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2001年2月11日土浦人権集会での発言に加筆

多発する冤罪
          
人権と報道・連絡会  山際 永三


 皆さん、この地域で普段いろいろの形で市民運動あるいは弱い立場の人々のための運 動に、それぞれ関わっておられることが多いと思うので、私からあれこれというよりは、 むしろ一緒に考えていただいて、冤罪が多いということは日本の社会が、どこかおかし い、ゆがんでいる、日本の根幹である司法制度が病んでいるということでありますので、 非常に重要な問題でありますから、今後我々はどうすればいいかということも含めて皆 さんと一緒に考えていきたい。また、ご批判あるいはこういうことはどうなのだという ことがあれば、どうぞご意見を出していただきたいと思います。  今日は「多発する冤罪」という題で私のレジュメをお配りしてあると思います。この 30年ばかり、私は冤罪の問題を取り組んできていますので、言いたいことはたくさん あるのですが、問題は多岐にわたっていますので、なかなか整理することが難しいので す。  今日は少し整理して、1時間の時間でぴったりと話せる内容にしたいと思ったのです が、整理しきれないで途中からは走って項目だけになってしまいますが、一応今日のテ ーマに沿った問題点をコピーしてみなさんにお配りしてみました。  最初のほうに書いてあるのですが、日本には無実事件が多すぎるということです。波 崎事件を支援していらっしゃる方がここにも何人かおられると思いますが、その方たち とも一緒になって、今から10年位前に「冤罪事件交流会」という緩やかなネットワー クを立ち上げました。


   国連規約人権委員会

 ちょうどそのころ、国連の規約人権委員会が日本の人権状況を審査するという時期が ありました。国連の人権条約に日本も加盟しているので、5年にいっぺん、日本のいろ いろな問題点を全部整理して、政府が国連に報告書を出すのです。
 この政府報告書は、ほとんど日本には問題がないと、たとえば精神病院の問題はだい ぶ改善したとかですね、外国人に対する差別は少しずつ直しているとかですね、それか ら、いわゆる世界的にも有名になっている「代用監獄」という言葉、これは訳さないで そのまま「DAIYOKANGOKU」とローマ字で書いて、どこでも通用しているそうですけれど も、警察の中で20日間以上も拘留して取り調べるという日本の警察制度のあり方、こ れなんかも前から世界で問題になっているのですが、今は捜査をする警察官と留置場を 管理する警察官は別にしているからいいのだというようなことで、日本の政府が国連に 報告するわけです。
 ところが、よく読んでみると、その報告は非常に欺瞞的で、美しいことばかり書いて あるのです。そこで、日本の市民団体、いわゆるNGOが国連の規約人権委員会に対し てカウンターレポートというものを出します。
 委員会には18人の委員がいまして、日本人も1人入っているのですが、この日本人 はあまり発言しない。まあ、自分の国のことが審査されるわけですから、日本人はあま り発言してはいけないらしいのです。他の国からはそれぞれ裁判官経験者とか大臣経験 者とか、その国では権威のある人が出てきていて、18人の委員がいるのです。この委 員が非常に熱心に日本のことも研究してくれてですね、我々みたいなNGO、つまり、 非政府組織が出したカウンターレポートもよく読んでくれるのです。
 私たちは、「再審事件交流会」として、「日本には無実事件が多すぎる」という題の レポートを1993年7月12日付けで出しました。その結果も含めて、国連規約人権委員会 からは、日本政府に対して「死刑廃止条約」、「拷問等禁止条約」という2つの条約、 これに加盟するべきだという勧告が出ました。日本ではまだまだ拷問が行われている、 この拷問というのは、ただ殴る蹴るの拷問ではなくて、精神的な拷問も含めて、公務員 の指示によって、意図によってなされる一切の圧迫も含めて、これを拷問「等」と言っ ているのです。この「等」がとても重要なわけです。
 それらの条約に、国連の規約人権委員会は加盟しろということを日本政府に勧告して きています。今日のレジュメもそのときのレポートに沿って、書いているつもりです。



   死刑再審第一の門

 ここにもあります通り、1983年、今から17年前ですが、免田栄さんが死刑確定 して34年6か月獄中にいたにもかかわらず、やっと無罪になって帰ってきました。免 田さんはその後、我々とも親しく付き合ってくれて、今、九州に住んでいますが、何か といえば東京へ出てきて、また、全国をまわっていろいろと訴えてくれています。免田 さんの話を聞くと、本当になぜ免田さんが助かったのかを深く考えさせられます。
 免田さんはこう言っています。彼が34年入っている間に福岡拘置所で約70人の死 刑囚が死刑執行されていくのを見送った。その中の相当多くの人が免田さんに対して、 「俺も冤罪なんだ、実は」ということを訴えていたといいます。確かに話を聞いてみる と、それらの人たちも裁判に問題があるということを免田さんは感じていたと言ってい ます。
 免田さんは非常に几帳面にノートを取っていて、しかもただノートを取るだけでは、 拘置所当局につぶされちゃいけないというので、自分の事件に絡んで裁判所に提出する 上申書の形で書類を作っているのです。裁判所に出すという形で、その70人の名簿を 書いています。その名簿の中に、この人は自分の裁判にいろいろと違うこと、不公正な ことがあったと訴えていた、ということを、免田さんは印(しるし)したものを、今で もコピーが残っていますが、こういった形で70人の中の相当多くの人が、福岡拘置所 だけでもですね、冤罪を訴えながら、死刑執行されてしまったという事実、これを免田 さんから聞くと本当にそういうことが許されていいのか? これで果たして日本が近代 国家といえるのかという疑問にぶち当たるわけです。
 免田さんが死刑から無罪になって出てきたということは、画期的なことでありまして、 それまでもいわゆる「吉田岩窟王事件」など、何十年も獄中にいた人が、これは死刑で はなくて無期懲役や有期刑の人が、釈放されたあと、社会に出てきてから、自分で訴え て弁護士に頼んで、再審で無罪を勝ち取ったという人は何人かいます。だけど、死刑で 釈放されずに、34年も入っていて無罪になって出てきたのは免田さんが初めてなんで すね。近代的法律体系の中では初めてなんです。
 これは日本の裁判所なり、司法全体のとんだ大恥といいますか、汚点であるのは当然 だし、皆んなびっくりしたわけです。ところが、その後、さらに免田さんの後、続けて 3人が死刑から無罪になりました。「財田川事件」の谷口さん、「松山事件」の斎藤さ ん、「島田事件」の赤堀さん、この合計4人が次から次と約6年の間に奇跡的に私たち の社会に戻ってきたのです。
 これが続いたので、みんなあきれたわけですね。日本の裁判はこんなにいいかげんだ ったのかと。この4人について、なぜそれまでなかった死刑再審無罪ということが可能 になったのか。これは多くの関係者が努力したし、それから、この4人については日弁 連の中に特別な委員会ができて、日弁連の予算の中で、弁護団ができて、頑張ったとい うこともありますし、免田さんの場合のように第6次の再審でやっと無罪になるという ように、それぞれの方たちが努力された結果であることは事実です。日弁連が頑張った ことも事実です。



