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あたりまえのことをあたりまえに
第3号 2000年6月30日
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観察処分取消訴訟第1回口頭弁論
公安審は出した証拠は公調のものだけ

観察処分取消訴訟弁護団 前田裕司


 今日の裁判の中で書証のやりとりがありました。被告の公安審査委員会の方は、証拠の書証を158号まで出してきました。出された証拠は、公安審が手続きのために自ら作成した書類と、公安調査庁が観察処分請求のために公安審に出した書証です。アレフの方も、公安調査庁の主張に対する反論の書証を85点出していますが、それについては公安審査委員会は出してきていません。公安審査委員会は、被請求団体であるアレフの書証は出さずに、請求団体である公安調査庁の書証だけを裁判所に出してきたわけです。私の方で、それはおかしいんじゃないかと申し上げました。公安審査委員会は、準司法機関ということになっています。準司法機関というのは、対立当事者の主張・立証を全部検討して判断を下す機関で、ただいきなり処分を出す機関ではないんです。ですから、通常でしたら、「請求側の証拠と、反論として出された被請求側の証拠としてこういうものがありました。そして、いろいろ検討した結果、観察処分が必要という判断を出した」と言ってくるのが普通だと思うんですね。ところが、あたかも公安調査庁と同じような立場で、裁判所が公安審査委員会になりかわって処分が適当であるか判断してください、という感じなんです。
 行政訴訟のやり方というのはそうじゃなくて、一定の判断をした処分庁側の判断の当否を問うということですから、やり方としては全部の証拠を出して、それの審査を裁判所にあおぐということです。要するに、要するに、今回の公安審の処分の出し方は、被請求団体側の出した証拠とか主張にいっさい耳をかさずに、公安審査委員会が判断しましたよ、ということを露骨に示したものではないかと思います。
 もう一つ、裁判所が事前に公安審査委員会に対して求釈明を出した。これは団体規制法の中で、観察処分の要件が記載されている5条の1号から5号までの要件がありますが、それに公安審査委員会がどのような解釈を持っているか、ということです。公安審査委員会は、麻原彰晃氏がいまだに団体に対する影響力を持っているとしているわけです。では、影響力というけれども、どういう影響力なのか。単に宗教的な影響力なのか。あるいは、無差別大量殺人行為を行う影響力なのか。具体的な危険の存否についてはどう考えているのか。そういう法律の解釈に関する事項について回答を求めました。裁判所としては、受け身ではなく、積極的な姿勢ではないかと思います。
 それと、これはあらかじめ裁判所と打ち合わせの席で決めたことですが、観察処分は3年間という期間が決められています。この裁判が3年間を経過してしまいますと、観察処分の取り消しを求める意味自体がなくなってしまうんですね。我々としては、憲法判断を含めて少なくとも現実的に観察処分が実施されている段階で、実質的な判断を出さないとならないと考えています。少なくとも来年の夏ぐらいには一審判決が出なくてはいけないということは、裁判所も重々わかっています。第1回口頭弁論が終わったら、次からはただちに証人調べをやりましょうということで、こちら側から立証計画を出していきました。
 9月には、村岡さんの証人調べをやることになりました。団体規制法は破防法の規定を持ってきた法律ですから、政治主義的な手法に基づいて破壊活動を行った団体の大量無差別殺人行為という概念当団体がにあてはまるか、という点で立証計画を立てています。
 それから、具体的な適用要件である、危険性のある団体であるかという点で、団体の杉浦茂さんと広末さんに証人になってもらいます。
 また立法事実として喧伝されました住民とのトラブルの実態がなんだったかということについては、人権と報道・連絡会の山際永三さんに、憲法論については憲法学者にいろいろとあたっていますが、内野正幸先生に証人をお願いするというふうに立証計画を立てています。
 被告の公安審査委員会の方は、証人を立てずに書面で主張をするという姿勢です。

 第1回口頭弁論後の報告集会での報告をまとめました。

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千葉県北西部の排斥運動現地調査
火のないところを大火事にしたブンヤども

転入届不受理裁判支援連絡会 深見史


力のない「オウム出ていけ」
 火のない所に立つ煙は、一連のオウム事件(ここでは「オウム排斥運動」を指す)の中で幾度となく目にしてきたが、この千葉での火付けほど悪質なものは、あんまりないだろう。
 転入届を受理され(当然のことだが)、何の問題もなく住んでいた人々のところに、いきなり降って湧いた排斥運動だが、ここ、千葉では、昨年来のオウム事件の手法、すなわち、警察がマスコミ・行政に信者の転入をリーク→行政が地元住民に反対運動を示唆→官民一体の反対運動(破防法を適用せよ!と住民に叫ばせる、というおまけつき)→「住民の不安」を理由にした不受理処置、という順番ではなく、マスコミ報道→不受理処理→排斥運動という順序を辿った。
 「オウム転入、防げず」(読売5/17)等の記事が「住民の不安」をでっち上げ「止むを得ない市の対応」を取らせて、警察も行政も恐らくやる気のなかったオウム排斥運動を現実としたのだ。



 千葉への現地調査実施で、おかげさまで、関東全県をこの件で踏破したことになった。
 6月4日、当該各市の市民を含む14人の参加者は、排斥運動が起きている(と報道されている)千葉県松戸市、流山市、柏市の、それぞれの信者住居を訪問した。
 松戸には、信者のための食品工場と、その工場で働く信者住居の2軒が、「排斥運動」の対象となっているらしい。静かな商店街に面した通りだ。工場というには小さな平屋建で、制服・私服の警官がうろうろしていなければ、目立つところは何もない。
 工場といっても、小さなパン屋さん程度の規模なので、私たちのような大勢が入ると身動きがとれなくなるくらい狭い。工場の中を案内してくれた若い女性が、パンの焼き方、蕎麦・ラ−メンの作り方まで解説してくれた。スパゲティ製造機で作る蕎麦って、おいしいのかなあ、と少し心配になる。



