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熊本県波野村でのオウム真理教追放運動と人権尊重を求める市民の会の運動

人権尊重を求める市民の会代表
中島眞一郎氏講演


 久しぶりに、5年前のビデオ(※『TBS報道特集のビデオ上映(1991年1月6日放映)の後』)を見て、この5年間のことが思い浮かび、なかなか感慨深いものがあります。このビデオを見ていただいて大体当時の雰囲気がおわかりいただけたと思います。このビデオは、当時、初めて私達の会(人権尊重を求める市民の会)の活動を全国放送として紹介したものです。


人権尊重を求める市民の会とは

 人権尊重を求める市民の会は、90年11月に結成され、連絡先を私の自宅にし、新聞でも連絡先を明記してもらったため、市民の会結成のことが記事に載った当日は、朝5時過ぎから深夜まで電話が鳴りっぱなしとなりました。むろん、波野村民や右翼団体関係者からの抗議が多かったのですが、当時の熊本の状況というのは99%「反オウム」というか、「オウム真理教団はけしからん。出ていけ」という村民の声ばかりが大きく報道され、波野村内も、人口約2千人余りの村で一家総出ともいえる村民大会が開かれる等、挙村一致的なオウム追放運動が展開されておりました。そのような状況のなかで、「オウム真理教徒の人権を守れ」という私達の主張は、猛烈な抗議を受けることが予想されましたが、とにかく黙っていないで声を上げようと行動していきました。皆さんは先ほどのビデオで「君が代」を斉唱する右翼団体のことを笑われましたが、後にあの右翼団体からも脅迫や抗議を直接受けていくことになります。



意外に多かった激励

 わたしがへとへとになりながらその日、電話の応対をした60件以上のうち、私にとって意外だったのは、その約四割が私達の会の活動への激励の電話だったことでした。そのなかには、波野村民や阿蘇郡内の住民の方もおられ、いろいろ実情を教えていただきました。マスコミ報道を通してみると、オウム追放一色と思われましたが、実情を聞くと意外と冷静な人もおられたり、波野村議会議員のなかにも、住民票不受理というやりかたに反対された議員が4名(マスコミ報道では全会一致と報道された)おられることがわかったり、実情とマスコミ報道の落差があることがわかりました。



民主社会を守るには

 オウム真理教問題の特異なことは、まず最初に「私達はオウム真理教徒でも、教団関係者でもありません」と述べないと、話を聞いたり信じてもらえないことです。自己紹介をするとき、必ず「オウム真理教団と関係ありませんか?」と聞かれます。例えば、「部落差別」「在日外国人差別」問題について発言する場合、「あなたは部落民ですか。外国人ですか」と、その都度問うたりはしないはずです。しかし、オウム問題では、必ず問われ、「オウム真理教と関係ない」と言うと、次に「言っている内容がオウムの味方だ」という話になっていきます。オウム問題に私が係わるようになったのは、熊本県波野村に教団が進出して半年後からですが、あれから5年以上経ても、私の立場は変わって居ません。昨年3月の教団への強制捜査以降のオウム真理教団の解体の動きが急速に進められていますが、私は、この渦中のなかでもオウム真理教徒の人権は守られるべきだと主張し続けています。「オウム真理教団を解体することこそ、市民社会を守ること」という主張が声高に唱えられていますが、私は「オウム真理教徒の人権を守ることこそ人権を尊重する民主社会としての市民社会を守ることになる」と信じています。それは、決して「無差別テロ」「殺人」「誘拐」等の凶悪犯罪を支持したり容認するものではありません。それらの行為は許されないとして、許されないことを実現する手段や方法は、私達の暮らす民主主義社会では、被疑者の人権を保障した適法手続きによるということをきめているはずです。その決まりを守れなくなったり、オウム真理教問題を例外として扱ったら、やはり私達の社会は、民主社会でなくなると思います。



破防法に反対

 オウム真理教団が関与したと報道されている一連の容疑が、仮に事実としても、それ以上の大量殺人を引き起こし、被害を与えた水俣病の加害企業チッソが、解体されるどころか公的資金を使って存続が保障され続けていること、及び、エイズ薬害訴訟の加害企業や住専問題の金融機関が行政から守られてきたことと比べて、オウム真理教団への戦後初の宗教法人法の解散や破防法の団体適用の手続き開始というやり方の違いの根幹には差別があると思います。特に、オウム真理教事件を契機とする公権力の濫用や公権力の強大化について敏感となり、特に破防法の団体適用に反対していかねばならないというのが私の立場です。



