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『救援』1999年12月号掲載

オウム排斥運動の本質と団体規制法
          
人権と報道・連絡会  山際 永三


 NHKテレビの「ひるどき 日本列島」という生番組を見 てほしい。アナウンサーと芸 能人が各地を見てあるき名産 品などを味あうという趣向の 他愛ないものだが、生だけに 段取りが見え見えで興ざめな 場合が多い。また、各地の人 々がテレビカメラに対して実 に丁寧で腰が低く、まるで国 民はひとしくテレビという殿 様の前にひれ伏しているかの ように見えることさえある。 NHKによる経済効果のため か、人々とメディアとのこの 最高に幸せそうな風景繙繧ア れはまさに“情報化社会”そ のものである。実にソフトに 人々は、第四の権力マスメデ ィアに取り込まれている。こ の幸せに楯突く極悪集団とし て、オウムはバッシングされ ている。


  情報化社会のいじめ

 人権と報道・連絡会では、 栃木・茨城・埼玉・群馬の会 員・知人を主体に、各地のオ ウム「トラブル」の現地調査 を実施している。住民の監視 小屋で話を聞き、オウム施設 の中に入って信者から話を聞 き、自治体担当者と懇談し、 県庁所在地で記者会見をする というスタイルだ。マスメデ ィアに煽られた人々が根こそ ぎ動員され、自治体総ぐるみ でオウムに対する「いじめ」 が進行し、それが組対法・団 体規制法などを簡単に成立さ せる国会レベルまで見事に共 振し合うという“情報化社会” の構図が明らかだ。
 九六・七年に大規模施設か ら追われたオウム信者は、各 地に分散した。破防法適用が 見送られたあと、オウム・バ ッシングは一段落したかにみ えたが、九九年に入ってから それまで問題が起きていなか った場所で急激に排斥運動が 開始された。ほとんど警察や 公調のリークを受けたマスメ ディアの「オウムが来た!」 「オウムの中枢部が移転して 来る」というセンセーショナ ルな記事を契機に、監視小屋 ができ、町内会や消防団が自 治体ぐるみで運動を組織して いる。地元の自民党政治家や 共産党弁護士が積極的に動い ているケースもある。町内会 では、10所帯くらいの班単位 で監視要員を何人何月何日何 時から何時まで出してくださ い、出られない人は出なくて も結構ですというかたちでロ ーテーションを組む。出ない と近所に迷惑をかけるシステ ムだ。市民は、オウム対策と して千円程度の寄付もとられ ている。
 信者の住民登録を拒否する 自治体は、茨城三和町では住 民基本台帳法の違反がまだ意 識されていたが、栃木大田原 市では憲法二二条の「公共の 福祉」を逆用して、拒否正当 化の論理に使っている。各地 の教育委員会もオウム関係者 の子どもの就学を、躊躇ない し拒否すると声明している。



  いじめエスカレート

 住民のほとんどは、自身で オウムの被害を受けたという のではない。オウムの何が不 安なのかと尋ねても、テレビ のオウムウォッチャーたちの 言葉と同じものが返ってくる だけだ。ともかく気持ちが悪 い、何をしているのか分から ない、夜中にマントラを唱え ている……等々。
 建物裏山の木の上に監視の 足場を作って枝でカモフラー ジュ、夜中酔っぱらった集団 が塀をたたき罵声・奇声をは りあげる。オウムの車を撒き 菱でパンクさせる。右翼が街 宣車から物を投げて怪我をさ せ、トラックで突入し2人の 信者が怪我(大田原市)。消 防車とユンボで道を塞いで車 を阻止。食料の搬入拒否。入 念な持ち物チェック、名前を 記帳させる(埼玉吹上町)。 電気と水道は通っているもの の、電話工事は拒否され、プ ロパンは業者団体が拒否。一 部強硬派の投石によるドアや 温室のガラス破壊。オウム幹 部を道路で待ち伏せして取り 囲み車の鍵を抜き捨てタイヤ の空気を抜く(群馬藤岡市)。  オウム信者の「これ以上行 き場所がない」との言い分に 対して、必ず出てくるのが、 「親元へ帰れ」である。家庭 の幸せもまた、マスメディア が大量に振りまいてきた最高 の価値観である。



  なぜこれほど嫌うか

 吹上町では、人報連の調査 活動以後は小康状態となり、 町内会と信者との話し合いも 行われるようになった。
 しかし、規模が大きい藤岡 市では、われわれの調査活動 に対しても疑惑の目が向けら れ、監視小屋に入る際に記帳 させた我々の名前を、オウム 施設から出る時に一人一人読 みあげて人数点呼をしようと する。そんなことはさせない と押し切る我々の車の前に立 ちふさがって、発車させない というトラブルになった。N HKカメラには愛想のいい人 々が、ヒステリックに「ここ を通すな!」と叫ぶ。関東大 震災、そして一九七〇年頃の キャンパス周辺の自警団が思 い起こされた。
 オウムを弁護する者は非国 民と見なされ、団体規制法に 反対する議員は選挙での落選 を恐れるという状況である。



  そもそもオウムは?

 このように人権侵害の現状 を生々しく提起しても、なお 山際らは「オウム・ファシズ ムが分かっていない、結果と してオウムを擁護している」 と非難する人がいる。「オウ ムはサリンをまき、武器をも って無差別に人民を殺害しよ うとした。省庁制をとってク ーデタを計画していた」云々。
 サリン事件やオウム裁判の 問題点については、月刊「む すぶ」の三四六号特集を参照 してほしいが、
hオウム事件 には裏が多く謀略がからんで いる。
i裁判はこれまでにな く「自白」書類裁判で物的証 拠が無視されている。
j一連 の事件に関係した幹部がいた のは事実でも、一般の出家者 ・信者は何も知らなかった。 一枚岩の組織ではなく、それ が利用された。
k無差別テロ であれ、犯罪は証拠に基づい て裁判すればよく、残った関 係者に謝罪表明をせまるのは 筋違いで、連帯責任論は前近 代的だ。繙
というのが私の 主張である。
 人民に武器を向けたと言う が、人民はどこにいるのか? 階級論を再度吟味し、闘争の メルクマールという発想をや めて、人権をメルクマールと し、政治至上主義を見直すべ きではないのか。
 過去の戦争責任を、政治家 や軍部のせいにして自己切開 を怠り、効率に偏った企業の 論理=無責任態勢を是認し、 環境汚染を続けて身体の中に も毒を蓄えてしまった日本人 繙繧サのなかからオウムは生 まれ出され、そのなかから反 動自警団が生まれている。



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