 この工場の裏手に二階建ての住居があって、若い女性ばかり6人で住んでいる。近所の人と挨拶もかわすし、パンを食べてもらったこともあるし、悪い関係ではない、という。新聞を見て「住民の不安」や「騒ぎ」があることを知った、何のことだろう、と彼女たちはいぶかしがる。工場も住居もよく整理され、周囲に気を使いながら生活している様子が伺える。試食に出してくれたパンは少々ぼそぼそしていたけれど、美味しかった。
 次に訪問した流山は、「大幹部」野田さんが転入したことで「大騒ぎ」になったことになっている。非常に閑静な住宅街の、特に変哲もない普通の家にアレフ法務部の数人が暮らす。「大幹部」野田さんは現在留守のようだ。
 ここもマスコミ報道を受けて後、自治会長が訪れ、納入済の自治会会費を返却し、退去を申し入れて来た。自治会会則第9条には「いかなる場合においても、人種、思想、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されず、会員たる資格を奪われない」とある。自治会会員資格を奪われた信者住民は、この会則第9条を拡大コピーして玄関先に貼っている。
 右翼の街宣車が数日居座り、「住民の皆さん、立ち上がりましょう」などと煽動していたが、近所住民の要請で退去。それ以外に「排斥運動」は見られない。自治会の退去要請を「民主主義に反する」として反対している近所のおじさんもいる。



 最後に訪問したのは、アレフ代表・村岡達子さんが転入したという柏市のアパート。中学校に面した住宅街の一角にある、都会型の単身者住居だ。おしゃれに言えば「ロフト付き1DK」のその部屋は、二畳ほどの台所とフローリングの6畳程度の部屋にユニットバスがついているだけのものだ。報道されてから、村岡さんはここに来ることができず、部屋は主なくがらんとしたままだ。
 十数人がぞろぞろ歩いてモンダイのアパートに入ったのが目立ったのか、「周辺住民」が集まってきた。私たちが帰ろうとすると、中年女性ばかりのその一団がざわめいた。昨年の藤岡や吹上の「反対住民」のようにハチマキ締めて阻止線張ったり、というような統制された動きはない。「オウム出ていけ」と拳を振り上げて叫んだ女性が一人いたが、続いて唱和する者はなかった。私たちはのんびりと歩いてそこを去った。

戦々恐々の役人たち
 翌5日、前日の現地調査を受けて各市役所を訪問した。参加したのは、各市の市民を含む7人。
 担当部署らしい「安全課」にアポイントをとって行ったにもかかわらず、松戸市が私たちを招き入れたのは「市民相談課」だった。
 課長のスズキさん(名前不詳)は、こちらのメンバーが名刺を出したのに応えず「私どもでは名刺を作っておりません」と、最初から頑なな態度で挑んできた。「市民相談課」は「イチャモンをつけにきた怪しい連中を水際で追い返す部署」らしく、よほどヤバイ客が多いのか、課員には名刺を配付していないという。市長への要請があれば受け付けます、しか言えないスズキさんに、何度も繰り返し要請して、やっと担当課である「市民環境部市民担当部安全課」の長谷川勝則課長補佐と課員の針谷さんと会うことができた。
 長谷川さんは名刺を持っていたし、市が昨年9月に行った不受理表明等についてていねいな説明を行ってくれた。私たちが工場や住居に入ったことを話すと、本当に驚いたように「入れるんですか?」と尋ねた。これには私たちのほうが驚いた。住居に行きもせず話もしないで、「危険だ!不安だ!住まわせないぞ!」と叫んでいるのか。
 針谷さんが「前日の住民集会には千人も集まったんですよ!」と弁解がましく言うので、つい私は「それがどうしたんですか?」と問い返した。(千人だろうが一億人だろうが、「住民感情」とかが違法行為の理由になるわけないだろう! 公務員がわけのわからんことを言うなよ!)すると、針谷さん、いきなり気色ばんで「オタクの名前は何?」と、気の小さい役人根性丸出しで迫ってきた。
 続いて訪問した流山市では「市民生活部生活安全課安全防犯課」市村さんらと、そして柏市では「企画部広報公聴課」の鏑木明課長、「防災安全課」の鈴木茂則副主幹らと会った。「オウム信者」はどこでも天災扱いだ。
 柏市では、気になる新聞記事を読んでいたので、その点を担当者に尋ねた。6月1日付朝日新聞によると、柏市への転入届を提出に来た女性について、市が入手していた信者リストに名前があったので転入を拒否した、というのだ。
 信者リストが存在し、しかもそれが行政の窓口に行き渡り、それを根拠に転入拒否をした、ということが事実なら、これはもう、とんでもない人権侵害事件だ。
 同じことが、例えば被差別部落出身者、在日外国人、或いは一定の政党・党派や宗教関係に起こったことなら、いくら人権意識皆無のブンヤでも、自己保身のためにであれ、記事の対象を正反対に置いて、役所攻撃に転じたに違いないのだ。
 本来なら市役所の窓口職員のクビが飛ぶくらいでは済まない大問題が、「オウムだから何でもあり」で終わってしまう。正義面しているブンヤどもがさらに激しい差別と排除を行政に請求する。この国にジャーナリズムは存在せず、民主主義の一かけらもないことの、情けない証がここにある。
 鏑木課長らはさすがに記事を否定した。リストなどない、新聞はこちらが言ってないことまで書くので困る、云々。しかし、朝日に抗議するでもなく、本当のところは闇のなかだ。
 その女性信者は、いわゆる無名の人で転出地も実家、信者であることなど分かるはずもない。彼女は、住民票が宙に浮いたままアパートに住んでいたが、朝日の記事を読んで激昂した不動産屋が即刻退去を通告してきたという。
 3市とも、信者住民と一度も会っていない、もし仲介してくれるのなら会いたい、もしくは会ってもいい、ということだった。転入拒否を派手派手しく宣言している行政が、信者住民に会うことも、住居を見ることもしていないという事実は全くの驚きだが、信者住民と連絡の上、今後の両者の会合についてできることはする、と約束した。
 その後の千葉県下の市町村の動きは目も当てられない惨状というほかはない。常識と良識をもった公務員の一人も千葉にはいないのだろうか。

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団体規制法あきちゃんの事件簿ファイル
国民の不安を煽る団体規制法
宗教団体・アレフ法務部長 広末晃敏


 こんにちは、アレフの広末です。
 前回は、法の趣旨を無視して、立入検査がみだりに繰り返されている実情をお話ししました。今回は、その現場で実際にどのような検査が行われているかをお知らせするつもりでしたが、予定を急きょ変更し、今とみに騒がしくなってきている教団の「地域問題」などのホットな話題についてお話しすることにしましょう。
 なお、地域問題とは、教団施設や信者住居がある地域の住民や自治体による反対運動などの問題を指します。
 実は、この地域問題の背景にも、団体規制法の影が濃厚にちらついているのです。

