話があった。車の話、運転手役の話も出た。井上が、東京で集まる場所は、諜報省で借りている部屋を使えると言った。井上は、「車が5台必要になる、運転手が5人必要になる」との意見も出した。これに対して、村井は、最初「何で車が必要なのか、電車で行けばいいじゃないか」と言ったところ、井上が、「電車だと犯行後電車が止まってしまって逃げられなくなる」という趣旨のことを言った。村井は、一瞬考えて「あ、そうか」と納得した。また、井上が、「東京近辺のナンバーの車を5台調達する」と言った。
 井上と林泰男が先に部屋を出て、廣瀬と横山が残った。容器については村井が持っていた白色のポリエチレン製の広口瓶を6,7個使うことになった。村井は、廣瀬らに対し、徐々に撒けるように穴をあけて調節して実験してみろと指示した。
 井上は、林泰男を誘って、ファミリーレストランで食事をしたが、その際、井上は、林泰男に対して、「準備ができたら、東京杉並にある諜報省の家に来るように」と指示した。そこにはカツラが多数置いてあるので犯行に使えるかどうか検討するようにとのことだった。また、来る時は、実行役、運転手役と一緒に来るようにと指示した。レストランを出た後、井上と林泰男は第5サティアンに戻り、そこで別れた。
 他方、廣瀬は、村井からの上記の指示を受けた後、第11サティアンに行き、容器に穴をあけ、第6サティアンの横山の自室に戻って実験をした後、途中で退去して休息のため自室に戻った。同日午後7時頃、豊田が廣瀬の部屋を訪ねてきて、「正大師の言うワークとは何か」と聞いて来た。廣瀬は、「地下鉄にサリンを撒くという話です」と答えたところ、豊田は、一瞬身体がこわばって直立不動の姿勢になって驚いていた。
 その後、廣瀬、豊田、林泰男が横山の部屋に集まって、容器や撒き方についての話をした。容器が目立つということで明日東京で買えばいいのじゃないかということになった。同日午後9時頃、横山の部屋の前の廊下で村井に報告した。
イ 上記の村井の部屋での打合せについての井上証言は、次のとおりである。私と林泰男は村井の部屋に行った。村井、廣瀬、横山がいた。鞄の中から2冊本を出して村井に渡した。地下鉄の路線図の本と地下鉄の各駅の乗降客が載っている本である。気を利かせて自分の持っていた地図を出した。「そんなものは使えない。もっといいものがある」というような言葉まで言った記憶はない。村井から本の見方を聞かれた。村井は、本を見ながら、廣瀬、横山、林泰男に対して、「この路線はこの駅で乗ってこの駅で降りたらいいな」等と説明していた。自分は、グラフの見方は説明したが、どこで乗ってどこで降りるということは話してない。村井が決めた。
 誰がその路線を担当するかについては覚えていない。サリンを撒く時間について言ったかどうかは覚えていない。その本には地下鉄の各路線の乗降客のピーク時間は書かれていなかった。
 話が一段落した後、林泰男が、「サリンを撒く方法はどうするのか」と村井に尋ねた。村井は、「私の方で考えておくから」と言っていた。話は10分ほどで終わった。私と林泰男は部屋を出た(第9回64丁裏〜67丁裏、第17回178丁裏〜182丁表)というものである。
ウ この場面でも、井上の証言は廣瀬、林泰男の証言とは相当食い違いがあり、井上証言はまったく信用できない。井上が、この場で、積極的に自分が持っていた地図を見せて、乗降客の数字を説明し、ピーク時を村井に教えたこと、そのため8時に実行することが決まったこと、実行犯の担当路線と車内で撤くことが決まったこと、井上が、東京で集まる場所を提供すると言ったこと、井上が車が5台必要で運転手も5名必要となる、東京ナンバーの車を5台井上が用意すると言ったこと等は明らかである。
    【廣瀬尋問速記録(第11回31丁表〜39丁表、第14回114丁裏〜120丁裏、第16回1丁表〜7丁表)、林泰男尋問速記録(第66回19丁裏〜27丁裏、第73回64丁表〜64丁裏、68丁裏〜72丁裏、79丁表〜80丁表、82丁裏〜96丁表、第76回21丁裏〜24丁裏、27丁表〜34丁表、第84回61丁裏〜62丁表、第85回56丁裏〜58丁裏)、豊田尋問速記録(第16回2丁表〜3丁裏、7丁表〜8丁裏、第23回5丁裏〜8丁裏、15丁表〜15丁裏、18丁表〜22丁裏)井上尋問速記録(第9回67丁裏〜68丁表)など】
(7) 林泰男と別れた後の井上の行動
 ア 第5サテイアンで林泰男と別れた後の井上の行動について、井上は以下のとおり、証言している。林泰男と別れた後、第2サティアン2階に行った。イニシエーションの仕上げをするためだった。実際に仕上げを行った。午後7時頃から始めた。その後、午後10時頃から自衛隊員のイニシェーションを行った。二人をする予定だったが、そのうちの一人の白井については、自作自演を手伝ってもらうつもりだった。イニシエーションには最初の2時間立ち会った。
 島田宅の下見に行くため、19日午前O時頃、東京に向かって上九一色村を出た。井田運転のマスターエースで、白井も同乗していた。島田宅の下見をした。その前後頃、阿佐ヶ谷の「うまかろうやすかろう亭」に行って、白井と食事をした。19日午前3時頃、今川の家に着いた。5時間くらい仮眠をとり、その後、白井に対し、再度島田宅の下見に行くことと変装用具を買うことを指示し、同日午前9時前後頃、上九一色村に向かった。白井は今川の家に残った。上九一色村に向かったのは、イニシエーションの仕上げをするためと村井から爆弾と火炎瓶を受け取るためだった。爆弾は昼過ぎに取りに来いということだった。
 同日午前11時頃、上九一色村に着き、第2サティアン2階のシールドルームに行って、イニシエーションの仕上げを行った。午後1時を過ぎた頃、村井を探しに第6サティアンに行った。第6サティアンの玄関で村井とばったり会った。村井から、「尊師のところに行こう」と誘われた。村井と被告人のところに向かっていた時、私が、村井に、「林泰男たちは運転手の件で悩んでいたそうですが、どうなってんでしょうか」と聞いたところ、村井は、「とりあえず決めて、今下見に行っているんだが、尊師の許可をもらうつもりでいるんだ」ということを言った。
 被告人の部屋に入ったところ、いきなり、被告人から、「お前らやる気があるのか。今回はやめにしようか」と言われた。「やめにしようか」という意味は、村井に関しては地下鉄サリン、私に関しては自作自演のことだと思った。被告人は、「アーナンダどうだ」と聞いてきた。「お前たちに任せる」と言われた。「やれ」という意味だと理解した。村井が、「サンジャヤ師(廣瀬)たちもやる気満々で、みんな下見に出かけています」と答えた。
 村井が、「運転手は誰にしましょうか」と被告人に尋ねたところ、被告人が、運転手役として、平田、寺嶋に代わって外崎と北村が加わるよう指示した。
 その後、被告人の部屋を出たが、村井から、「私が上九一色村に残っているメンバーと林郁夫に連絡をとる。アーナンダ師(井上)は東京に行くんだから、東京に下見に行っているメンバーとスマンガラ師(高橋克也)に連絡をとってくれ」と言われた。また、村井から、「どこか東京で集まる場所はないか」と言われた。実行メンバーと運転手の集まる場所であると理解した。渋谷ホームズのことを話した。10人集まることを被告人の部屋で聞いたが、10人集まるには渋谷の方がいいと思ったからだった。「何時に集まればいいか」と聞かれたので、「午後8時頃だったら可能だと思います」と答えた。さらに、村井から、「運転手が使う車を5台用意してくれ。できれば東京ナンバーがいい」と言われた。
 その後、村井と別々の車で第七上九の駐車場に向かった。村井から爆弾と火炎瓶を受け取るためだった。滝澤がタイマーの実験をやったが失敗した。1時間以内に作れるということなので、1時間後にもう一度集まることになった。
 村井から、石川のところに自作自演の声明文を取りに行くように指示されたので、第6サティアン2階の石川の部屋に行った。石川から受け取った後、第七上九に行った。再度実験したら成功した。爆弾と火炎瓶を受け取って、19日午後3時半過ぎ頃、今川に向かった。白井が運転した。
 今川に向かう途中、白井に対して、自作自演を手伝うよう指示した。その際、白井を使えとの被告人の指示がないにもかかわらず、「被告人の指示だ」と言って、白井に指示を出した(以上、第9回73丁表〜74丁裏、74丁裏〜80丁裏、83丁裏〜87丁裏、第17回167丁表〜177丁裏、第20回18丁表〜31丁裏、43丁裏〜53丁裏、74丁裏〜)。
イ 上記の井上証言のうち、井上が被告人から叱責を受けた等とする部分は不自然かつ不合理であってまったく信用できない。井上は、被告人から、いきなり「お前らやる気があるのか。今回やめにしようか」と言われたとし、「やめにしようか」という意味は、村井に関しては地下鉄サリン、私に関しては自作自演のことだと思ったと証言している。しかし、自作自演については、井上は下見もし、やるべきことはやっているのであるから、「やる気がない」と言われる筋合いはないはずである。
 また、被告人から「アーナンダどうだ」と聞かれたと証言しているが、地下鉄サリンが村井担当で、井上は自作自演だけが担当であるなら、被告人としては、まず村井に「どうだ」と聞くのが筋である。被告人が井上に「どうだ」と聞いたとするのが事実であるとするなら、井上が地下鉄サリンを担当する中心人物であるからに相違ない。
 次に、「お前たちに任せる」と言われたとする点については、「やれ」という意味だと理解したとし、その後、「村井が運転手はどうするのか、ペアはどうするのか」と被告人に聞いたと証言しているが、「任せる」と言うのであれば、運転手役や実行役とのペア等の細部まで村井がどうするかを聞く必要はないはずである。外崎は、同日正午頃、村井から運転手をするよう指示された、その際、村井から井上の携帯電話の番号を教えてもらった旨供述している。被告人秘外崎を指名する前に村井から指示されているのである。したがって、この場面で、被告人が運転手役について指名するはずがないのである。
 さらに、村井が、『サンジャヤ師(廣瀬)たちもやる気満々でみんな下見に出かけています』と答えた旨証言しているが、この時点では林郁夫はまだ第6サティアンにおり、下見には行っておらず、客観的事実に反している。
 このように井上証言は、極めて不自然かつ不合理であるが、井上は、捜査段階では被告人の部屋に行ったとは供述しておらず、村井の部屋に行ってペアを伝えるように言われた旨供述しているのである。
ウ また、村井から、「どこか東京で集まる場所はないか」と言われたが、被告人の部屋で10人集まることを聞いたので、渋谷ホームズの方がいいと思い、渋谷ホームズのことを話したこと、村井から「運転手が使う車を5台用意してくれ。できれば東京ナンバーがいい」と言われたこと等の証言もまったくの虚偽である。
 すでに述べてきたとおり、東京で集合する場所が必要であること、車も5台必要であること、それも東京ナンバーのものが必要であることを考え、提案し、用意をしたのは井上である。自らの不都合な言動はすべて死んだ村井の言動とするもので、まったく信用できない。
(8) 今川の家への集合
 ア 林泰男、廣瀬、横山、豊田、杉本、寺嶋及び平田信は、3月19日午前8時から10時の間、普通乗用自動車2台に分乗して第6サティアンを出発し、今川の家に午前10時から正午頃に着いた。井上が待っているはずだったが、井上はおらず、林泰男が「アーナンダ師は人を呼びつけておいて自分が時間までに来ないからな」などと言った。
 1〜2時間井上を待ったが来なかったので、林泰男を中心に廣瀬、横山、豊田の4人で打合せをした。路線と各担当、各乗降車駅の確認等をし、地図等を見ながら、撒き方についても話をした。この段階では、乗降車駅等、村井の部屋で決まっていたことの確認だけだった。実行役と運転手役の組
合せについては林泰男が決めた。
 林泰男から、午前8時10分くらいに霞ヶ関駅を通過する電車に乗り、8時くらいに一斉に撒くという話があった。林泰男が午前8時頃に着く電車を読み上げて、乗るべき電車の時刻が決まった。乗車する位置も決まった。官庁街か警視庁の出口に通じる階段の近くに止まる車両ということだった。   