   戦後民主主義のプラス面

 私に言わせれば、やはり戦後民主主義のひとつのいい面がやっと出てきた。戦後民主 主義というのは1960年ごろには、どちらかといえば風化してしまって、戦後民主主 義とあまり言われなくなってきたわけですね。
 それに対してむしろ、戦後民主主義の欺瞞性を見直すという形で、いわゆる70年闘 争があった。にもかかわらず80年代になって、やっと戦後民主主義のある種の積極面 というか、無実の人を殺してはいけないという、このあたりまえのことが、やっと実現 するという形が1980年代になってにじみ出たというか、日本の社会制度の中で搾り 出されたというのか、やっと実現された。それがこの4人の無罪だったように思います。
 これは法律的には、最高裁判所が出した「白鳥決定」、それと「財田川決定」という 大きな前進があった結果です。それまで再審というのは、いわゆる新証拠がないといか んという、その事件の裁判中に出ていた以外の新しい証拠で、まったく明白な証拠が出 てこないと再審は通らないのだということになっていたわけだし、今でもそうなのです。
 この新規かつ明白というこの二つの条件はなかなか難しいのですね。裁判中だってそ の人にしてみれば、死刑になるんだから、必死になっていろいろな証拠は出したでしょ うし、弁護団もいろいろ頑張るということですから、裁判が終わってしまってから、新 しい証拠を見つけ出すということは本当に難しい。このこと自体が稀有なことなのです ね。
 ところが、それまでの再審というのは、新規・明白な証拠が明らかで、その証拠だけ でその人は無罪だとハッキリする、たとえば真犯人が出てきたとか、あるいは、その人 にとって、完全なアリバイが証明された、とかいうことが後で出てくればこれは無罪に するという非常に厳しい枠がありました。ところが「白鳥決定」「財田川決定」、この 最高裁の二つの決定は、その新規の証拠だけひとつだけをとって無罪か有罪かを決める のではなくて、それまでの多くの旧証拠と新しい証拠とを総合的に見て、総合判断する と、これは無罪だということでいいのだということになったわけです。
 素人の目から見れば、あたりまえのことのようですが、法律の世界では、その総合判 断というのが大きい変化でした。「白鳥事件」というのは、ご存知の通り、北海道の公 安事件で当時の共産党系の人たちが巻き込まれた、これも冤罪事件なのですが、この事 件そのものは、無罪になりませんでした。しかし、最高裁の「白鳥決定」は非常にいい 決定だったのです。それと、つづく「財田川決定」、この二つの決定が再審の枠を拡げ るというか、再審の新証拠の枠を拡げる、単独の新証拠ではなくて、それまでの証拠の すべてと総合判断して、無罪という心証が得られれば再審を開始していいのだというこ とになって、免田さんたち4人の死刑再審の門を開くことに大きく役立ったわけです。
 この決定を出すときの最高裁のメンバーの中に相当民主的な人もいてですね、この人 たちがやはり頑張ってくれて二つの決定が出たということを考えますと、私が言うとこ ろの、戦後民主主義のある意味でのよさが、やっと最高裁に達して、最高裁の中でそう いういい決定が出た結果、1980年代になって、この4人の死刑囚が再審となり、無 罪になったということだと考えるわけです。