◆千葉県で地域問題発生!
 千葉県松戸市、流山市、柏市。この3つの市を中心として、今千葉県内では、にわかに「アレフ騒動」が起き始めています。もちろん、騒動といっても教団から騒ぎを起こしているわけではありません。例によって、静かに生活しているだけの信者の住居に対して、近隣住民が「不安」を増大させ、立ち退きを叫び、自治体が転入届不受理表明をするというパターンです。
 事の発端は、5月に、松戸市に信者の食品工場ができたことでした。工場といっても、主にパンや麺を作るだけの、町の零細企業主が細々と営んでいるような、ささやかな工場です。ここで働く女性信者が住み始めるやいなや、新聞各紙が「オウム信者5人居住」「オウム転入、松戸防げず」「不安募らせる住民」と報道、市役所は今後信者の転入届を不受理にすると発表するなどして、騒ぎが大きくなりました。信者らは今、「市の方針」とやらで、ゴミの回収を拒否されています。
 その後、教団の村岡達子代表が柏市内のアパートに住民登録すると、プライバシーに関わる情報なのに、なぜか大きく報道されてしまい、近隣住民の反対運動が発生しました。今では、このアパートに信者が接近するだけで、監視小屋の住民が吹き鳴らす笛を合図に、たちどころに100名ほどの住民が集結して、取り囲まれてしまいます。
 さらに、そのあおりをくらって、それ以前から隣の流山市に居住していた教団役員の野田成人さんの一軒家までもがマスコミで取り上げられました。その直後から、右翼団体が押し掛けたりして、一時はマスコミ、右翼、警察、住民、野次馬で近所がごった返し、「オウム銀座」と言われたほどです。近々、1000人規模のデモ行進が行われるという情報もありますが、私も一緒にここにいますので、気が気でなりません。
 やがて柏市も流山市も、今後は信者の転入届を不受理にすると表明することになります。すると、千葉県内の他の市町村も、連鎖反応的に次々と不受理の意向を明らかにしていきました。不受理自治体は千葉県北西部から東京湾、太平洋側に向かって、あたかもウイルスが蔓延するかのように徐々に広がっており、ついには房総半島南端の館山市にまで到達しました(6月25日段階で千葉県の29自治体が表明)。
 また同時期に、大阪府の吹田市でも地域問題が発生しています。市長自らやってきて信者に退去要求文を手渡すとともに、オウムウォッチャーの江川紹子氏を講師に招いて反対集会を開きました(もっとも江川氏は同市の転入届不受理方針には反対する意見を発表したらしく、市の意向にはさっぱり合わない講演になったとか)。

◆何のための法律なのか?
 昨年に比べて一時沈静化したかに見えた地域問題も、こうして突如再燃してしまいました。こういう状況を見ると、そもそもこの団体規制法という法律は、いったい何のために作られたのかと、あらためて問い直したくなります。
 臼井法務大臣は、昨年11月9日の国会での法案審議で、こう述べていました。
「今度の新法、これは事実上、オウムのいろいろな問題を解決するための団体規制法である」
「施設の実態というものを明らかにする、そういうことによってその周辺の皆さん方の不安というものを解消する」
「今地方で起きている住民票受け付け拒否等の問題については、(中略)この新法を成立させ、実施することによって、それらのかなり多くのものが解決することができるようになるんではないか、このように考えている」
 ところが、ところが……。残念ながら「オウムのいろいろな問題」も「住民票受け付け拒否の問題」も、「解決」するどころか、逆に広がる一方ではないですか。
なぜでしょうか。この法律がうまく機能していないからでしょうか。
 いや、どうやらそうではないようです。むしろこの法律があるからこそ、いっそう市民の不安を煽り、問題を大きくしているようなのです。
 その証拠をいくつか示しましょう。

◆この法律が不安を煽っている
 まず第一に、私がいる千葉県流山市の市議会が6月1日付で採択した「オウム真理教信徒の流山市からの速やかな退去を求める決議」を見てみましょう。そこには、私たちに退去を求める「理由」として、次のように書いてあります。
 「オウム真理教は、過去に松本サリン事件や地下鉄サリン事件など凶悪な無差別大量殺人事件を起こし、公安調査庁から団体規制法に基づく観察処分中であること」
 次に、吹田市長が信者に手渡した6月2日付の申入書には、以下のようにあります。
 「オウム真理教は、名称をアレフに改称したが、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律に基づき、観察処分に付されている。このことは依然として貴団体が今なお危険性のある団体と認められることによるものである。この度、貴団体が本市内に進出したことにより、市民に多大な不安を与えている。」
 さらに、信者の転居届を不受理にした東京都足立区長は、不受理の正当性を訴えた6月14日付東京都知事宛の「再弁明書」で、次のように述べています。
 「公安審査委員会が教団を公安調査庁長官の観察に付しているということは、教団に『無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実がある』ことに他ならず、公安審査委員会では、教団を現在でも危険を侵す可能性のある団体と位置づけていることを意味している。審査請求人(注:不受理にされた信者のこと)は、住民の不安は極めて抽象的なものであるとするが、住民の不安は以上のような具体的な事実等に基づいて形成されているのである。」
 ――と、このように、

教団が団体規制法で観察処分に付されている

危険な団体であることを国家が公認している

非常に不安である

追い出す(転入届を不受理にする)べきである!

という構図が成り立っていることがわかります。
 つまり、国が教団に対して危険というレッテルを公式に貼り付けることによって、これまでは「抽象的」にすぎなかった住民の不安を、より「具体的」なものに強化し、拡大してしまっているのです。
 もちろん、本当に具体的で現実的な危険性が差し迫っているのであれば、国家によるこういう宣言もやむをえないかもしれません。しかし実際のところ、公安審が教団を観察処分に付した実質的な理由は、教団が今でもオウム真理教・麻原彰晃開祖の説法を教義としているという点、この一点に尽きるといっても過言ではないのです。教団としては、危険とされるごく一部の説法については破棄したり、公式解釈書を出したりして、危険な解釈がなされないよう最大限の注意を払っていますし、その他の大部分の説法は、原始ヨーガや小乗・大乗仏教に基づくものであって、もともと全く危険性のないものです。
 にもかかわらず、強引に観察処分に付するのは、教団の現状から大きくかけ離れた危険なイメージを市民に与え、いたずらに不安を煽る結果を招くだけといわざるをえません。
このようにして一度煽られた不安は、立入検査をしたからといって、そうそう解消できるものではありません。現に、埼玉県八潮市の施設の近隣住民は、公安調査庁による立入検査の結果を提供されているにかかわらず、それだけでは「当該施設の具体的な状況を把握するに至らないのが実情」として「市民の不安と恐怖を払拭するため」に施設を公開するよう教団側に申し入れてきています。
 市民の不安を煽っておいて、いったい何のための法律でしょうか。不安を解消できなくて、いったい何のための立入検査でしょうか。これでは、この法律など、あるだけ無駄、いやあるだけ害としかいいようがないと思うのです。

