●第一章 東京地下鉄サリン事件について |
◆2 麻原弁護団・渡辺弁護団長の危機感
|
◆3 地下鉄各線の死亡状況 |
◆4 日比谷線北千住発中目黒行について |
◆4−1 消えた築地駅の不審物−「ビン」報道と一致 |
◆4−2 捜査本部最初の発表は不審物「6個」?
|
◆4−3 その後、不審物「5個」に変更
|
◆4−4 裁判では不審物「5個」、ビニール袋11袋
|
◆4−5 不審物が「5個」になったのは築地駅の「『ビンの破片』不審物」が消えたから
|
◆4−6 その他の「ガラス片」報道
|
◆4−7 多くの「ビン」報道 ― 見ただけではなく「ビンの割れるような音」を聞いた人も複数いた
|
◆4−8 不自然な刑事の態度 ― 「ガラスビン」の表現をさける
|
◆4−9 白煙発生―被害の第一報は「爆発火災」?
|
◆4−10 白煙が発生する原因
|
◆4−11 バイナリー方式はプロの発想
|
◆4−12 白煙の理由は「メチルホスホン酸ジイソプロピル」、散布方法は「バイナリー方式」と警察発表
|
◆4−13 その後、「メチルホスホン酸ジイソプロピル」は消える―白煙発生はどう説明するのか?
|
◆4−14 「バイナリー方式」も消える―白煙発生はますます説明がつかない
|
◆4−15 何者か?―「小伝馬町の男」
|
◆4−16 「小伝馬町の男」に間違えられた、と憤慨している男
|
◆4−17 何者か?―事件直後に「サリンだ、サリンだ」という中年の男
|
◆4−18 何者か?―ほかの目撃証言
|
◆4−19 他の路線とは異質な日比谷線北千住発の被害
|
◆4−20 まとめ
なぜこのようなことがおきるのか?
|
◆5 日比谷線中目黒発東武動物園行について ― 詳細な「謎の不審物」の記録
|
◆6 千代田線我孫子発代々木上原行について ― 亡くなった高橋助役が運んだのは「箱」?
|
◆7 複数路線・複数車両にかかわる検証
|
◆7−2 神経ガス「タブン」があった可能性も?
|
◆7−3 「びらん性ガス」を検出?
|
◆7−4 松本サリン事件での教訓に関わらず、なぜ警察は地下鉄サリン事件現場の空気を採取しなかったか? |
◆7−5 不審物の中身―サリンについて |
◆7−6 ナイロン・ポリエチレン袋について
|
◆7−7 傘について |
◆7−8 京王井の頭線でも不審物が発見?
|
◆7−9 領置調書について ― 警察はナイロン・ポリエチレン袋以外の不審物の件すべて無視 |
◆7−10 不自然な鑑定時期―事件二カ月後
|
◆7−11 公判での証拠提出は異例のカラーコピーのみ?
|
◆7−12 地下鉄サリン事件15日前に類似事件が発生している
この、京浜急行刺激臭事件のことは、麻原裁判でも取り上げられた。京急刺激臭事件で鑑定を行った警察庁科学警察研究所の瀬戸康雄に対し尋問がおこなわれている。
瀬戸の証言たるや、どうも中身があまりはっきりしない。かろうじてわかるのは鑑定したことと、何も検出されなかったことだけである。 結局、目の痛み、頭痛、吐き気、せき込み、刺激臭の原因はなんだったのだろうか。 ただ、 「県警は、被害発生状況から何者かが化学物質を電車内に持ち込んだ疑いがあるとみている」(読売1995年3月6日夕刊19面) とあるように、化学物質が原因との見方があるのは注目されてよいだろう。 この京浜急行刺激臭事件が大きく注目されたのは、地下鉄サリン事件が発生してからだ。防衛庁の専門家や推理作家の小林久三は京急刺激臭事件は地下鉄サリン事件の予行演習だったのでは、と分析している。 確かに、ここまで地下鉄サリン事件と似た感じの事件(事故)は、自分の耳に入ってくる範囲では、普段はまったく聞かない。なぜか地下鉄サリン事件15日前におきていたことは、偶然にしてはできすぎの感がぬぐえない。
|
◆7−13 麻原主任弁護人が逮捕される−多くの「不当逮捕」の声
|
◆7−14 まとめ |
●第2章 松本サリン事件について
|
◆2 サリン撒布 ― 犯行時間について |
◆3 犯行時間よりなぜか早く生じている多数の自覚症状
調査にあたった那須民江・信州大医学部講師は次のように評価している。 「八時台の五人は散在しており、記憶違いの可能性があるが、九時台は、発生現場と同じ番地に四人がまとまっている。症状も共通しており、九時台にサリンが発生したのではないか」(読売新聞1995年6月25日朝刊31面)。 ここにあげた松本市地域包括医療協議会は松本市医師会、松本市、松本保健所、信州大学医学部から構成され、一定の権威をもっている団体である。成果をまとめて『松本市有毒ガス中毒調査報告書』を出版した。 午後10時半以前に被害が出ていた、ないし異臭を感じたと記載した新聞記事や単行本はいくつかある。 最もはやい証言は、午後6時ころ、毛虫が落ちているのが目撃され、刺激臭がした、というものである(毎日新聞1994年7月1日夕刊19面)。
その次は、午後7時ころ、白い霧を目撃した。その後目が痛くなり具合が悪くなった、という(信濃毎日新聞1994年7月1日朝刊39面、読売新聞1994年7月1日朝刊35面)。 |
◆4 宇宙服のようなものを着た二人が、犯人現場到着前に目撃されている |
◆5 事件現場から検出された化学物質
サリンが加水分解したさいにできるメチルホスホン酸イソプロピル、メチルホスホン酸の検出は、サリンがあったことの間接的な証明となっている。 1988年イラク政府はクルド人に対して毒ガスを使用したといわれた。これを証明するため、1992年イギリス・ポートンダウン化学戦防衛研究所は、毒ガスが使用されたというイラクのバージニというところの土を採取した。質量分析計によって調べた結果、サリンが加水分解したさいにできるメチルホスホン酸イソプロピル、メチルホスホン酸を検出したのである。同時にマスタードガスの分解物も検出した。
長野県衛生公害研究所の調査は、このイギリス・ポートンダウン化学戦防衛研究所の研究成果を受けたものであろう。 現場からは、ほかにも化学物質が検出されたという非公式な報告があるが、このことについては別の機会に述べることにしたい。 このほか、現場近くの裁判所官舎の塀の内側にある松の枝が枯れており、サリンが複数の場所で撒かれたのではないかと指摘されている。 『松本市有毒ガス中毒調査報告書』によれば、自覚症状を感じた時間は午後11時台から翌28日午前0時台が一番多かったが、28日午前6時から8時にかけても小さなピークがみられたことから、サリンを何回かに分けて撒布したのではないかとの疑惑も生じている。『松本市有毒ガス中毒調査報告書』でも不思議がっている。これらの問題も課題として、あとで検討したいと思っている。 |
◆5−1 アルミニウムが検出された ― 別犯行の傍証か? |
◆5−2 アルミニウムが検出された、場所、および量
|
◆5−3 北側の池より南側の池の方がサリン濃度もアルミニウム量も濃い
|
◆5−4 サリン合成とアルミニウムの関係
|
◆5−5 「アルミニウムはアルミ弁当箱が原因との見解」に対して
|
●おわりに (1999年9月)
|