戻る
現役信者提訴による名誉毀損訴訟・勝訴の報告

2001.3.31


被控訴人 株式会社産業経済新聞社(夕刊フジ)
控訴人 信者Aさん
裁判所 東京高等裁判所第一七民事部


判決文


夕刊フジ

●でっちあげ報道

「オウム/埼玉に新アジト/工場乗っ取り/経営者一家失跡」

オウム信者Aさんが住む建物は、一面大見出しとデカデカとした建物写真入りで、突如大々的に報道された。
この報道は、1996年12月4日付けで発行された夕刊フジ(約160万部発行)。

この報道をみた見たみなさんは、いったいどう思うだろうか?
「ああ、キチガイ集団がまた何かやらかした」
といったところだろうか?



実際には、狂気はまったく別のところに発現していた。報道が一面大見出しから読者に印象付けようとした内容は、まったくの虚構だった。


●悩む信者

この夜、信者Aさんはこのマスコミの突然の攻撃に頭を抱えた。

誤解を生みやすい状況にあることは信者Aさん自ら痛いほど理解している。

だからこそ、近隣に余計な不安を与えないよう配慮するためオウム真理教を信仰していることは近隣住民には秘匿していた。挨拶周りをはじめとして配慮に配慮を重ねて生活していた。

その信者Aさんの努力を、最悪の形で暴露する内容だった。
「最悪」というのは、信仰の問題を勝手に暴露するのみならず、犯罪をおかしたかのごとく巧妙に報道内容が仕立て上げられているからだ。
「オウム」という言葉と犯罪報道を組み合わせるだけで、本当に事件をおこしたかのごとくもっともらしく見えてしまう。

一般にはほとんど知られていないが、このようなケースは「オウム報道」では、実はものすごく多い(マスコミの金儲け目的で「オウム」が利用されるケース)。
「オウム報道」の虚構構造については過去に詳しく解説したことがあるので、興味のある方はそちらをご覧いただきたい。


●裁判

信者Aさんは報道はデタラメであるとしてこの件を裁判に訴えた。
この件はひどい話であるし、裁判の提訴当時から、私は個人的に信者Aさんを応援し、裁判を傍聴してきた。
ここに裁判経緯の詳細をご報告したい(なお、この事件はめずらしいケース(オウム現役信者の名誉毀損としては初判決)であるが、今のところ裁判の詳細は他ではどこにも報告されてい)。

四年近くの裁判の結果、つい先日、信者Aさんの逆転勝訴(控訴審)が確定した。
控訴審判決時に結論のみごく簡単に報道されたので、その内容を紹介する。

09/27 19:28 オウム信者側が逆転勝訴 「夕刊フジ」の記事で  社会94 #01

共同通信24時間ニュース

 「夕刊フジ」の記事で名誉を傷つけられたとして、オウム真理教(アレフに改称)の信者だった男性が発行元の産経新聞社(東京都千代田区)などに三百万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は二十七日、信者側の請求を棄却した一審東京地裁判決を取り消し、産経側に三十万円を支払うよう命じた。      
 新村正人裁判長は「見出しの活字の大きさなどから、教団や信者が建物所有者の失そうに関与し建物を不法に奪ったとの印象を与えるのは明らか」と述べた。
(続)  000927 1928
[2000-09-27-19:28]


09/27 20:49 読: オウム信者名誉棄損で「夕刊フジ」逆転敗訴

読売新聞ニュース速報

 オウム真理教の男性信者が「夕刊フジ」の記事で名誉を傷つけられたとして、同紙を発行する産経新聞社(東京都千代田区)を相手に、三百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十七日、東京高裁であった。新村正人裁判長は「男性が信者であることを報じたことはプライバシー侵害にあたる」と述べ、訴えを棄却した一審・東京地裁の判決を取り消し、男性信者に三十万円の支払いを命じた。
 問題になったのは一九九六年十二月五日付の「埼玉に新アジト 工場乗っ取り 経営者一家失跡」の見出しの記事。教団が埼玉県越谷市の元工場にアジトを作り、男性信者が町内会長にあいさつをしたなどと報じた。
 判決では「記事は、教団ないし男性信者が工場経営者の失跡に関与して工場を不法に奪取し、違法行為を行う活動拠点を設けていると印象づける」と指摘。「公益を図る目的ではなく、記事が真実であるとの証明もない」とした。
 高橋信博・夕刊フジ報道部長の話「判決文をよく読んで、上告するかどうか検討したい」