◆この法律の真の狙いは!?
6月10日の宇都宮市内の集会で発言した元公安調査官の野田敬生氏によれば、そもそもこの法律は住民不安を解消する目的でつくられたのではないそうです。97年の教団への破防法適用請求棄却後に、その存在意義を問われることになった公安調査庁が、リストラを回避し、その権限を飛躍的に拡大するために、破防法改正の検討作業に入ったらしく、その延長線上にこの法律が生み出されたということです。住民不安の解消などは、法案成立のための単なる口実にすぎないというのです。
 同じ集会の席上で、仙台地裁の寺西和史裁判官は、さらに突っ込んだ推測をしています。この法律は、信者への差別を煽り、正当化することによって、人権が軽視されやすい社会をつくることを目的としている。人権が軽視される社会こそ、権力者によって統治しやすい社会だから、ということでした。確かに、ガイドライン関連法案や盗聴法、国旗国歌法、改正住民基本台帳法など、昨年来、続々と成立した法律を見ると、その推測も俄然真実味を帯びてくるから恐ろしいものです。

 いずれにせよ、この法律が誰のためにもならないことは明らかです。
 信者としては、教団改革を続けながら、もっと直接に市民や自治体と接触し、冷静な話し合いを重ねて、相互理解を深めて不安を解消していきたいと考えていますし、現にその実践に入り、一定の効果をあげています。
 信者と市民との間に割って入り、その関係を引き裂き、その和合を邪魔しようとする団体規制法は、問題解決に役立たないどころか、害にしかならないことが日増しに明らかになってきています。一日も早い観察処分の取り消し、そしてこの法律の廃止が求められるゆえんです。





大田原・都幾川における修学問題
山際 永三


【ことの本質】 1999年以来のオウム/アレフに対する各地の排斥運動には何かそら恐ろしいものがあり、住民が口をそろえて言う「不安」の裏には、スケープゴードを求めてやまない日本の“庶民"たちの、どうしてもすがりつきたい「価値観」崩壊の危機が見え隠れしているように思えてならない。なかでも、オウム真理教関係の子どもの就学拒否問題をめぐるさまざまな事実は、子ども対おとなの問題として見ても、日本社会が抱えていた積年の歪みの醜悪な現れだ。

【子どもたち】 麻原彰晃開祖と松本知子さんとの子どもが居住している栃木県大田原市および石井久子さんの子どもが居住している埼玉県都幾川村では、それぞれ住居の排斥運動が展開されるなか、今年1月ころまでは小学校に子どもたちを受け入れないとの方針が明言されていた。大田原では小学校高学年に入学しているはずの四女と長男、そして新一年生に入るはずの二男がおり、都幾川では一年生になるはずの2人の女の子がいた。

【おとなたちの責任】 われわれが昨年夏に大田原の現地調査を行なった時点で、大田原市長は就学を認めないとの対策を決めていた。われわれは宇都宮にも行き、県の教育長が「オウム信者の子の就学については憲法を超えた判断もある」と発言したことに抗議した。その時われわれに対応した県の教育次長は、教育長の発言に建前上困惑の表情をみせながらも、やはり教育現場の混乱が起きることは避けたいなどと「不安」を口にしていた。おしなべて自治体の職員たちは、「住民の不安」「混乱の回避」を金科玉条に、憲法をはじめ住民基本台帳法・教育諸法などを無視することに何の痛痒も感じていない様子だった。住民と自治体とマスコミ――その三者がどれも無責任で、鏡を対面させるようにして螺旋状に「不安」を増幅させていた。その裏に隠れた警察・公調だけは、主体的に策動していた。政治家や右翼は、その事態を利用していた。
 大田原に関しては、住民の元の所有者が、排斥運動や市当局に後押しされるかたちで、「アレフ(オウム)と知っていたら売却しなかった。契約は詐欺だ」ということで民事訴訟を提起した。被告はアレフの信者、そして破産したオウム真理教の管財人が訴訟参加人となった。今年2月ころになって、アレフ側の代理人弁護士が、管財人を仲介人として大田原市長相手に交渉をすすめ、管財人は、不動産の明け渡し(破産管財人への所有権移転)を前提にして、居住している信者の住民票受け入れや子どもの就学を市および市教育委員会に要請する経緯となった。3月24日には、その和解が成立し、信者14名の住民票が受理され、子どもの就学も認められることになった。その代わり、7月20日を期限とする住居の明け渡しが決定したのである。信者や子どもたちにとっては、7月20日以後の引っ越し先も決まらぬまま、一時的に住民票が受理されて就学も認められるという苦渋の選択だった。
 一方、都幾川の石井久子さんの親族は教団を離れる立場にあり、子どもの就学について村の教育委員会が行なった行政処分取り消しを求めて2月に訴訟を提起した。これに対して埼玉県教育委員会は、教育を受ける権利の尊重を表明し、文部大臣も就学受け入れを推奨する発言を行った。大臣発言が追い風となり、4月の新学期開始直前になって、石井さん側と村教育委員会との和解が成立した。ただし、これもまた8月20日を期限とする退去が前提だった。
 このように、アレフ側と社会全体との綱引きがえんえんと続いている。アレフは、なぜこれまでして忌み嫌われるのか?私の見解は、頭書したとおりだ。

 大田原と都幾川の、子ども就学をめぐる綱引きのなかで、行政当局・教育委員会・小学校・PTA・保護者有志・オウム対策協議会などが、アレフ側・石井さん側にどのような条件を提示していたか、これは交渉の過程で出た要望等でありその後の正式文書にはさすがに記載されていない部分もあるが、ここまで要求するのかと驚かざるを得ないので、その一部を紹介する。
●退去後は一切の関わりを解消し迷惑をかけず、周辺に居住しないこと。
●転入届不受理について弁護士会に提出している「人権救済申立」は取り下げ。
●通学時はオウム服やヘッドギア等は着用せず、普通の小学生らしい服装で通学。
●入前に同年代の子どもとの集団生活にどの程度なじんでいるのかを確認。
●通学班とは別に登校。
●学校周辺を信者が歩き回り、児童に精神的圧迫を加えるような態度はとらない。
●バス通学にオウム2名は同乗させない。
●マスコミの隠し撮り等により撮影された場合、即「訪問教育」に切り替える。
●「通常教育」を受けさせるのならば、もし問題が起きた場合には行政が全責任をとるという念書の提出を要求する。
●水泳教室、遠足などは別に。