   逆流のただ中で

 ところがその後、それはとんでもないことだと、こんな風に再審無罪を続出してしま うのでは、日本の司法制度はやっていけないと、これからは絶対に再審無罪にはしない という動きが、裁判所だけではなくて、いろいろなところで始まりました。確定判決が こんなことで揺らぐようでは、日本の秩序は壊れてしまうと。だから、再審無罪などと いう流れを出さないようにしようという動きがあった。この線に沿った論文も、たくさ ん出ています。
 要するに、総合判断することにはなったけれども、厳密に見てみなければいけないと いうことで、その新規性・明白性を再度強調する論文がずいぶん出ています。裁判官が 書いた論文も出ました。せっかくの再審無罪の流れが、赤堀さん以後、ぱったりと止ま ってしまったわけです。もちろん、ご存知の通り、最高裁判所の裁判官には歴代の内閣 が気を使って、民主的な考えを持っている人は、最高裁判所の裁判官にはしないという 流れが定着して、そのために、「白鳥決定」と「財田川決定」という、この二つの決定 の良い面を無視してしまおうと、なるべく再審の門を狭くしてしまうという動きが、引 き続きずっと1990年代にあったわけです。
 そのために、本来、完全に無実だという事件も、どんどん再審が却下されてしまいま した。これを弁護士さんたちは「逆流」と呼んでいますが、確かに逆流があり、今でも 逆流が続いているわけです。その逆流の中で、波崎事件の富山さんも、今、83歳です が、いまだに再審が通らない。1963年の事件ですから、もう40年近くも経ってい ます。
 免田さんと同じ位、長く入っている人が何人かいるようになってしまいました。再審 請求が棄却され続けるという状態が、このところ、十何年か続いていっているわけです。 北海道の「梅田事件」とか、四国の「榎井村(えないむら )事件」とか、いくつかの事件で は、再審無罪になって出て来た人もいます。ところが、死刑再審は、赤堀さん以後全然 ありません。こんな状態が我々の前に、今あるわけです。
 免田さんが、こういうことを言っています。免田さんが、まだ福岡拘置所にいるとき に、日弁連の、そうそうたる弁護士さんが、免田さんのところに面会にきて「免田さん、 あなたは何とか再審無罪になる可能性がある」と言うのです。「免田さん、谷口さん、 斎藤さん、赤堀さんとこの四人までは、何とかなりそうだ」。
 これは免田さんが中にいる時だから、まだ四人とも外へ出ていない時ですよ。「免田 さん、この4人までは何とかなりそうだ、しかしそのあとはもう駄目なんだ、その4人 を助けるのが精一杯なんだ。もうこれ以上は駄目なんだ」と言った。弁護士さんがそう 言ったと言うのです。
 皆さん、それ恐ろしいことですよ。だってまだ四人とも中に入っている時ですよ。あ る意味で予言する人が、いたのですね。この予言は、見事に当たっちゃったわけです。 ということは日弁連をはじめ、裁判所にしろ、検察庁にしろ、日本の法曹界、あるいは 政治家も含めて、四人については、どうしょうもないし運動も盛んだし、あの四人は出 すしかないと言うような雰囲気があったのですね。多分、赤堀さんは出さないようにし ようという説もあったと思います。赤堀さんの事件は、免田さんに比べると、ずっとあ との事件ですからね。



   死刑再審第五の門

 そういう意味じゃ、赤堀さんは駄目という人もいたと思うのだが、赤堀さんはどうに か、滑り込むことができたんです。四人だけは出すという話があったというのです。  「五人は駄目だよ」と言う人がいたというのだから、恐ろしい話で、正にこの「波崎 事件」の富山さんは、五人目、あるいはもっと後ろなわけですよ。
 それから「袴田事件」の袴田さんとか「名張毒ブドウ酒事件」の奥西さんね。この奥 西さんは一審無罪ですよ。つまり証拠がない、だから奥西さんは殺人で捕まったけれど も無罪。にもかかわらず検事が控訴して二審目から死刑で、最高裁で死刑。現在、奥西 さんは第6次再審をやっていますが、この奥西さんが「第五の死刑再審だ」と言った人 もいますけれども、その奥西さんも駄目だった。そういうかたちで幾つかの第五の候補 者があるにも関わらず、駄目なのです。
 じゃあ赤堀さんが出て来た後、1989年の後、このあと死刑確定になった人で無実 の人はいないかというと、とんでもない。いるのですね。今、日本に死刑確定者が53 名います。調べてくれと言われて、私、色々なところで聞いたのですが、死刑確定者の 正確な人数、これ、なかなか難しいのです。  日本で死刑確定した人を、調べるだけでなかなか面倒なのです。というのはご承知の とおり必ずしも最高裁までいって却下という事じゃなくて、中には一審で確定になって しまう人もいるのです。だから新聞記事を見ただけではなかなか無理なので、死刑廃止 フォーラムのグループが、そこら辺を細かく情報つかんで、全国の弁護士さんに頼んだ りして死刑の問題については、敏感に記録をとっているのです。毎年、死刑廃止の年報 が出ていますが、この年報の資料のページに、毎年の死刑確定者の一覧表が出ています (インパクト出版会刊、イザラ書房発売)。今日はお配りしていませんが、2000年 と2001年分がもうすぐ出版されます。
 以前は整理されていませんでしたが、レジュメにありますように、1990年代に、 3年4か月ばかり、死刑が執行されない期間がありました。これも先ほど言いました日 本の戦後史のある一つの残り火みたいなものが、死刑と言う問題に作用したのではない かと、私は思っていますが、ある時期、90年代の3年4ヶ月、日本では死刑が執行さ れなかったのです。そのとき、法務大臣に仏教のお坊さんの資格を持っている人がいて、 死刑の印鑑を押すのは嫌だと言ったのです。そういう好運も重なって、死刑が執行され ない時期がありました。
 後藤田正晴が法務大臣になってから、これは崩れて、どんどん執行されるようになり ました。こういう一覧表を作るのも難しいのです。
 最初のほうの年報では、現在生き残っている死刑囚だけの一覧表だったのですが、こ れはやめようと、我々は死刑廃止運動をしているのに、死刑執行されて、リストから外 してしまうのは、いかんのじゃないかと。出版社に頼んで、執行された人には斜線を入 れて残すことにしたのです。このアミをかぶせて印刷してあるのは、執行が止まったあ とに執行された人です。この人たちの執行を止めることができなかったという、われわ れの屈辱の証でもあるのだという意味で残してあるわけです。
 アミのかかっていない人を勘定すると、2000年末の人数がわかるのですが、52 名です。この後ももう一人、確定した人がいて、53名です。また、この2月1日に第 一審で死刑判決があって、どうやら本人が控訴するのをためらっているらしいので、2 週間控訴の期間が過ぎた2月15日になると、確定してしまうかもしれない。すると、 54名になってしまうかもしれないというのが、最新情報です。