 下見の話をしている時に話題になったことがあった。平田から、「数日前のアタッシュケース事件の時は、駅の近くのホテルをとって、そこから犯行に行ったが、時間どおりにやれるかどうかが危倶されるんだったら、今回も駅の近くのホテルをとってそこから行くようにしたら間題はないんではないか」という趣旨の意見が出た。これ以前には村井との間でも、井上との間でもホテルのことは出ていなかった。この時点応も現実味は感じなかった。
イ 午後1時頃、林泰男らは、新宿に行って食事をし、その後、カツラ等を購入した。その後、廣瀬、横山、杉本、寺嶋が地下鉄四ツ谷駅と御茶ノ水駅の下見に行った。林泰男、豊田、平田が残った。
 林泰男は、村井の性格や実績等や直前のアタッシュケース事件でも失敗していることを知っており、現実性のない計画だと考えており、そのため、下見にも行かなかったが、平田との間で、「サリンができるはずがない。こんなことやっても、どうせうまくいかない」等と話し合い、意見が一致した。
 また、廣瀬らは下見に行ったものの、横山らが四ツ谷駅の下見をしている間、廣瀬と杉本は車中で待っている際、杉本が、「何でこんなことをするのか」、「本当にやるのか」などと廣瀬に尋ねたことがあった。廣瀬は、「強制捜査の矛先を変えるためだ」という趣旨のことを答えた。杉本は、教団がやったことがすぐわかる、強制捜査の矛先を変えるどころか、強制捜査を招くことになると思い、「招き猫になるのではないか」と廣瀬に言った。廣瀬も同感したものの、口には出さなかった。
ウ 同日午後6時から7時にかけて、林泰男、廣瀬らはそれぞれ今川の家に戻ったところ、しばらくすると、井上が来た。  井上は、最初に「強制捜査を妨害するために警視庁を狙って犯行を行なう」という趣旨の話をした。そして、実行役の担当路線と乗降駅などを確認した。その後、運転手役の平田と寺嶋が変わって、新實、外崎、北村克也、高橋克也、杉本の5名になったことを伝えた。
 その後、井上は、渋谷ホームズに移動するように指示し、皆が移動した。
エ 以上の点に関する井上証言は、次のとおりである。
 午後7時ちょっと前に今川の家に着いた。着く直前に廣瀬から電話があった。林泰男らがいた。前日、泰男に会った時、「場合によっては使ってもいいよ」というふうに言っていたので来たのかなと思った。林泰男から事前に今川の家に行くという連絡はなかった。
 サリンの運転手とは関係のない寺嶋や平田がいた。林泰男が頼もうかなと言っていたが、村井が言っていた「とりあえずの運転手役として決めた」というメンバーとしているのかなと思った。誰が指示したかはわからないが、少なくとも村井が指示しているか、確認をとっているとは思っていた。
 林泰男に村井の指示の一部のみを伝えた。林泰男から聞かれたので「運転手はこの5人だ」と言って5人の名前を挙げた。林泰男は、「村井から指示を受けた内容と違うんだが」と言った。私は、「尊師の指示で決まった」と言った。林泰男から「俺は誰とペアなんだ」と聞かれたので、「杉本だ」と答えた。組合せについては伝えなかった。全員そろっていなかったからである。教団では伝聞の指示は極力控えるよう言われていた。その後、渋谷ホームズに移るよう指示した。
 今川の家では運転手のペアを伝えただけである。サリンを撒布する時間、乗車駅、降車駅についても一切話していない。杉本、豊田証言は知っているが、ないものはない。そんな余裕もない。
 林泰男らに伝達した後、島田宅の爆弾の件で出た。井田の運転で私と白井が行った。林泰男と平田にも確認役を頼んだ。実際は爆弾は自分でしかけ爆発した。声明文は白井がポストに入れた。その後、今川の家に火炎瓶を取りに戻った。それを持って青山道場に向かった。井田の運転で、私と白井が行った。確認役は寺嶋、平田、山形明だった。白井が実行し、私と白井、井田は渋谷ホームズに向かった。
 白井には、上九一色村から島田宅の下見に行くときに爆弾事件を手伝うことを指示した。「強制捜査が近いから手伝ってもらいたい」、「尊師の意思だから」と言ったかも知れない。それまでの侵入事件でも被告人の指示がなくとも、「尊師の指示だ」ということを言ったことがあった。白井に対しても、言ったことがあった。白井にやる気を起こさせるためだった(第9回87丁裏〜96丁裏、第20回33丁裏、84丁裏〜86丁表、92丁裏〜122丁裏、151丁表〜152丁表、第21回85丁裏〜)。
オ 井上が、今川の家で林泰男らと約束をしていたことは他の証人との供述からも明らかである。井上は、「約束はしていない。約束していたら私は約束は破りません。約束していない。断言できます」などと証言しているが、まったくの虚偽である。
 平田、寺嶋が来ていることについても、意外だとしているが、上記のとおり、そもそも、平田、寺嶋の名前を出したのは井上であった。
 また、今川の家での指示内容についても、井上とその他の者の証言はまったく異なっている。廣瀬らがこの点で格別井上の責任を重くしようなどと考える理由はまったくなく、この点でも井上証言が虚偽であることは明白である。
      【廣瀬尋問速記録(第11回39丁裏〜49丁裏、第16回7丁裏〜14丁表)、林泰男尋問速記録(第66回29丁裏〜41丁表、96丁表〜112丁裏、第73回112丁裏〜123丁裏、第74回1丁表〜22丁表、第76回1丁表〜6丁裏、87丁表〜、第84回50丁裏〜51丁表、63丁表〜64丁表)、豊田尋問速記録(第16回8丁裏〜16丁裏、第23回15丁裏〜16丁表、38丁裏〜39丁裏)、杉本尋問速記録(第19回2丁表〜12丁裏、16丁表〜19丁裏、第23回3丁表〜16丁裏、55丁表〜58丁裏)など】
(9) 渋谷ホームズ集合
 ア 林泰男らは、3月19日午後8時〜9時頃、渋谷ホームズに着いた。新實、外崎、北村が合流し、後に林郁夫も合流した。
 午後9時頃、井上が来たが、井上はとてもはしゃいだ様子で「やった、やった。これは新聞に出るような事件になるよ」と少し大きな声を上げて部屋に入って来た。杉本は、「林泰男らが今川から渋谷に移動する時に、何かやろうとしていた。平田信と寺嶋を使いたいと言っていたので、いわゆる自作自演のことだろう」と思った。
 その後、井上が中心になって打合せをした。井上は、計画の目的を再度説明し、実行役・運転手役の担当路線、組合せ、車が変更したこと、乗降車駅)乗車する位置、乗車後に立つ場所、サリンを撒く量が増えて一人1リットルになったこと、犯行時間帯、一斉にやること、そうしないと電車が止まってしまうこと、容器については、向こう(上九一色村)で用意すること、再度下見に行くこと等を指示した。
 また、井上は、運転手役の者に緊急の場合の自分の携帯電話の番号を教えた。使う車とペアが変更になり、廣瀬の運転手役が杉本から北村に変わり、横山の運転手役は寺鳴から外崎に変わった。井上は現金5万円ずつを配った。
 その後、同日午後10時頃、廣瀬らは、地下鉄の下見に出かけた。同じ頃、井上も渋谷ホームズを出た。同日午後11時30分か翌日午前0時少し前に廣瀬らは渋谷ホームズに戻った。
 皆が渋谷ホームズにいたところ、村井から林泰男の携帯電話に電話がかかってきた。早く上九一色村に戻れということだった。林泰男が、「井上がそちらに向かっている」ということを答えたが、しばらくしてまた電話があった。村井は、「何やってんだ。すぐ戻って来い。アーナンダは関係ないんだ。私の言うことを聞け。そんなことでは失敗するぞ」などと怒っていた。林泰男らは、20日午前2時頃渋谷ホームズを出発した。
 林泰男らは、同日午前3時頃、第7サティアンに到着した。村井は、井上立会のもと、林泰男らに対して、先端を尖らせたビニール傘を使って、水入りの袋を突く練習をさせ、また、撒布する方法や注意事項を指示した。林泰男らはサリン入りのビニール袋11袋、ビニール傘5本を受け取り、上九一色村を出発し、同日午前5時頃、渋谷ホームズに戻った。
 なお、3月19日午後9時頃、教団大阪支部に警察の強制捜査が入ったが、林泰男らは、第7サティアンでの傘で突く練習の際に、村井から、大阪支部に強制捜査が入ったことを聞かされた。
イ 上記の点についての井上証言は、次のとおりである。
 19日午後9時過ぎ頃、渋谷ホームズに着いた。林泰男らがいた。林郁夫から私の携帯に電話があった。林郁夫が私の携帯の電話番号を知っているのは、村井から聞いたとしか思えない。自分が林郁夫に教えたということはない。断言できる。外崎が林郁夫を迎えに行き、林郁夫が来た。
 皆が集まったところで、村井の指示を伝えた。ペアは誰と誰という話だった。林泰男が、「俺はガンポパ師(杉本)だね」と聞いたので、「そうだ」と答えた。組合せを伝えた後、各ペアが自分たちは何線だと言い合っていたような気がする。各ペアがどの路線を担当するかがどのように決まったのかは私にはわからない。どのペアがどの路線を担当するかは知らなかった。5つの路線に撒くというのがいつ決まったかは知らない。私がその話をはっきり認識したのは、19日の深夜、ペアを伝えに行った時の渋谷ホームズでのことだった。
 林郁夫が私に、「私はどうしたらいいんでしょうか」と尋ねてきたので、林泰男に、「クリシュナナンダ師(林郁夫)は何線だったんですか」と聞いたところ、林泰男は、「千代田線だ」と答えた。私はかばんから地図を出して林郁夫の前に見せ、説明した。すると、廣瀬らが寄って来て、「もう一度見せてくれ」と言った。それで、廣瀬らにその地図を渡した。
 その後、新實、杉本、林泰男のところに行った。車が3台しか手配できなかったので、それを言ってあと2台をどうしようかと相談した。新實か杉本かが、「中村昇の東京ナンバーがある」と言っていた。あと1台については、私が富永昌宏の車のことを言い、それを使うことになった。
 誰かが渋谷ホームズの電話番号を聞いてきたので、とりあえず私の携帯の番号を教えた、自分の携帯の番号を教えたのは皆のブーイングがあったから、仕方なしに教えた(第9回96丁裏〜105丁表、117丁表〜120丁裏、第20回124丁表〜136丁裏、142丁裏〜151丁表、153丁表、159丁裏〜160丁表、第21回29丁裏〜32丁表)。
ウ これまでに述べてきたところからも、この点についての井上証言が虚偽に充ちたものであることは明らかである。まったく信用できない。井上は、反対尋問で、廣瀬証言、林泰男証言、林郁夫証言、杉本証言、豊田証言が皆一致しており、井上のみが異なっていることを指摘されても、自分の記憶は記憶だとして開き直っている。
 本件の計画・立案者・現場指揮者である井上が、最後の詰めとして、実行犯らを集めて最終の指示を与えたことは、それまでの井上の行動からも明白である。
    【廣瀬尋問速記録(第11回50丁表〜67丁表、第16回14丁表〜30丁裏)、林泰男尋問遠記録(第66回42丁裏〜48丁表、54丁表〜56丁表、64丁表〜64丁裏、第74回22丁表〜35丁裏、第76回34丁表〜53丁裏、第84回16丁表〜18丁裏、47丁表〜49丁裏、64丁表〜65丁裏、第85回39丁表〜39丁裏、55丁表〜56丁裏)、豊田尋問速記録(第16回16丁裏〜31丁裏、第23回16丁表〜17丁表、39丁裏〜40丁表、41丁表)、杉本尋問速記録(第19回19丁裏〜37丁表、第23回16丁裏〜31丁裏)、林郁夫尋問速記録(第8回26丁裏〜51丁裏、第18回82丁表〜129丁裏)、井上尋問速記録(第9回117丁表〜120丁裏、第21回135丁表〜154丁表)など】
(10) 渋谷ホームズを出てからの井上の行動
 ア 渋谷ホームズを出てからの井上の行動について、井上は以下のとおり証言している。 石川から電話があり、19日午後10時頃にハチ公前で待ち合わせることになった。声明文についての相談ということだった。渋谷ホームズの部屋を出るとき、林泰男らは下見に行こうとしていた。同日午後10時半に信徒と新宿で待ち合わせをしていた。強制捜査があった場合に備えて、教団幹部らが避難できる場所としてホテルを確保しようと考えていた。19日の午後にはホテルを予約することを考えていた。誰からの指示もなかった。白分で決めた。ヒルトンホテルは以前予約したことがあった。後で解約したが、これも自分の裁量でやった。
 ホテルを取る前に大阪に強制捜査が入っていたことを知っていた。教団の認識として強制捜査が入っておかしくない状況だった。強制捜査が来るという前提でサリンの動きがある。とりあえず準備した。しかし、これは私自身の認識ではなかった。