【責任】 6月現在大田原では、四女も二男も保護者が運転する車で送迎され、毎日元気に登校しているという。都幾川では、2人に友達ができて、いっしょに登校していることが一部新聞に報道されている。あの子たちを、受け入れられないのだとすれば、社会の側に責任があることは明らかだ。

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「有限会社オフィス・Y」のパソコン関連事業発足について

 このたび私たち2名、山際永三(1985年創立の人権と報道・連絡会事務局長)と山中幸夫(1969年創立の救援連絡センターの事務局長)が、取締役(共同代表)となって「有限会社オフィス・Y 」を設立し、新たなパソコン関連事業を発足させることにしました。
 ただし、この新事業は、通常の営利を目的とするものではありません。私たち2名の取締役は、全くのボランティアとして経営の指揮を執ります。事業資金は、私たち2名の責任において、私たち自身が出資し、また私たちを支援してくれる多くの方々から集めます。
 従業員にはアレフ(旧オウム)の信者を採用し、パソコン事業についての能力を発揮してもらいます。彼らは、この数ヶ月失業しており、強い労働意欲を持っています。彼らは、新会社に就職することにより得る報酬の一部を、一連の事件の被害者補償に当ててもらいたいと言明しています。
 私たち、山際・山中は、最近になっても続けられるアレフ信者排斥・差別の動きは明らかな人権侵害であるとの認識から出発しています。団体規制法の観察処分下において、なお続けられる住民票不受理の動き、アレフ(オウム)バッシング報道などにより、信者の生活は、文字通り追いつめられています。私たち、山際・山中は、そうした人権侵害に断固として反対し、信者たちと社会の架け橋を構築したいと考えます。
 一連の事件の加害者として逮捕・起訴された人々に対しては、証拠に基づく公正な裁判が行われるべきであり、それ以外の信者たちに限りない連帯責任を強要するのは近代的・民主的な社会の在り方ではありません。彼らをこれ以上追いつめることなく、社会の一員として迎え入れるべきです。
 そのための具体的な活動が、今回の新会社であり、新事業です。アレフがパソコン事業を再開するのではありません。山際・山中が、人権活動の一貫として経営する事業に、従業員として信者の人々を採用するのです。  山際・山中が、「救援連絡センター」や「人権と報道・連絡会」という市民運動で、どのようなことをしてきたか、その歴史を見てもらえれば、今回の私たちの行動も、理解していただけるものとと確信します。

 各方面の方々の、ご協力を、切望します。

有限会社オフィス・Y
取締役 山際永三
取締役 山中幸夫


意見陳述
宗教団体・アレフ代表 村岡達子


 わたしは、先日千葉県柏市に住民票の転入届を出し、それが受理されましたが、そのことが発端となって、千葉県一帯において、オウム信者の転入届の不受理、公共施設の使用禁止などを宣言する市町村が相次ぐということが起こり始めました。
 信者用のお菓子や麺類を作っている若い女性数名の住む松戸市では、市長や国会議員を含む千人規模の集会が開かれ、信者施設のゴミを収集しないなどの取り決めがなされたと報道されています。
 また、それより少し前には、大阪の吹田市の信者施設に対して、反対運動が起こり、信者の転入届の不受理と、信者の児童の就学拒否が決められました。

 元オウム真理教、現アレフの信者の住民票は、多くの市町村において不受理の状態が続いており、わたしの住民票も昨年の秋、東京都足立区の施設から転出して以来、ずっと浮いたままになっておりました。歯医者にも行けず、運転免許証の更新もできず困っておりましたので、この度、柏市のワンルームマンションを住居として定め、荷物の引っ越しをし、転入届をいたしました。
 その結果、千葉県全体で二〇以上の市町村が転入届の不受理を宣言するなど、その波紋の大きさにわたし自身も驚くと同時に、国民のみなさまのオウム真理教に対する不安がいまだ大きいものであるということを再度認識いたしました。  

 昨年の暮れに制定された団体規制法は、こうした国民の不安というものを背景にして制定され、それに基づいて観察処分が施行されたわけですが、宗教団体・アレフの代表として、また一信者として、事件後の過去五年間を振り返りながら、意見を述べさせていただきたいと思います。

 九五年三月に起こった地下鉄サリン事件を主とする一連のオウム関連事件は、全世界に大きな衝撃を与えました。わたしを含めた現在アレフの会員である信者のほとんどは、当時富士の裾野で世俗から離れた出家生活をしており、事件のことは何も知りませんでした。事件の報道を聞いたときも、自分たちが属していた団体がそれに関わっていたとは夢にも思わず、当時印刷関係に携わっていたわたしは、事件を当局による宗教弾圧として、反対のビラを印刷して配ったものでした。
 その後当時の教祖を含めた数々の逮捕者が出て、事件が刑事裁判で裁かれるようになってから、当時の団体に属していた幹部を含めた複数の信者たちが、事件に関わったことが間違いないであろうことが徐々に明らかになっていきました。
 わたしは九五年、次々に幹部が逮捕されていく中で、事件に全く関わっていなかった者の中で、宗教的な位が一番高い者ということで、代表代行という立場を引き継ぐことになりました。それまでのわたしは、出家してからずっと経典の翻訳に携わっており、団体の長となって団体を率いるという立場には全く不慣れでした。
 また、出家というものは世俗を断って、霊的・精神的な進化をもたらす修行に専念することですから、事件後もほとんどの信者は、外側の世界のことには関心がなく、自分たちが信じてきた修行を続けたいという思いだけで教団にとどまっていました。

 現在アレフの会員である信者のほとんどは、自分たちに罪があるという認識は持っておりませんでした。それは彼らが刑事事件に関わっていなかったということだけではなく、宗教的な意味においても、一連の事件で起こった犯罪を肯定するような実践を決してしてこなかったということに基づいています。そして、長い間、同じ団体に属していた仲間たちが凶悪犯罪を起こしたということを信じられないできました。

 団体規制法が成立した背景には国民の不安があり、その不安は団体がまた同じような事件を起こす危険性があるという可能性に基づいています。そして、その根拠は、信者たちがいまだ当時の教祖の影響力下にあるということが主点であり、その教祖の説いた教義を信奉しているということが根拠になっています。

 一番目の信者が依然として、元教祖の影響下にあるという点について述べますと、元教祖はすでにの九六年の時点で教祖・代表の立場を降りております。また現在は、逮捕以来五年に渡って接見禁止処分を受けているほか、弁護士に対する接見拒否、公判廷での不可解な言動などからしても、現在の教団に対して指示をする立場・状態にないことは明らかです。