[2000-09-27-20:49]

【注】読売新聞の「男性が信者であることを報じたことはプライバシー侵害にあたる」という表現は、厳密にいうと間違っている。詳細は後述


●第一審

信者Aさんは、東京地裁へ1997年2月27日提訴した。一審の審理スピードは早く、判決は同年の11月17日にくだされた。
判決内容はひどい理由で棄却となった。判断理由としては、おおざっぱにいうと次のとおりである。

・見出しははっきりと「乗っ取り」とでている。

・本文にははっきりと書かれていない。

・見出しと本文があまりに違うので、(ほぼ全ての)一般読者は見出し内容を信じることはあり得ない。

・したがって名誉毀損は成立しない。


この裁判所の判決は極めて強引で、一般読者は現実にはそのような読み方をしない。しかしこれが実際に判決理由として出た。実は、このような無茶な裁判理由は、日本では結構ありえる。とくに、今のオウム関係者に対しては(ここが絶望的なところであるが)裁判所も偏見剥き出しなので、余計にありえる。


●繰り返される異例の判決延期

信者Aさんは一審の判決に納得せず、1997年11月28日、控訴した。

信者Aさんが一審より大幅に積極的に打って出たこともあるが、高裁の裁判官は一審ではほとんどやらなかった証拠調べを、具体的に進めだした。一審の判断内容に対する疑問を高裁裁判官は持ったのである。

弁論は十回におよび、第十回目の1999年4月19日、結審した。判決予定日は6月30日と言い渡された。

しかし、その後、判決の延期と弁論再開が繰り返されることになる。
ちょうど同じころに各地でオウム排斥運動やオウムを規制する新法制定の動きがでたしたことが、裁判所を躊躇させた。
延期の過程は、具体的には次のとおりである。

1999年4月19日第十回弁論(結審 同年6月30日に判決予定)
1999年6月30日判決予定(直前に同年9月13日へ延期と裁判所から通知(1回目の延期))
1999年9月13日判決予定(直前に同年11月29日へ延期と裁判所から通知(2回目の延期))
1999年11月29日判決予定(直前に2000年1月26日へ延期と裁判所から通知(3回目の延期))
2000年1月26日判決予定(直前に2000年2月21日に弁論再開と裁判所から通知(4回目の延期))
2000年2月21日第十一回弁論
2000年4月10日第十二回弁論
2000年5月15日第十三回弁論(結審 同年7月31日に判決予定)
2000年7月31日判決予定(直前に同年9月27日へ延期と裁判所から通知(5回目の延期))
2000年9月27日判決(産経側の上告断念により判決確定)


このように、判決予定日の直前で変更になったことが都合5回。6回目にやっと判決がでた。過去このような例はおおよそ聞かない。刑事事件になるが、田中角栄のロッキード事件で判決が二度延期になったということがあった。二度延期でも、ずいぶん延期にするものだ、やはり大事件なのだな、と当時感じたものだ。医療過誤の裁判など、専門性が強く、判決を書くのに苦労するタイプでも、やはりここまで回数を重ねる例は聞いたことがない。

「オウム絡み」の訴訟を抱えた裁判所の「迷い」は極めて大きかった。


●控訴審判決

迷いに迷って、五回の判決延期の末、ようやく判決はでる。
判決内容はどうであったか?


●名誉毀損

まず、名誉毀損については、ほぼ信者Aさんの訴えを認める判決だった。
報道が読者に「乗っ取り」と印象づけようとした内容は否定された。
裁判所の判決文を引用しよう。

【判決文引用】

「一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、前記認定のように無差別大量殺人等を犯したとして社会が危険視していた教団ないしはその信者が本件建物の所有者(元所有者S)の失跡に関与し、本件建物の占有を不法に奪取し、本件建物において違法行為を行うような活動拠点を設けているとの印象を持つに至ることは明らかであると考えられる。したがって本件建物に居住する信者は右記載によってその人格的評価を低下させられ、名誉を毀損されたものということができる」


また判決文は、「オウム報道」特有の問題点も指摘した。
簡単にいうなら、問題となった報道は商業主義に走りすぎているという指摘だ。一般には名誉毀損裁判で裁判所が新聞(スポーツ紙であっても)に対してここまで指摘することはあまりない。裁判所にとっても印象が強かったのだろう。