   再審ラッシュ状況

 このリストで勘定していきますと、相当大勢の人が再審を望んでいるのです。十数年 前は、13人とか14人でした。国会議員が、法務省に死刑確定者が何人いて、その中 で再審を望んでいる人が何人いるのだと質問すると、数だけは答えてくれるのですね。 ところが、その数が、法務省の言う数と、こっちがつかんでいる数がなかなか合わない のです。何でそんなことがわからないのだと疑問に思われると思うのですが、なにせ、 それほど死刑囚の人たちは分断されていまして、連絡の取りようがない。死刑囚は、家 族しか面会できない、弁護士も面会できない。再審をやろうとすると、やっと弁護士が 面会できるという、今の日本の状態があるのです。
 これも戦後民主主義がある頃、免田さんが入っている頃はもっと自由だったのです。 死刑囚には支援者もいくらでも面会できた。免田さんは獄中で小鳥も飼っていたのです。 死刑囚だけの野球チームもあったというのです。それが戦後だったのです。つまり、G HQが来て、獄内を見て回って、そんなひどい状態においてはいかん、と言ってくれた おかげで、福岡の拘置所なんか、すっかり処遇が変わって、死刑囚の野球チームができ たこともあった。それが戦後のいい時期だったのです。
 免田さんは、拘置所の庭に花壇を作り、小鳥も飼っていた。だから彼の34年は「今 の死刑囚から見ればよかったですね」と言うと、「34年もいて良かったとはなんだ」 と彼は怒るのですけどね。免田さんに言わせると、どんどん悪くなったと言うのですね。  つまり、戦後の民主主義というのは、良いこともあったのです。獄中でさえです。そ れがどんどん厳しくなって、ついこの10年くらい前からは、もう一切家族以外の面会 も文通も認めないと言う通達が出たりして、獄中にいる死刑囚は今、本当に孤独です。 もう皆ノイローゼになっちゃうのです。一日じっと狭い独房に座って、運動の時間も少 ない。土曜が休みになったので、獄中者はみんな困っているのです。我々は、土日休み で連休だなんて言っていますけれど、獄中の人は、土曜は運動もない。入浴もない。た だ一日中、房内にいるわけです。あぐらはいいのですが、壁に寄りかかったりしたらも う「懲罰だ」なんてことが、日本の監獄の現状ですから、もう獄中者は土曜日曜になる のは困る。運動がない。歯がボロボロになる人が多いのです。
 その他、医療問題では色々あるのですが、そんな状態の中で、再審をやろうといって も、お金がないから、弁護士も呼べない。たいてい死刑になっちゃうと、家族から見捨 てられてしまう人が多い。家族がもともとちゃんとしていない人もいますから、そうい う人は本当に一人ぼっちになってしまって、獄外との連絡も取れないので、死刑再審を 起こすということ自体、とても難しいのですね。
 免田さんも、最初そうだったのですけれど、本人自身が裁判所に手紙を出して、その 手紙で再審やってくれと言うわけです。裁判所に言わせれば、新証拠もないくせに、た だ再審なんていったって駄目だというようなことで、すぐ却下されてしまうような、そ ういった再審をやっている人もいるのです。再審を却下されると、死刑執行されるかも しれないので、何べんも何べんも繰り返して再審請求を続けるわけです。
 今までのところ、再審をやっているのであれば、執行はされないという、これは、法 律のどこにもそんなことは書いてないのですけれども、不文律でそうなっていた。とこ ろが最近になって、1999年12月17日の金曜日に小野照男さんと言う、福岡拘置 所にいる人が、自分で再審を繰り返していた。確か、第7回までやったのかな。やっと 弁護士がついてくれて、その弁護士が弁護士の名前で、再審請求書を作ってくれて、裁 判所へ提出した。その数日後に、死刑執行されてしまい、まだ再審手続き中で棄却され ていなかったのに執行されてしまったのです。



   追い詰められる死刑囚
 免田さんの頃にも、そういうことがあったらしいのです。事実記録によれば、196 0年代には、再審中でも執行されたのではないかと、いわれている人がいます。それか ら、再審請求を裁判所に却下されて、翌日執行されたという例もあります。この30年、 40年は、再審手続き中は執行されないことは不文律だったのですが、この小野照男さ んに限っては、手続き中にもかかわらず、執行されてしまいました。こんな具合に、少 しずつ死刑囚の人は追い詰められているわけです。
 本人が再審請求を出した、却下された、また出す。というようなわけです。我々死刑 廃止の運動をやっている人間が、誰と誰が正確に今、再審手続き中なのかということを つかむことだけでも難しいのです。しかし、弁護士とか色々な人を頼んで調べていくと、 手続をしている人が、20人くらいです。それから、一回却下されたんだが、第2次を やろうとしている人、あるいは、もうじき出すという弁護士がついた、とかいう人を含 めると27人。54人の中の27人。今再審をやろうとしているわけです。
 みなさんご承知のとおり、再審というのは死刑だけではありません。狭山事件など、 冤罪の石川一雄さんは、無期懲役でしたけれども獄中に30年くらいいて、仮釈放で、 今外にいて元気で再審運動をやっています。
 だから、死刑以外でも再審の事件はあるのですが、死刑だけに限ってみても、54名 の中の27名の人が実際に再審を希望しているということで、これは日本の裁判が、い かにおかしくなっているかということの証拠です。
 しかも27名の人の中に、ざっと見て10人以上は赤堀さんが出て来た後、死刑確定 しています。ですから、日本の裁判所は、4人助けてまた10人以上、無実の死刑囚を 作っているのですね。それが、今の裁判所の現状であると言えるわけです。