 また、二番目の元教祖の説いた教義を信奉することが危険性につながるという点に関しましては、大多数の信者が信奉し、実践してきた教義は、仏教においては小乗・大乗と呼ばれる教えであり、殺すなかれ、盗むなかれ、嘘をつかない、悪口を言わない、酒を飲まないなどの戒律を厳しく守り、また、自分の心の平安を得た後には、他を幸せにするように努力しなさいという教えです。
 公安調査庁においては、一連の事件の背景となったのはヴァジラヤーナと呼ばれる教えであると断定されておりますが、ヴァジラヤーナ(=金剛乗)は小乗・大乗の教えの土台の上に立脚するものであり、元教祖の定義によりますと、どの弟子もまだその実践ができる段階には至っておりません。事件がほんとうにヴァジラヤーナの教えに基づいて行われたのかどうかは、こうした未熟な弟子たちの発言や、一部の外部の知識人の推測に基づいて断定されているのであり、事件がほんとうに宗教的な教えの実践であったかの説明ができるとしたら、それは当時の団体の代表であった元教祖以外にはありえません。
 現在の教団の大多数の信者にとって、事件は不可解なことであり、信者自身の教義における理解・実践と、公安調査庁や一部の知識人の推測に基づく断定とは、かけ離れたものなのです。
 オウム真理教の教えは元々原始ヨーガ・原始仏教と全く同じものであり、元教祖はその解釈をしたにすぎません。

 しかし、自分たちが信じてきた教えが正しいという思いとは別に、被害者の方々やご遺族の方々の痛み・苦しみを理解し、教団として謝罪をするのに長い時間がかかってしまったことによって、社会の怒り・排斥という咎めを受けることになり、結果として、団体規制法という法律の制定を促すことになってしまいました。

 団体規制法の成立によって、憲法違反である住民票不受理や信者の子供の就学拒否は収まるであろうと推測されていましたが、最近の千葉県や吹田市での動きを見る限り、その効果は感じられません。
 それどころか、団体規制法による観察処分の施行以来、教団は義務づけられている信者の氏名・住所などの報告をすでに二度にわたっていたしましたが、この報告内容が地方自治体に公表された結果、滋賀県甲西町の町長が、信者住居の前に来て、拡声器を使って、「公安調査庁から提供された情報によると、ここに信者の○○が住んでいることが明らかになりました!」とアナウンスし、追放運動を煽動したり、横浜市では、区役所に転入届を提出した信者が、「この施設は公安当局によれば教団施設と認定されています」と告げられて、不受理処分を受けたりするということが起こっています。
 同じく横浜市では、信者の住居が立入検査され、それが広く報道されたため、家主から立ち退きを迫られるということも起こっています。さらに大阪では、名簿提出後、公安当局から勤務先に情報が行き、信者が解雇されるという事件が三件続けて起こっています。

 規制法成立以来すでに七回のべ二六ヶ所で行われた教団施設への立入検査によって、信者の住居施設には、犯罪につながるものや無差別大量殺人の計画や準備をうかがわせるものは何もなかったことが報告されておりますが、一部のマスコミは社会を安心させるよう教団に危険性がないと報道するのではなく、危険性があると意図的に思わせるようなスタンスでの報道を続けています。
 日本テレビは、教団が観察処分下にあり、信者全員が観察下に置かれていることを理由に、一般信者の肖像にモザイクをかけずに報道しています。

 マスコミ報道は世論形成に大きな影響を与えます。新法成立前の長野県における「拉致監禁事件」の報道などは、事実を大きく歪めたものであり、関係者が逮捕されたときには、大々的に教団の危険性を煽る報道がなされましたが、実際に関係者が罪なしとして、釈放されたときの報道は、ほとんど目に留まらないほどのものでした。
 現在の教団に対する社会の不安はこのようにして、マスコミによって形成された部分が大きいと思います。
 先日の松戸市の反対集会に参加したあるマスコミ関係者は、「約一時間半にわたり行政や住民たちの声を聞いたのですが、どうも松戸市民のアレフに対する認識は、地下鉄サリン事件が起きた九五年春の時点で止まっています」と述べています。

 九五年以来、教団は重大事件は一つも起こしていませんし、九六年以降少なくとも三四一件に渡る微罪容疑での警察の強制捜査によって、教団の状況はずっとガラス張り状態であり、何ら危険性のないことは警察自身が一番よく把握していると言えます。しかし、そうした危険性がないという状況は極少数の一部のマスコミを除いては、報道されることはほとんどありませんでした。現在の信者たちが何ら事件を起こすような者でないことは、実際に接した住民の方々はよくご存知です。昨年まで施設があった群馬県の藤岡市では、最も過激であった反対住民と信者との間に友情が生じ、今でも交流が続いています。

 つまり、社会の教団に対する不安は、教団にいまだ危険性があるから生じているのではなく、危険性がないという信者の実態が知られていないことから生じていると思います。危険性がないという事実を社会にアピールする上で、以前の教団は必ずしも最善の策を取ってきたとは言えませんが、昨年の暮れ謝罪表明を行ってからは、被害者補償を進めるなど積極的に社会に受け入れられるよう努力を重ねてきました。
 今年の二月四日には、新しい綱領と規約を制定し、新生の決意を込めて、宗教団体・アレフとして再スタートしました。綱領と規約では、信者の違法行為を厳禁するとともに、危険とされる教義の一切を廃棄し、教団運営の重要事項は民主的に決定されるシステムを定めました。
 被害者補償については、教団が所有していた総額約一億円の不動産物件を全て、オウム真理教破産管財人に無償で譲渡し、教団全体で月一〇〇〇万円の補償を行うことを決めました。本年4月までに破産管財人の口座に四八六〇万円を振り込むことができ、さらに今後は、宗教法人オウム真理教が負った破産債務を現教団アレフが引き受ける方向で、管財人と話し合いを進めています。
 公安調査庁が「殺人を容認する危険な教義が掲載されている」と主張する説法集『ファイナルスピーチ』については、誤解を招きやすい部分に公式解釈書を付して、誤った危険な解釈がなされないよう努めました。さらに、「アレフ教学システム」を新たに設け、伝統的な原始仏教・ヨーガ、大乗仏教に基づく基本教義を掲載し、全信者に徹底させています。  官公庁や大企業のコンピュータソフト制作に信者が関与していたとことが大きく報道されたことがありました。事実は信者の単なる経済的な活動であり、サイバーテロのような意図とは全く無関係でしたが、これについても教団自ら自粛し、今後、発注者が官公庁である場合や、原発関係などの誤解を受けかねない内容の仕事は受注しないよう信者に指導いたしました。