【判決文引用】

「このような記事を掲載した目的は、前記認定によればオウム真理教の教義及び松本の個人的影響力の下にあった教団及び信者が危険な行動に出ることに対する一般市民の警戒心に対し情報を提供し警告を与えるということにあったと認めることができ、この点で公益を図るためという面があることは否定できない。しかし、前記2の本件記事の見出し等の記載はその文言と大きな文字等によってあからさまに読者の興味に訴え購入の意欲を刺激しようとするものであることが明らかであって、その記載内容を含めて検討してみても、右両様の意図が相半ばしているということはいえても、前者が主であるすなわち専ら公益を図る目的に出たものであるとまで認めるのは困難である」



●プライバシー侵害

また信者Aさんは、名誉毀損とべつに
「オウム真理教を信仰しているという私的情報を勝手に暴露した」
というプライバシー侵害も訴えていた。
こちらは棄却となった。
しかしその理由は、信者Aさんの信仰の問題についてはすでに近隣住民にもうすうすばれていたから、というものである。
判断基準自体は信者Aさんの言い分を認めるものだった。
判決文を引用する。

【判決文引用】

「控訴人はオウム真理教の信者であるが、信仰の有無や内容は私生活上の事柄であり、控訴人がその信仰を他人に知られることを欲せず、かつ、いまだこれが他人に知られていないものであれば、本件記事によって控訴人が信者であることが他人に知られたことがプライバシーの侵害として不法行為が成立する余地がある」


ご覧のとおり、控訴人がオウム真理教の信者であることを前提とし、その前提でありながら、ごく一般的な基準でプライバシー権が適用されることを示している。これは本来、あたりまえの話といえばあたりまえだ。しかし、ことオウム関係に限っていえば、裁判所においてもあたりまえが通らなくなっていたのである。

ところで、事実認定においては、信者Aさんが教団内で幹部の地位にいたことも裁判所は認定している。しかし、プライバシーの基準において一般人とかわらない基準をことさら指し示した。この点も考えると、むしろ裁判所は積極的に信者に対する差別基準を排斥しようとしたといえる。社会的に影響力のある団体の幹部である場合、一種の公人の意味合いもでてくるので、プライバシーに一定の制限が加えられると解釈したとしてもおかしくはないからだ。


●まかりとおる司法差別

さきほど、ことオウム関係に限っていえば、裁判所においても当たり前が通らなくなっていたと書いた。具体的に例をあげてみよう。次のような裁判があるが、すべて事実である。

・信者に対する異例の差別判決である山科ハイツ信者追出し判決。これは具体的迷惑行為がないにもかかわらず、信者が付近住民に「心理的」に妨害しているとして信者の追い出しを認めた。

・脱会していないだけで罪が重くなるオウム信者に対する刑事裁判。

・ポストにチラシを投函しようとした信者が「他人の敷地に踏み込んだ」として逮捕され、起訴された。常識的にいって、それだけでも驚くが、その上、なんと有罪判決がでた。



●法律家の意義

結審から判決まで、前代未聞というほど、ずいぶん時間がかかった。
しかし、裁判所が、社会問題となっているオウム排斥運動も念頭におきながらここまで判断を示すに至った、その検討の過程を想像すれば、5回の判決延期の理由も頷けなくはない。

なお、ここで詳しくは述べないが、裁判官は裁判所特有の問題にも縛られており、とくに世論と相容れない異端者に対して、自らの良心に基づいた独立した判断をくだすことが困難な状況に陥っている。審理にかける時間のなさの問題(裁判官は処理件数が多いほど裁判所内で評価される)や、人事を握って下級審に絶大な影響力をもつ最高裁がことさら管理意識が強く、個々の裁判官の良心にもとづいた独立した判断を事実上奪ってしまっている点に問題がある。

さて、司法においてすら世論への安直な迎合ばかりが氾濫する中で、今回の裁判にあたった新村裁判長は時間がかかろうとも念入りな証拠調べをおこない、それらにもとづき判断を示した。
私としては、新村正人裁判官の法律家としての、冷静さと、気概と、良心を、大いに評価する。


●判決後

さて、この判決後のフジテレビの報道では、宗教団体アレフの上祐氏の顔にまでモザイクをかけたそうだ。モザイクをかけることそのものが失礼でもあるし、一般基準との比較ではまだまだ問題を残している(そもそも、その報道内容は上祐氏の引越しを報じる内容だったと聞く。そこまでして引越しを報じて何の意味があるのだろうか)。

しかし、以前と比べる意味で言うなら、正常化へ向けて若干前進したといってよいだろう。

以上
(2001年3月31日 記事:三山巌)




戻る