   部分冤罪者の再審

 ここ数年、再審請求をやる人の数が増えています。これは、どういう人がいるかとい うと、やはり、完全に冤罪という人もいますし、中には、たとえば4人殺したことにさ れて死刑になっちゃったけれども、実は2人しか殺してないのだとか、人を殺してしま ったのは事実だが、そのあと火事になった、その火事は、決して自分が放火したのでは ないのだというような事件で、再審を訴えている人もいます。
 当然、事実が明らかになれば、死刑にならないで済むような人たちです。こういう人 について我々は、「部分冤罪」という言葉を新しく作りました。
 この「部分冤罪」という言葉は、ついこの間も私は、ワシントンポストの日本特派員 に、死刑制度について取材されて、海渡雄一弁護士と二人で色々と説明したのですが、 ワシントンポストの通訳が、私の「部分冤罪」を何とか英語に訳してくれたのですが、 特派員のアメリカ人記者は、「えー、そんなこと信じられません」と、ある意味では、 そんなインチキなことで再審を訴えるなんておかしいと言わんばかりに、「部分冤罪」 という言葉に対して、非常に大きく反応したので、私は「ああ、面白いなあ」と思いま した。
 いかに、このワシントンポストの記者が日本の裁判の現実を知らないかですね。つま り、完全に真っ白の人で、波崎事件の富山さんとか、袴田事件の袴田さんみたいに、全 面冤罪の人のほかに、そういう部分的な冤罪で、本来、死刑にならないはずの人が、部 分的に間違った裁判で、死刑になってしまった人が結構いるのですね。
 だから、私の大雑把な計算ですが、27に中の10人くらいが、完全な冤罪。残りの 17人くらいは、そういう部分冤罪という主張で、いま、再審請求をしています。私た ちは、部分冤罪でもなんでも良いから、とにかく、再審の理由があれば、どんどん再審 請求を出したほうが良いと、今運動をしています。
 こんな現状で、法務省に言わせるとですね、「駆け込み再審」なんて言葉を言うそう です。要するに、死刑執行されたくないから、駆け込み再審で再審理由を見つけ出して、 何か訴えている。同じ理由で繰り返して、再審するような人は、死刑執行して良いのだ ということを、小野照男さんの時にも、法務省は説明しました。国会議員が食い下がっ たのです。「いや、しかし小野照男さんは手続き中だったんだよ」と言って、「その手 続は、法務大臣のところに届いていたのか」と追及すると、本当の数日の時間しかあり ませんでしたから、拘置所か、あるいは裁判所が、報告をサボタージュした可能性が十 分にあるという結果で、法務大臣は、どうやら聞いていなかったようです。そういった ことも報告されています。
 小野照男さんが死刑執行されたとき、再審関係の弁護士が集まって、国会議員ととも に法務省の刑事局長に会って、交渉して色々事情を聞きました。そのとき、ある弁護士 さんが言ったのですが、昔、吉田岩窟王事件というのがあって、再審で無罪になった。 この人の無罪判決の中には、「吉田翁は、執拗に再審を繰り返し、同じ理由で一貫して 無罪を叫んだ。立派なものだ」ということが、判決で言われた。こんな例も持ち出して、 「同じ理由で再審するからと言って、誉められた人もいるのですよ。だから、同じ理由 で再審請求してはいけないなんて理屈はどこにも書いていないじゃないですか」と弁護 士さんが法務省に迫ったそうです。本人が執拗に同じ理由で再審していたと、それによ ってだんだん支援者がつき、弁護団がついたという例もあるわけですし、免田さんも現 に、第4次請求までは、自分でやっていたのですよ。ところが、第5次ぐらいから日弁 連がついて、第6次で成功したというわけですから、どうみたって最初の段階で、完全 な手続なんて取れるわけはないのですね。



   死刑再審「三崎事件」

 私が支援している事件で、「三崎事件」という事件がありますが、これは、神奈川県 の三崎というところで、一家3人が殺された事件なのですが、その事件が起きて、まだ 部屋の中が血の海になっているところへ、たまたま知り合いの家の中で何か変な音がし たというので、すぐそばで酔っ払って駐車していた荒井政男さんという人が、「何か起 きたのだろう」というので、知り合いの家ですから、シャッターが開けっ放しになって いたので、そこに入ってみたら、血の海だった。
 それで、自分の知っている主人が殺されている。これはいかんというので、慌てて外 に出た。いろいろな事情があって、夜遅くまで忙しいとか、理由があってですね、荒井 さんという人は魚屋さんですから、一本気というか、べらんめえの魚屋さんなもので、 警察に関わって、また面倒なことになるというので、車に乗って、立ち去ってしまった のです。
 いわゆる第一発見者ということで、これが疑われて、荒井政男さんが捕まりました。 真犯人が家を飛び出した直後に、荒井さんが中に入っている、だから、真犯人と入れ替 わってしまった。まるで小説か映画みたいな話なのですけれど、この何分かの、あるい は何秒かというような入れ替わりがあったために、捕まって、一家3人が殺されていま すから、一審死刑ということで、二審、三審とも死刑で、確定後、再審請求をやってい る荒井政男さんという人もいます。この人も目の病気があって、手術さえすれば治るの だろうけれども、手術もできないので、今はほとんど見えない状態で、蛍光灯の明るい 暗いがやっとわかる程度だそうです。それで、家族と弁護士さんしか面会できません。 拘置所の中でも、車椅子で生活しているという状態で、本当に気の毒ですが、いかんと もしがたいわけです。再審を、なんとか開始してもらいたいということで、がっばって います。