 石川と一緒に新宿に行き、信徒と会った。信徒に新宿のヒルトンホテルのツインルーム3部屋をとってもらい、チェックインもしてもらった。ホテルの部屋の鍵を受け取って、石川と一緒に渋谷ホームズに戻った。高橋克也らに信徒から車を借りて来るよう指示するためだった。同午後11時過ぎ頃、渋谷ホームズに戻った。
 下見のメンバーが何人か戻ってきていた。車手配の指示をし、その後、上九一色村に戻るつもりだった。自作自演の報告をするためだった。林泰男に、「上九に行って報告に行って来るから」と言った。林泰男は、「モノがまだ届けられない。村井の話では村井が持って来ることになっているんだが、さっぱりわからない。どうなっているのか聞いてくれ」と言われた。モノとはサリンのことだと思った。
 20日午前0時頃、出発し、牛前2時頃、第6サティアンに着いた。村井を探した。村井に会って、村井と一緒に被告人に撮告しようと思ったからだった。
 第6サティアン1階の被告人の部屋に行った。自作自演の報告をしたところ、被告人からは、「それは青山から聞いてる」と言われた。被告人は怒っていた。「何でお前は勝手に動くんだ」と言われた。村井が来た。村井は、「やっと連絡がとれた。彼らは後1時間ちょっとで第7サティアンにやってくる。しかし、まだ、傘を買ってないようです」などと報告した。被告人は、私に、「人間は同時にたくさんのことはできない。サリンはマンジュシュリーに任せておけ」と言った、私は、それを聞いてサリンには絶対かかわるなという趣旨に取った。さらに、被告人は、「マンジュシュリー、お前しっかりしないと失敗するぞ」などと言っていた。
 私が部屋を出ようとしたところ、遠藤が部屋に入って来た。ダンボール箱を持っていた。私は部屋の外から見ていた。被告人が遠藤が持った箱の下に手をあてて修法をしていた。ダンボール箱は蓋がついていた。色はついていたが、白とか赤ではない。
 今川に帰ろうと思っていたが、第6サティアンの1階の駐車場で村井と会った。傘を買って来てくれと頼まれて買ってきた。第7サテイアン2階で村井に渡した。その際、爆弾が爆発したことを村井に報告した。村井が3階の滝澤のところに行って、傘の先をバインダーで削ってくれと依頼していた。村井から、「彼ら(林泰男ら)が来たみたいだから、実験をするから来ないか」と言われて付いて行った。林泰男らが傘で水入りの袋を突く練習をしていた(第9回106丁表〜117丁表、第15回23丁裏〜27丁表、第20回160丁裏〜172丁裏、第21回1丁表〜132丁表)。
イ 井上は、サリンは村井が担当で、自分は自作自演を担当としていると主張しているのであるから、そうだとすると、被告人が「サリンはすべて村井に任せておけ」との言葉が出るはずがなく、また、仮にこのような言葉が実際にあったとすれば、サリンについて井上が深く関与していることの証左とも言えるのである。
 井上は、「サリンはすべてマンジュシュリーに任せておけ」と被告人から言われ、それを聞いてサリンには絶対かかわるなという趣旨に取った旨の証言をしているが、井上は、その後も、ビニール傘を購入していること、車の手配していること、渋谷ホームズでテレビを見ながら情報収集をしていること、傘等の処分をしていること等からすると、まったく信用できない。
 また、修法の場面についても、遠藤が真っ向からこれを否定していること、被告人が修法をする際、弟子が触れているものをすることはあり得ないこと(石川証言等)、林郁夫は、第7サティアンで傘で突く練習をした際にサリン入りの袋を詰めたものを見たが、ダンボールではなく、紙袋であり、しかも、白色だったと証言していること等からすると、井上証言が虚偽であることは明白である。
 なお、井上は、大阪支部に強制捜査が入っていたことを知っており、自分の判断で強制捜査に備えてホテルを確保したことを自認しているが、このことだけからも、井上は、強制捜査が間近に迫っていることを十分認識し、危機感を持っていたことは間違いないことである。強制捜査が来るというのは「教団の認識」であって「自分の認識」ではないとの井上証言はまったくの嘘である。

  7 実行前後の状況
(1) 渋谷ホームズ集合・実行等
 ア 林泰男らは、第7サティアンから戻り、20日午前5時から5時半頃、渋谷ホームズに戻った。そして、同日午前6時頃、サリン撤布のため、渋谷ホームズを出発した。
 その後、井上が指示したとおり、林泰男、林郁夫、廣瀬、豊田及び横山らは、各自が担当する路線の電車に乗り込み、同日午前8時頃、電車内にサリンを漏出させた。
 イ 実行後、実行犯や運転手役の者らは、午前9時から10時くらいの間に渋谷ホームズに戻った。井上が来ており、井上が持ち込んだテレビで事件についての報道がされていた。地下鉄でガスが発生して大勢の人が倒れているという内容だった。井上と新實が、特に井上が熱心に長い時間テレビを見ており、互いに顔を見合わせる感じで笑いながら見ていた。
 また、井上が事前の犯行声明文を出し損ねたということで、その場に来ていた石川を怒っていた。
 その後、廣瀬らは上九一色村に戻り、井上、林泰男、新實及び杉本は、犯行に使用したビニール傘や衣類等を焼却するために、多摩川河川敷に行くことにした。井上が中心となってゴミ等を集めさせた。
 出がけに、林泰男は、新實から、「これで強制捜査は1か月延びますかねえ」などと聞かれた。林泰男は、内心では、強制捜査が避けられるということはない、そんなばかなことはない、強制捜査が逆に早くなるだろうと思っていたが、口では、「よくても1週間くらいじゃないですか」と答えた。
 井上らが多摩川に向かう途中の車中でラジオから、大勢の人が病院に運ばれ、死亡者が出たこと等が報道されていた。  多摩川河川敷で衣類等を焼却している間、新實が、「今回のことは警察の目をそらせるためである」と発言した。他に、犯行声明文を出すこと、小沢一郎と関係するところの犯行と思わせること等についても話をしていた。杉本は、これを聞きながら、「松本サリン事件の関係で、薬品購入のための会社に警察の捜査が入っていて、今回の事件を起こすとすぐに教団が疑われる。ばかじゃないか。地下鉄にサリンを撤いて捜査の目を教団からそらせることはできない。招き猫になる」などと考えていた。
 その後、食事をしたが、井上は満足した様子だった。
(2) 第7サティアンを出てからの井上の行動等
 ア 第7サテイアンを出てからの井上の行動について、井上は次のとおり証言している。
 20日午前3時半前後頃上九一色村を出て、同日午前5時半過ぎ頃、今川の家に着いた。シャワーを浴びて渋谷ホームズに行くことにした。行こうと思ったのは、何かあったらまずいと思ったからで、自主的に行った。午前6時過ぎに出て、渋谷ホームズには午前6時半から7時頃に着いた。誰もいなかった。
 鞄の中に入っていた携帯の液晶テレビをつけた。前日の夜、大阪支部に強制捜査が入ったが、波野村の時は午前7時に入ったから、強制捜査が来るかもしれない、来たらテレビに映るだろうと思ったからだった。午前7時前からテレビを見ていた。実行の時間を午前8時としているのは犯行前には知らなかった。
 液晶テレビのコネクターがずれたので、諜報省のサマナに連絡して小型テレビを持って来させて見ていた。午前7時を過ぎても強制捜査がないので、ヒルトンホテルのチェックインを解除しようと思い、鍵を返して来るようにサマナに指示をした。
 その後、実行メンバーが帰ってきた。林郁夫が彼らにパムを打っていた。テレビでサリンのことが映され始めたが、パニック状態となっていた。
 傘等を捨てに行くことになった。林泰男、新實、杉本、私が行くことになったが、私が最初から行くつもりはなかった。ゴミ袋が車に入りきらなかったので、私の車に入れ、付いて行くことにしたためであった(第9回120丁裏〜126丁表、第20回136丁裏〜138丁丁裏、第21回155丁表〜163丁裏、第21回156丁裏)。
イ ここでも井上は自分の関与の度合いを薄めるため嘘を重ねている。「犯行が午前8時であることを知らなかった」など、早い段階から午前8時に散布することは決まっており、しかも、井上が参考に供した地下鉄路線図を見て村井がその場で決めたのであった。
 自分は地下鉄サリン事件とは関係ないが、「自主的に」渋谷ホームズに行ったというが、まったく信用できない。関係ない者がわざわざテレビを用意し、しかも、故障すると別のテレビを持って来させたのである。また、犯行時刻が、午前8時だからこそ、その時間に合わせて渋谷ホームズに運び込んだのである。
    【廣瀬尋問速記録(第11回67丁表〜92丁表、第16回31丁表〜52丁表、59丁裏〜73丁裏)、林泰男尋問速記録(第66回78丁表〜78丁裏∴82丁表〜82丁裏、第76回75丁裏〜78丁表、第80回12丁表〜67丁表、第84回29丁裏〜、68丁裏〜73丁裏、75丁裏〜、104丁裏〜115丁表、第85回1丁表〜22丁裏、40丁表〜53丁裏、73丁裏〜75丁裏)、豊田尋問速記録(第16回31丁裏〜44丁表、第23回40丁裏、41丁裏〜44丁裏)、杉本尋問速記録(第19回38丁裏〜61丁表、第23回31丁裏〜52丁表)、林郁夫尋問速記録(第8回51丁裏〜83丁裏、第22回1丁表〜64丁裏、66丁表〜66丁裏)など】

8 事件後の井上らの行動等
 (1) 本件犯行後、3月22日に教団施設には強制捜査が入った。本件関与者らも逃亡するなどしたが、本件後も、井上を中心として、中川、林泰男らは、新宿青酸ガス事件、都庁爆破事件等をおこし、また、ダイオキシンを撒く件、石油コンビナートを爆破する件を計画したが、これらについても被告人の指示はなく、首謀者である井上自身も被告人の指示がなく行ったものがある旨証言しており、被告人が逮捕された後に行われたものもあった。
 (2) 同月23日か24日頃、林泰男が、井上と逃亡している際、長静温泉で新たに被害者が出たというテレビ報道があった。井田や山形明もその場にいたが、それを見て井上が喜んだため、林泰男は、「テレビの中で警察官の出勤時間は9時頃という話があった。もっと早い時間に犯行を行ったので、関係ない人たちに被害が及んだ」などと言って、井上をたしなめたことがあった。
 (3) 同月29日か30日の深夜、早川、井上、端本悟、林泰男が集まったところで、早川が、「『今回強制捜査が入ったのはアーナンダの責任だ』と尊師が言っていた」と言ったことがあった。そこに集まった者らで、假谷事件がきっかけとなって強制捜査が入ったので、そのことを言っているのではないかなどと話をした。
 (4) 同年4月初旬頃、井上と中川が、川越のウィークリーマンションあるいは八王子のマンションで話をしていた際、本件のことが話題となったところ、井上が、「サリンのことは私が話をした」などと話し、また、原料(ジフロあるいはジクロ)が教団にあることも井上が話をしたとし、自分がサリンを撒くことを提案した趣旨のことを述べた。
 また、4月上旬頃、井上が中川に対して、本件に関して、「マンちゃん(村井)なんて何もしていないんだよ。『私が車が要るんじゃないですか』と言ったら、マンちゃんなんて『新幹線で帰ってくればいいんじゃないか』と言ったんだよ。車を用意したのは全部私がしたんだ」などと本件での自分が果たした役割を自慢げに話したことがあった。
      【廣瀬尋問速記録(第16回54丁表〜55丁裏)、林泰男尋問速記録(第76回24丁裏〜26丁裏、第77回9丁表〜10丁裏、第80回57丁裏〜59丁表、第82回4丁裏〜14丁表)、中川尋問速記録(第24回31丁裏〜36丁表、第194回16丁〜20丁、23丁)など】

9 村井・井上の本件における役割
 (1) 他の関与者の井上についての評価
 本件における井上の役割等について、林泰男は、「假谷事件の失敗で強制捜査が入るかもしれない状況になって、井上が責任を感じて、地下鉄サリン事件で指導者的立場で加わったと感じている。假谷事件については事件直後、平田からかなり詳しいことを聞いていた。井上からも聞いていた。中村からも少し聞いたことがある」(第84回38丁表〜39丁裏)と証言している。
 同様に、中川は、「假谷事件の前、井上から、『私、飯田、岐部の3人が被告人から怒られた。ものすごく怖かった』という話を聞いたことがある。実績を残そうと焦ったのはないか」(第180回66丁〜72丁)と証言し、杉本は、「今回、新實が非常におとなしかった。ほとんど口を出さなかった。私にとっては意外なことだった。それまでは新實の方が上。それまでの行動も新實が中心だった。新實と一緒に来た者は自治省所属。主に運転手役。今回はサポート的。自治省がサポート的。いろいろな指示、命令系統を伝えるのが井上。しかも、新實を差し置いていろいろ指示を出していた。今回は諜報省が中心になってやっていると思った。一連の動きからそう思った」(第23回21丁表〜21丁裏、第23回58丁裏〜59丁表)と証言している。