 サリン製造に関するメモが押収され、教団がいまだに毒ガスの研究をしているのではないかとの疑惑が持ちあがった騒動については、真実は、今は脱会している女性信者が、約二年前にある被告人信者の弁護人からの依頼を受けて裁判対策用の資料収集を個人的に手伝っていたものであったことが、被告人・弁護人・本人から事情を聞くことによって直ちに確認されました。にもかかわらず、残念なことに、十分な裏付けを取ることなく、公安当局による安易な発表とそれに続いてマスコミ報道が一斉になされ、教団としてはやむなく、マスコミ三社を相手取って名誉毀損による損害賠償請求訴訟を提起しました。また、教団の方でも、誤解を避けるために、同様の資料収集の手伝いについては、今後一切取りやめるよう指示を徹底いたしました。

 また、信者の日常生活においては、決して近隣住民の方にご迷惑をおかけしないようにと厳しく指導しています。そして教団の現状や信者の生活、考えを直接お話しし、住民の方々の不安を取り除くように指導しています。  その結果、「オウムも最近は静かに住み、決して騒ぎを起こさないので退去運動もやりにくくなった」という松戸市の地域住民の声が報道されたり、まだ一部ではありますが、信者に対する排斥運動に反対する住民の方が徐々に出てこられたりしています。

 千葉県において住民票不受理を宣言する自治体が相次いでいるという事実は、わたしたちの努力がまだまだ十分ではないということの現れであると思います。
 いったん形成された世論を変えるには時間がかかりますが、教団はこれからも社会の不安を解消するために、全力で努力を続けて行く覚悟です。現在の教団のありのままの姿が正しく伝わるなら、国民のみなさまに、現在の教団には何ら危険性はないということがわかっていただけると信じております。
 そして、こうした努力を続けることによって、団体規制法に基づく観察処分の適用が本来不必要であったということがおのずと明らかになる日が来ることを祈っております。

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第1回口頭弁論における代理人の意見書
弁護士 前田裕司


1 人権侵害の可能性を自認する本法律

 この法律は、無差別大量殺人を行った団体の規制に関する法律という大変仰々しい名称の法律である。そして、その実体においても、法2条が、「この法律は、国民の基本的人権に重大な関係を有するものであるから、公共の安全の確保のために必要な最小限度においてのみ適用すべきであって、いやしくもこれを拡張して解釈するようなことがあってはならない」と定め、法3条が、「この法律による規制及び規制のための調査は、必要最小限度においてのみ行うべきであって、いやしくも権限を逸脱して、日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあってはならない」と規定するように、基本的人権と真っ向からぶつかる法律である。
 これらの規定は、憲法違反であるとして激しくかつ広範な反対運動が展開された破壊活動防止法2条、同3条の規定をそっくりそのまま持ってきている。この規定ぶりは、立案者自身が、本法律が破防法と同程度の人権侵害の可能性を秘めた法律であることを自認したものと解せられる。衆議院での修正案提案議員の一人である北村哲男議員においても、1999年12月2日参議院法務委員会で、5年ごとに見直す旨の条項が盛り込まれたことに関する質問に答えて、「これだけの劇薬的な下手をすると他に累を及ぼすような法律はできるだけ早くなくしたほうがいい」と述べているのである。

2 拙速を極めた国会の審議

 しかし、このような内容であるにもかかわらず、本法案は、事前に法務大臣の諮問機関である法制審議会にはかられることもなく、1999年11月はじめに法案の内容が明らかとなると同時に国会に提出され、審議が開始された2週間後の同月19日に衆議院を通過、参議院での審議ののち同年12月3日に成立という驚くべき速さで法律化された。
 衆議院法務委員会での審理がなされていた11月16日、日弁連人権委員長は、東京新聞の記事で、「2日の閣議決定でようやく法案の内容が明らかになったのに今月半ばにも衆院通過が報道されている。これでは法律家や研究者が法案を検討し、意見を反映させる機会が保障されない。法案の特殊性を見るとより冷静で慎重な審議が必要」と述べていた。また、11月10日付け朝日新聞夕刊における憲法学者内野正幸筑波大学教授の論文では、法治主義や少数者の人権を大切にしながら、冷静かつ多角的に考察することこそ重要と指摘されていた。いずれも法案の持つ人権侵害の大きさ、立法の必要性への疑念に基づいた見解というべきであった。
 しかしながら国会では、立法の必要性、その程度と規制の方法、対象団体の危険性などについて充分な審理がなされたとは到底いいがたい。その最大の理由は、各議員の本件観察処分、再発防止処分の重大性についての認識(想像力というべきか)の不十分さによるものであり、何よりもオウム真理教なら多少の人権侵害があっても許されるとの考えに基づくものであったというべきである。
 このように、本法律は、その成立の手続きや過程において大きな問題を孕んでいた。

3 処分の重大性

 本法で規制される団体の行為は広範かつ重大である。まず、本件観察処分でも次のような相当厳しい人権制約が課せられている。

@ 役職員の氏名住所のみならず構成員全員の氏名住所の報告
A 団体の所有・管理するあるいは使用に供されているあらゆる資産の報告、その方法として、土地についてはその具体的使用状況を含めて、同じく建物については各部屋ごとに具体的な使用状況を含めかつ平面図を添付しての報告
B 貸付金については貸付先、貸付残高、弁済期日、担保権の有無の報告、借入金についても同様の報告
C 預貯金、有価証券の種類銘柄などあらゆる財産の報告、
D 本部のみならず支部分会に至るまでの会議の内容、意思決定の内容の報告
E 機関誌紙の名称、発行部数、編集人、発行人の氏名の報告
F 公安調査官による土地建物への立入り、設備、帳簿書類その他必要な物件の検査、警察職員による同様の立入り検査、この立入り、検査を拒み妨げ忌避した者に対する1年以下の懲役または50万円以下の罰金という罰則、現行犯逮捕も可能な規定
F これらの結果得た情報は、都道府県知事市町村長の請求により提供され、インターネットなどを通じて一般市民も知る機会を得るという構造

 また、再発防止処分の内容はさらに厳しい。
@ 不動産の新規取得の禁止
A 既存施設の使用禁止
B 布教、寄付の受け付けの禁止
C 幹部の活動全般の禁止
 これらを総合的に見るならば、観察処分及び再発防止処分は、破防法に規定する解散処分に匹敵する厳しい効果を持つ処分といえる。
 99年11月25日参議院法務委員会での法案賛成の佐々木知子自民党議員の質問でも、「団体を解散させた場合の効果というものを一つ一つ具体的に羅列していったらこうなったのではないかと思えるような処分」との評価がなされていた。
 このように、本法律に基づき行われる処分は、思想信条の自由、信教の自由、集会結社表現の自由、居住の自由、住居の不可侵を著しく侵害するものであることは明白である。 