   国会閉会中の死刑執行

 ご承知のとおり、死刑囚は日本で7か所の拘置所に入っていて、7か所の拘置所には 死刑台があります。この7か所の拘置所で、執行されるのを、待っているわけです。死 刑は大体今、金曜日か木曜日に執行されるということで、金曜日は、朝、看守の足音が すると、皆じっとなり、硬くなって自分の番かと待つということです。そして、自分の 房の前を足音が通り過ぎると、やっとほっとするというような、金曜日の朝の状態です。  なぜ金曜日かというと、土・日が入ると、国会で騒がれないで済むわけです。ウィー クデイにやってしまうと、国会で死刑廃止議員連盟の議員さんがまた、法務大臣にすぐ 抗議したりしますので、法務省は嫌がっているのですね。国会が開かれていない間の金 曜日というのが、今非常に危ないといわれています。そんな具合で死刑の問題というの は大きいです。
 そういう中で、今日のテーマは、「冤罪」ということなのですが、冤罪で死刑になる 人がいるから、だから死刑を廃止しようというのも、一つの大きな死刑廃止運動の、誰 にもわかりやすい論点なのです。ところが、では、冤罪ではない人なら、死刑執行され てもいいのかという逆の論理にも、下手をするとなるのですね。
 ところが、私どもに言わせると、完全に冤罪ではなくても、部分冤罪の人もいるし、 それから、ひどい犯罪を犯した人でも、裁判の中身をよくよく細かく見てみると、決し て真実を裁いたというのではない、というのが現状です。
 それくらい、日本の裁判官の大多数が免田さんから赤堀さんまでの、四人の死刑再審 について、完全に反省していませんから、あの四人は例外だから、その後は絶対に出さ ないことにしようという根性ですから、もう日本の裁判は、いよいよ悪くなっていくよ うな気がします。



   情報化時代の冤罪

 そこへ持ってきて、もう一つのテーマがあります。私どもがやっている「人権と報道 ・連絡会」という会がありまして、ニュースをお配りしましたが、「報道」の問題とい うのが、今非常に大きな問題となっております。
 要するに、報道が先走りをして、あの人が犯人だとか、あの人が怪しいと、最初から 断定的に書いてしまう。最近の典型的なその犠牲者が「松本サリン事件」の河野義行さ んです。私のレジュメの中で、私は「情報化時代の冤罪」と呼んでいますが、マスコミ が冤罪を作っていると言ってもいいくらいになっています。
 これには、テレビの影響も大きいですね。テレビというのは、非常に感情的なメディ アになっていて、勧善懲悪で良いものは良い、悪いものは悪いという単純な発想で、世 の中のすべてのことを割り切ってしまおうとしています。テレビニュースなんかもご覧 になってもおわかりの通り、昔はちゃんとニュースの時間というと、アナウンサーが出 てきて、真面目にニュースを読み上げるだけでしたけれども、最近のテレビニュースは 音楽がつきます。おどろおどろしい音楽が入ったりなどして、まるで、娯楽番組を作る ように、テレビニュースそのものが娯楽化しているのですね。
 それを我々は、「ストレート・ニュースのワイドショー化」と呼んでいます。ワイド ショーと同じ作り方になっています。テレビの影響は非常に大きいし、マスコミが「あ いつは犯人だ」と決め付けるというようなことをするために、一般の人も、裁判所も、 予断を持ってしまうのですね。1995年のオウム真理教関係の一連の事件、そして、 1999年からのオウム信者排斥の動き・・こうした動きのなかで、テレビはますます、 どうしようもないほど悪くなっています。
 これは本当に恐ろしいことです。1999年の暮れでしたか、京都の小学校2年生が 校庭で殺される事件がありました。京都の日野小学校の事件で、犯人は姿を見られて、 若い男だったといわれて「また少年だ」ということで、「17歳の少年」というのがマ スコミの常套句になっていましたから、一定の少年が怪しいということになって、その 小学校の写真入りの卒業者名簿や、近所の中学校の名簿がテレビ局によって、10万円 で買い取られたという話があるくらいです。
 みんなが、「あいつは不良っぽい」なんてことを言うと、その中から写真を持って、 テレビ局の人間が、「この人知っていますか」とか、「この人どんなことをしていまし たか」といって、周りに聞いて歩いたのですね。そんな風に、テレビの取材がまともな 捜査を妨害しているとしかいいようがないくらいになってしまった。
 犯人といわれた人は、マンションから飛び降りて死んでしまいましたから、本当にあ の人は自殺したのか、警察官に追われて、やむなく、間違って落ちたのではないかとも 言われていますが、あの人はいくつか離れた地区の住人で、現場の学校の卒業生とか、 中学生ではなかったのです。だから、まったく最初の噂話は間違いだったのですが、そ れでテレビ局が道端で子供を捕まえて、「この人知っているか」とやる。これじゃあも う、まともな捜査はできないという状態で、これがやはり裁判にも影響するのです。



   証言を歪めるマスコミ

 たとえば、「和歌山のカレー事件」も「稀代の悪女」とか言われていますけれども、 あの人の一番の決め手といわれている証拠も、高校生の人が「白い紙コップで何か入れ ているのを見た」という証言です。この高校生に対してマスコミは、和歌山から、大阪 か神戸に連れていってご馳走したりして、ちやほやして、この高校生から話を聞くとい ったようなこともやっているということです。その最重要証人を、おそらくマスコミが おだてあげて怪しいことを言えばお金が貰える、ご馳走してもらえる、みたいな状態の 中で、捜査が行われている。だから、その証言そのものが正しいかどうかもわからなく なっているという中で裁判が行われている。これ自体、社会全体にとって、非常に不幸 なことだと思います。
 私は、三浦和義さんの「ロス疑惑事件」というものをずっと見てきました。私どもの 「人権と報道・連絡会」は、「ロス疑惑事件」と共に始まったような会なのです。あれ だけ騒がれた三浦和義さんが、実は「冤罪」だったということを我々は比較的早い段階 に気がついて、三浦さんとも接触し、弁護団と一緒にアメリカのロスまで行って、いろ いろ調べたりして、三浦さんの無実を確信しましたけれども、三浦さんは一審無期懲役、 二審で見事無罪となって出てきました。
 そのあと、別件で奥さんに怪我をさせたというのを、これはもう最高裁に却下されて しまったのですけれども、この別件自体冤罪なのですけれども、また入れられて、2年 入ってつい先ごろ出てきました。この三浦さんの二審の無罪判決のときに、判決書の中 にも書いてあるのですが、「マスコミによる噂のレベルの証拠と、法廷の中に出てきて 確実にこれは証拠だといえるものと区別して考えなければならない」と、「噂に基づく 証拠を証拠としてはいけない」というようなことを判決書の中に書いてあります。こん なことは、ま、なんというか、悲しい出来事というか、恥ずかしいと言って良いのか、 噂の証拠で裁かれてしまう人がいて、良いのかと思わざるを得ません。
 三浦さんの二審判決は、そこを見事に細かく分析してくれました。我々も法廷で傍聴 していてびっくりするくらいに、裁判官が細かいことを三浦さん本人に聞くのです。裁 判官は、非常によく記録を読んでいました。そこまで熱心にやってくれる裁判官、また、 そこまで裁判官を動かした熱心な弁護団、この成果がやはり三浦さん無罪になった一つ の流れだと思うのですが。判決書の中では、そうやって、マスコミ批判まで書いてくれ ました。
 こういう裁判官も中にはいるのですね。本当に100人に1人かもしれません。その 裁判長は、三浦さんの無罪を書いた後、裁判官を辞めて、公証人になってしまわれまし た。まあ、これは変な話ですが、出世する裁判官は、もう無罪判決は出さない。出世を あきらめて裁判官を辞める、辞める直前の人が無罪判決を書くというのが、我々の常識 になってしまっています。このこと自体、情けない、こんな馬鹿なことがあっていいの か、というようなことなのですが、事実なのです。