 さらに、新實は、「VX事件をきっかけとして、私がナンバー3となり、井上がナンバー2となった。地下鉄サリン事件は、村井と井上が車の両輸となって行ったものだ」旨の証言をしている(第204回7丁)。これらの本件関与者の証言からしても、本件における井上の役割が単なる「お手伝い」だとすることは到底できない。
(2) 井上の危機意識
 井上自身が、「教団施設に強制捜査が入るという話は何回かあつた。平成6年11月頃の対応は、早川が借りている都内のアジトに科学技術省の荷物を運んだこと、平成7年1月に入ってすぐの頃、警察官の小杉から情報を聞いていた」、「平成6年2月以降の強制捜査を受ける原因としては、松本サリン事件との関わり、第7サティアンの異臭事件、平成7年1月1日の読売新聞の記事、平成6年秋の上九周辺の住民の盗聴が発覚して新聞に出たこと、そして、假谷事件」を挙げ(第9回30丁裏〜31丁表、第15回40丁裏〜53丁裏)、「假谷事件はちょっとまずかったな」と思ったことも認めている(第15回27丁表〜33丁表、第22回20丁表〜22丁表)。
 また、上記のとおり、自分の判断で強制捜査に備えて、3月19日の夜にホテルを確保していること、林泰男が「井上は警察に情報源を持っていた。地下鉄サリン事件の少し前頃、信徒の中に警察官がいて、その警察官から何らかの情報を得ているということを井上から直接聞いた」(第72回113丁表〜114丁裏)と証言していることからしても、井上が何らかの情報を得て強制捜査が間近であるとの認識を本件当時抱いていたことは明瞭である。
(3) 村井の危機意識
 上記のとおり、村井は強制捜査に備え、サリン等の処分を命じ、また、3月17日から18日にかけては、小銃部品の隠匿を指示しているのであり、村井も強制捜査について切迫していることを十分に認識していた。また、井上は、「リムジン内でのサリン撒布の総指揮を命じられた際、嬉しそうな顔をしたが、村井は、第7サティアンのプラントの失敗、平成7年2月の大川のポアの計画のためのマイクロ波照射器失敗、アタッシュケース事件の失敗等失敗続きだったため、取り返そうというつもりがあったのかなと思った」旨証言している(第9回41丁表〜41丁裏)。リムジン車中でサリン撒布命令があったとする井上の証言は信用できないが、村井が失敗続きであって焦りを感じていたとする部分は、他の者の証言とも合致し、信用できる。
(4) 村井・井上の役割
 これらに加え、これまで各所で述べてきた村井及び井上の言動を考えあわせると、本件は、強制捜査が迫ったことに危機感を抱いた村井及び井上が、被告人を差し置いて、相談し企画・立案したうえで、指揮をとった事件であることが明らかである。

第2 争点
1 被告人による指示の不存在
 (1) ジフロの保管について
 ア ジフロ保管に関する井上証言
 検察官は、1995年(平成7年)1月1日の読売新聞の記事が掲載されたことから、サリン関連物質を処分した際、中川が、「後日、サリンを使用する必要が生じた際にすぐさま生成できるようにと考えて、サリンの前駆物質である『ジフロ』約1リットルが入った容器を密かに持ち出して教団施設内に隠匿保管した」とし同年3月18日午後4時頃、村井が中川に対し、隠匿保管中のジフロを使って東京の地下鉄電車内で散布するサリンを早急に生成するように指示し、中川は、これを了承した上、隠匿保管場所からジフロを持ち出して第3上九所在の遠藤専用の実験施設(ジーヴァカ棟)まで行き、遠藤にこれを引き渡した」旨主張する(論告174丁)。
 これは、井上の「1月1日の強制捜査の情報に対しては、1月の初めに中川からサリンを処分したことを聞いた。VXを私が預かって今川の冷蔵庫に入れたが、預かった時に、中川がサリンの材料を一部どこかに隠したことを聞いた。1月初め頃のことである」旨の証言(第15回46丁裏〜51丁裏)及び同趣旨の中川検面調書(A甲12080,A甲12081)を根拠としていると思われる。
 地下鉄サリン事件における井上の中心的な役割をめぐる重要問題の一つが、本件サリン生成の原料となったジフロ(「メチルホスホン酸ジフロライド」を以降は「ジフロ」と表記する)について誰が保管していたかということにある。中川は、公判廷では井上にジフロを渡したと証言したが、井上は、保管していたのは中川であると述べ、中川証言を真っ向から否定する(井上尋問速記録第20回10丁裏〜11丁表、第22回30丁裏〜33丁裏、36丁裏〜37丁表)。
 検察官は、この中川証言についてはまったく触れることもなく、論証もなく、中川がジフロを隠匿・保管していた旨主張するのである。
 現場指揮者としての井上は、サリン生成の段階から決定的に重要な位置を占めていたのであり、ジフロ保管に関する中川証言の真実性が明らかになることによって、自分の役割を過小なものとしてきた一連の井上証言の虚偽性がより明白になる。そこで、以下では、この点に関する中川検面調書が信用できず、法廷での証言の方がはるかに信用性が高いことを述べる。
 なお、このジフロの保管以外の点についての中川の検面調書と公判廷の証言の信用性の間題については、後に詳述する。

イ ジフロ保管に関する中川証言
 (ア) 中川検面調書
  a 供述自体の矛盾
  (a) A甲12080号証の平成7年6月3日付けの中川検面調書では、サリン等の廃棄処分についでは、「麻原尊師や科学技術省長官のマンジュシュリーこと村井秀夫さんの承諾なしに、大金を投じて生成したサリンを勝手に廃棄処分することなど、当時の状況からして到底できないことでした。ですから、土谷君が、サリン等の中和処理作業を既に始めていたということは、当然、麻原尊師や村井さんの了解を得た上でやっていることと思いました」(4項)となっているが、この点、中川証言も、「包括的な指示はあったんだと思いますね。包括的な指示というか許可というか、その辺はちょっとあいまいですけれども、話としては、麻原氏から話が出ていたんだと思います」(第189回2丁)、「だから、じゃ、そう考えたかと言われると、もうほとんど考えていないんですけれども、ただ、それは、前提なわけですよね。あそこまでのことをしているというのは」(同19丁)というものである。すなわち、中川は、被告人や村井の了解があることを当然の前提として中和処理を行ったのであり、これは、それ以後のジフロの保管に関する中川らの行動経過を把握するための大前提である。
 同検面調書は、「それで、作業を引き継いだ私もサリンを中和処理することに何の疑問も感ずることなく、作業を進めたのでした。このときは、サリンをどこかに隠すという発想はなく、とにかく残っていたサリンや中間生成物を全部中和処理しようと思って始めました」(4項)と続く。
 ところが、その後、同検面調書は、「この処理の途中、私は、先程のジフロ約1リットルが入った容器1個をどこかに隠して保管しておこうと考えました。というのは、ジフロを作るのは大変手間がかかるし、新聞報道によれば松本サリン事件のからみで捜索も予想されたことから、第7サテイアン等のサリン生成設備も使えなくなり、もうサリンが作れなくなるかも知れないとも思ったからです。それで、このジフロまで捨ててしまうのはもったいないと思ったのです。サリン自体を保管しようと考えなかったのは、サリンそのものが見つかったら困ることと、人が触れたりしたら危険なので、ジフロの形で保管した方がよいと思ったからです」(6項)となっているのである。
 しかし、この部分は、次のとおり、上記のサリン等の処分経過と明らかに矛盾しており、この矛盾は致命的なものである。
 すなわち、中川は、1、近々警察の捜索が行われるのではないかと思い、保管してあるサリン等を処分するなど何とかしなければならないと思って、クシティガルバ棟へ行き、2、土谷が倒れた後も自分が引き続いて中和処理しなければならないと考えながら、3、当然、被告人や村井の了解を得たものとして、4、何の疑問も感ずることなく、作業を進め、サリンをどこかに隠すという発想はなく、とにかく残っていたサリンや中間生成物を全部中和処理しようと思って始めたのであった。
 その中川が、なぜ、その作業の途中で、突然、ジフロ約1リットルをどこかに隠して保管しておこうと考えたのか、その思考変化の過程が同検面調書には何一つ示されていない。「サリン等関連物質の残りを全部中和処理しよう」と思って始めたという中川供述と「ジフロをどこかに隠して保管しておこう」と考えたという中川供述が、検面調書には、何の説明もなく併存しているのである。根本的に矛盾する供述が併存しているのであり、これは中川検面調書の構造的な矛盾と言うべきである。
(b) また、中川は、被告人や村井の承諾なしに、大金を投じて生成したサリンを勝手に廃棄処分することなど、当時の状況からして到底できないことと思っていたところ、近々の警察の捜索に備え、教団の生き残りをかけて、被告人と村井が、土谷に対し、サリン等の廃棄処分を了解したものと思っていたのである。それにもかかわらず、中川が、独断で、ジフロ約1リットルをどこかに隠して保管しておこうと考えることは、被告人と村井の承諾・了解の方針に反することになるはずである。同検面調書には、この間題についての説明も一切ない。この点でも、中川検面調書は重大な構造的な矛盾を抱えている。
 (C) 同検面調書は、「もうサリンが作れなくなるかも知れないとも思った」となっているが、中川は、教団による将来のサリン生成やそのことを予定して準備を決定できる立場になかった。
 「サリン自体を保管しようと考えなかった」理由として、「サリンそのものが見つかったら困ること」を挙げているが、ジフロも自然界で生成しうる合成物質ではなく、サリン生成の中間生成物質であることは容易に判明するのであるから、サリンは保管しようとは思わず、ジフロは保管を考えたとすることは極めて不自然な供述である。まして、中川は、サリン生成に携わったメンバーの一人であるから、そのことを理解しているはずであり、また、本心から、そのような理由を供述したものとも思われない。
 中川証言は、この平成7年1月のサリン中間生成物等の大量廃棄によって、教団のサリン大量生成の計画などは金部ご破算になったと感じていたことを認め、「少なくとも、第7サティアンに関しては、もう完全に駄目になったと、前から駄目だろうと思っていましたけど、もうこれで完全に駄目になったということは考えましたけど」と言うものであり(第189回13丁)、このことは当時の教団を巡る客観的状況に適合しており、「ジフロを発見したから、廃棄処分するのはもったいないから隠して持っておこうと保管した」ことを明確に否定した中川証言の方が自然かつ合理的であることは明らかである。
 「ジフロの形で保管した方がよいと思った」という中川の供述部分は、本検面調書における根本的な矛盾を示すものであり、その虚偽性を明白に露呈しているのであるが、この矛盾と虚偽性は、必然的に次のように拡大再生産されていく。
b 矛盾の拡大
 同検面調書は、「この後、私は、このジフロ入りクーラーボックスを第二上九の敷地内に隠しました」、「隠した場所は、第二上九の敷地内の塩化ナトリウムの袋が積み上げられてある場所で」、「ここへ隠したのが、平成7年1月3,4日ころだったと思います。ここに、ジフロが入ったクーラーボックスを置き、その上に塩化ナトリウムの袋を置いて隠し、更に、その上にシートをかけておきました」となっている(6項)。
 しかし、中川は、上述したとおり、「近々警察の捜索が行われるのではないかと思い、保管してあるサリン等を処分するなど何とかしなければならないと思って」いたのである。そうであれば、このような隠し方をするわけがない。このような隠し方で警察の捜索を免れることは不可能であり、「隠した」ことにならないのは明白である。
 さらに、同検面調書は、「しかし、ここは人の出入りが比較的多くあり、見つかるのではないかと心配になって、2,3日後、科学技術省のプレハブ横の間の図2にクーラーボックスを移動し、ビニールシ一トをかぶせておきました。ここは、幅1メートル位の隙間しかなく、ほとんど人の通らないところでしたので、見つかる心配はありませんでした」(6項)と続いている。