勝ち取った会場使用

 私の主張は、他のテーマの問題に当てはめると「正論」でしかない。しかし、ことオウム問題となると、「お前もオウムか」「オウムの味方か」と言われ、戦前の「非国民」と同じ扱いを受けます。今日の集会の主催者も同じような苦労をしていると思えますが、集会を開くのに、テーマが「オウム問題」だと会場一つ借りるも容易でなくなります。5年前の熊本県内の状況がそうでした。特に、元NHKのアナウンサーをしていた有名な鈴木健二氏が館長をしている熊本県立劇場は、市民の会のメンバーが電話で予約してから使用申請に行くと、受付もさせてもらえず門前払いにし、後日抗議に行くと「検討する」となりましたが、結局使用不許可としました。それで裁判を起こそうと思ったのですが、今度は熊本県内の弁護士の引き受けて誰もいないのです。仕方がないから、原告7名の本人訴訟で裁判をやりました。この訴訟は、行政訴訟としてまれな例なのですが、私達が勝訴しました。今日の集会に、有名な江川紹子さんが参加されているので、この機会に一言言わせてもらいます。この県立劇場訴訟は、オウム真理教団ではなく、私達市民の会メンバーが原告となり自前で自力で闘ったもので、拒否された集会も公平にオウム真理教問題を論じようと波野村村民、学者、ジャーナリスト、弁護士等をパネラーとするシンポジウムを企画しただけです。ところが、江川さんの著書(注:『オウム真理教追跡2200日』文芸春秋社、523ページのオウム真理教関連年表)には、「熊本県知事を相手取ったオウムの使用不許可取り消しの訴えを認める判決」と記載されています。



右翼に屈する行政

 第一審での勝訴後、二回目の県立劇場の使用申請を行ったところ、今度は県知事が許可しました。ところが、「県は貸さないと約束していたのにだました」と右翼団体が街宣車30台で5月上旬から三週間ほど熊本市内、県庁、県立劇場への抗議行動を、そのうち2日間は私の自宅等にも抗議行動が行われました。右翼団体の圧力に屈する形で県知事は使用許可を取り消してしまいました。そこで、損害賠償訴訟を提訴(後に二件の使用申請も不許可となり、合計三件の損害賠償を提訴)しました。この国賠訴訟三件のうち二件について一審、二審とも勝訴し、現在最高裁で係争中です。



オウムにも人権を

 市民の会の主張は、住民票の受理や集会の自由は、何人に対しても人権として保障されるべきであり、オウム真理教徒に対しても保障されるべきであるというものであり、この立場で運動してきました。、オウムをめぐる様々な噂が広がり、一種のパニック状態から半年、一年過ぎると、市民の会の活動もあって少しずつ噂も消え、沈静化し、オウム真理教問題は、住民票訴訟等の裁判に焦点が移っていきました。そして、93年10月の住民票訴訟での不受理違法判決が、熊本地裁で言い渡され、その後、教団と村側で和解交渉が進められていきました。



意外な結末

 ところが、94年8月、教団と波野村は突然、私達も予想もしなかった9億2千万円の和解金の支払いと村からの撤退を内容とする和解を公表しました。(※波野村は、信徒の住民票を不受理としながら、国勢調査では469名の信徒を村民に加えていたため、毎年1億円以上の地方交付税の増額を5年間受け取っていた。)この和解公表後、市民の会は文書で双方に撤回を申し入れたましたが、この和解により、波野村でのオウム真理教問題は事実上終息することとなりました。



民主社会を築くポイント

 しかし、波野村や熊本県内でみられた反オウムの排除、追放運動のあり方は、一旦火がつくと非常に恐ろしく猛威をふるう日本社会の実例を示したといえます。民主主義が確立するためには、「どんな凶悪な集団や人間であろうと」、「けしからん奴、気に入らない奴であろうと」、その人に対して最低限「衣食住」は断たない、最低保障としての人権を守るという価値観を持つことが不可欠と思います。犯罪者は、犯罪者として被疑者の人権を守りながら適法手段にのっとって裁くなり、刑罰を課すことで処理していけばよいのです。しかし、今行われていることは、かつての戦争中の「鬼畜米英」と同じ敵・味方の論理です。暴力団に対しても、オウム真理教に対しても。「追放しろ」とか、「目の前から出ていけ」とかが、当然の正義として猛威を振るう社会は恐ろしいと思います。例外なく、最低保障としての人権をどこまで保障できるかが、民主社会としての市民社会を築く上で大事なことだと思います。

 京都の山科ハイツでの信徒の追放運動の話を聞き、この集会でのパネラー参加を要請されたとき、私自身がこれまで5年以上にわたって取り組んできたオウム真理教問題と共通の問題と感じ、私の体験や主張を報告したいと思って参加しました。

(以上)





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