   科学鑑定の間違い

 もう一つの例をご紹介します。1991年ですから、もう10年経っていますが、群 馬県の「足利事件」(幼稚園児殺害事件)。この菅家さんの事件は、やはり非常に不幸 な経過を辿っています。
 地元の名士みたいな弁護士さんを、ある人の推薦で家族が最初につけてしまったので すが、この弁護士が相当な報酬を取っておきながら、途中で菅家さんが「実はやってな いのだ」ということを言い出したときに、その弁護士さんが、「いまさらそんなことを 言えば裁判所の印象が悪くなるばかりだ。否認するのはやめなさい」と言って、その本 人の申し出を止めてしまったのです。
 一審の弁護士の職業上の倫理問題とも言えますが、弁護士がそんなことを言っていい のかというようなことが問題となっています。二審から、もちろん弁護士も変わって、 ずっと冤罪を訴えてきたのですが、有罪の無期懲役が確定してしまいました。
 その決め手というのが、DNA鑑定です。この科学鑑定が実にいいかげんな鑑定でし て、しかも、菅家さんの場合は日本の警察がDNA鑑定をはじめた初期のころなので、 いろいろな問題があるのです。弁護団は、DNA鑑定に関しては、鑑定そのものが間違 っていたのだということを、いろいろな資料で証明していますが、最高裁でも切られて しまいました。菅家さんも今、再審を準備しているところです。



   日常的に冤罪多発

 皆さんもご存知の冤罪事件の他にですね、本当に小さな冤罪事件もたくさんあるので す。
 ここに書きましたけれども、「山形の高畠事件」、ひき逃げ事件です。トラックを運 転していた人が、ひき逃げ事件が起きた少しあと、同じ道路を通ったことは確かに通っ た、だけど、自分はひき逃げはしていない。ところが、そのトラックを自宅の車庫に入 れておいたところが、山形新聞の新聞記者が2人来て、警察のようなことを言うので、 てっきり刑事かと思って、色々しゃべって、自分は何月何日にどこそこを確かに通った というようなことを言って、刑事を帰したつもりだったのだが、それが実は、新聞記者 で、トラックに血痕が付いていたというようなことを言い出して、警察にたれこむので すね。それで警察が、今度またそれを調べる。それが元で「山形の高畠事件」というの が、これがまた見事に一審無罪になる。二審も無罪になって確定しました。だからその 人は国賠請求訴訟をやっています。その人は、警察だけではなくて山形新聞も訴えてい ます。
 「道頓堀事件」というのがあります。これは、大阪の道頓堀の橋の上からホームレス の人を投げ込んで殺してしまったという若者二人が逮捕されたのですが、この中の1人 は完全に冤罪です。若者たちが橋の上でたむろしてシンナーを吸ったりしていたことは あった。それでいわゆる、ホームレスのおじさんに対してはいじめるようなこともして いたらしいですね。そういう状態の中で、ふざけて橋の欄干の上におじさんを乗っけた りなんかしているうちに、間違っておっこっちゃったという事件。だから確かにおじさ んを抱き上げた人は、自分が落としてしまったと罪を認めていた。しかし、そばにいた 仲間の人は、全然手助けしていないのですね。それで、手助けをしたとして起訴された 人は結局無罪になりました。抱き上げた若者にとっては、過失事件であり「部分冤罪」 だったのです。ま、こんな風に事件は起きた、確かに誰かが絡んではいた、だけど自分 はやっていない、こんなこともあるのですね。
 「帝京大学ラグビー部事件」というのは、テレビで大騒ぎになりましたけれど、帝京 大学ラグビー部の人が、ある女性を強姦した。何人かで強姦したという事件で、5人捕 まったのですが、その中の2人は冤罪を叫んだのです。この5人は結局その女性と被害 弁償をして、それで和解して結局裁判にはなりませんでした。ところが、その5人捕ま った中の2人は、絶対に自分はやっていないといって頑張っている事件です。テレビ局 を訴えています。これも一つの冤罪です。
 「成城署母子事件」。これは東京の成城署管内で、あるおばあさんが団地の自分の部 屋で殺された。このおばあさんが付き合っていた人が怪しいと見られて、いろいろ調べ られたのですが、やってはいない。十分な証拠がない。ところが、この容疑者とされた おばあさんが生活保護を貰っていた。しかしその息子さんがいて、働いて稼いでいた。 そのことを理由として、息子さんがちゃんとお金を稼いでいながら母親が生活保護を貰 うのは、自治体に対する一種の詐欺だということで、おばあさんを捕まえて、息子さん も一種の共犯者ということで捕まえました。息子さんは、相当遠くに住んでいたのです ね。だから決して犯罪というわけでもないのに、よくどこかにありそうな話。にもかか わらず、それを詐欺として立件して、新聞にでかでかと「殺人にも関連か」と書かれま した。こんな具合で結局殺人のほうでは逮捕もされずに終わった。生活保護の詐欺は軽 い罪で済んだわけですが、新聞に「殺人とも関連」と書かれたままで終わってしまいま した。マスコミによる冤罪です。
 「笠井事件」というのは、これも2、3年前の事件なのですが、笠井さんという人で、 私の知人なのですが、この人がタクシーの運転手をやっていまして、深夜狭い道で運転 していたら、車の前で自転車を押している男が立ちはだかって、動こうとしない。どう も酔っ払っているようだと、窓から首を出して、「どいてくれ」と言ったら、やっとよ けたのだけれど、その男が、「タクシーの雲助」とか怒鳴ったと。そこで、ちょっと腹 が立ったのですね。「雲助とはなんだ」、ひどいじゃないかとちょっともみ合いになっ たのですね。京都でも裁判官がタクシー運転手を差別した「雲助事件」というのがあり ましたけれども、それとよく似ている事件なのです。するとその男が、あとで「自分は 何発も殴られた、怪我をした」と、警察に訴えてそのタクシーの運転手さんは3か月以 上たってから捕まったのです。だから、その男の傷ももう残っていないし、写真はある のですが、果たして殴られたのか、酔っ払っていたからどこかで転んだのかわからない ような傷で、後で聞いてみると大変な政治ゴロの人で、佐藤栄作と一緒に日中交渉をい ろいろやったのだ、みたいなことを言う人で、政治団体と絡んでいまして、タクシー運 転手が悪い、あわよくば、タクシー会社から金をとろうということで、告訴したのです ね。このために、懲役6か月執行猶予3年ということで有罪になって、最高裁までいっ て、確定してしまいました。確かに相手ともめたことは事実だが、殴ってはいない。そ の人は空手をしていたのですね。だから「おまえは空手をやるくらいだから殴ったのだ ろう」と言われてしまって、「私は空手はやっているけれども、やっているからこそ、 空手がいかに怖いかということもわかっているから、人を殴ることはしません」と言い 張るのだけれども、通らなかった事件です。こんな風に本当に小さな事件、ま、本人に とっては大事件で、その人の人生、狂っちゃうわけですね。にもかかわらず、頑張って 最後まで笠井という名前で俺は頑張ると言って、国会では社民党代議士が質問をしてく れましたが、裁判所は認めませんでした。こんな風に、日常的な事件、我々もほんとう に身近でいつ起こってもおかしくないような事件でも冤罪はあります。