 この「ほとんど人の通らないところでしたので、見つかる心配はありませんでした」という部分は、教団内部の人間を意識し、内部の者が発見する心配はないとの供述であることは明らかである。
 しかし、問題は、「近々警察の捜索が行われるのではないか」という事態に対して、教団として、どう準備・対応するのかということである。警察の捜索によって発見されないように隠すことができたのかどうかが本来の課題であるはずである。上九一色村に隠匿物を置く限り、警察の捜索を免れることなど不可能である。本来、警察の捜索の間題であったにもかかわらず、辻棲合わせのために、教団内の人目の間題にしてしまったのであり、そのため致命的な矛盾を露呈したのである。本当に警察の捜索を恐れていたとすれば、このような隠し方はするはずがないのである。中川検面調書はまったくの虚偽であり、その虚偽性は、逆に中川がジフロを上九一色村には隠さなかったということを自ずから裏付けているものと言わなければならない。
 以上のとおり、中川検面調書の矛盾点と虚偽性は、あらゆる点において明白である。中川検面調書は信用性がないというだけでなく、その内容自体によって、虚偽であることが鮮明に示されているのである。
C 証言との齟齬の理由
 (a) では、なぜ中川の検面調書がこのような内容となったのか、その理由について、中川は概ね次のように証言している。
 第1の理由は、VX事件が発覚するのが嫌だと思っていたからである。この検面調書が作成された時点では、VX事件はまだ発覚していなかった。自分の関与の有無を問わず教団のことはあまり言いたくなかった。VXもジフロと一緒に井上に預けたので、井上がVXも一緒に預かったと供述するかもしれない。そうするとVX事件のことがわかってしまう。
 私が、サリンを造ったこと、地下鉄サリン事件、松本サリン事件に関係していたことは捜査側にはわかっていたことで、自分は死刑になると思っていた。だから、VX事件で自分が関与したことがわかると自分の罪がさらに重くなるから発覚を怖れていたのではない。
 また、井上を庇うという気持ちもあって、自分がかぶってやろうと思った。
 それで、自分が敷地内に隠したということを言った。
 刑事から、「サリンを中和しているところで隠すというのは、惜しかったからとしか考えられないんじゃないか」と言われた。そう言われたのでそう認めざるを得なかった。「上の者からの指示でサリンを中和してるんだから、お前の独断でやるしかないじゃないか」と言われた。それで、自分の単独の判断で隠したという趣旨の調書になった。しかし、辻棲が合わないので、検事はそこを聞いてきた。それで、別の件で村井に話をしたということにした。検事が辻棲合わせのために作った。
 地下鉄サリン事件の取調べが終わった後、井上から手紙が来た。その時は、VX事件はすでに発覚していたが、本当のことは言いづらかった。だから訂正を求めることもしなかった。
 検面調書では、「ジフロを保管しようと考えた理由」の一つとして、ジフロを造るのは大変な手間がかかる」ことが挙げられているのは、ジフロを造るのに手間がかかるのは事実であるが、それをジフロを保管しようと考えた理由としたのは検事であった。「一から造るのは大変じゃないのか。こういう理由ではないのか」などと検事に言われてそうなった。
 その理由として、「新聞報道等によれば松本サリン事件での捜索が予想されることから、第7サティアンのサリンの生成設備も使えなくなるかもしれないと思った」ことも挙げられているが、ジフロだけを隠す理由がないからということで、これも検事が考えたことである。「サリンが造れなくなるかもしれない」と思ったのは事実だが、「設備がなければできないんじゃないか」と検事に言われ、
私が、「確かにそうですね」と補足してこうなった。このジフロを残した理由については警察の調書にはない。検事の調書ではじめて付け加えられた。「ジフロを捨ててしまうのはもったいない」というのは、刑事が言ったことであるが、それがそのまま検面調書にも残った。
 「サリン自体を保管しようと考えなかったのは、サリンそのものが見つからなかったら困ることと、人が触れたりしたら危険なので、ジフロの形で保管した方がよいと思ったからだ」との部分についても、検事が考えた。私も「そういうこともあるでしょうね」と言ったが、実際には、ジフロは前年11月に土谷が中毒していることでもわかるとおり、安全ではない。検事はサリン生成のプロセス自体は知っていたが、ジフロの段階で危険であることは知らなかった。
 上記検面調書では、ジフロを隠した場所は「敷地内の塩化ナトリウムが積んであった場所」となっているが、そうなっているのは、そこしか思いつかなかったからである。以前実際にそこに塩化ナトリウムが積んであったことがあったから、その場所を言ったが、1月時点ではどうなっていたかは本当は知らなかった。
 その場所について、同検面調書では、「人の出入りが比較的多くあり、見つかるのではないかと心配になった」とあるが、なぜそんなすぐわかるようなところに隠したのか、検事はそのことは聞かなかった。聞いて当然のことであるが、供述期間が短かったせいもあるが、検事はかなり急いでいた。
 同検面調書では、「その後2、3日してから、別のところに隠した」となっているが、最初に刑事に話した場所を警察が現場検証して、本当にそこかと問われた。それで場所を変えたことにした。その場所につき、同検面調書は、「科学技術省のプレハブ横に移動して、ビニールシートをかぶせておいた。その幅は1メートルくらいしかないところだった」となっており、これは実際ある場所であるが、その場所もそこしか思いつかなかったからそう言った。クーラーボックスは幅25センチないし30センチ、横30センチないし35センチ、高さが25センチないし30センチで、かなり大きいもので、それを隠してシートをかぶせるだけではすぐ見つかりそうなものだが、検事はそのことも聞かなかった。
 「人の出入りが比較的多いので別の場所に移し替えた」というのは、「どうして移し替えた」と聞かれて、嘘を言わざるを得なかったためである。最初の場所にしろ、移し替えた場所にしろ、強制捜査が入ったらすぐに見付かるような場所である。だから、刑事は本当かと聞いてきたが、検事からは追及されなかった。「見つかる心配はなかった」と調書にはあるが、心配がなければサリンそのもの を隠してもおかしくないが、検事からはそれも追及されなかった。
 地下鉄サリン事件について「陳述書」を書いたが、それを書いたからといって、真実をすべて話したわけではなかった。ジフロ保管についても取調べの段階で本当のことを話したわけではなかった(第194回3丁〜13丁、24丁〜32丁)。
 (b) 以上であるが、同検面調書がなぜこのような矛盾したものになったのかが明瞭にわかる。中川の公判廷での説明は詳細で、自然かつ合理的であり、1月初旬のサリン等の処分の経緯に照らしても、説得力に富むものである。この点からも、中川の検面調書がまったく信用できないことは明らかである。
(イ) 中川証言の信用性
 そこで、ジフロの保管に関する中川の公判廷の証言そのものの信用性について述べる。
 a 中川証言の概要
 この点についての中川証言は、以下とおりである。
 (a) ジフロ発見の経緯について
 「(平成7年1月4日夜か5日未明、クシティガルバ棟で)村井さんがそれを見付けて、私もそれを見たという形になります」、「(村井が見付けることになったのは)1月4日夜に、クシティガルバ棟を1回点検したんですね。まずい薬品がないかということで点検して、その際に出てきたものです」、「村井さんから、もうまずい薬品は、クシティガルバ棟にないだろうねということを言われたんです」、「私が答えたのは、要するに、ドラフトの中のものは全部中和したという趣旨のことを言ったんです。そしたら、ドラフト外のものはどうなっているんだと、村井さんから確認する趣旨の質問があって、それはもう見ていないというお話をしたんです。そしたら一緒に見に行きましょうという話になりました。それで、村井さんと一緒に見に行きました」、「ドラフト外ということなんですが、クシティガノレバ棟のスーパーハウスのドラフトよりも外ということなんですけれども。それは大丈夫かと言われて、私は分からんというか見ていないということを言ったんです」、「(その結果)いっぺんに見付かったものではないんで、最初はVX2本、それから遅れてジフロが一本出てきました」(以上、第189回2丁、6丁〜7丁)。
 (b) 廃棄の不能について
 「(「なぜ、中和しなかったの」との質問に対し)出てきた時点でですか、ドラフトの解体を始めていたんです。クシティガルバ棟のドラフトの一部解体していて、ドラフトが使えなかったんです。それから、もう一つは、宇宙服がもうなかったんです」、「(ドラフト外で発見後)村井さんが言ったのは、中和できるかという話をしたんです。(中略)それで、私は、すぐにはできないと言ったんです。それで、その理由として宇宙服がないという話と、あともう一つは、ドラフトが吸っていないでしょうということを言ったんです。そしたら、あっ気付かなかったと言って、村井さんが言ったんです」、「(スーパーハウスについて)壊した。正確に言うと、スーパーハウスじゃなくて、スーパーハウスの中のドラフトに附属している吸引装置を分解した」、「まあ、4日の間に分解したことは確かです」、「私が依頼したのは渡部さんです。それで、実際に(解体)作業をしたのは、ちょっとはっきりわかりません」、「ですから、3日の夜か4日の午前中まで中和作業を続けますよね、私が。そのときは、ドラフトはまだ生きているんです。で、いったん終わって、私の作業が終わった段階で、渡部さんに一応終わったということを言って、渡部さんは解体を始めたんです、即。もう渡部さん、待っていたんですよ、そこで」、「(「その渡部さんに頼んだドラフトの分解作業の後に、村井さんに会うことになったわけ」
との質問に対し)そうですね、そうそう」(以上、第189回9丁〜11丁、24丁〜25丁)。
 (C) 井上の保管について
 「(VXを)最終的には、ジフロと一緒に井上君に預けました」、「(村井に宇宙服がないし、ドラフトを使用できないから、ドラフト外で発見されたメチルホスホン酸ジフロライド等をすぐには中和できないと話したら)あっ気付かなかったと言って、村井さんが言ったんです。それで、その後に村井さんのほうから、持ち出すかという話を言ってきたんです」、「(持ち出そうと言ったのは)村井さんです」、「(「どこへ持ち出すという意味か」との質問に対し)さっきアーナンダ師がきていたから、アーナンダ師に持ち出してもらおうということになりました」、「取りあえず持ち出してもらおうかということですよ、このときは。そうそう、上九にあってはまずいということです」、「最終的には、今川の家に置いていたんですけれども、まあ、その渡した時点では、取りあえず持ち出してくれということで送り出したんですけど」、「(井上は「文句を言わずに引き受けてくれた」のかとの質間に対し)いやいや、ですから、最終的には村井さんが話をして、持って出てくれたんですけど。だから、僕が最初に話を、最初に出てきたのVXなんですけど、VXが2本出てきて、で、VX2本出てきた時点で井上君を捜しに行ったんです。で、VXを持ち出してくれという趣旨の話を井上君にしたら、井上君は嫌がっていました。で、村井がおるから話を聞いてくれということで、村井さんと話をしてもらったんです」(以上、第189回8丁、10丁〜14丁)。
 b 証言の特徴
 以上の中川証言の内容を総合すると、その主眼は、「地下鉄サリン事件で使用されたサリンの生成に用いたサリンの原料であるジフロを保管していたのは井上である」という点にあったわけではない。ジフロを井上が保管していたというのは、一連の経過の結果に過ぎないのであって、中川証言の主眼は、次の3点にあった。
 1、中川が、スーパーハウスの中のドラフト内のサリン・中間生成物等残留物全部を中和処理し終わった後、村井からドラフト外に「まずい薬品はないか」と聞かれ、「分からない」と答えて、ドラフト外を一緒に探したところ、VXとともに本件ジフロを発見したこと
 2、本件ジフロ発見時には、すでに、ドラフトに附属している吸引装置が渡部によって解体され、使えなくなっていた上に、防護のための宇宙服もなかったため、本件ジフロを中和処理することができなくなったこと