4 立法事実の不存在

 衆議院の審議の過程で、法第1条の目的に関する条文が「国民生活の平穏を含む公共の安全の確保」という文言に修正されたことにみられるように、この法律は、地域住民の不安感が高まったため、これを解消することを目的として立法されたと説明された。
しかし、住民の不安解消のためという目的でこのような人権制約が課せられるかという根本的な法律上の問題がある。主観的な不安感は正当な規制目的となりえないのである。仮に、住民の不安感が正当な目的として肯定されても、それを解消するための規制の手段に行き過ぎはないかとの観点から見れば、上記のとおり、この法律によって課せられる処分の内容は余りにも重大であり、明らかに行き過ぎといえる。
 しかも語られてきた不安の実態はかなり一面的といわざるを得ない。むしろ、現場の状況を直視するならば、住民の側の行きすぎ、住民の圧倒的優位性が目についた。例えば、大勢で施設に押しかけた上、ハンドマイクを持って信者らをその面前で怒鳴る光景が見られたし、オウム反対の立派な看板などが林立する状況にみられるように組織的対応が充分になされていた。オウムが地元自治体などに施設の内部を見せるというのに見ないのは地元側という事情もあり、ことさら不信感をあおるような作為も見られた。
 マスコミが住民側に偏った報道しかせず、不安感を増幅させているという側面もある。このようにみてくると、本法律の立法の理由として述べられている住民の不安感とは、漠然とした不安感、実体を伴ったものでない不安感である。このことは、国会の参議院法務委員会での審議の際、浅野健一同志社大教授、三島聡大阪市大助教授の二人の参考人が指摘したとおりである。以上のような事実を踏まえるならば、本法律は、そもそも立法の必要性を欠いた人権制約立法と言わざるを得ない。
 また、本件処分時点における被処分団体の無差別大量殺人に及ぶ危険性の程度ついては、97年の破防法棄却決定時点から何ら変更がなかったことは、法務大臣や公安調査庁自身も法案審議の際の国会答弁で認めていたところである。
 しかし、人権を制約しなければならない事情や必要がないのに人権のみを制約するのは、憲法の人権制約の原理から大きく外れるものであることは論ずるまでもない。本件における法律の目的との関連でいえば、オウム真理教が組織として無差別大量殺人行為に及ぶ危険性が破防法事案での公安審査委員会による棄却決定の時より飛躍的に高まったことがその必要性として不可欠なはずである。しかし、前記のとおりそのような状況ではないことを国家自らが認めている。そうであれば、この点においても本法律は立法の必要性を欠く憲法違反の人権制約立法である。

5 危険性の不存在

 そこで、政府は無差別大量殺人を行った団体がなお危険な要素を保持していること、言葉を換えれば、危険な体質を有することを立法の要件としている。すなわち、無差別大量殺人に及ぶ現在の具体的危険という要件を除外するような形式で立案している。
 しかし、法律の文言どおりに現在の具体的危険の存在を規制の要件にしないと解釈するのであれば、本法律は人権を規制する根拠のない法律として憲法違反と断ぜざるを得ない。
 したがって、合憲というためには、この場合も少なくとも大量無差別殺人に結びつく現在の具体的危険性が存することが必要としなければならないはずである。
 ところで、本件ではこの危険性は現存しない。詳しくは訴状にゆずるが、法務大臣や公安調査庁が主張し、これをそっくりそのまま採用した被告公安審査委員会のいう危険性とは、被処分団体が、いまだに麻原彰晃を主宰者とし殺人をも正当化する教義を有していることにつきる。
 しかし、麻原は主宰者でもなく、教祖でもない。また、原告である被処分団体は、現在においては危険とされた教義を破棄し、その関連の教学本やテープをすべて廃棄している。 また、1999年12月1日、当時の被処分団体代表代行が、信徒の関与したとされる一連の刑事事件について、一定の範囲で事実を認め謝罪している。さらに、被処分団体の構成員が無差別大量殺人に及ぶ何らかの準備をしていることなどありえない。このことは公安調査庁自身も「無差別大量殺人というものに直接結びつくような、色々な化学的物質とかあるいは例えば銃器とか、そういったものの発見には至っていない」と答弁しているところであり(12月2日参議院審議録6頁長官発言)、本件処分に基づく、立入り検査においてもそのことがより一層明白となっている。
 このように、本件処分は、上記の危険のない団体に対し、観察処分という過酷な人権制約を加えたものに他ならない。

6 憲法違反の措置法

 本法律は立法の経過、法律の内容・要件からみて、旧オウム真理教団という特定の団体を対象にした処分的法律であることは明白である。法律が施行された当日に、それ以前にあらかじめ作成されていた証拠書類に基づいて、本件観察処分請求がなされた事実にそのことが端的に示されている。
 しかしながら、法律はそもそも一般的、抽象的法規範であり、特定の団体や人々に対してのみ適用される法規範として存在してはならないとされている。平等原則に反するからであり、また、特定の団体や人を想定して要件が定められているために、適用の対象となる者が法律要件の適合性を争うことが封じられる構造になるからである。
 本法律は、前記のとおり、被処分団体を対象にした特別の措置法であり、また、このような著しい人権侵害をともなう政策的必要性も存せず、法の下の平等を定めた憲法に違反するものである。

7 国連人権(自由権)規約委員会による「最終見解」と本法律

 国際人権(自由権)規約委員会は、規約40条に基づき日本政府の第4回定期報告書を審査し、1998年11月5日に開かれた会合において、最終見解を採択した。その最終見解の中で、@人権の保障と人権の基準は世論調査によって決定されるのではないと指摘した。また、A公共の福祉に基づき課される権利への制限に対する懸念を再度表明するとしている。
 これらの見解が示されたのは、日本における人権状況の危うさを、政府が世論に求めることを戒め、また、わが国において、従前から公共の福祉を理由にした人権への制限が多過ぎることへの懸念が今なお解消されていない現状に鑑み、繰り返しそれを指摘する必要があると同委員会が考えたからである。本件処分の適法性の審査にあたってはこのことに思いを致すべきである。

8 結論

 以上であり、本件処分は違憲・違法であり、裁判所におかれては迅速かつ適正な審理の上、英断をもって処分取消しの判決をされることを求めるものである。

以 上





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