   冤罪多発の原因

 なぜ、こんなふうに冤罪が多いのかという事を、レジュメに問題点を書きました。私 がここで解説しなくても皆さん見て頂ければおわかりと思います。問題点が複合的に絡 まっています。ですから冤罪というのはある意味で奥が深いのです。この冤罪をなくす ことで、私は日本の社会も少しは変わって行くのじゃないかとさえ思っています。冤罪 がこんなにある限り、日本の社会がいいわけがないと思います。
 ここでも皆さんやっていらっしゃるでしょうけど「水戸事件」、あれなんかも、もう 本当にひどい裁判ですよね。今、控訴審ですか。何とか頑張ってもらいたいと思います。 ところが「水戸事件」をやっておられる弁護士さんはいい弁護士さんだからつい、この 間も私、その人に別の事件頼んじゃいました。申し訳ないのだけれど、これも死刑事件 です。いい弁護士さんが少ないから事件が集中してしまうのですね。刑事事件で頑張ろ うという、弁護士さんがいなくなっているのです。日本には民事事件だけやっている弁 護士が多くなってしまった。弁護士さんの気持ちもわかるのですよ。刑事事件でいくら 頑張っても、ダメに決まっているのだから最初からやらないほうがいいのだという事に なっちゃうのです。



   冤罪事件の弁護士が不足

 そんな具合で、弁護士さんが絶望している状態、弁護士さんがある意味では、法廷で 単なる儀式の一員にされてしまっているような状態になるわけです。つまり弁護士さん がこの事も調べてくれというとみんな、却下、却下、そんな必要ないといって、検察官 のいいなりに裁判が終わってしまう。
 死刑事件で証拠もたくさんある。普通死刑事件だと、ダンボール箱で3つも、4つも 記録がある。これだけでもきちんと調べるのに大変な時間がかかる。にもかかわらず死 刑事件でも1年位で終わってしまう事件が多いのです。つまり本人もあきらめてしまう わけです。実際、争ってもしょうがないと、もう早く終わったほうがいい気持ちになる。 そうやって殺人事件を起こす人も、何も計画的に冷静に、やるわけじゃなくて、慌てて やっちゃったという人もいるわけですから、そういう人にとってみれば、もう自分で自 分を責める気持ちが一杯で、もう何を言われても、はい、はい、と言って裁判が終わっ てしまうのです。
 判決が死刑、これであわてて死刑じゃかなわないと言って頑張る。だけども二審とい うのは事実調べはしないというのが原則になっていますから、ほとんど棄却されちゃう。 そうすると二審も1年で終わっちゃう。その後最高裁やっても駄目って事で、短い人は 3〜4年で終わってしまう人もいるのですね。
 頑張っている人はもう10年近くも頑張っているのですが、頑張ればそれだけ損もす る。拘置所ではあまり運動もありませんし、働くことがないから身体はボロボロになる ということで、いろいろ損が重なる。その為に、つい一審、二審で諦めちゃう人がいる のです。そのために、死刑確定者の中で再審を希望する人が常に増えていく訳です。  私の方からお話ししたい気持ちは沢山あるのですが、あとは皆様の中でご意見を伺っ た上で、お答えしたいと思います。宜しくお願いします。



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