 3、そのため、村井は、本件ジフロを上九一色村から持ち出す必要があると判断し、中川も、これに同調して、井上に対し、その持ち出しを村井から話をして依頼したこと
 以上であるが、この3点は、上記のサリン・中間生成物等の廃棄処分過程に関する上記中川検面調書の記述にも、実に自然に適合している。そして、その反面で、この3点は、「ジフロの隠匿・保管を考えた」ということで、ドラフト内残留物の中和処理作業の途中で、「もうサリンが作れなくなるかも知れない」と思い、「このジフロまで捨ててしまうのはもったいない」などと思って、それを「どこかに隠して保管しておこう」と考え、第二上九の敷地内で第6サティアン付近に隠したという前記の「矛盾の拡大」の経過を決定的に否定するものであり、そのような経過が絶対に存在しえなかった事実を合理的に解明したものである。
C 内容の合理性
 中川証言は上記のとおり、自然かつ合理的であるが、以下の2点につき、特に述べておく。
 (a) 中川が最初にジフロ等を発見できなかった点中川のサリン等の中和処理の過程は次のようなものであった。
 上記中川検面調書では、「中和処理作業は私一人で行いましたが、森脇さんが、苛性ソーダを溶かす等の作業を手伝ってくれたような記憶もあります。(中略)中和処理作業が、全部終了したのは、平成7年1月3日か4日ころでした。この間、作業中に、私自身の体の調子がかなり悪くなり、自分でPAMを注射したこともありました。処理方法は、加水分解処理という方法で、容器に苛性ソーダを入れ、それに少量ずつサリン等を入れていくので非常に時間がかかりました。苛性ソーダヘ大量のサリンを入れると危険なので、少量ずつしか入れることができなかったのです」となっており(5項)、
また、公判廷での証言でも、「終わったときということであれば、仕事ができる人はいませんでした。仕事というのは中和という意味ですよね。中和できる人は、もう僕しかいませんでした」(第189回5丁)と述べている。このように、中川は、ドラフト内の中和処理作業で、中毒症状で体調を崩すなどということもあり、疲労困懲の状態であって、ドラフト外のことまで思い及ばなかったとしても、無理はない。その中川が、村井からドラフト外のことを質問されて、「分からない」と答え、村井と一緒にドラフト外を探索することになったのである。中川証言のこの経緯の説明は、何の不自然性もなく、極めて合理的である。
(b) 中川のジフロやVXの識別可能性
 i 中川は、村井がドラフト外で発見した物について、その見つかったものがジフロだということはなぜわかったかとの質問に対して、以下のように証言している。
 「そこがちょっとはっきりしないんです。(見ただけでは分からないかというと)そこもはっきりしないんです。ラベルが貼ってあった可能性もあるし、人に聞いた可能性もあるんですけれども、はっきりしないんです。(だれかに聞くとすれば)土谷君か森脇佳子さん、生きている人の中では。見ただけでは分からないかも知れません、確かに。ただ、どこにどういう状態であったかということが分かってれば、それは分かる可能性もある。こういうものだったらジフロだろうと。ただね、絶対ジフロだと確信できていたかと言われると…」(第189回8丁〜9丁)、「(6月3日付検面調書5項に、『この4がジフロと分かったのは、容器にサインペンか何かで、メチルホスホン酸ジフロライドと書いてあったか、土谷君に聞いて知ったかのどちらかだったと思います』と記載されていることについて)だから、その供述のときの記憶もそうなんです。どちらか、要するに、何か書いてあったか、あるいはひょっとしたらシールかもしれませんけれども、シールであったか、あるいは人に聞いたか」(同23丁〜24丁)。
 また、VXの識別についての中川証言は、次のとおりであった。
 「それも、はっきりしないんです。話を聞いたのか何か書いてあったのか、はっきりしないんです。ただ、VXは見た感じで、それまでも何回も同じような瓶に入っているのを見たことがありますから、色とかありますから、そういう可能性もなきにしもあらずだと思うんですが、それもちょっとはっきりしない。(VXではないかと思ったことは思ったのかとの質問に対し)いや、そうではなくて、見たときにはもう断定的に分かったんですね。だから、どうして分かったのか分からないんですよ」(同9丁)。
 A 現に、中川は、前記の通り、ドラフト内のサリン・中間生成物等の中和処理作業を進めていた土谷がサリン中毒で倒れたため、その症状の手当をした後、土谷の作業を引き継いで、自らも中毒症状に悩まされながら、それを完了させたのであるから、サリン及び中間生成物の形状・状態・容器等をよく知っていたのである。また、それらの形状・状態・容器等は、ドラフトの内外で違いのあるはずもなかった。
 なお、中川証言は、「後に出てくるジフロというのは、そのスーパーハウスの中に1月1日の段階であったジフロとは違うもの」であることを明瞭に認めているが、これは、後の発見物がドラフト内の物と別物であつたという趣旨であることが証言内容から明瞭であり、識別に関する形状・状態・容器等の間題とは関係がない。
 B 以上から、中川は、村井が発見した物が、VX及びジフロであることについては明確に認識したうえで(識別の根拠については分からないとしているが)、井上に対し、「ジフロとVXである」と説明して預けたことは明らかである。
 iv なお、ジフロか否かについての「確信」を問われるのであれば、科学的実験でもしない限り、確答はできないのであるから、上記のような問答になるのも当然であり、問題になっている現場での識別可能性には直接的な関係がない。識別可能性の間題と記憶の根拠をめぐる問題とを混同してはならない。
 もともと、村井の発見物を「ジフロとVXである」と説明して井上に預けたという中川証言については、次の二つの場合しかありえない。第一は、中川が、「ジフロとVXである」ことを識別・認識することができていたので、その自分の認識に基づく説明をしていたという場合である。
 第二は、中川が、「ジフロとVXである」ことを識別・認識することができていないのに、その認識状況に反して、嘘の話をしたという場合である。
 上記の中川証言と現場での経緯を総合すると、実際は、第一の場合であったことが明らかである。この点について、中川が虚偽を証言する必要もない。第二の場合であれば、証言自体不自然ということになるであろうが、そうなると、何よりも、「このジフロまで捨ててしまうのはもったいないと思った」という中川検面調書も不自然ということになる。
d 取調状況
 中川検面調書がこのようなものとなったことについては、捜査段階の取調状況における間題と関連するが、この点については前記滝本サリン事件で述べたとおりであり、中川証言は本件を含め、各事件を通じて、捜査段階の供述よりも、公判廷証言の方がより信用できる
(ウ) 結論
 以上の点を総合すると、次の結論が明白である。
 第1に、ジフロ保管に関する中川証言は、それ自体、高度の信用性が認められ、その真実性は堅固なものと言うべきである。
 第2に、井上のジフロ保管を庇った中川検面調書等の供述には解消しがたい矛盾点があって、真実に反する。
 第3に虚偽性が明白となった中川検面調書に沿う供述に終始し、真実性の明らかな中川証言と衝突している井上証言は虚偽である。
ウ ジフロの持ち込みに関する中川証言
 上記のとおり、ジフロ保管に関する中川証言は高度の信用性があるが、では、井上が今川の家にジフロを保管していたとして、3月18日にジフロを上九一色村に持ち込んだのは誰か。
 この点につき、中川は、「今川の家の冷蔵庫にジフロを保管していることを知っていたのは、私、井上、村井だけ。土谷は知らなかった。村井は今川の家のどこにあるかは知らなかった。村井が持ってきたという可能性はあるが、保管場所を知らない。私は村井に保管場所は教えていない。持ち込んだのは井上の可能性が高い。当時の村井の立場からは、村井はあまりフットワークは軽くはない。わざわざ東京まで出向くということはあまりしない人である。直前の假谷事件等を見ても井上が一番フットワークが軽い。可能性としてはやはり井上の方が大きい」旨の証言をしている(第194回14丁〜16丁、第195回(1)3丁〜5丁)。
 ジフロ保管に関する中川の証言は高度の信用性があること、そのことを前提とすれば、ジフロを上九一色村に持ち込んだのは井上であるとの上記の中川の推測は高度の確実性があり、井上が今川の家からジフロを運び、上九一色村に持ち込んだことに疑問はない。
エ ジフロ保管に関する被告人の認識
 ここで、重視しなければならないのは、被告人が、村井、中川及び井上らが相談して、ジフロを保管したことを知らなかったということである。この点については、検察官も、冒頭陳述書でも認め、証拠調べの全過程でも争わなかった事実であり、被告人が、いつか、どこかで、ジフロ保管を知ったかとの立証がないのである。
 検察官が主張する3月18日の車中謀議は、あくまでも、残存したジフロの存在を前提にしているのであるから、被告人が、そのジフロ残存を知らなかったという一点でも、車中謀議は成立せず、また、それ以後のいかなる謀議も成立し得ない。すなわち、被告人には、いかなる意味においても、本件の謀議を実行するのに必要な前提を欠いていたのである。
 この点に関連して、土谷は、(第245回公判の「平成7年3月、第6サティアン1階の尊師の部屋で麻原さんはオウムは崩壊するとおっしゃっていたという具合に述べておられますけれども、その尊師の話があった時期というのは、地下鉄サリン事件の前ですか、後ですか」との質間に対し、「当然、事件の前です。3月2日から1週間以内ですから。…それは…私が大臣や長官たちに権限を与え過ぎている、その危倶について私は述べたわけですよね。…そういう危倶を述べたことに対して、尊師がオウムは崩壊するとおっしゃったわけですから、だからもう、そういう具体的に、そのころにはオウムが崩壊する兆しというのが尊師は分かっていたということだと私は思いますけどね」(第250回81丁)と証言している。
 被告人は、ジフロの残存を知らなかった上、「教団が崩壊する」との心境にあったのであり、そのような被告人にとっては、本件を謀議できるような余地は客観的にも存在していなかったのである。現に、被告人の謀議参加の証拠は皆無である。

(2) リムジン車中謀議について
ア 論告の間題点
 以下では、「リムジン車中謀議」が存在しなかったことを明らかにしていくが、まず、論告の概要と間題の所在を整理する。
 (ア) 前提事実
 検察官は、本件に至るまでの経緯として、次の2点を主張している(論告174丁〜175丁)。
 1、1995年(平成7年)1月、被告人は、『読売新聞』の記事から、教団施設に対する警察の強制捜査が迫っていると考え、教団内のサリン生成に関する証拠を隠滅するため、村井を介して土谷に、クシティガルバ棟に保管中のサリン及びその関連物質をすべて処分または隠匿するよう指示し、土谷と中川が、それを実行した。
 2、被告人は、同月17日の阪神大震災の発生によって、間近に迫っていた警察による強制捜査は回避されたものと見て、同年2月初めころには自動小銃の製造を再開させるなどし、同月28日、井上らに指示して実行させた假谷拉致事件発生直後から教団の犯行と疑われる事態となり、にわかに警視庁による大掛かりな強制捜査の可能性が高まってきたため、同年3月15日、警視庁の動きを牽制又は阻止するため、村井、井上及び遠藤らに指示して、警視庁に近い地下鉄霞ケ関駅構内にアタッシュケース型噴霧器を設置してボツリヌス毒素様の液体を噴霧させ、人を殺傷することができず失敗に終わった。
(イ) 論告には、車中謀議があったとの主張の前提となる伏線が含まれているので、少なくとも、以下の点を指摘しておかなければならない。
 a 上記1の「証拠隠滅」の「サリン処分」のうち、被告人が「処分」を指示したことは間違いないが、「隠匿」の指示をしたとする主張は初めてである。「隠匿指示」の証拠はなく、廃棄処分を実行した土谷及び中川の認識も、サリン等の全部の完全な中和作業であった。被告人は、「処分」を指示したものであるが、村井、中川、井上によるジフロ隠匿・保管については知らなかったとの点については、検察官は、冒頭陳述においても、その後の証人尋間においても一切争わなかった。
 しかし、それでは、残存ジフロによるサリン生成を前提とする本件について、その車中謀議に被告人を結びつけ難くなる。検察官は、被告人の「サリン処分指示」と中川・井上らのジフロ隠匿・保管を衝突させないようにするために、証拠もないのに、被告人の指示に「隠匿」を潜入させたのである。公正な態度ではない。
 b 上記2における2月の自動小銃の製造再開や3月15日のアタッシュケース事件の被告人指示なども、正面から論議されたことのない問題であるのに、論告の段階で主張された。これについても、やはりサリン処分の被告人の指示とリムジン車中謀議が結びつかないので、それを結びつける緒節点として、位置づけられたものと考えられる。
 c すなわち、この2点は、論告における車中謀議の前提ないし基になるものであり、検察官立証の対象にもなっていなかった主張であり、論告にとって、不可欠の構成要素になっている。このように、被告人が車中謀議を行うべき前提・土台を築き上げるには、無理をしてでも、穴埋めする必要があったのである。このことは、車中謀議成立を合理的に立証するにはいかに無理があるかをはっきり物語っている。
イ 井上証言の信用性
 検察官は、リムジン車中で地下鉄にサリンを撒く謀議が成立したとし、その多くを井上の証言に依拠している。しかし、後記で詳述するとおり、井上は、リムジン車内に乗ったのは被告人から松本剛らの指紋除去の許可を得るためであるとリムジン乗車の動機からして虚偽の証言をし、また、リムジン車に乗車する前の食事会で被告人が強制捜査の話をした旨の虚偽の証言をしている。これら証言はリムジン車内での話の真偽にも大きく影響するので、これらの点に関する井上証言がいかに信用できないかをまず述べる。
 (ア) 指紋除去について
  a 井上証言
 井上が被告人から松本剛の指紋の除去の許可をもらおうと考えた動機や許可を得た経緯等についての井上の証言は次のとおりである。
 3月18日未明の識華での食事会で強制捜査の話を聞かされて、これは指紋を消しておかなければならないと私なりに決意した。18日午前4時頃、リムジンが第2サティアンに着いてから、指紋除去の許可をもらいに第2サティアン3階の被告人の部屋に行った。井田を新しく運転手につけてもらうことの許可ももらおうと考えていた。実際に被告人に会って、許可をもらった。同日午前7時か8時頃、第6サティアン3階のAHIの部屋に行って林郁夫に指紋除去を依頼した。3月18日午前11時頃に今川の家に着いた。目的は、倉庫の鍵を取りにいくこと、大川隆法方のビデオ監視の撤去の指示をすること、松本に指紋除去を指示することだった。今川の家で、実際に松本剛らに大川隆法監視ビデオ撤去を指示し、松本剛と林武に指紋除去のため夜行くように指示をした(第9回49丁裏〜54丁表、第15回32丁裏〜40丁裏、第17回40丁表、78丁表〜86丁表、121丁表〜161丁表、第21回50丁表〜51丁)。
 b 他の者の供述
 (a) この点につき、中川は、「3月15日、アタッシュケース事件の後、用事があって今川の家に泊まった。井上と最初に指紋除去の話をしたのは3月16日である。今川の家で。読売の記事が出てその記事を井上から見せられた。井上から『大丈夫だと思うが、自分とマツ(松本剛のこと)の指紋を取る手術はできるか』と聞かれた。私は、偽造免許証を使っているから分かることはないだろう、指紋は残してないから大丈夫だろうという趣旨に受け取った。指紋除去は以前やったことがあったので、『取れないことはないけど大手術だよ』『何日も風呂に入れないよ』と言った。私が『松本君はどこにいるのか』と聞いたら『大川隆法の拠点を片づけている』『今日の夕方まで帰って来ない』とのことだった。翌3月17日、私は、松本剛、林武と一緒に林郁夫のところに行った。着いたのは夕方頃だったが、あるいは午後3時頃だったかで、林郁夫に依頼した。その日は戒誓行で食事をとれず、すぐに手術はできなかった。この時点で井上はすでに被告人の許可を取っていた。井上がそう言っていた」旨の証言をしている。
(b) また、指紋除去手術を井上から命じられた松本剛自身も、「3月中頃新聞で車の指紋の件を知った。その頃、井上から『指紋をとる手術ができる。いずれ俺も指紋をとる』と言われ、『お任せします』と答えた。その次の日の昼正午頃、今川の家で井上から林武と一緒に呼ばれた。『これから指紋を消す手術をうけに、一緒に第6サティアンに行ってくれ。クリシュナナンダ師長が待っている』と言われた。時計を見るとすでに時刻は正午に近かった。林武も嫌と言わずすぐに私と車で第6サティアンに向かった。第6サティアンで林郁夫と会った。林郁夫は私たちをみて『手術の6時間くらい前から食べ物をとってはだめなのだが、どのくらい前に食べたのか』と言われた。私達は3,4時間くらい前に食べたと答えた。そしたら、林郁夫が『ちょっとここで待っていて』と言った」旨供述している(J甲154号証の松本剛の検面調書)。
(c) さらに、井上から手術の依頼を受け、実際に手術を行った林郁夫は、「3月17日、井上から指紋除去を依頼された。依頼された場所は、第6サティアン3階の瞑想室を出たところ。井上のそばに松本剛と林武がいた。中川もいた。井上は、松本については、『例の件で使ったから』、林武については、『いろいろなことで使った』というようなことを話していた。3月17日に尊師通達が出たが、指紋除去の依頼との前後関係はわからないが、指紋の話は村井からのサリン散布の指示の話よりは前のことには間違いない。どのくらい前かははっきりしないが、30分とか40分とかそういうことではなくて時間単位の前だと思う」旨証言している(尋問速記録第12回、第18回)。
c 中川、松本剛及び林郁夫の各供述はそれぞれが具体的で詳細であるうえ、細部でも合致していること、中川らがこの点で虚偽を言う必要はいささかもないこと等からすると、井上は、3月17日の段階では、すでに指紋除去の許可を取っており、遅くとも、3月17日の夕方には、松本剛及び林武を連れて、林郁夫のところに行って手術の依頼をしていたのである。井上の証言はまったくの虚偽である。
 すなわち、井上証言は、「車中謀議」の出発点であるリムジン乗車の理由について、すでに虚偽を述べているのである。しかし、検察官は、この重大な疑問の解明に全く触れていないのである。
(イ) 食事会について
 a 井上証言
 井上は、識華での食事会において、被告人が強制捜査の話題を持ち出したとの証言をしているが、識華での食事会の様子についての井上の証言は次のとおりである。
 3月17日の午後9時から11時過ぎくらいまでの間、村井から電話があった。私が今川の家にいる時だった。識華に集まるよう言われた。「今度正悟師になった人たちの食事会を尊師が開くから、夜(12時から1時くらいの間)に来るように」と言われた。私は「自衛隊員のイニシエーションがあるから」と言ったら、「尊師が呼んでいるから」とかなり強く怒られたので、「わかりました」と答えた。
 何時に着いたか記億はない。特に遅れたという記憶はない。何人かは来ていた。被告人はまだ来ていなかった。食事会は1時頃から始まった。満月の日は戒誓行で一応食事はしていけない。なぜ深夜に集まったかはわからない。私が着いた時越川が食事の用意をサマナに指示していた。石川も自分より先にいた。最後に尊師らがどどっと来た。メニューが出されるかどうかのくらいのときに、Xデーの話を聞いた。
 被告人が、私と越川に、「Xデーが来るみたいだぞ」と話しかけ、青山には、「アパーヤージャハ(青山)、さっきマスコミの動きが波野村の強制捜査のときと一緒だって言ったよな」と聞いたところ、青山が「やっぱりXデーは来るんじゃないでしょうか」と答えた。Xテーの話は食事会の最初の頃出た。私は座って聞いていた。被告人の声は小さな部屋なので注意して聞けば聞ける。私と越川の名前はあがった。話しかけたというのではない。越川がどこにいたかはわからない。動き回っていたわけではない。青山は被告人の向かい側にいた。飯田エリ子はその場にはいなかった。強制捜査の話は突然出てそれで終わった。強制捜査の話を聞かされて、これは指紋を消しておかなければならないと私なりに決意した。その後食事会の最中に強制捜査の話は出なかった。
 その後、食事が運ばれた。渡部と名倉が正悟師になったことで話をして被告人がコメントした。誰がどういう理由で正悟師になったという話があった。最後のほうは、とにかく急いで帰りたいという被告人の雰囲気が見えて、どたどたと食事が運ばれた。
 食事会が終わり、帰る時、識華の中で、被告人が、青山、村井、遠藤、石川と4人の名前を挙げて、「リムジンに乗れ、話があるから」と言った。強制捜査について話すんだろうと思った。私は呼ばれなかったが、被告人に指紋除去の許可をとりたいと思っていたので、被告人に近づいて行って、「上九に着いてからでいいんですが、お話があるんですが」と言ったら、「じゃあおまえも乗ったら」と言われた。被告人が立ち上がるか立ち上がらない出る直前に話しかけた。被告人が座っていた位置の近くだった。指紋の話を食事会の中でしなかったのは識華は盗聴されていると思っていたからである。私は青梅街道の方に松本剛を待たせていた。そこまで走って行って、ついて行くようにと伝えてすぐ戻った。そして、リムジンに乗った(以上、第9回31丁裏〜33丁裏、第15回60丁裏〜65丁表、第17回4丁裏〜22丁表、27丁裏〜30丁裏、40丁表)。
 b 指紋除去の点についての井上証言がまったくの虚偽であることはすでに詳述したとおりである。すでに指紋除去の許可をとっているのであり、「強制捜査の話を聞いたから指紋除去を考えた」との証言が嘘であることは明らかである。強制捜査の話はまったく出なかった。遠藤及び石川とも強制捜査の話は出なかった旨証言しており、井上証言はまったく信用できない。
(ウ) リムジン車内での会話
 a 井上証言
 リムジン車内での会話についての、井上の証言は以下のとおりである。
 最初に本件に関する話が出たのは、3月18日の午前2時過ぎから4時過ぎまでの間、リムジンの車内の中である。私はマスターエースで現役自衛官のイニシェーションの誘導のため上九に向かう予定だったが、結果的にはリムジンに乗った。先ほど強制捜査が来るという話があったので、假谷事件とのかかわりでCHSとして教団に迷惑をかける、ばれるおそれがある。レンタカーを借りていた松本剛の指紋のことだと思ったので、その指紋除去の許可をもらおうと思って、被告人に近づいて「上九に着いてからでいいですから、ちょっとご相談があるんですが」と言った。リムジンに乗るように言われ乗り込んだ。
 リムジンでの会話の内容は全部はわからない。前日も徹夜でこの日も徹夜でうつらうつらしていたことがあったからである。
 青山が、被告人に対して、「いつになったら四つになって戦えるんでしょうか」と尋ねていた。被告人は、「なあ、マンジュシュリー、11月頃かな」と村井に聞くと、村井は、「やはり11月にもなると輸宝もある程度できるでしょう」と答えた。「輸宝」とは当時教団で研究していた高出力レーザー照射器のことである。村井は、「今年の1月関西大地震があったから強制捜査が来なかったと以前尊師がおっしゃっていたので、今回のアタッシュケースが成功していたら、強制捜査はなかったということなんでしょうか」、「アタッシュはやはりメッシュが悪かったのかなあ」と言うと、被告人が「そうかもしれないなあ」と答えた。被告人が、私に対して「なあ、アーナンダ、何かないか」と聞くので、私が、「T(ボツリヌストキシン)じゃなくて妖術(サリン)だったらなかったということなんでしょうか」と言うと、村井が、「地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないか」と言い、被告人は「それはパニックになるかもしれないなあ」と言った。
 その後も被告人と村井との間で会話が続いたが、内容はわからない。覚えている言葉としては、村井と被告人がサリンの揮発性について会話をしていたことである。その後、被告人が、私に対して、「アーナンダ、この方法でいけるか」と尋ねた。私は意味はわからなかったが、被告人の口調の雰囲気からサリンを撒くことを考えているのかなと感じた。「尊師が言われるようにパニックになるかもしれませんが、私には判断できません。1月1日の新聞であったように、山梨県警と長野県警が動いているようですから、おそらく薬品の購入ルートはすべてばれているでしょう。ということは、こちらからサリン70トン造ろうとしていることは向こうも気づいていると思います。だから、向こうが、こちらがサリン70トン造りきったと思っているなら怖くて入って来れないでしょう。反対に、こちらがサリン70トン造りきっていないということを気づいているならば、堂々と入って来るでしょう。だとするならば、牽制の意味で硫酸か何かを撒いたらいいんじゃないでしょうか」というふうに答えた。
 すると、被告人は、「サリンじゃないとダメだ。アーナンダ、お前はもういい。マンジュシュリー、お前総指揮でやれ」と言った。村井は「はい」と答えた。村井は嬉しそうな感じだった。
 村井は、「今度正悟師になる4人を使いましょうか」と被告人に尋ねていた。村井は4人の名を挙げた(豊田、林泰男、廣瀬、横山)。被告人は、「クリシュナナンダ(林郁夫)も加えればいいんじゃないか」と言った。
 また、被告人は、遠藤に、「サリンは作れるか」と尋ねた。遠藤は、「条件が整えば作れるのではないでしょうか」と答えていた。被告人は、「新進党と創価学会がやったように見せかけたらいいんじゃないか」と言った。被告人は、そこにいるメンバーに「サリンを撒いたら強制捜査が来るか来ないかどうなると思う」ということを聞いた。石川は、「関係なしに来るでしょう」と答え、井上は、「少しは遅れるかもしれませんが、来ると決まってるなら来るんじゃないでしょうか」と答えた。
 石川が、被告人に対して、「強制捜査が入ったら私が演説をしますので足などをピストルで撃ってもらって、そうすれば世間の同情が買えるのではないでしょうか」と言った。被告人は、私に対して、「く一ちゃん(習志野空挺団員)にやらせられるか」と聞いた。私は、「可能だと思います」と答えた。被告人は、石川に対して、「お前がそこまでやる必要はない」と言った。
 青山が、「島田さんのところに爆弾を仕掛けたら世間の同情が買えるのではないでしょうか」と言った。私が、「それだったら青山(青山総本部道場)に(爆弾を)仕掛けたらいいんじゃないでしょうか」と言った。被告人が、「島田のところには爆弾をしかけて青山には火炎瓶を投げたらいいんじゃないか」ということを言った。
 石川が、「イニシエーション(法皇官房が行っていた幻覚剤を使ったもの)はどうしましょうか」と被告人に尋ねていた。私は、強制捜査がくるからどうしようかという意味だと思った。被告人は、「やっぱりそれはやめるしかないんじゃないか」と言った。私が「今日から明日の夜にかけて4人の自衛隊員が来るんですが、どうしましょう」と尋ねたところ、被告人は、「く一ちゃんはやるしかないんじゃないか」と答えた。石川が、強制捜査が入ったらどのようにしてビラを撒くかについて被告人と話し合っていた。
 上九一色村に着いてから、被告人は「第2にしてくれ」といって第2サティアンに着いた。午前4時前後。車を降りる前に被告人が「瞑想して考える」と言った。
 (あなた自身サリンだったら云々というふうにサリンの話をしたということは、原材料があるから簡単にできるというふうにあなた自身もその話の前提として認識にあったんじゃないですか)全くなかったかと言えば嘘になります。
 もしかしたら遠藤さんが条件ができたら(サリンが)作れるかというところで、中川さんが隠してるサリンがあるというか、そういう話は私はした可能性はあります。
 ジーヴァカ、サリン作れるかというポイントについては、ああ中川さんが隠しているサリンがありますねというか、そういう話は私も何となくしたような記憶がある(以上、第9回33丁裏〜50丁裏、第15回57丁裏〜60丁表、第17回22丁表〜26丁裏、30丁裏〜31丁裏、33丁表〜36丁裏、44丁表〜45丁裏、67丁表〜73丁裏、86丁〜121丁表、第20回8丁裏〜)。
 以上である。
b 論告の概要
 検察官は、このリムジン車中謀議において、被告人、村井、井上、遠藤との間に謀議が成立したと主張し、その根拠として、上記の井上の証言を基礎として遠藤証言で補強しているものと思われるが、論告は、車中での会話につき、以下の点を摘示している(論告175丁〜177丁)。
 1、 村井が阪神大震災の話とともに、アタッシュケース事件が成功していたら強制捜査はなかったんじゃないか等と話した。
 2、 被告人が、「アーナンダ、何かないのか」と言ったので、井上が、「Tじゃなくて妖術だったら、アタッシュケース事件の失敗はなかったということなんでしょうか」と言った。
 3、 村井が、「地下鉄にサリンを撒けばいいじゃないか」と言った。
 4、 被告人は、村井の意見に賛成して、村井に、「総指揮でやれ」と命じ、即座に了承した。
 5、 村井は、実行役として、正悟師昇格が内定していた林泰男、広瀬、横山及び豊田の4人を挙げた。
 6、 被告人は、それを了承するとともに、同じく正悟師昇格内定の林郁夫を加えるよう指示した。
 7、 車内では、中川が隠匿していたジフロからサリンを生成する方法について話題が発展した。
 8、 被告人は、遠藤に対し、「ジーヴァカ、サリン造れるか」と聞いたら、遠藤は、「条件が整えば造れると思います」と答えた。
 9、 サリン撒布の実行を前提として、教団の犯行を隠蔽するための自作自演も話し合われ、青山の提案(島田宅爆破)及び井上の提案(教団東京総本部爆破)を被告人が指示した。
 そして、以上の1〜9をもつて、
 10、被告人は、村井にサリン撒布計画の総指揮、井上に一連のVX暗殺事件・假谷拉致事件等と同様の現場指揮、遠藤にはサリン生成を命じ、村井ら3名はいずれも了承して本件犯行の謀議が成立したとする。
c 論告の架空性
 しかし、以下のとおり、リムジン車中謀議の架空性は疑う余地がない。
 第1に、1〜7については、井上証言しか証拠がない。井上の証言が信用できないことは後述するが、そのことは措くとしても、井上自身が、「松本智津夫氏が、瞑想して考えるという内容のことを言っていました。車を降りる前だったと記憶しています」と証言している。
 さらに言えば、井上は、弁護人の反対尋間に対して、「常識からみると、空想的、絵空事の話はオウムではよくあった。被告人と弟子との間でよくそういう話がされていた。村井や早川がいるところでよくそういう話を見聞きしたことがある。ほとんどが空想的な話を何とか現実にしたいなという願望が混じった話が多かった。リムジンでの青山の『いつになったら四つになって戦えるんでしょうか』と言う言葉自体が非常に現実離れをしている。いつもの話が始まったのかなと思ったのは事実。自分もそのぺ一スに合わせた。リムジンの中ではサリンを撒く話は現実問題となっていない。指示がなかったから。」旨証言しているのである(第15回57丁裏〜60丁表)。
 すなわち、リムジン車内で、被告人が本件の実行を決意したという事実は、検察立証の柱となっている井上証言によっても、認めることができないのである。
 第2に、遠藤証言も、8を認めているだけで、それ以上の話はなかったというのであり、@〜Fを全面的に否定している。検察官が井上証言を補強しようとした遠藤証言も、実質的には井上証言を否定する内容になっている。
 第3に、石川証言は、後記のとおり、強制捜査、阪神大震災、自作自演の点を除いて、すべて否定している。
 井上証言が信用できないことは、検察官も認め、ジフロ保管の点以外にも、数々あり、これまで指摘してきたとおりであるが、このような同乗者である遠藤及び石川の各証言に照らすと、井上証言だけで、上記1〜8を認定し、10が成立するとすることは不可能である。
 このように、論告の車中謀議は雲散霧消し、車中謀議を立証する証人は、「護もいなくなった」のである。リムジン車中謀議の架空性は明白である。
d 井上証言の矛盾・非合理性等
 井上証言が信用できないことはすでに各所で述べてきたが、このリムジン内での証言も不自然かつ不合理で到底信用し難いものである。
 以下、箇条書きにする。 1、 井上自身、弁護人の反対尋問に対して、リムジン内での会話につき、「常識からみると、空想的、絵空事の話はオウムではよくあった。被告人と弟子との間でよくそういう話がされていた。村井や早川がいるところでよくそういう話を見聞きしたことがある。ほとんどが空想的な話を何とか現実にしたいなという願望が混じった話が多かった。リムジンでの青山の「いつになったら四つになって戦えるんでしょうか」と言う言葉自体が非常に現実離れをしている。いつもの話が始まったのかなと思ったのは事実。自分もそのぺ一スに合わせた。リムジンの中では現実間題となっていない。指示がなかったから。」(第15回57丁裏〜60丁表)と証言している。そうであれば、その後の「サリンを撒け」という趣旨の被告人らの言葉が仮に事実であったとしても、「非現実的」な話になるはずである。井上自身が矛盾したことを証言しているのである。
2、 また、サリンが作れるかどうか確認できてはじめて、「サリンでなければだめだ」ということになるはずである。サリンを捨ててしまった、あるいは出来ないのにそんなことを言うはずがない。いかにも不自然で合理性のない証言である。しかも、井上は、捜査段階ではこのようなことは供述していないのである。
3、 「総指揮でやれ」とは「地下鉄にサリンを撒くことだと思った」と言うが、このリムジンの中では決定していないのである。決定していないのに「総指揮でやれ」というはずがない。まったく不自然な証言である。
4、 「イニシエーションはやめるしかない」という話になったと言うが、強制捜査が入ったら危険であるとして用心する者が、一方でサリンを撒けということは極めて不自然であり得ない話である。
5、 指紋除去の許可を得るためにリムジンに乗ったというにもかかわらず、井上はリムジン内で被告人に対し、その件についてまったく話をしていない。「ぼおっとしていた。言いそびれた」と言うが、説得力がない。検面調書にも指紋除去が乗車の理由だということは出ていない。
6、 「ジーヴァカ、サリン作れるか」と聞いた時、私も「ああ中川が隠しているサリンがありますね」と話を何となくしたような記憶がある。遠藤は中川が隠したサリンの材料があることを知っていたようだった。被告人が知っていたかどうかはわからない」と証言しているが、遠藤は中川からジフロを預かるまではジフロがあることは知らなかったので、これに反しており、信用できない。
 なお、被告人が知っていたら「材料があるだろう」という話があってもおかしくない。これは知らなかったことを意味する。
7、 乗車位置について、「被告人の真ん前には座らなかった。遠藤が私の真ん前になる」と証言しているが、遠藤及び石川証言に反していて、信用できない。また、rうたたね寝していたこともあってリムジンの中での話は、はっきりとは覚えていない。四つになって戦うというところまでうたた寝をしていた」などと証言しているが、うたた寝したというのは捜査段階の調書には出て来ない。都合の悪いことは聞いていなかったことにするためうたた寝をしていたと証言しているとしか考えられない。
8、 捜査段階の調書では、「ボツリヌス菌かサリンか硫酸か」「サリンでないとだめだ」という話は出てこない。
 以上、証言それ自体が不自然で不合理なものであって、到底信用できるものではない。
ウ 石川証言との関係
 (ア) これまでに検討してきた通り、車中謀議を立証する柱としての井上証言は、ジフロ保管やリムジン乗車の理由など、重要な点で虚偽性が明らかになり、その井上証言によっても、車中謀議の最終的な成立・決定を立証することができないのである。
 そこで、さらに、そのリムジン車内では、いったい、どのような論議が行われていたのかについて、もう一つの重要証拠である石川証言(第233・234回)を整理しておく。
 なお、石川の検面調書の信用性の間題については後記であらためて述べる。
(イ) 石川証言の概要
 石川証言の主な内容を拾い出すと、大要、次のとおりである。
1、 識華では強制捜査の話は出なかった。
2、 リムジン内で、強制捜査があると言ったのか、近いと言ったのか、その話があった。
3、 私のほうから、自分を撃ってくださいというような話をして、その話が立ち消えみたいな形になった。調書では捨身供養という言葉がでてくる。足を撃ってくださいというふうなことを言ったんじゃないかと思う。小銃で撃ってくださいということだっ